17話 お見舞い
「あいたたた〜」
保健室で涙子は治療を受けていた。保健の先生が風邪で休んでいた為、代わりに保健委員の女子生徒が治療に当たる。
明らかに暴行された痕跡があるものの、面倒ごとに巻き込まれたくない女子生徒は詮索なんてしなかった。
亮介を集団で無視する学校の保健委員なんてこんなものだろう。
「痛いですよね……私の為にごめんなさい」
「え?ぜ、全然大丈夫だよ?」
心配掛けたなと、痛がった事を反省する。
しかし、大変なのはこれからだ……平気で暴力を振う相手である以上、また亮介の目を盗んで同じことを繰り返し兼ねない。
(亮介くん私と話すの嫌がるだろうけど……ちゃんと話さないとダメだよね……?)
本当は自分から話かけて良い相手じゃないのは解っている。それでも麻衣を守る為にはそうするしかないと涙子は考えていた──
──まさにそんな時だ。
「麻衣ッッ!!!」
亮介が保健室に駆け付けた。
体育の選択授業で電話に出る事が出来ず、麻衣のメールを読むまで異変に気が付かなかったが、メールを読んだ亮介は即座に此処まで走って来た。
それと入れ替わるように保健委員の生徒が部屋を出て行く……どこまでも事なかれ主義だ。
そして亮介は無傷の麻衣を見て安堵し、次にベッドで横たわる生徒会長の方を確認した。
彼女の枕元にある小さな机にはボロボロになったカチューシャが置かれている──亮介はそれを見逃さなかった。
「……麻衣が階段から落ちそうになって、生徒会長が庇ったって本当か?」
「……え!?」
「うん、ほ、本当だよ!」
全く誤った情報に涙子は困惑したが、直ぐに麻衣が嘘のメールを送ったんだと気が付いた。
麻衣は桐島達との一件が知られるのを避けたのだ。
しかし、理由は桐島達を守る為ではない。
過去に虐めから助けて貰ったのに、もう一度同じことで助けられるのが嫌だったのだ……成長しない女だと思われるのを恐れたのである。
「そう……か……」
──しかし、そんな嘘が亮介に通じる訳がない。
『階段から落ちた』と話した時の涙子の反応、机に置かれた泥だらけのカチューシャ……そして麻衣の三文芝居。
それで察するに、生徒会長は階段から転げ落ちた怪我ではないと亮介は判断した。
「そうか……今度から気を付けてな?」
……ただ、嘘だと解っても無理やり聞き出そうとはしなかった。誰よりも大切な麻衣に対して強い口調で詰め寄る事が亮介には出来ない。
それでも切羽詰まった状況ならば、多少は無理にでも聞き出すのだが──
「………??」
──この場には生徒会長が居る。
先程の反応から事情を知っているに違いない。無理強いして麻衣に聞かなくても、彼女から本当の話を聞ければ良いと亮介は考えていた。
─────────
用事があるからと先に麻衣を教室へ行かせた。
どちらかに用事がある場合はお互いに待つことはない。これは二人で決めた気遣いだ。
用事は待たせてる側だと急いで終わらせなきゃと焦るし、待ってる側だと早く終わらないか不安になる。
なのでお互いを思いやっての決め事だったが、それが生きた……お陰で簡単に亮介は涙子と二人っきりになる事に成功したのである。
「質問がある……麻衣に何があった?」
「……それは」
麻衣が喋らなかった以上、それを自分が教えて良いのか涙子は迷った。
しかし、深く冷静に考えてみると、口止めされているからといって黙って良いとは思えなかった……あんなの最早イジメじゃない──正真正銘の暴力だ。
自分が通り掛からなけれどうなっていたか……?
それに自分への暴行が止まったのも、生徒会長だと判明したからだ──なのでもし、自分が生徒会長じゃなかったら……?
そして恐らくその考えは正しい。ここで涙子が口をつぐんでしまうと、麻衣へ対する暴力行為はエスカレートしてゆくだろう……何故なら麻衣が亮介を売るなんて事は絶対にないからだ。
そして桐島は今日のように、どうしても亮介が一緒に居られない隙を突いて接触して来る筈なのだ。
そう思うと涙子はゾッとする。
後で麻衣に恨まれてでも話すべきだと判断した。
「実は……さっき校舎裏で桐島さん達に──」
涙子は詳しく事情を話した。
…………
…………
「そうかなるほどなるほど」
「う……ん……」
話してる途中からヒシヒシと感じた……他でもない亮介から放たれるドス黒い殺気。
それでも涙子は事の顛末を最後まで話し切った。
亮介は椅子に腰掛けて居る。
話を聞いてる最中は微笑みながら首を何度も縦に振り続けた。だが笑顔の裏には、いまだ亮介を想い続ける涙子が臆する程の激しい憎悪が張り付いていた。
──今の亮介が抱くのは究極の殺意だ。
麻衣に襲い掛かった桐島達に対してはもちろんだが、危ないところを助けられなかった自分へも殺意が向けられる。
亮介は直ぐに行動するつもりだ。
既に桐島達は四人とも早退したらしいが、明日まで悠長に待つ気はサラサラない。自分の命より大切な存在を傷付けられたのだ……特に桐島には一晩だって安息の夜を過ごさせるつもりなんてない。
幸運にも桐島の家は知っている。
仲が良かった頃に何度かお邪魔した事があった。学校からそれほど離れてないので放課後に向かっても夕方には間に合う計算だ。
放課後まで待つ理由は、二限連続でサボると麻衣が心配するからだ。なのでこれから始まる授業はちゃんと受けなければならない。
(とにかく今日は絶対に逃さない。麻衣に手を出したらどうなるか思い知らせてやる)
グツグツと煮えたぎる怒りの炎を、深呼吸して一旦落ち着かせる。
亮介は激しく後悔している……桐島はもっと早くに潰して置くべきだったと。
姉への嫌悪、父への軽蔑、生徒会長への憎しみ、妹への怒り……そんなもの、この場に限ってはどうでも良かった。
今は桐島文香に全ての負の感情を集中させる。
そしてやる事は至って単純……桐島文香に報いを受けさせてやるッ!
──キーンコーンカーンコーン
五限目の終わりを告げるチャイムが鳴る。
遅刻しないように教室へ向かう──ただ、その前にするべき事がある。
俺は生徒会長の前に立ち、深々と頭を下げた。
「麻衣を助けてくれてありがとうございます」
この女が居なければ麻衣の異変に気付けなかった。今回は本当に助かった……生徒会長には二度と感謝する機会はないと思っていたけど、麻衣を救って貰えたんだ……感謝してもし足りない。
それに麻衣は話さなかったと思う。
俺に電話したのも生徒会長が怪我をしたから……もし被害が自分だけなら俺に何も言わなかっただろう。
麻衣はそういう子だ……俺に心配掛ける位なら自分が傷付けば良いと思っている。
麻衣は大好きだけど、その考え方だけは改めて欲しい。俺は麻衣が転ぶだけでも心臓が飛び出るくらい動揺するんだからな?
「お、お礼なんて良いよ。私は君にお礼を言われる資格はないからね……」
「俺はアンタとは違う。受けた恩を仇で返したりなんてしないんだよ」
「………そう……だよね」
麻衣に取っての恩人……根はとても良い人なんだ。
それに簡単に謝らなかったし、俺に気安く話し掛けて来る事もなかった……凄く気遣ってくれる。
本当に心から悔いているんだろう。今も胸を押さえて辛そうにしている……俺の言葉が胸に刺さっているんだ、きっと。
この人は多分ここで許せば2度と間違えないと思う。
そしてこれからは、ずっと、優しく、俺に寄り添ってくれる筈だ……何故かそんな確信が俺にはあった。
長年この人を見てきた目は伊達ではない。
じゃあもう生徒会長は許してやるべきだろう。
……でもやっぱりごめんね?
全然許す気になれないんだよ。
だってずっと頭の中に響いてるんだ、生徒会長が俺を苦しめた暴言の数々が……えっとなんて言ったけ?
『穢らわしいから二度と生徒会に近付くな?』『君を生徒会に選んだのは人生最大の失敗?』『君は学校に通う資格がない犯罪者?』
たくさん酷い言葉をくれたよね生徒会長。こんなこと言われて誰が許せるかよ。俺がどれだけ傷付いたと思ってる?
麻衣を助けたのはありがとう。
お陰で麻衣は怪我しなかったし、桐島が首謀者だと知る事が出来た──でも許すのは無理もう絶対に無理。
一年間ずっと俺は苦しみ続けて来た。
楽しい筈の高校生活が地獄に変わった……友達と遊んだり、生徒会活動したり、文化祭ではしゃいだり、それが全部奪われてしまった。
生徒会長……あなたがそれを奪ったんですよ?
自分だけが悪い訳じゃないとは言わせない。
アンタが文化祭で楽しそうに準備をしている時、俺と麻衣は体育館の端っこに追いやられていたんだからな。
生徒会長はそれに気付いてた癖にずっと無視した。
あの時の虚しさ、麻衣を巻き込んでしまった悔しさは絶対に誰にも分からない……少なくとも貴女には。
「……生徒会長……俺はアンタが許せない」
「………うん……分かってるよ……」
「──でも筋として恩は返します。許す許さないは別にして、麻衣を助けてくれた恩だけは必ず何があっても返します」
「うん……ありがとう……君は優しいね」
昔みたいに君って言うなッ!俺の考えてる事も知らない癖に優しいって言うなッ!好きだったのに尊敬していたのに心を許していたのに裏切りやがってッッ!!
あの時に信じてくれよ……
頭の中がぐちゃぐちゃになる。
誰かもう俺を楽にしてくれ。
次回は15時投稿です!!