第三話 誰かさんを見ているようで
あらかたの説明が終わった後、チャールズはホールデン伯爵と共にヘンシャル領へ向かうこととなった。
すでに馬車は用意されており、宿の前でヒューバート王やクリスティアン、リチャードとはお別れだ。
「二人は僕が責任を持って王都へ連れて帰ろう。オフェリアと一緒に、城でマリアの帰りを待ってるよ」
リチャードは、まだしょんぼりした様子でチャールズを見上げている。
「お母さん、大丈夫かな。もうすぐお母さんの誕生日なんだ。みんなでパーティーの用意だってしてるのに」
母が心配でならない甥を励ますように、ヒューバート王がぽんとリチャードの肩を優しく叩く。
大丈夫だろう、と兄のクリスティアンは言った。
「僕からすれば……母上がヘンシャル領主を誑かして、ヘンシャル領を大変な状態にしているのではないかというほうがよほど心配だ」
いったいどんな心配をしているのだ、と苦笑するチャールズの隣で、その心配はない、と伯爵が断言する。
「クリフォード・ヘンシャルの息子レズリー・ヘンシャルのことはこちらでも調べてみたが、マリアの好みのタイプではなかった」
それもどんな返答だ、とマリア自身のことはそれほど心配していない父子に、チャールズは脱力するしかなかった。
「みな、マリアのことをよろしく頼む。オフェリアも、すぐ帰ってくるといった姉がなかなか帰ってこないから、とても不安そうだ」
ヘンシャル領はさほど距離もなく、馬車に揺られ、一泊だけ立ち寄った町の宿で休めば、翌日には到着するような場所であった。
馬車の中、ヒューバート王から預かった、マリアの手紙をチャールズは読み返す。
「……不正の横行は見られるが、王が介入するほどのものではなし。これぐらいで介入していては諸侯が王の越権行為に不満を抱くことだろう……うーん、細々とした問題はあるが、基本的にヘンシャル領は平和なところみたいだな」
「先代領主の手腕は確かだったようです。堅実な経営を行い、私生活がどうであれ領民にとっては敬愛する領主だった」
「そうか――ヒューバートの代理で葬儀に行ったんだから、マリアはヘンシャル領主の屋敷にいるはずだよな。ヘンシャル領に到着したら、真っ先に向かうか」
あまり良い評価を聞かない新領主だが、さすがに王弟のチャールズを問答無用で追い返すようなことはしないだろう。
だからこそ、ヒューバート王もわざわざチャールズの帰りを待って、頼みに来た。
「私は招かれざる客でしょうから屋敷の外で待ちます。その間に、ノアに町で情報収集させてきましょう」
話をしている間にヘンシャル領が見えてきて、伯爵は従者のノアと共に、先に町へと降りる。
御者役はチャールズの従者のマオに任せ、領主の屋敷へ向かう馬車を見送った――馬車が見えなくなった後、伯爵がノアを振り返る。
「何か考え込んでいるようだが、悩みごとか?」
「いえ。ヘンシャル領主の話を聞いて色々と思案している最中に、ふとどうでもよいことを考え付きまして」
「どうでもいいこと」
はい、とノアが頷く。
「クリフォード・ヘンシャル侯爵は、妻から我が子を取り上げて、義姉に育てさせた。それが原因で奥方は屋敷を出て行き……と情報を整理していた際に、マリア様がその立場だったらどうなったか、ということを考えてしまったのです。それで」
あまり表情を変えないノアだが、わずかに目を逸らし、話しを続けた。
「悩む必要もないことだったな、と」
「マリアならサクッと夫と義姉を始末し、家を乗っ取って終いだ。特に我が子絡みとなれば、迷いもためらいもしないだろうな」
「……でしょうね」
マリア・オルディスは、泣き寝入りなんて言葉から最も縁遠い女性である。
「ご安心ください、レミントン公爵。あの女ならば――あの淫蕩なるキシリアの魔女ならば、この私が、成敗してやりましたよ」
ヘンシャル邸に到着したチャールズは、賓客として迎えられ、応接室に通されて新たなヘンシャル領主と対面した……と思ったらそんな言葉を掛けられ、チャールズは微動だにしなくなってしまった。
……死んだ目でヘンシャル領主を見ている。同行してきたマオは、そう思った。
「偉大なるエンジェリク王を堕落させ、我が父を城より追放し、王妃共々歴史あるエンジェリク王国を我が物顔で食い物にしてきた魔女に、正義の鉄槌を――城の男共はまんまとあの女の色香に惑わされたようだが、私だけは違う!」
チャールズが口を挟まないのをいいことに、ヘンシャル領主の演説は続く。
心なしか、チャールズの顔色がどんどん悪くなっていってるような……。
「レミントン公爵。いまこそ王威を回復し、腐敗の進むエンジェリク王国を救済しましょう。微力ながら、私もお手伝いしますよ」
なぜか自信満々なヘンシャル領主の演説に付き合うのが疲れたのか、チャールズは早々に切り上げ、応接室を出て玄関へと向かった。
なんか色々言っていたが、とりあえず、キシリアの魔女を娼館送りにしてやった!という誇らしげな報告だけは理解した。彼女はいったいどこに……。
「マオ……」
青ざめた顔で、チャールズが呟く。屋敷を出たら、まず何から手を付けるか――考えていたマオは呼びかけられて、チャールズに視線を移した。
「……俺も、あんな感じだったのか?」
身の丈に合わぬ自信を抱え、大言壮語を繰り返すヘンシャル領主の姿に、チャールズはかつての自分を思い出したらしい。
できれば埋めたままにしておきたい黒歴史を、ざっくざっく掘り返されてしまったようだ。
……それで、どんどん顔色が悪くなっていたのか。
マオは話すことができず、表情の起伏も乏しい青年であった。しかし、自分に振り返るチャールズからすぐに目を逸らしたことで、チャールズは青年の答えを理解した。
さらに顔色が悪くなっていく。
そんな二人の前を、喪服姿の老女が通りがかった。
「まあ、お客様かしら」
老女にはどこかヘンシャル領主と似通ったところがあり、着ている喪服も上質なもの。
彼女が、クリフォード・ヘンシャルの姉だとチャールズはすぐに察した。
「クリフォード・ヘンシャル候が亡くなったと聞き、お悔やみを。亡き父が、侯爵の友人だった――兄ヒューバート王も、非常に残念に思っている」
「ヒューバート陛下の……では、あなたは王弟殿下……?」
チャールズの正体を知り、老婆が慌てて礼を取ろうとするのを、チャールズが制止する。
「今日は単なる弔問客の一人に過ぎないから――そう言えば、ヒューバート王の代理で、もう一人ここに来た人間がいるはずだが、彼女はどうしている?この屋敷で合流できると思っていたのに」
「ああ、マリア・オルディス公爵ですか?彼女の応対は、甥が致しましたわ」
話しながら、老婆が気まずそうな表情をし、もごもごとした口調になっていくのを見て、彼女は甥がマリアに何をしたのか知っているな、とチャールズは察した。
「……貴女の甥は、オルディス公爵を娼館へ追いやったと自ら話していた。彼女は王の勅命を受けて貴女の兄の弔問に来たというのに、それに対する仕打ちは話にならない。下手をすれば、王への反逆とも取れる行為だ――止めなかったのか?」
冷静に話さなくてはならないと分かっているのに、つい口調が厳しくなってしまう。
先代領主の姉で、現当主の育て親なら、この老婆もそれなりの責任ある立場なのに――どこか他人事で無責任な態度にイライラしてしまう。誰かさんを見ているようで。
……八つ当たり的な感情もあったと思う。この老婆を責めても仕方ないと、分かってはいたが……。
老婆は憐れっぽく涙を溜め、よよ……とわざとらしくうずくまって顔を覆った。
「あの子は偉大な父を失って、混乱しているのですわ。傷ついているのですわ。悲しみの淵にいるあの子を、どうして責められましょう。せめて私だけは、あの子の味方でいなくては」
現当主の芝居がかった態度は、この女性に似たのかな、と。うんざりした気持ちでチャールズは思った。
その後、大仰に泣き出してしまった老婆は家人に連れられて行き、大した情報を得ることはできなかった。
屋敷を出ると、すぐ外に停めてあった馬車のそばに、ホールデン伯爵が戻ってきていた。ノアも一緒だ。
「手がかりらしきものが見つかりました」
伯爵が言い、ノアを見る。ノアが話し始めた。
「町でいま、イデアルという名前の娼館が話題になっています――ヘンシャル領内にとどまらず、近隣からも富裕層の紳士や貴族たちがその評判を聞きつけてやって来る、人気の店だそうです。娼館のオーナーの名前はマリア」
どう考えたって、自分たちが探してる女じゃないか。
間髪入れずにそうツッこんだチャールズに、伯爵もノアもマオも、深く頷いた。