楓の人生
大変お待たせしました……またお付き合い下さい。
涙子(生徒会長)
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桐島
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楓の順番で投稿を行う予定でしたが、先に楓の話から投稿します。
宜しくお願いします。
亮介と麻衣の結婚式から数年が経過し、今日で私は25歳の誕生日を迎えた。
朝から引っ切りなしに『おめでとう』のメッセージやスタンプが大量に送られて来る。
「この人は確か、年末特番で世話になって……この人が年賀状を送ってくれたっけ?」
記憶を辿り、その人物との関係性を思い出しながら返信を行ってゆく。
その中には関わりの薄い相手や、殆ど世に知られてない同業者も含まれている。
数年前なら考えられない。
彼彼女達を見下していたあの頃の私なら絶対に無視をしていただろう。付き合って得になる相手としか交流を持とうとしなかった。
今でも大した人間ではないのだが、当時の私はもっと比べものにならないほど酷い人間だった。
「これで、だいたい返信は終わったかな?」
返信が一通り終わり、私はひと息付く。
今では私よりも遥かに凄い人達だと分かる。
彼女達、そして彼等は情熱や誇りを持って仕事や稽古に取り組んでいるんだから……例え結果が出なくてもその生き様は輝かしいモノになるだろう。
羨ましい、本当に羨ましい。
私は歳だけを重ねた人形だというのに、ドス黒い私の側で毎日あんなにも輝いている。よくあの人達を馬鹿に出来たな……と、心の底から思う。
私は経験の全くない出来事を題材にしたドラマでも完璧に役を演じられる。
周囲は抜群の演技力だと誉めてくれるのだが、その演技も登場人物の設定をそのまま演じてるだけに過ぎないのだ。全部台本通りにしか役柄を熟せない……なので芝居を終えるとその人物について忘れてしまう。
感情移入がどうしても上手くいかない。
わからないんだ……自分以外の気持ちが……だから書かれてる事を完璧にやるしかないのだ。
とにかく何をするにも情熱が湧き上がって来ない。
「亮介に認識されなくなって7年が経つのか」
亮介に会えない時間というのは、私にとって本当に苦しい時間だ。
そして、これからもそれはずっと続いてゆく。
今でも亮介が恋しくて眠れない夜がある。
あの子を考えるのはダメだと頭で理解出来ても、感情をコントロール出来ない日が偶にあるのだ。
「別れは告げたしな」
だけど会いに行こうとは思わなかった。
二度と家族を悲しませたくないし、麻衣に嫌われたくない……そして何より亮介に傷付いて欲しくない。
「それでも幸せを願っている」
そして今日も『何か』の役を熟してゆく。
大嫌いな『山本楓』として。
──────────
午前中で撮影を終えて私は自宅へと向かった。
玄関を開けると、沙耶香が昼食の準備に取り掛かっている音が台所から聞こえて来た。
「ただいま」
「あ、楓さん!相変わらず時間通りですね!……こっちも直ぐに出来上がりますからね〜」
「ああ、ありがとう」
お礼を言ってソファーに腰掛けた。
もちろん普段は自分で御飯を用意する。
ただ今日は、誕生日プレゼントも兼ねて沙耶香が手料理を食べさせてくれる事になった。尤も、彼女は頻繁に押し掛けては手料理を振る舞ってくれる。
また、少し前から誕生日には必ず立ち寄り、時間を掛けた豪華な食事を作ってくれるようになった。
誕生日という事で、今日も例年通りかなり手の込んだ料理を用意している。
(何だかんだ、私も沙耶香と過ごせる様に誕生日には予定を空けてるんだがな)
「ふんふふーん♪」
台所から鼻歌が聞こえてきた。沙耶香は長い髪を三角巾で結び、ピンク色のエプロンを身に付けている。
「良いお肉が手に入ったからね〜」
台所から独り言が聞こえて来る。
かなり上機嫌な様子だ。
彼女はこの数年で美しさに磨きが掛かっていた。
今ではテレビでの受け答えもしっかり出来るようになったし、大御所相手に大きなミスをして私に尻拭いさせる事も無くなった。
今の沙耶香なら私が居なくても大丈夫だろう。
「美味しく出来るかな〜?」
「……………」
それなのに彼女は私の側を離れようとしない。
私は面白い話なんて出来ないから、一緒に居ても楽しくない筈なんだが……?
トーク番組に出演する前日、私がどれだけ頭を悩ませてる事か。とにかく台本なしでは面白い話なんて一つも出来ない女だ。
なのに沙耶香はいつも私の話を聞いて笑ってくれた。誰も居ない時にはくっ付いて来たりもするし、休憩室で仮眠すれば、いつのまにか側で一緒に寝ていたなんて事もあった。
『楓さんは私の人生を変えてくれた恩人なんですよ?あのとき楓さんが助けてくれなければ、私は悪意に怯えた悲しい人生を過ごしてましたよ』
沙耶香はこんな風に言ってくれた。
亮介と重なったから見捨てられなかった……本当にそれだけなのに……
『いつも私がヘマした時に、干されたり嫌われたりしない様に立ち回ってくれてましたよね?』
気付かれないようにしたんだが、まさかバレていたとは……そういう所だけは案外鋭い。
だけど私の所為で芸能界に残った訳だし、ある程度は助けてやらないと、私の気が済まない。
『私にとって楓さんはヒーローなんです!上部だけの偽善者じゃない……本当に困った時にこそ手を差し伸べてくれる!そんな人です!!』
私はヒーローじゃない……私こそ偽善者なんだ。その事に早く気が付いてくれ……それに──
『楓さんは世界一格好良い人です!』
『楓姉さんは世界一格好良いよ!』
格好良いという言葉が、その言葉を口にする時の表情が、あの頃の亮介とまるっきり同じで……その言葉が私の五臓六腑に深く染み込んでゆく。
何度も亮介は言ってくれた……格好良い姉だと。
だから口調もこんな風に変えたし、勉強もスポーツも一生懸命に頑張った。
自らの性格を変えて仕舞えるほど大好きで大切だ。
それほどまで亮介が好きだったのに……
ほんとに大切な存在だった筈なのに……
なのに、なんで信じてあげれなかったんだろう?
嫉妬心が邪魔をしたから……?
違う。
亮介の周りに女性が多くて妬ましかったから……?
違う。
私が人間的に欠如しているから……?
そうだ、それこそが真実。
嫉妬心も妬みも都合の良い言い訳に過ぎない。
本質的な部分で、人間としての中身が私には少しも足りてなかったのだ。
人を思いやる心がない。
自分さえ良ければそれで良い。
だから大切だと思ってる亮介の事を考えず、残酷な手段で愛する者を手に入れようとしたんだ。
あの子の心を少しも考えてやれなかった。
──誕生日は皆んなが祝ってくれるから嬉しい。
その反面、とある事を深く考えてしまう日でもあるんだ……どうして私は──
──この世に産まれて来てしまったんだろう?
「出来ましたー!」
「……ッ!──あ、ありがとう」
いけない……後ろ向きな事を考えていた。
暗い表情をしてたら沙耶香に失礼だ……彼女に失望される様な情けない姿は絶対に見せちゃダメだからな。
「またそうやって……」
「どうした?」
「なんでもないですよーだ!」
食卓にはローストビーフやカルパッチョなどの見栄えが良い料理が並んで行く。
少し不機嫌そうだが……気の所為か?
おかしな事は言ってないし、流石に大丈夫だろう。
「いつもみたいに手伝わなくて良かったのか?」
「誕生日だからゆっくりしてて下さいね!」
しかし、テーブルに全ての料理が並ぶ頃には落ち着きを取り戻していた。安心したが、お陰で不機嫌になった理由は迷宮入りとなってしまった。
「楓さん!改めて誕生日おめでとうございます!」
「沙耶香……ありがとう」
「いえいえ!」
沙耶香は向かい側に座り、ワイングラスを持つ。
私は『頂きます』と手を合わせた後、彼女の作ったローストビーフを食べ進める。
うん、本当に美味しい。
「む〜!乾杯がまだですよ〜!」
「あ、すまない……」
祝いの席なのに失念していた。
沙耶香もグラスを持ったまま頬を膨らませている。
普段はこういう気遣いも一応は出来る筈なのに、心許した人間が相手だとボロが出てしまう……悪い癖だ。
仕切り直して乾杯を行い、今度は沙耶香と二人で食事を再開した。
「楓さん、本当に一人じゃダメですね〜……洗い物も出しっぱなしですよ〜?」
「後でやるつもりだ」
──嘘だな。
最近は何をする気力も湧いて来ない。何の為に生きてるのかも定かではない。ただ私なんかでも死ねば悲しむ人達が存在する。
その人達の為だけに私は生存しているのだ。
「楓さん……私が居る限り一人にはしませんよ」
ネガティブな考えが表情に出てしまったのか、沙耶香がいつになく真剣な面持ちで私を見ている。
彼女との付き合いも長い。
私の僅かな変化にも気付いてくれる。
「そうか……期待しよう」
「ふふ、期待してて下さい」
沙耶香も………私が死んだら悲しむだろうか?
だったら嫌だ……それでも嬉しい。
本当に矛盾した考えだけど、見向きもされない事ほど悲しい現実なんて無いからな。
相変わらず面倒臭い女だよ、私は。
今でも悩む事は多い。
自らの死を希う事も多い。
それでも、私を気遣ってくれている人達の為に、今日も地獄の中で頑張って生きて行こうと思う。
こんなに沢山味方が居るのに、今の状況が地獄だと絶望している。亮介に比べたら大した境遇でもない癖に……あの強さが私にも有ったら良かったなぁ。
本当に血が繋がっているのか不安になるくらい、精神的な部分で亮介とは大きな差があるのだ……似ているのは本当に外見だけだとつくづく思い知らされる。
「あーあー……帰りたくないなぁ〜」
「これから友人と会う約束をしていると、前もって話していただろう?」
「そうですけどね?なんかアレでしてね?」
「……会って行くか?沙耶香を紹介したいと思っていたし……これから会うのは大切な友人だからな」
「……大切な友人……本当に乙女心が分かってませんね!もう私帰ります!」
「……これでも一応は乙女なのだが?」
『大切な友人』というワードを聞いて、何故か、沙耶香は苛立ちながら玄関へズガズガと歩いて行く。
そんな沙耶香を楓は玄関まで見送る。
「……また来ますから」
「ああ、いつでも来てくれ」
沙耶香は名残惜しそうに何度も振り返りながらマンションを出るのであった。
紹介されるのがそんなに嫌だったとは……いや急に申し出た私が悪いのかも……ああやっぱり他人の気持ちがいつまで経っても分からない。
成長せんのだな、私も。
──沙耶香が帰ってから少し経つと、今度は涙子が家を訪れてくれた。
大切な友人とは彼女の事だ。沙耶香だけでなく、涙子と会う為にも今日は午後から仕事を入れてなかった。
「待っていたぞ……さぁ入ってくれ」
「お邪魔しまーす」
私が招き入れると涙子は嬉しそうに部屋の中へ入って来た。手には大きな紙袋が握られている。
「楓ちゃん!久しぶり!あとおめでとう!」
「久しぶりだな……そしてありがとう」
およそ3ヶ月ぶりの顔合わせになる。
それを久しぶりと言うのか分からない。
社会人がプライベートで友人と会う頻度は、普通だとどれくらいの間隔になるのだろうか?
私にとって友人と呼べる存在は涙子だけだからやはり分からない……沙耶香は仕事で会う機会が多いし……
「さっきピンクの服着たサングラスのお姉ちゃんに、下のエントランスで睨まれた!めっちゃ怖かったんだけどっ!」
「ピンクの服にサングラス?」
十中八九、いや間違いなく沙耶香だろう。
出て行く前にそんな服装に着替えていたからな。
彼女も私と同じ有名人だ、移動の際には変装を欠かせない。
(だけどおかしいな……?沙耶香が帰ったのは30分以上も前になるんだが……?ずっとエントランスに居たのか?)
んん〜沙耶香の行動が読めない。
ただ、人を睨むような子じゃないのは確かだ。きっと涙子は勘違いをしている。
前に涙子の写真を見せて『心から信頼出来る友人』と紹介した。それで顔を覚えたから挨拶したんだろう。
写真を見せた時も食い入るように見ていたし、やはり間違いない。
「まぁ二度と会わないだろうから別に良いけどね──取り敢えず、ワイン買って来たけど飲む?」
「もちろん頂くよ」
ワインを一杯だけで我慢したのは正解だった。
お陰で涙子からの誘いを断らずに済む。
「じゃあ楓ちゃんッ!誕生日おめでとう!乾杯──と見せ掛けてルネサ〜ンスッ!」
「………ルネサンス」
彼女は数年前から性格が大きく変わっている。
陽気というか、前向きになったというか。
考え過ぎてしまう生真面目さが抜けて、プライベートではよく冗談を言う様になった。
高校三年生……正確には亮介が冤罪だと分かってからの彼女は、いつも本当に辛そうだった。
あの頃の私は、他人を気遣う余裕のない人間だったから助言もしてやれず、最後まで彼女の助けにはなれなかった。
沙耶香の言葉とは真逆……本当に苦しんでる時に手を差し伸べてやれなかった。
それなのに涙子は私を励ましに来てくれていた。
自分だって辛かった時期の筈だ……本当に優しい。
私は裏切ったというのに、彼女はそれを一切責めることもなく、今でもこうして会いに来てくれる。
「楓ちゃん、ルネサンスってなぁに?あはは」
「自分から言ったんじゃないか」
「え〜?嘘だぁ〜?」
「既に酔ってるのか?」
もしかしたら数年前に、何か変わるキッカケがあったのかも知れない。
時期的には亮介の結婚式……もしかしたら亮介が──
「かえでぢゃ〜ん……ヒック!」
今度は確実に酔ってるな……顔が真っ赤だからそう断言できる。
ということはさっきのはシラフか……恐ろしい。
まぁ、今の涙子も可愛らしくて好きだな。
「まだ一口しか飲んでないのに泥酔するかね?」
何度か酒に付き合っており、涙子が酒に弱いのは知っている。だけどジョッキビール1杯くらいならギリギリ大丈夫なんだが……酒が問題なのか?
私は気になってアルコール成分を確認した。
アルザス
アルコール度数60%
「……え?なんだこの度数は……ワインだったんじゃないのか?」
あまり詳しくないが、確かワインのアルコール度数は20%以下くらいだと聞いた事がある。
私はもう一度ラベルを確認した。
【ウイスキーブレンド】
「まさかウイスキーとワインを間違えるとは……なるほど……お馬鹿だったか……」
確かにワインに見えなくもないが、製品名くらいはしっかり確認して欲しかったぞ。
「うぅ〜……気持ち悪い………あ、なんか美人の姉ちゃんがいるー!貴女だれー?」
「私だ」
「あ、かえでちゃんだぁ……!」
「大丈夫か?」
「ちょっとコッチおいでよぉ……膝枕しなさいッ」
「私はそういうサービスはしないぞ」
涙子は酔うと面倒くさい。
だから普段は飲み過ぎそうになれば止めるんだけど、ひと含みで泥酔されてはどうしようもない。
結局は断ることが出来ず、膝枕をする羽目になった。
身体は大人なんだが、性格は高校時代より幼くなってる気がする。もしこれが彼女の本質だとするなら、高校時代の涙子はどれだけ無理をしていたんだろうか?
在学中と同じく、頭にはカチューシャを着けている。今はそれが食い込み痛そうだったので外してやった。
まさにその時だ。
いきなり涙子がえずき始める。
「……うぷっ……吐きそう……」
「……え?」
「ウゲェ……ッ!」
「………そんな……私の上に……」
──なんて事だ、お気に入りのスカートを台無しにされてしまった。渚沙から貰った大切なスカートだと言うのに……この独特な匂いは中々取れないぞ。
「……ご、ごめんなさい……誕生日なのに……」
「き、きき、気にするな」
ごめんよ、渚沙……でも酔いとは別に、真っ青な顔で謝ってるから許してやろうと思う。
「今日はもう泊まると良い……明日休みだろ?」
「………うん」
私は涙子をベッドに寝かせる事にした。
だがその前に、お風呂場へ涙子を連れて行き、シャワーで彼女の身体を綺麗にする。
洗ってる間もずっと謝っていたので責めるつもりはない……正気に戻った際には嫌味くらいは言うかも知れんが。
しかし、アルコールの匂いが中々取れなかった。
私にこびりついた強烈な臭いは特に手強い。
──時刻は19時に差し掛かろうとしている。
これから会うのは妊婦なのだ……こんな悪臭を放つ身体では絶対に会っちゃダメだよ。
私は消臭スプレーと入浴を何度も行い、可能な限り臭いを和らげる行動を繰り返し行う。
そんな努力が報われたのか、彼女が到着する頃には酸っぱい臭いをほとんど消し去る事に成功した。
──ピンポーン
「……こんばんわ、楓さん」
「良く来たな……会いたかったぞ、麻衣」
そして私は──亮介の子を宿し、お腹を大きく膨らませた麻衣を出迎える。