11話 ロウソクの最後の灯火
俺は楓姉さんの腕を掴んだ。
すると驚いた表情でこっちを見る。
「……ど、どうして?!」
「……ッ」
一瞬、ギョッとしてしまったが大丈夫。
あの眼差しは相変わらず苦手だが、別に竦み上がる程では絶対にないんだ。大袈裟に反応する必要はなし。
思考はクリアだ……十二分に戦える。
ちゃんと物事の良し悪しが判断出来る。
今までの俺とは明らかに考え方が変わっていた。
今の俺は好き勝手されたりもしない。
ちゃんと言いたい事をハッキリと話して、この馬鹿女を解らせよう。
……だが、その前に──
「……麻衣を離せ」
楓姉さんからの暴力に怯えてる麻衣を助けるのが、何よりも先決だ──って言うか、元気になった姿を一番最初に見て欲しかったのに、目を瞑っているから麻衣が気付いてくれない……だいぶ寂しいな。
「……え……亮介?」
俺の声を聞き、麻衣はようやく顔を上げた。
そしてこっちを見ている。
それは姉と同じ行動だが、アレとは違い麻衣の眼差しは暖かい。俺の心を包み込んでくれる。
でも頬に泥がついてるのが痛ましい……やっぱり楓姉さんは許せない。
今まで、その小さな体で、俺を守り続けてくれた大好きな女の子。
今度は俺が守る番だ。
楓姉さんにはこれまで大切な人を傷つけて来たツケを払って貰わなくちゃならない。
俺は深く深呼吸をした。
「……そんな……どうして……やっと手に入ったと思ったのに……」
正気を取り戻した俺を見て、残念そうにするのはこの女くらいのもんだ。コイツは俺の快復を望んでいない。どんな状態でも俺が手に入れば良いと思っている。
底知れぬ愛情を向けられているが、こんな狂った愛情を向けられても嬉しくない。
俺はこの人を心から軽蔑する。
マジで本当の意味で化け物だったんだな……
「──亮介ぇぇッッ……うわぁ、亮介ぇ……!」
「わっと!」
動揺で楓姉さんの力が緩んだ。
拘束を逃れた麻衣が俺に抱き着いてくる。
この瞬間だけは姉の存在なんてどうでも良かった。しっかりした意識の中で麻衣を抱きしめる事が出来て、嬉しい限りだ。
──麻衣は俺の胸に顔を埋めていた。
皮膚に水気を感じるから、シャツに麻衣の涙が染み込んで居るんだろう。冷たいけど心は温かくなる。
「……おいっ!お前如きが亮介に抱きつくなっ!」
「……ちょっと静かにしてくれる?楓姉さん?」
「その呼び方は中学の時の……今更、なんで」
無意識にそう呼んでいた。
普通だった頃の習慣はなかなか拭えない。だからこそ今の状態で姉を倒す事に意味がある。俺はこの女に復讐しなくてはならないのだ……それもちゃんとした思考回路で。
そして正当な復讐を行う。
怒りに身を任せたモノじゃなく、ましてや暴力にも訴えない。正々堂々と楓姉さんの心を折る。
暴力は絶対にいけない。
相手が誰であれ酷く後悔する……桐島を蹴った時の事を『今では』後悔しているから、同じ轍は踏まないぞ。
それに殴ればコイツと同じ領域に落ちてしまう。
もうこれ以上どこにも堕ちたくない。
──だが、復讐よりも真っ先にやるべき事がある。
まずはそれからだ。元気になったら最初にやりたかったこと、それは──
「麻衣」
「……ふぇ?」
頭を上げた麻衣の顔は、案の定、涙でぐしゃぐしゃになっていた。ハンカチを持ってないダメな男で申し訳ない……でも今更だよな、俺がダメなのって。
でも可愛いから安心してね。
──そして、これからが一世一代の告白だ。
「前に結婚しようと話してくれたよね?」
「うん……え、まさか、いや……とか?」
「いやそれは絶対に有り得ない」
ちょっと言い回しが不味かったか……じゃあもうハッキリと言ってしまおう。
「……俺と結婚してくれないか?」
「ええ!?」
「いや、婚約中なのは間違いないんだけど、俺の口から直接言いたかったんだよ」
ずっとずっと言いたかった言葉を、今更ながら初めて口にする。麻衣にプロポーズされて俺は了承したけど、やっぱり俺の口からもちゃんと伝えたかった。
今こそ、これまで言えなかった事を伝える大チャンスなんだ──俺は想いをぶちまけた。
「今更、麻衣の居ない生活なんて考えられない。麻衣が良いというなら、これからもずっと一緒に居て欲しい」
「亮介……えへへ……プロポーズされちゃったぁ……本当に元気になったんだね……良かったぁ……」
「……おっ!意外……泣かないんだね?」
「え〜?嬉しいのにどうして泣くのさ〜?」
「……もう本当に可愛いな!!」
俺は強く麻衣を抱き締めた。
「──亮介ぇぇッッ!!!やめろッッ!!」
せっかくのムードに水を差してくる姉さん。
「…………」
そして勝手にダメージを受けている。
俺たち二人のやり取りが許せなかったらしい。狂ったように頭を掻き毟っていた。
麻衣はそんな楓姉さんに怯えて居たけど、俺は怖いというより純粋に気持ち悪かった。
本当に、こんな狂人の何処に恐れる必要があったんだ?ただの狂ったストーカーじゃないかよ。
今だってそんなつもりはなく、純粋に麻衣と仲良くしてただけなのに……でも一石二鳥だ、もっと苦しめよ。
「なぁ、亮介……私を許してくれるって、言ってくれたよな?なのにどうして私を遠ざける?──それに、どうして私が近付くと病気が悪化するんだ?……それが本当に分からない」
そんな事もまだ分からないのかよ。
血の繋がった姉なんだから、既に俺の企みなんて気付いてもおかしくない筈だ。
それなのに分からない……相変わらず、自分に都合の悪い情報は受け入れないんだな。
だったら俺から教えて引導を渡してやろう。
「それは簡単だよ……楓姉さんを許してないから」
「はぁ?でも、あの時は許すって──」
「アレは嘘だ」
「う、うそ……?」
もう良いだろう。
本当の事を打ち明けよう。
それを聞いて楓姉さんがどんな反応を見せるのか分からない……でも、コイツは、この最低女は、俺があのとき抱いた憎しみを思い知るべきなんだ。
「そうだよ、嘘だよ。俺は楓姉さんを俺に依存させて──最後に棄てるつもりだったんだ」
「依存させて………棄てる?」
「そうそう……わかり易いでしょ?──第一、アレだけの事をしといて俺から許されると思うなよ?……まぁ尤も、少しでも罪悪感があるのなら、普通は鵜呑みにしないけどな?」
「………そ、んな……え、でも……」
──楓は驚愕し目を見開いた。
それは自分の考えていた計画とは似て非なるモノ。
楓の場合は依存させて、自分しか見えないようにする事で愛されようと考えた。
だけど亮介は全く持って逆。
依存させた後に自分を棄てると言うのだ。それは楓にとっては想像するだけでも恐ろしいこと。
亮介と両思いになった途端に突き放されるなんて……底知れぬ絶望を味わう自信が楓にはあった。
亮介の目論見通り、この作戦は楓に取ってあまりに有効な手である。何故なら聞くだけでショックを隠し切れないのだから……
ただ、あのとき予想外だったのが、亮介自身が負うダメージがそれ以上に計り知れなかったという事にある。
症状悪化の原因──それは間違いなく、姉と仲良くする地獄の10分を設けてしまった所為だ。
それに関して今の亮介は大いに反省している。
「……そんな酷い事を考えてたなんて……幾らなんでも酷過ぎるぞ?」
「いやアンタにだけは言われたくねーし──というか今の話で分かったでしょ?俺はそんな酷い事を計画するくらい楓姉さんが嫌いなんだよ」
「……ま、まって、それ以上言わないで……」
「だから二度と近付かないで欲しい。俺が楓姉さんを許すなんて金輪際あり得ないからな」
「……亮介……どうして……そんな……」
イヤイヤと首を振りながら後退る。
あの日、亮介に許して貰えたから、楓はまだチャンスがあると思った。しかし、それも全部ウソで、あろう事か自分を苦しめる為の計画だったと言うではないか。
それを聞いて、更に楓は絶望した。
亮介をもう一度壊して手に入れようにも、今の亮介を壊す自信が楓には無かった。そして、自分に依存させるのは……言うまでもなく絶対に不可能だ。
「亮介ッッ!!どうか許してくれっ!!私にやり直すチャンスをくれっ!!」
「……ちょっ!?」
亮介は思わず息を呑む。
最後の手段として楓が足元で土下座して来たのだ。
その姿は妄想や幻覚で見た姿とまるっきり同じで、亮介は再び妄想を見ているんじゃないかと不安を覚えた。
しかし、今の亮介はこれが現実だと判断する力がしっかりと備わっている……この現実をしっかりと受け入れた。
「まるで未来予知だな」
「な、なんの事だ?」
「そのみっともない姿だよ。俺は楓姉さんがそうやって土下座する姿を、いつも妄想で見てたんだよ」
「そ、そんな風に見えていたのか……ッ!?──だから足元を見ていたのか!?」
ようやく合点した。
ずっと疑問に思っていた亮介の態度は、自分が足元で土下座していると思って居たらしい。
最愛の弟にそんな風に見られてたと知り、羞恥とショックで楓は泣き出してしまう。
「リョウスケ……もう本当に……許してくれよ……絶対に傷付けたりしないから……本当に今までごめんなさい……!!」
……そうなってしまうと、もう完全にいつも妄想で現れる楓そのモノだ。アレだけプライドの高い女が泣きながら土下座している。
現実でも亮介の望んだ姿に堕ちたのである。
「…………」
もはや掛ける言葉もなかった。
──だが、亮介には一つだけ気になる事があった。
「ごめんなさいか……本当に簡単に謝るんだな?」
「……え?」
「楓姉さんは、あのとき話した事を忘れたの?」
「……あの……とき……?」
「そうか、本当に忘れてるんだな……渚沙はちゃんと覚えてて、謝ったりしなかったのにな」
「いったい……さっきから、何を──」
「──何をやってるんですか!!」
今更ながら警備員が駆け付ける。
楓が麻衣を突き飛ばした場面を目撃していた看護師の証言で、警備員は真っ先に楓を拘束した。
そして、この出来事は間違いなく凛花と和彦の耳にも入る。和彦はともかく、凛花は二度と亮介には会えない処置を取ってくれるだろう。
「亮介ぇぇ……お願いだ……お姉ちゃんを見捨てないで……頼むよ……亮介……」
「………ッ」
俺に掴んで貰おうと必死に手を伸ばして来た。あの楓姉さんが涙を流しながら、警備員に連れて行かれながら最後の抵抗を見せている。
俺は伸ばされた手に反応し、自分の手を出した。
「りょ、亮介……」
俺が反応を見せると、嬉しそうに笑う楓姉さん。
そうだよ……こんなのでも、確かに血が繋がった姉弟なんだ。それに、これからはもう会えなくなるかも知れない。
ならば最後くらい……良いだろう。
俺は手を伸ばし──
麻衣の手を握った──
「あああああああぁああああああッッ!!」
亮介が選んだのは麻衣。当然の結果だがそんな当たり前の事が楓には分からない。
楓は泣き叫びながら二人の元を離れて行く。
──楓姉さんは叫び声を上げながら警備員に連行されて行った。
それでも少しだって同情はしない。
俺が味わった苦しみは、決してそんな程度のモノじゃないんだ。楓姉さんは一瞬、この時が苦しいだけで、毎日継続して苦しめられる訳じゃないからな。
なにはともあれ、俺は言いたいことを言って姉さんを拒絶した。これまで溜め込んでいたモノを全部吐き出す事が出来たんだ。
お陰で脳みそが本当にスッキリしている。こんなに晴れやかな気分になるなんて……ほんの少し前の俺に教えてやりたいよ。
何であそこまで苦しみ、腹の底に負の感情を溜め込んでいたのか、今では本当に分からない。
あんなドス黒い気持ちを抱え込んでいたら、そりゃあ正気じゃ居られなくなる。
「一人で溜め込まず……周りに話して発散させるべきだったんだろうな」
「ん?亮介?」
「なんでもない……あっ、麻衣愛してる」
「えへへ……唐突だよ〜」
「これからは黙ってないで何度でも言うよ」
「……ありがとうね?」
「こちらこそ、これからも宜しく」
俺はどこまでも臆病だった。
万が一にも麻衣に否定されるのが怖くて、愛してるともロクに言えないのだからな。
でもこれからは違う。
愛してる気持ちはちゃんと口にして行こう。
俺はとなりに居る麻衣の手を強く握り締める。
すると、麻衣は腕に引っ付き、目を細めながら凭れ掛かってきた。
腕に感じる麻衣の体温、体重が俺に安らぎと安心感、何より愛おしい気持ちを与えてくれた。
これからは麻衣を全力で愛する事を誓おう。
──そして姉さん。
また来たとしても追い返す。
そうだ、何度でも追い返してやろう。
もう俺は姉さんに振り回される生活なんて二度とごめんだからな。
誰にも翻弄されず、自分の意志で前を向き歩こう。
…………
…………
だけど、安心したら唐突に眠くなってしまった。
というより、脳が限界を迎えている。
「………少し……眠い……」
「りょ、亮介っ!?」
俺は、その場で、倒れ込んでしまった。
眠過ぎて踏ん張る事が出来なかったようだ。
姉さんとの騒ぎで医者達が集まってたお陰で、俺は直ぐに病室まで運び込まれた。
その間周りが随分煩かったけど、睡魔に襲われている俺には良く分からなかった。
──今はゆっくり眠ろう。
余計な事を考える必要はない。
俺はこれから前に進む事ができる。
目を覚ましたら、きっと今までとは違った人生が俺を待っている。
妄想や幻覚に惑わされる事のない……平和で、幸せで、楽しくて、充実した日々が俺を待ち受けている筈なんだから。
碓井くんとの学校が楽しみだ。
新しいクラスメイト達と仲良くなりたい。今なら色んな楽しい話が皆んなと出来ると思う……話をするコツを思い出したからね。
家に帰ってゲームもしたいし。
一年以上もまともにプレイしてないから、インフレの波に飲まれているかも……ずっと手を付けてなかった貯金を崩して課金しようかな?
──うん、大丈夫だ。
俺には時間がたっぷりある。
だいぶ無駄にしたけど、それを取り戻せるだけの明るい最高の人生を歩めば良いんだ。
──流石に限界だ……もう眠ろう。
今度目覚める時は素晴らしい現実が待ち受けている。
そんな風に考えながら俺はゆっくりと目を閉じた。
明日が来るのが本当に楽しみだ。
もう不安なんてなに一つない──
だって──
ネエサンはモウ居ないンだからナ。
──亮介に灯った炎がゆっくりと消えて行く。
楓姉さんへのざまぁはこれからが本番です。
※そんな簡単に治る病気じゃないとの御指摘があったので……少しだけお話を……
症状には波があったりしますので、亮介が完全に治ったという描写があっても、それが亮介の心象描写だった場合は、あまり信用しない方が良いかも知れません。
感想で見破ってる人が居て驚きました。
ですが、ハッピーエンドのタグはしっかり守りますのでご安心ください。
最後まで宜しくお願いします。