第1話 バルト海の島
スウェーデン王国。いわゆる北欧と呼ばれる地域に属しており、スカンジナビア半島の三国の中では最も人口や経済の規模が大きい国でもある。また税金が高くその分福祉が充実しており、人種や性差別の指標となるジェンダー指数も最も高い国とされている事でも有名だ。
北欧という高緯度の国としては気候はやや温暖な方だが、それでも平均気温は10℃以下なので、日本よりは断然寒い。
日本でも比較的標高の高い避暑地とされる地域で暮らしていた天馬でやや肌寒いと感じるのだから、ましてや同行者であるインド人のシャクティと、アメリカでもテキサス育ちのアリシアにはあまり居心地の良い気候ではないようだ。
「うう……なんだか常に肌寒いのって落ち着かないんですよね。身体に力が入りっぱなしになってしまうというか……」
「全くだ。寒いと身も心も内向的になりがちだな。テキサスもそうだが、それより南のメキシコや南米といい、暖かい地域の人々が性格も陽気なのが納得できるというものだ」
温暖な地域出身の2人の偏見混じりの感想に天馬は苦笑する。北国という事もあってアリシアも流石にいつものカウガールルックではなく、もう少し防寒性の高そうな私服姿であった。
ギリシャからスウェーデンに来るまでの道中で聞いて驚いた事だが、アリシアのトレードマークとも言うべきあのカウガールルックは、何と彼女の神衣であったらしい。ギリギリ街中へ出ても大丈夫な外観である事と、何よりそのデザインを気に入っていたアリシアは、何と神衣を一張羅代わりに使っていたのであった。
「まあ気持ちは分かるけどな……。ここゴットランド島はスウェーデンの中じゃかなり緯度が低い方だし、もっと寒い場所に比べたら大分マシだと思うぜ?」
天馬達一行は聖公会のジューダス主教の示した啓示に従って、スウェーデンのゴットランド島にやって来ていた。
バルト海の只中に位置する大きな島で、この島だけで一つの行政単位を担っており、ゴットランド県の下にはゴットランド市一つしかないという特殊な県だ。今天馬達がいるヴィスビューという島で最も大きな集落を始め、昔はいくつかのコミューンに分かれていたらしいが、現在はゴットランド市として全て統一されている。
「まあ、そうですよね……。それに正直人が少なくて空気は綺麗だし、とても風光明媚ではありますよね」
人口密度の高いインド出身のシャクティが認めた。まあインド人からすれば大抵の国や街が『人の少ない状態』になるだろうが。
「それにこの島は大昔にバルト海を席巻した、かのヴァイキング達が交易拠点とした事でも有名な場所です。第二次大戦でも重要な戦略拠点として要塞化された歴史もあって、当時を偲ばせる様々な遺跡が点在しているようです。折角なので色々と見て回りましょうよ!」
話している内に歴史観光好きな性分が表に出てきたらしく、急に元気な様子になって2人を促すシャクティ。どのみちディヤウス捜しに関しては今までと同じく、自然に相手との接触を待つしかないという状況だ。ならば焦っても仕方がない。
「そうだな。私も北欧に来たのは初めてだし、ついでに散策でもするか。どうせこの島の中であればどこにいても変わらんのだからな」
アリシアも同意するように頷いた。天馬にも特に反対する理由はないので、ホテルを取った後は島の観光に繰り出す事となった。
バルト海の只中に浮かぶこの島は昔から地理上の理由で、様々な交易や戦争の舞台となってきた。それを象徴するような遺跡が随所に残されており、特に名高いのは文化遺産ともなっているハンザ同盟時代に築かれたビスビューの旧市街を囲む城壁で、『ヴィスビューの輪壁』と呼ばれている。
城壁そのものに当時を偲ばせる精緻な造型が凝らされているのが特徴だが、生憎というか城壁の殆どは何らかの補修か改修工事の途中らしく、その全容を見る事は叶わなかった。
「むぅ……折角の世界遺産だというのに、どこもかしこも工事現場だらけで景観が台無しですね」
シャクティが不満げに口を尖らせる。確かに観光好きの彼女としては不満も言いたくなるだろうが。天馬は苦笑した。
「まあ偶々そういう時期に当たっちまったんだろ。世界遺産ったって建築物であるのは変わりないからな。補修とかは必要だろ」
自然物ならともかく人の作った建物である以上、経年劣化は免れない。ましてや遺産というだけあって古い建物ばかりなのだから、こればかりはどうしようもない。
「この自然の景色だけでも充分目の保養になるだろう。先程お前も言っていたが空気も綺麗だしな」
アリシアも取り成してくれる。それに実際彼女の言う通り緑豊かな島の景色とバルト海の美しい水平線は、見ているだけで心が洗われるものがあった。
「はぁ……まあそうですよね。それに観光が主目的という訳ではありませんし、それにお金を払っている訳でもないですから仕方ないですよね」
シャクティも諦めたようで溜息を吐いて苦笑した。インドから出る事が夢だった彼女にしてみれば、『異国にいる』というだけでも夢が叶った状態なので、それ以外は案外深くは拘らないらしい。
仕方ないので、やはり世界遺産となっているその城壁に囲まれた旧市街を散策する事になった。この旧市街もハンザ同盟時代の街並みを色濃く残した観光名所なのである。
補修工事が行われている場所を避けて城壁を潜り、旧市街へ足を踏み入れる天馬達。そして……
「……!!」
彼等は一様に足を止めて目を瞠った。といっても中世の街並みに目を奪われたからではない。
「おい、こりゃ……魔力か?」
「うむ……かなり濃密かつ広範囲だな。恐らくこの旧市街全体を覆っているのではあるまいか」
天馬の問いにアリシアが肯定する。城壁を潜って旧市街に入った途端、濃密な魔力が漂っているのを感じたのだ。恐らくこの城壁が境目になっている可能性が高い。つまりこの城壁で囲まれた旧市街全体という事だ。
「ど、どういう事ですか? この街にも邪神の眷属が潜んでいるのでしょうか……?」
シャクティも空気と混ざり合った不快な魔力に顔を顰めている。
「どうやらそのようだな。ディヤウスある所に邪神の勢力あり、か」
アリシアが皮肉気に口の端を歪める。これまでの『勧誘』も全て邪神の勢力との戦いがセットであった。これが偶然なのか必然なのかは分からないが、いずれにしてもやるべき事は変わらない。
市街には当然ながら他にも多くの人間が出入りしており、今も通りには大勢の市民や観光客の姿が見られる。だが誰一人としてこの魔力に違和感を覚えている様子はない。
「この魔力の元になってる奴等の目的が何かは解らねぇが……色んな意味で早いとこそのディヤウスを探して合流した方が良さそうだな」
天馬の言葉に皆が頷く。ディヤウスと邪神の眷属共が同じ場所にいて何も起こらないとは思えない。茉莉香やシャクティの時のように、まだ未覚醒でも奴等に察知される危険は孕んでいるのだ。




