第十三話 「カミル」と私
「……」
今日も、カミル様とお会いする日。
早いもので、あの約束からもう一年が経っていた。
私も十一歳になった。誕生日の日には、カミル様からお手紙とプレゼントをいただいて、とっても嬉しかった。もちろん、私もカミル様がお誕生日の時にはプレゼントを用意した!
バラの季節になったら、あの日のバラ園でのことを思い出して「あ」となったけれど、私もカミル様も話題に出すことはなく。……私は、いつかまた、行きたいなあと思っているけれど。
この一年間、私たちは滞りなく、毎月の顔合わせ? 親睦会? をこなしていた。
そしてカミル様はもはやお決まり、という感じで、ふとした瞬間に、私からお顔を背けていた。
(また、カミル様、そっぽを向いちゃった)
今回のそっぽ向きのきっかけは……なんだったかしら。
たまたま目が合ったから、かしら。
お顔を背けるのは、もうカミル様の癖になってしまっているのかしら?
初対面の時はいちいち気になって、落ち込んだりイライラしたりしてしまったけど、今はもうあんまり気にならなくなってきた。
……照れ隠しの意味合いが強いとわかったからかしら。
そっぽを向かれても、耳がちょっと赤い。
(小説で読んだわ……。こういうところに、『出る』のよね……!)
好きな女の子に素直になれない男の子のお話で、作中に頻出で出てきた描写を思い出す。口でも冷たいことを言っていても、必ず仕草にそれは出るのだと。
『それ』とは、『照れ』だ。彼らはみんな、極度の照れ屋なのだ。
カミル様とも長いお付き合いになってきて、小説も読んだ数が増え、それに比例して私はカミル様のお気持ちが少しずつ、わかってきた──気がする。
◆
「……君は、俺といて楽しい?」
「えっ。楽しいわよ?」
穏やかな昼下がり。我が家の庭園の東屋でティータイムを楽しんでいた私たち。
カミル様は、こんなことを急に聞いてきた。どうしたんだろう。私の返事には、あまりいい顔はせず、むっつりと眉間に皺を作っていた。
「あれだけ、君をもう傷つけたくないと誓ったくせに、俺はまだ、君に素直になれていない」
「そんな」
カミル様は、私にひどいことを言ったりは、もうしない。ちょっとぶっきらぼうな態度をとられることはあるけれど……それで傷ついたりはしない。
ただの照れ隠しのツンとした仕草だというのは分かりきっているし……。ううん、彼自身がそれをよしとはしないのもわかっているけれど。
カミル様はいつも頑張って、何かひとつ、私のことを褒めてくださる。「かわいい」とか「きれい」とか。
「楽しい」とかなんかは、自然に言ってくださるから嬉しい。でも、とっても頑張って、お顔を真っ赤にしながら「かわいい」と仰ってくださるのも、今では、実はちょっと、かわいいな……と思っている。
「私、カミル様とお会いするのがいつも楽しみだし、実際に一緒にいて、楽しいわ。私がおすすめした本は絶対に読んでくれるし、私がどんなにおしゃべりに夢中になっていても最後まで付き合ってくださるし。か、カミル様に「かわいい」とか、服装や髪型を褒めていただけるの、とっても嬉しいです」
私も、言葉にするとちょっと恥ずかしいけれど……でも、こういうことはちゃんと言葉にしなくちゃ! とカミル様を見ていると思うから、恥ずかしくても、言うようにしている。
……実は、あんまりにも恥ずかしいことは内緒にしちゃったりは、してるから、本当はもっとカミル様を見習うべき……なのよね。
「……ありがとう。君が、そういう女の子だったおかげで、俺は、今、君の隣にいられているんだ」
「か、カミル様が、謝ってくださったからです」
私は、なにも。
カミル様が、なりふり構わず謝ってくださったから。それだけ。頑張ったのは私じゃない。
「いつも……思っているんだ。君のおかげだ、って。俺は、それに甘えてて……本当は、もっと、君を楽しませて、君に、尽くすべきなのに」
「じゅ、十分よ」
「もっと。……もっとだ、俺はもっと、君に、伝えなくちゃいけないことがたくさんあるし、君をもっと、大事にしないといけない」
ああ、カミル様は、どうしてしまったのかしら。
カミル様が、ツンと唇を尖らせて、顔を赤くしてそっぽをむくのなんて、いつものことなのに!
どうして今日はこんなに気にするのだろう。
……いいえ、きっと、いつも毎回、ご自身では反省して自責されているのでしょうけど……真面目な方だから……。
「お……俺、君から、目を逸らすの、やめる」
「え?」
「そっぽむくのも……」
「ええっ!?」
「……なんだよ、そんなに驚かなくたって、いいだろ」
「す、すみません」
カミル様が、気にしていらっしゃるのは存じ上げていたけれど! ……生理的反射みたいなものでしょうに、そんなことが、できるのかしら?
……なんて、失礼なことを、つい考えてしまった。
私が気の利かない反応をしてしまったせいで、カミル様はむっすりと口を尖らせて眉をしかめていた。
(拗ねたお顔は封印しないのかしら)
きっと、無意識になさったお顔なのね。
「カミル様、私、気にしてませんよ?」
「いや、でも……」
カミル様は口ごもって、しばらく口を閉ざしていたけれど、ふと口を開いた。
「ミリア嬢、お顔を、見させてください」
「え? ええ、はい、どうぞ」
私の顔を見てどうするんだろう……。
「う……」
うめき声。これだけだと、何事よ! と思うけれど、カミル様のお顔が真っ赤なので「照れてるんだな」と思える。
「わ、わかってはいるけど……何度見ても、かわいい……」
「えっ?」
「う、ううっ……」
ボソボソと何かを呟かれて、カミル様はがっくり肩を落としながら、はあと長いため息をついた。
「き、君の顔を、見ていると、俺、だめなんだ。見てられなくって」
「ええと……」
「あまりにも、きみが、かわいい……から」
綺麗なヘーゼルアイに、私が映り込んでいるのが見えて、ドキリとする。
「でも、もう、君から目をそらさない。……ようにする」
「あ、あの、でも、そんな気になさらないで……」
ああもう、カミル様、お顔が真っ赤でお目々もウルウルになってきている! それでも、私から目をそらさない! そっぽも向かない!
カミル様、涙目になるほど、お恥ずかしいならご無理なさらず!?
私まで恥ずかしいわ!
お庭をわー! とでも叫んで走り出したい気持ちを抑えるために私はテーブルの下で、こっそりと、自分のスカートを握りしめて耐えた。
「……でも、俺、もう君を傷つけないって決めたから……」
「か、カミル様」
濡れた瞳が、とても美しい。
「ご、ごめん、こんなふうに見られても、嫌……だよな。俺、何やってるんだろう」
「い、嫌じゃないです。は……恥ずかしかったけど、嬉しかったわ。……カミル様の、気持ちが」
カミル様は目を大きくして、ややあってから微笑んだ。
カミル様、私をかわいいかわいいと言ってくださるけど、カミル様こそ、お顔がいい。とってもいい。
とろけさせられそうな微笑みに私はなんだか目が熱くなった。
「……よかった。……実は、今日は、お願いがあるんだ」
「? なぁに?」
「よかったら、俺のこと、カミル……って呼んで。お、俺も、君のこと、ミリア……って、呼びたい」
「えっ、ええと」
「……いやなら、それでも、構わない」
いやじゃない、嫌じゃないけど。
(な、なんでかしら。恥ずかしい!)
「……ごめん、なんか、困らせてる」
「ちっ、違うの! いやじゃ……嫌じゃないの、その」
しゅんとするカミル様に慌てて私は両手を振りながら否定する。
ああ、もう、勘違いさせてしまった! カミル様が勇気を振り絞ってくださっているのに! ここで、素直にならなかったらどうするの! 私ったら!
私も、ちゃんと、言わなくちゃ。
意を決して、私はキッとカミル様をしっかりと見つめて、口を開いた。
「は、恥ずかしくて」
「えっ」
……開いたけど、気持ちが変に焦ってどもった。
カミル様はポカンとしてたけれど、突然笑い出した。
「どっ、どうして笑われるのですか!」
「ごっ、ごめん、だ、だって、君でもそうなんだ……って」
口元を手の甲で押さえて、それでも堪えきれない様子で、カミル様は笑っていた。
「俺、自分ばっかりが恥ずかしいのかと思ってた。……君も、そうなんだ。恥ずかしいって、思うんだ」
「あ、当たり前じゃないですかっ」
「……そっか、当たり前。……うん」
なぜか、カミル様はしげしげと私の顔を見て、一人で頷く。
「……ミリア」
「……!」
「嫌じゃない?」
囁かれた、私の名前。
ヘーゼルの瞳が私の顔を覗き込む。緑がかった薄茶の虹彩が不安げに、揺れていた。
私はその目を見つめながら、ドキッとしていた。
「い、嫌じゃ……ないです……」
「よかった」
弱々しい、情けない声の返事になってしまったけれど、それでもカミルは、破顔する。
その笑顔がとびきり、なんというか……私の胸に響いて……ああ、なんと言ったらいいんだろう、とにかく、素敵な表情で、私はまた真っ赤になってしまった。
「ありがとう、ミリア。嬉しい。俺の名前も呼んでくれたら嬉しいけど、無理はしないでいいから……」
「かっ、カミル!」
カミルの言葉を食い気味に、私は大きな声で彼の名前を呼ぶ。慌てて声を出したから、声が裏返ってしまって余計に恥ずかしい。
でも、だって、今の機会を逃したら、次にお名前を呼ぶのがもっと恥ずかしくなってしまう!
だから、今のうちに叫んでしまわないと!
そう思って叫ぶと、サーッと頭の血の気は引いたけれど、余計に心臓の鼓動は増した。
彼の顔を見ていると、彼は鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔をして、しばらく呆然としていて、でも、ちょっとずつ頬が色づいてきて、ある瞬間急に首を九十度旋回させた。
「……ッ、ああもう……!」
「か、カミル!?」
絞り出された声にならない声。尋常じゃない声に不安になって、声をかけるけれど、まともな応答は返ってこなかった。
カミルは机に肘をついて、片手の掌を大きく開いて自分の顔を覆っていた。指の隙間から見えるお顔は、それはもう真っ赤で。
(……こんなに、恥ずかしがるくせに!)
こんなに真っ赤になるくせに、自分から「カミル」と呼ばれたいと言い出すカミルのことが、私にはとても可愛らしく思えて、猛烈に愛おしくなっていた。
私も人のことは言えないくらい、お顔は赤くなっているのだけれど!
そして、名前で呼び合うようになった私たちに気づいたお父様は、たしなめることはしないで、優しく目を細めていらっしゃった。
カミルと会うたびに、少しずつ仲良くなれるのが、私は嬉しくてしょうがなかった。