第二十六話 恋する瞳
「思っていたよりも、話ができそうな男ではあったが……」
帰り道の馬車で、お父様の顔色はよろしくはなかった。
カミルも、お父様も、黙り込んで、ただただ馬車は揺れていく。
彼への印象は正直なところ、『悪い人』ではなかった。
お父様も、そうなのだろう。彼が話した言葉は、全てが真実だったと、思う。
政略的な意図としては、誰でもよかったということも、それでもあえて、私を選びたいというお気持ちも。
それだけに、お父様は、カミル以外はあり得ないと思っていても、悩ましげなご様子になってしまわれているのだろう。きっと、カミルという存在がいなければ、私はリュカ様に嫁いでいった。お父様は、私が異国に行っても、リュカ様の元であれば幸せになれる未来を、感じたのかもしれない。
私たちは、あの求婚を断る。けれど、ただ、無下にしてしまうには、申し訳ないようなお方だった。
「マルク様」
屋敷に到着すると、カミルはお父様に声をかけた。
「すみません、ミリアと二人で話をさせていただいてもよいですか?」
「……ああ、構わないよ。カミルくん、今日はすまんな、ありがとう」
◆
カミルと、部屋で二人きりになる。二人きりとは言っても、侍女のマチルダは控えているのだけれど。
「ミリアは、彼のことはどう思った?」
「うん、良い人なのだろうと思ったわ」
カミルは部屋に入るなり、口を開いた。私は素直に答える。
「……彼の求婚、受けるのか?」
続いて投げかけられた言葉に、私はにわかに驚きを禁じえなかった。
まさか。だって私はカミルと結婚するのに。
眉を顰め、唇を噛み、落ち着きなく視線を彷徨わせるカミル。きっと、カミルは本気で「まさか」なことを考えている。もしかしたら、私がリュカ様の求婚を受け入れるかもしれないと。
カミルだって、手紙で、他の人の花嫁になる私を見たくはないって言ってくれたのに。
「ミリア、わからないのか?」
返事をしない私に、カミルはますます不安げに言葉を発した。
「あの男の目は、お前が愛しくてたまらないのだという目をしていた。あの目に見つめられていたお前がどうしてわからない?」
ハッと息を呑む。目の前で、カミルの美しいヘーゼルアイが揺れていた。
「彼は……俺と、同じ目をしていた。なあ、ミリア。わかっているだろう?」
「カミル……」
わかっている。カミルが私のことを、愛してくれていることも、いつも愛しい眼差しをくれていることも。
それと同じ目を、リュカ様がしていたことだって、わかっている。
「俺は、君が誰よりも幸せであってほしい。もしも、俺よりも、君を幸せにしてくれる男がいるのなら、俺は……」
「カミル……」
カミルが、私のことを思いやって、こういうことを言ってくれているのは、存分に分かった。
けれど、どうして、カミルが私にそんなことを言ってしまうのだろう。
貴族社会で、好きな相手と添い遂げるなんてことは現代においても難しいことだ。恋愛主義も認められつつあるが、まだ政略結婚が主流。
私とリュカ様の婚姻は、我が国にとっても有益なもの。和平は結んだものの、いまいち良好な関係を築ききれない両国の架け橋となり得るものだ。そして、借金に苦しむ我が家、そして、我が領地にとっても、リュカ様が提示した条件は魅力的だった。
ハッキリ言って、客観的に判断した時、カミルとの婚約を破棄してリュカ様に嫁ぐほうが『正解』だ。
しかも、リュカ様は政略的な目的だけでなく、私に恋に落ちたのだと言っている。
彼は、美しく、丁寧な所作から育ちの良さ、品性、優しさまでもが窺い知れた。異国に嫁ぐストレスも理解しているのだろうということも言ってくれていた。
私が、リュカ様との婚姻を嫌がるのは、カミルのことが好きで、彼と結婚したいからという子供じみた理由だけ。
それなのに。
(カミルに、そんなこと言われたら、私、もうあの人の申し出を断る理由がなくなるじゃない!)
カミルにはそんな意図はないことはわかっていても、私はショックを受けていた。
あんなに私にかわいいと言って、きれいと言って、大事にしてくれていたカミルが、こんなにあっさりと私を手放そうとしている。信じられなかった。
私の幸せを、祈ってくれていることはよくわかる。わかるのだ。
でも、私が願う幸せの中にはカミルがいるのだということを、カミルは、わかっていない。
(私が。……私も、カミルが好きなんだってこと、伝わってなかったんだ)
私は、カミルが愛してくれていることをよく知っていた。カミルは私に、想いを伝えることをいつだって欠かさなかった。いっぱい言うようになってくれたのは十四歳くらいからだったけど、でも、初めて会った十歳の時から、彼は、その時の精一杯で私に想いを伝えようとしてくれていた。
なのに、私は……自分なりには、頑張ろうと思うだけで、カミルにたいして想いを伝えられていなかった。
カミルが好きなのだと、カミルがいいのだと。
伝えられていなかったことを後悔している最中のはずなのに、私は早速もうすでにだんまりになってしまった。今こそ、この、思っていることを言うべきなのに。口が開いてくれなかった。
代わりに目からはボロボロと涙がこぼれ落ち始めていて、肝心の唇を私はぎゅっと噛み締めていてしまった。