第4話 小鈴の決意
アテネの閑静な住宅街の一角にぺラギアの家があった。ぺラギアによって保護された小鈴とシャクティの2人は、とりあえずと彼女の家に招待されていた。
「さあ、これを飲むといい。気分が落ち着くから」
「あ、ありがとうございます……」
アテネには一軒家がほぼ無く、その殆どが集合住宅形式であった。そこまで広くはないギリシャの中流家庭といった趣のぺラギアの家で、リビングのソファに所在無げに座る2人にぺラギアが良い香りのする紅茶を淹れてくれる。紅茶特有の湿り気のある甘い香りが小鈴達の精神を少し落ち着かせてくれる。
「さて、それじゃまずは君達の事情を聞かせてもらえるかな? あのラシーダという女性に、事情も知らずに一方的に断罪するなと怒られてしまったからね」
2人が紅茶を飲んで少し落ち着いたのを見計らって、対面の椅子に座ったぺラギアが促す。
「…………」
「あ、そ、それじゃ私が……」
精神は少し落ち着いたものの、まだまだ天馬に絶縁を突き付けられて殺気まで向けられたショックが抜けていないらしい小鈴に代わって、シャクティが遠慮がちに口を開く。
そして彼女は掻い摘んでこれまでの自分達の経緯と旅路をぺラギアに語って聞かせた。日本や中国であった事はアリシア達からの伝聞になるが。彼女の話を聞くうちにぺラギアの表情が僅かな驚きに彩られる。
「何と……君達は既にウォーデンを3体も倒しているのか。それだけでもこの星に対する貢献は計り知れないものがあるね」
ぺラギアによると邪神の浸食を受けたプログレスやウォーデンは、そこに存在するだけでその魔力によって地球の大気や大地を蝕むのだという。それによって邪神の復活が早まるのだ。そして当然というかウォーデンはプログレスに比べて穢れの度合いが遥かに強く、ウォーデンを討伐する事は邪神の復活を阻止して地球を守る上で非常に重要な意味を持つらしい。
「でも天馬は……邪神の復活を阻止するより、日本で囚われの身になっている幼馴染を助ける事の方がずっと重要みたい」
シャクティが話している間に少しずつショックが和らいできたらしい小鈴が、それでもまだ暗い声で呟く。
「何が重要かは人によって価値観が異なるので一概には責められないかな。話を聞く限り彼がディヤウスに覚醒したのはかなり極限状況だったみたいだしね。でも……それだけに危うい部分があるのは確かだね」
「……! 危うい、ですか……?」
シャクティが驚いて聞くとぺラギアは神妙な顔で首肯した。
「ああ。邪神の復活を阻止して地球を守るなんてのは、あまりにも壮大な目標過ぎて却って芯を定めにくいものさ。いくらディヤウスとはいえ私達も1人の人間、一個の人格に過ぎないしね。正直この星を守れなんて言われてもピンと来ないのが現実さ」
「……!」
それは小鈴もシャクティも心の内では感じていた事なので、ぺラギアもそのように考えていたと知って驚きに目を見開く。彼女は苦笑した。
「私も最初の頃は自問したものさ。本当に自分のやっている事は意味があるのかとね。そんな壮大な目標だからこそ、勝利が即自分の利益や報酬に繋がらない戦いだからこそ、戦い続けるには大義が必要なんだ」
「大義……」
「いわゆる『正義』と言い換えてもいいけどね。邪悪を許さない、もしくは世の為人の為ってやつさ。一見お為ごかしにも思えるけど、この長い戦いを勝ち抜くにはそれが重要なのさ。そして私の見た所……あのテンマという彼にはそれがない」
「…………」
小鈴もシャクティも反論できずに押し黙る。正義や大義、それらは恐らく今の天馬には最も程遠い物だろうと容易に想像できたからだ。
「そして執着や情念が強ければ強いほど、いざウォーデンに変じた時のパワーは爆発的なものになる。彼がウォーデンになったら……恐らく君達が今まで倒してきた者達の比ではない脅威になるだろうね。邪神の復活も一気に早まるのは間違いない」
「……っ!」
「そして残念ながら……彼が男である限り、ウォーデンになる事は避けられない運命なんだ。邪神の力という物はそれほどまでに強大なんだ。一個人の信念や精神力だけでいつまでも跳ね除け続ける事は不可能だ」
ぺラギアの口から次々と残酷な事実が語られていく。だとすると天馬との悲劇的な別離は避けられないという事になる。そしてただ別離というだけでなく、その時には小鈴達の手には負えないような強大なウォーデンの誕生とセットだというのだ。
「なんで……こんな事に……」
小鈴が頭を抱えて悲嘆に暮れる。こんなはずではなかったというのが正直な気持ちだ。自分を助けてくれた彼の雄姿に惚れこみ、共に世界を股に掛ける冒険に繰り出し、強大な敵と戦いそれを撃ち破る……
中国を発って以来、これまで小鈴にとってはまさに夢の中にいたようなものだった。冒険に心躍らせていたのはシャクティだけではなかった。敵に敗北を喫した事もあったが、それも最終的には天馬が助けてくれて、小鈴としては増々彼に惚れこむ切っ掛けとなった。
それらの戦いと冒険の日々は全て儚い幻であったのか。避けられぬ破滅が約束された片道切符でしかなかったのか。それを思うと無性に悲しくやるせない気持ちになる小鈴であった。
「シャオリンさん……」
シャクティも何と声をかけて良いか解らず暗い調子になる。彼女も勿論衝撃を受けており強い悲哀を感じていたが、彼女は小鈴に比べて良くも悪くもドライな性質であり、気持ちを切り替える能力が高かった。
「それで、その事実を認識した上で君達はこれからどうするのかな? もう戦いをやめるかい? 私としては君達には是非とも引き続きこの戦いに協力して欲しいとは思っているんだけど」
ペラギアがあえてストレートに問いかけてくる。彼女としては天馬が男性でありウォーデンになる事が避けられない運命であると知っているからこそ、あのような態度で接するしかなかったのだ。それ以外には本来自分と同じディヤウスである彼らを拒む理由は何一つ無い。
「私は……戦います。テンマさんの事はとても悲しいですが、邪神の脅威は依然として存在している訳ですし、私達が戦いをやめる理由にはなりません。テンマさんがどうなるとしても、彼の分まで戦い抜く事が私達の……私の義務でもあると思っています」
シャクティがいち早く決意を表明する。それは彼女の本心であったが、それとは別に世界中を旅して回りたいという夢を終わらせたくないという気持ちがあるのも事実であった。
「そうか……ありがとう、シャクティ。君の気持ちはとても立派な物だし、嬉しく思うよ。それで、君の方はどうだい、シャオリン?」
「わ、私は……」
小鈴は言い淀む。正直天馬がいない旅や戦いなど考えた事もなかった。いや、それどころか彼とも戦う羽目になるかも知れない。そう考えると胸が張り裂けそうな気持ちになる。だが……
『……悪かった。俺も、ちょっと頭を冷やしてくる』
そう言って気まずげに、そして苦しげに顔をそらして立ち去っていった天馬の姿が思い出される。彼も、苦しんでいるのだ。
(天馬が一番苦しいはずなんだ……)
自分がいつか必ず邪神の眷属になると言われて平気なはずはない。ましてやあれだけ苛烈にウォーデンやプログレスを憎んでいる彼が、それと同じになると言われたのだ。
小鈴は自分の気持ちばかりを考えて天馬の心情を慮る事を失念していた。いや、その余裕がなかったのだ。
「私も戦いはやめないわ。でも……同時に天馬の事も諦めたりしない」
それが彼女の結論であった。ペラギアが目を細める。
「諦めないとはどういう意味だい? 彼はどうやってもウォーデンになる運命にあるんだよ?」
「どんな運命だって関係ないわ。私は彼を信じてる。彼の強さを信じてる。天馬なら邪神の誘惑だって必ず跳ね除ける事が出来るわ」
小鈴は確信を込めて断言した。これは理屈ではなかった。信じるとはそういう事だ。
「信じる者は救われるというのは幻想に過ぎない。彼は必ず堕落する。そしてそうなった時に――」
「――もしそうなったら、その時は私が彼を殺す」
ペラギアの言葉を遮って宣言する。天馬を信じているが、もし最悪の事態が避けられないとなった時の覚悟は出来ている。
「シャ、シャオリンさん……」
彼女の覚悟を感じ取ってシャクティが目を瞠った。そしてペラギアも同じものを感じ取っていた。
「……なるほど、本気のようだね。なら私から言う事はもうないよ。君達の覚悟はよく解った」
ペラギアは神妙な表情で頷いた。
「私も君達のように世界を巡って他のディヤウスを集め、ウォーデンを打倒し、邪神の復活を阻止する旅に出る事は吝かじゃない。ただそれはこのアテネに巣食う邪悪を滅ぼし、この街の安寧を取り戻してからの話だね」
「やっぱりこの街にも……?」
彼女が街中でプログレスと戦っていたくらいなので、邪神の勢力はこの街にも侵食しているのだろう。
「ああ、厄介な奴等がね。だが君達の協力があれば今までよりずっと奴等と戦いやすくなる。これから私の知る限りの詳細を話す。共にまずはこの街を怪物共の脅威から解放しよう」
ペラギアが立ち上がって握手を差し出す。小鈴達のアテネにおける戦いが始まった。




