9話 新しい日常、どこまでも纏わりつく女
この学校は他県なのもあり、亮介に関する情報は全く知られていなかった。冤罪事件の事は流石にニュースで知っていたが、誰も亮介が当事者とは思ってもない。
学校の配慮で前に通っていた高校の名前が伏せられているのも大きかった。
お陰で安心した学校生活を送れている。
──碓井君のお陰で新しい学校では上手く過ごせている。色んな人達に俺の事を紹介してくれたお陰で、顔見知りをたくさん作ることが出来た。
そして誰も謝って来ない──たったそれだけの事で、こんなにも清々しい気持ちになるなんて思わなかった。
「山本君、国語は得意?」
「……いや、まぁまぁかな」
クラスメイトの男子に声を掛けられる。
だけど話を上手く回す事が出来ず、直ぐに会話が途切れてしまう。それでもクラスメイトの男子は気にする素振りも見せずに去って行く。
昔は自分から平気で声を掛けてたんだけど、今はどうやって話し掛ければ良いのか、あの頃はどんな感情で他人と話をしていたのか……それが全く解らないし、少しも思い出せない。
「山本くん、学校には馴染めた?」
「……うん」
「良かった!解らない事があったら教えてくれ!」
「……わかった」
今度は別の男子生徒と話をした。
必死で頭をフル回転させても単調な単語ばかりが思い浮かぶ。とても楽しい会話を提供する事ができない。
気さくな彼は手を振りながら去って行く。
こう話せば良かったかな──と、頭の中でシミュレーションしてみるが、それすらも上手く行かない。
やっぱり前の学校で植え付けられた恐怖心が、体の芯にこびり付いてるんだろう。
洗い流そうにもそれが中々難しい。アイツら1年以上も掛けて俺を汚しやがって……くそっ!
(……ダメだ、落ち着け……)
俺は深呼吸して冷静になる。
麻衣たち以外に話せる人が増えて良かった。
そんな風に前向きに考えれば良い。
もう狭い世界で生きようとは考えない。
今は苦戦してるけど、これからは沢山の人と仲良くなって、凍り付いた人生に灯を点そう。
『嫌われてしまうかも知れない』
考えるな考えるな!
普通に生きてればそう簡単には嫌われないっ!
でも普通に生きてこうなったから信用出来ないっ!
……はぁ……はぁ……
………
独りだと余計な事を考えてしまう。
いつかこんな恐怖心を忘れて、自分から話し掛けられる様になれると良いのになぁ……
……俺は気を落ち着かせる為、自分の席に座っている麻衣の方を見た。
「…………あっ」
目が合うとウインクしてくる。
可愛いし、何より元気そうで嬉しい。
彼女には伝えたい想いがたくさん有るんだけど、それも中々口に出せない。
前は結構素直に言えてたのに……臆病者め。
これからの人生、どんな事があっても麻衣にはずっと側に居て欲しい。彼女さえ許してくれるなら……これからもずっと麻衣と一緒に過ごしたい。
そう言えよ、俺。
彼女への想いは……愛とか、信頼とか、そんな簡単なモノではない。上手く言い表すことは出来ないけど、とにかく掛け替えのない存在。本当に俺の人生に必要不可欠な女性なんだ。
麻衣に添い寝して貰ったあの時──多分、あのまま一人で居たら心は完全にへし折られていたと思う。何故かそんな気がするんだ。あの日の夜はどうしようもなく苦しかった。
麻衣は何度も俺を救ってくれている。
ピンチに颯爽と現れる。
可愛くて、優しいヒーローだ。
どうやってこの恩を返せば良いのか解らない。
「それじゃーねっ!──亮介〜!」
友達と別れて駆け付けてくれる。
この学校では友達も出来たみたいでよかった。
「売店行こ!」
「うん!行こうか!」
俺は新しい学校でも変わらず麻衣と一緒に居る。
その所為で転校初日から恋人同士だという噂が流れてしまった。事実だけど麻衣が恥ずかしそうにしていたのが申し訳なかった。
麻衣は俺と違い半年前からこの学校に通っている。前の学校みたいに揶揄するクラスメイトは居ないので、密かに麻衣を狙っていた男子も居たらしい。
向こうの学校の連中の見る目がどれだけ腐っていたのかハッキリと分かる。
「山本!おはよう!」
「……おはよう」
「あ、山本くんおはよう!!」
「……おはよう」
この学校の人達は楽しそうに話し掛けて来る。
蔑んだり貶める事なく……ましてや取り繕おうとした態度でもない。純粋に仲良くなろうと接してくれている。
本当に純粋な好意を向けられるのは久しぶりだ。なのに俺は笑顔で返事を返せない。どうしても言い淀んでしまう。
………
………
だけどそれで良い……忘れてはいけない。
彼らにとって俺はあくまでも他人なのだ。心から信頼すると裏切られた時にどんな思いをするのか、俺はこれまでの人生でたくさん学ばされてきた。
その教訓を活かさなければならない。
安心しても信用はするな。
それでも好奇の目に晒されないのは有難い。
どれだけ口下手でも皆は優しく接してくれる。
今はその優しさを受け入れて良いのかも解らない。
どうしても見放される恐怖心が拭えない。
だけど……このまま関係が続くのなら、今度も自分から更にもう一歩を踏み出せそうな気がする。
『頑張ろう』という言葉は大嫌いだ。
これまで頑張っても報われなかったから……だから頑張りは無意味だと嫌悪した。
だけど、最後にもう一度だけ、自分に『頑張ろう』と言い聞かせながら日々を過ごしている。
「おーい!亮介ー!!」
「あ、碓井くん」
登校を始めてから今日で1週間。
俺は碓井君と学食を食べる約束をしていた。
碓井君は俺の分のラーメンを持ってやって来る。雑用みたいな事をさせてしまった……『代わりに買ってくるよ』って言われたけど断るべきだったな。
食堂はとても騒がしい。
見慣れない生徒達の声がどうしても耳に入ってくる。
「……やだもぉ〜!」
「ラーメンに胡椒入れると美味いぜ!」
「あははは」
「アイツ、ふざけやがって……借りパクだよ」
【許セナイ】
【良くガッコウにコレルよな】
【アハハハ】
あ、あいつら……俺の事を話してないか?
だって、良く学校に来れるなって……俺が散々言われ続けていた言葉じゃないかっ!
どうなんだろう、解らない。
他人だからあの人達の気持ちが解らない。
ああ、やっぱり人の多い所は苦手だ……碓井君には言ってないけど苦手。だって俺を見て笑う奴が居るんだもんよ。
「頂きま〜す」
「……頂きます」
俺は何も言わずにラーメンを啜った。
碓井君には、辛いと思ったら正直に話して欲しいと言われているけど別に我慢出来ない訳じゃない。
陰口くらいなら耐えられる。見ず知らずの連中に文句を言われる筋合いはないが碓井君を困らせる訳にはいかないんだ。別に自己犠牲という訳じゃない。空気を読んでいるんだ。俺はプロだからな。我慢のプロ。ようやく学校に通えるようになったのに問題を起こしてたまるか。それに碓井君には迷惑をかけない。俺と同じ学校に通わなきゃ良かったと思わせないように気をつけないと。
碓井君の顔色を窺いながらラーメンを啜り続けた。
──────────
「──じゃあお休み!」
「お休み、麻衣」
その日、家に帰ってから麻衣と遅くまで電話をした。
しかし──通話を切った途端やる事が無くなった。というよりやりたい事が何もない……そう何一つ。
とても激しく退屈で、耳障りな静寂が訪れる。
麻衣と一緒に始めたソーシャルゲームも1年近くプレイしてない。それでも久しぶりにログインしたらフレンドが半分近く解除されていた。
俺を切り捨てるなんて酷い連中だ。
「…………」
もう寝よう。
お母さんも眠ってるだろうし、大人しく寝るか。
あまり夜更かしするとネエサンが現れるからな。あの女は俺が弱ったタイミングを見計らっていつもやって来る。卑怯で狡賢い女だ。
それにしても楽しい学校生活が待ってる筈だったのに……碓井君が紹介してくれた人達とも友達にはなれず、顔見知りという関係で滞っている。
せっかくお膳立てして貰ってるのに申し訳ない。
学校が楽しいと感じるにはもう少し掛かりそうだ。
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〜楓視点〜
「第二スタジオ空いてまーす!」
「わかりました」
スタッフの呼び掛けに楓は答える。
椅子から立ち上がり、真っ白な背景パネルの設置されたフロアへと向かった。
──私は高校を卒業後モデルとして活躍している。
理由はどうしてもお金が必要だったからだ。
大学に出てる暇なんてない。
そんな時間を掛けていると私が壊れてしまう。
──母さんに事情を聞かされ、亮介には今後近付かないと心に決めた。まさか私が原因で失調症になってしまうなんて……本当に取り返しのつかない事をしてしまった。
でもその決意は3ヶ月で引き裂かれる。
やはり一生亮介と会えないのは我慢出来ない。むしろ3ヶ月も良く我慢したと自分を褒めてやりたい位だ。
亮介が側に居ない日常なんて地獄そのモノ。生きている実感が湧かない。
だから亮介を探す事にした。
だけど今回は難しそうだ。
父さんの部屋を探ったが……情報がまるでない。
新しい入院先はもちろん、転校先の学校すら分からずじまいだ。
流石は母さん……対策はちゃんとしている。
もう父さんの事は1ミリも信用してないのだろう。
(しかしお陰で亮介に会えないっ!憎らしいっ!)
私は途方に暮れていたが、悲観しているだけでは本当に亮介と会う事が出来ない。
私は色々な方法を考える……その内、街で頻繁にモデルにならないかとスカウトされているのを思い出す。これならばと……私は亮介の為に自分の人生を棄てる決断をした。
『え?大学に行かないの?』
『はい』
母さんは私の決断に驚いた表情を見せた。
何度も止められたが聞き入れるつもりはないし、モデルをするとも話していない……適当に嘘を言って誤魔化した。
変に勘繰られても面倒くさいからな。
私には大きな会社で働くという夢があった。
ドラマを観てキャリアウーマンに憧れたのだ……そして部下達を従え、亮介から憧れの視線を浴び、可愛い弟を生涯養うのが……ずっとずっと夢だった。
それなのに今はモデルという低俗な仕事をしている。
亮介を探す為に探偵を雇うつもりだが……それには金が居る。そして亮介を養うのには、もっと纏まったお金が必要だ。
私には生まれ持った美貌があった。
そして案の定、外見だけで相当な大金を稼いでいる。
それもたった1ヶ月で。
「宜しくお願いします」
「こちらこそ宜しく」
今日は男性モデル・橘雄星と一緒に撮影をする事となった。とても整った外見をしているが、亮介と比べるとかなり見劣りする。これが絶世の美男子とは世も末だな。
特に興味の湧かない男……
………
………
……んん?
そう言えば彼はまだ高校生だったな?
もしかすると、亮介を知っているかも知れない。
偶然にも転校先が彼の学校かも……可能性は低いが、一応は聞いてみるか。
「橘雄星くん」
「ん?どうしたんだい?」
「君は高校生だろ?学校はちゃんと行ってるのか?」
「え?……まぁはい。会いたい友達も居ますし」
「そうか……山本という男子が、最近になって転入しなかったか?」
「松本?」
「違う、山本亮介だ」
「ああ失礼…………山本……亮介……?」
(そう言えば、先週転校して来たのがそんな名前だった気がする……)
「うん……?知ってるのか?知らないのか?」
「いえ、心当たり有りませんね」
(……余計な事を言うのは止めておこう。今まで色んな女子と話して来たから解るんだけど……この女性は少し異常だ。関わらない方が良いだろう──それに、話した事のない男子に嫌われたくないからね)
「それなら良い……手間を掛けたな」
「いえ……大丈夫です」
──橘雄星は最後まで口を割ることは無かった。
この橘雄星というモデル男性は、共演した女性を食事に誘う事が多い。相手が楓ほどの美人なら絶対に声を掛けている。
しかし、今回はそうしなかった。
どうやら楓の危うさ、異常さは……解る人には解ってしまうらしい。本人は上手に隠しているつもりだが、楓の化けの皮は徐々に剥がれつつある──
(目標金額まであと数ヶ月は掛かる。だが、お金が貯まったら探偵を雇い、久しぶりに亮介と会う事が出来る……亮介に会えない日々……亮介に見て貰えなかった苦しい日常とはもう少しでお別れだ……!)
──それに本人が気付くことはないだろう。
もう直ぐ、皆さんの待ちに待った展開をお見せ出来そうです。
次回は明日19:00に投稿します。
ブックマークしてくれたり、ポイントを入れてくれたら凄く嬉しいです。是非よろしくお願いします。