第18話 『貪婪』のマフムード
「やった……!」
ラシーダの一撃がマフムードの身体に突き刺さったのを見た小鈴が、思わずといった感じで叫ぶ。だがフラグ云々以前に、天馬は最初からこれだけでウォーデンが倒せるとは思っていなかった。それは今までの経験からも明らかだ。
「かぁ……!!」
「……!」
案の定マフムードは血を吐きながらも更に多くのシャボン玉を出現させて、それを放射状に拡散しながらこちらを牽制してくる。天馬は新たに出現したシャボン玉群を素早く切り裂くが、それによってマフムードへの追撃は中断せざるを得なかった。
「く……! アフリカゾウでも数秒で殺せるほどの猛毒を撃ち込んだのに……!」
ラシーダが歯噛みする。プログレスなら今ので確実に倒せていただろうが、ウォーデンはそれほど甘い相手ではない。恐らく強大な魔力を用いてラシーダの神力の回りを強引に抑えているのだろう。
「がはっ……! き、貴様ら……許さん。許さんぞ……! もう『蠍』を手に入れる事もやめだ! お前達は我が脅威にしかならん。この場で全員冥府へと送ってやろう……!」
だがそれでも相応の苦痛は感じているらしく、その顔を苦悶と憤怒と憎悪に歪めながら怨嗟を吐き散らす。同時に奴の魔力がさらに膨れ上がる。
「ち……!」
天馬は舌打ちした。やはり阻止できなかった。彼等の見ている前でマフムードから溢れ出す魔力が可視化して、奴の身体を包み込んでいく。それは形を変えて恐ろしい勢いで肥大化していく。数瞬ののち、そこに顕現していたのは……
「……ワ、ワニ?」
シャクティがその圧倒的な巨体を見上げて呆然と呟く。そこにいたのは体長が優に10メートルを超えるであろう超巨大な恐竜サイズの『ナイルワニ』であった。ただし表皮は黒っぽい色合いで、まるで血のような赤い線が何本もその体表を走っている。目も赤黒く不気味に発光していた。その口吻は比喩ではなく人間を一飲みに出来そうな馬鹿げたサイズだ。
『この姿を見せた以上、誰一人として生かしては帰さん。我が咢に噛み砕かれ、無限空間である底なしの胃の中で永遠に消化され続けるがいい!』
10メートル以上ある巨大ワニの咆哮で、谷全体の空気が振動するような錯覚を天馬達に与えた。これは間違いなく鑿歯やナラシンハも行ったあの魔力を纏う変身だろう。ウォーデンの切り札であり、その全力の証でもあるはずだ。だが……
「おいおい、巨大ワニだと!? アヌビスっていや、犬だかジャッカルだかそんなんじゃなかったか!?」
一般の知識ではそういうイメージのはずだ。だがラシーダがかぶりを振った。
「それはあくまで壁画などを元に後世に伝わっているイメージに過ぎないわ。実際には古代の神々は一つの姿のみではなく様々な側面を持っていて、その姿も自在に変化させる事ができたとも言われているわ。あの姿も恐らく『アヌビス』の持つ側面の1つなんだわ!」
「……!」
外見の謎は解けたが、それはこの状況では特に何の解決にもならない。巨大黒ワニがその特大サイズの顎を開いて、天馬達を噛み砕こうと襲い掛かってくる。巨体からは考えられない程のスピードで迫力が尋常ではない。
「……っ! 怪獣映画かよ!」
天馬は咄嗟に毒づきながら横に跳んで躱す。すると巨大ワニは彼の後ろにあった岩の塊にそのままかぶりついて、一瞬で粉々に噛み砕いてしまう。見た目通りに咬筋力も化け物級のようだ。
『鬼刃斬!』
牽制代わりに遠距離攻撃で斬り付ける。だが案の定というか真空刃は奴の表皮に当たると跡形もなく霧散してしまう。あの表皮を貫いて攻撃を通すのは並大抵では難しいだろう。
『気炎弾!』
『ドゥルガーの怒り!』
小鈴とシャクティも遠距離攻撃を連続で仕掛けているが、同じように全て奴の表皮に阻まれてダメージを与える事が出来ない。巨大ワニは煩わし気に尻尾を振り回す。
10メートル以上ある化け物ワニの尻尾は、それだけで大木の丸太も超える凶器である。ましてやそれがウォーデンの力で振るわれるのだ。小鈴達は慌てて距離を取って躱すが、空振りした尻尾が谷の岩壁に当たって大きく抉り砕いてしまう。こいつに当たってもヤバそうだ。
『ポイズン・ショット!』
ラシーダも遠距離攻撃を仕掛ける。何せ的がデカいのでとにかく前に撃てば当たる状態だ。しかし……
「く……やっぱり駄目ね」
毒弾は奴の身体に当たって弾けたが、それで奴の動きが停滞したり苦しんだりしている様子が無い。毒の浸透さえも防いでしまうらしい。
『ちょこまかと小賢しい奴等め!』
巨大ワニが苛立たし気に咆哮すると、その場で大口を限界まで開いた。同時に奴の口の中に大量の魔力が集まっていく。
「……っ! 散れっ!!」
本能的に危険を感じた天馬が咄嗟に叫ぶ。それに仲間達が反応したか確認する前に、巨大ワニの口から超特大のシャボン玉が発射された。いや、それはシャボン玉というよりは最早砲弾であった。
「チィィっ!!」
天馬は飛び込むような形で横っ飛びにその砲弾を避ける。その『次元砲弾』は周囲の景色を歪めながら突き進み岩山に着弾すると、岩から土から瓦礫から何もかもを吸い込んで、最終的に豆粒のように小さくなって消えてしまった。
後には球状にぽっかりと『何もない』空間だけが残されていた。まるで超小型のブラックホールといった所だ。(引力などは発生しなかったので厳密にはブラックホールではないだろうが)その『破壊跡』を見た天馬はゾッとした。
「冗談じゃねぇぞ……! こんなモン受けたら一溜まりもねぇ!」
天馬だけでなく、辛うじて回避が間に合った他の仲間達も一様に顔を青ざめさせていた。この化け物相手に受けに回るのはマズい。その共通認識が一瞬で出来上がった。
「一気に攻めるぞ! 俺に続けぇぇっ!!」
天馬は刀を構えて一直線に巨大ワニに突進する。その後ろに小鈴が追随する。シャクティとラシーダはそれぞれ得意な距離から奴に攻撃を仕掛けるようだ。
巨大ワニが尻尾薙ぎ払いを仕掛けてくる。天馬と小鈴は跳び上がるようにしてそれを躱す。風圧を伴う膨大な質量が足元を通過していく。
着地した天馬達に今度は大顎による噛み付き攻撃が迫る。2人は左右に分かれるように跳んで噛み付きを躱す。一発一発が死と隣り合わせだ。こいつの攻撃を一回でも喰らったらそれだけで致命傷になる。
『鬼神三鈷剣!』
『炎帝昇鳳波ッ!!』
それぞれ左右から威力の高い技で攻めかかる。敵の防御力を考えると連撃系の技より一撃の威力を重視する技の方が効果的と思われる。だが……
「……っ!」
「くそ……何て硬さなの!?」
2人の渾身の一撃もやはり奴の表皮に弾かれてしまった。だが流石に全く影響なしという訳ではなく、あの巨体の化け物が僅かに身体を震わせて怯んだような様子を見せた。
『カーリーの抱擁!!』
そこにシャクティの大技が炸裂する。彼女の持つ二振りのチャクラムが神力に包まれて直径2メートルくらいの大きさになり、それが物凄い勢いで一直線に巨大ワニに殺到したのだ。
『……!!』
衝突音と共に光が爆発する。しかし恐るべきは奴の防御力か。『カーリーの抱擁』の直撃を喰らったというのに、やはり怯みはしたものの目に見えて傷ついている様子が無い。
「そ、そんな……!」
自身の最大出力の技でも通用しなかったシャクティが呻く。大技は威力が高い反面かなりの神力を消耗する。そう何度も連発できる代物ではないのだ。
「……今のでも駄目だとすると、このまま闇雲に攻めても無駄でしょうね」
自身も『セルケトの尾』を振るって巨大ワニを攻撃していたラシーダが、効果が無いと見て一旦鞭を収める。だが彼女の目は絶望してはいなかった。
「お願い、何とかして奴の身体に一筋でもいいから傷を穿って頂戴。そうすれば奴を倒せるわ」
「……!!」
近くにいたシャクティだけでなく天馬達にもラシーダの声は聞こえた。ここまで来れば仲間である彼女を信じるだけだ。天馬達は再び残り少ない神力を練り上げる。
「へっ、そう言われちゃやらない訳には行かねぇな。行くぜ、小鈴!」
「ええ、天馬!」
近接型の2人は再び巨獣に戦いを挑む。その間にシャクティも再度神力を限界まで練り上げていく。
『小うるさい蝿共が! いい加減に我が力の前にひれ伏せ!』
巨大ワニが再び苛立たし気に咆哮すると、その背中から沢山の突起のような物が生えてきた。そしてその突起から大量のシャボン玉が噴出した。皮肉にもそれは本当にシャボン玉精製器で作って噴き出したかのような光景であった。
しかし当然噴き出されるシャボン玉は泡の塊などではなく、剣呑極まりない破壊兵器だ。地面に落ちたシャボン玉は周囲の石や砂塵を吸い込みながら消滅させていく。どうやら先程口から吐き付けた『次元砲弾』の小型バージョンのようだ。
だが数が桁違いだ。大量のシャボン玉が上空を埋め尽くして、ゆっくりと降り注いでくるのだ。シャボン玉の落ちる速度は遅いが、数が多く動きも不規則なので集中していないと躱せない。そして一発でも当たったら身体ごとごっそり持っていかれる。
『かぁっ!!』
「……!」
シャボン玉を躱すのに意識を取られた天馬達を、巨大ワニが直接噛み砕こうと襲ってくる。奴自身はシャボン玉が当たっても問題ないらしく、無害な泡のように弾けて消える。つまり奴の背中から噴き出し続けるシャボン玉群は、奴にとってだけ有利なバトルフィールドを作り出す効果があるようだ。
この降り注ぐシャボン玉の中で、更に巨大ワニの攻撃にまで対処するのは非常に困難だ。事実天馬も小鈴も完全に防戦一方になってしまっている。このままでは奴に傷を穿つどころか、自分達が追い詰められて殺されるだけだ。
「……!!」
再度『カーリーの抱擁』を放とうとしていたシャクティだが、この状況を見てそれを止めた。今自分だけが攻撃しても恐らく無意味だと悟ったのだ。それよりは……
『女神の舞踏会!』
神力を全開にして大量の浮遊する光のチャクラムを作り出す。出来るかどうか保証はないが、このまま何もしなければ天馬達が危ない。
「私は戦士じゃないかも知れないけど……それでも出来る事はあります!」
シャクティは叫ぶと、光のチャクラムを一斉に……天馬と小鈴を守るように彼らの頭上に展開させた!
「お、おお……こりゃ……」
「シャクティ!?」
2人は思わず頭上を見上げるが、それが誰の手によるものかすぐに解った。
「天馬さん! シャオリンさん! 私が守ります! 奴を攻撃して下さい!」
「……!!」
そしてすぐに2人はシャクティの意を汲んだ。彼女が守ると断言した以上、仲間を信じて突き進むだけだ。ラシーダの時と同じである。
言葉はいらない。行動で示すのみだ。天馬も小鈴も無言で地面を蹴った。彼らの意識に上空から降り注ぐシャボン玉の雨の事はなくなっていた。シャクティが必ず何とかしてくれる。
走る彼らの上から容赦なく降り注ぐシャボン玉群。だが……
「させませんっ!!」
シャクティの『女神の舞踏会』によって生み出されたチャクラム達が高速で旋回しながら天馬達をシャボン玉の雨から守る。だがシャボン玉に接触する毎にチャクラムは消滅していき、その都度新しいチャクラムを追加していくので、恐ろしい勢いで神力が削られていく。シャボン玉の雨は無限とも言える数がどんどん降り注いでくる。
「く……うぅぅぅぅぅっ!!!」
シャクティの面貌に大量の脂汗が流れ落ちる。急激な神力の消費で今にも意識が飛びそうだ。しかし彼女の奮闘の甲斐あって、天馬達は無傷で巨大ワニに肉薄する事が出来ていた。
「よくやったぜ、シャクティ!」
仲間が作ってくれた絶好の機会だ。逃す訳にはいかない。天馬と小鈴は、シャクティを信じて防御を捨てて攻撃用に限界まで高めていた神力を解放する。
巨大ワニの噛み付きが迫る。それを同じ方向に躱した2人は、奴の右の脇腹辺りに狙いを定めた。
『二等分断剣ッ!!』
『炎帝爆殺陣!!』
一撃必殺。最大級の威力の技を、奴の脇腹のほぼ同じ箇所に叩き込んだ。神力が爆発し、目も眩むような光の奔流がその場の風景を塗り潰した。
その光の奔流が収まった時、そこには……
『無駄……無駄だ。貴様らの力では私に掠り傷一つ付けるのが限界よ』
「……!!」
そこには相変わらずの巨大ワニが鎮座していた。2人のディヤウスの全力攻撃を受けて尚健在であり、ウォーデンの底知れぬ恐ろしさを物語っていた。しかし流石に無傷とは行かずに、攻撃を受けた脇腹に大きな裂傷が走っていた。そこから魔力が煙状になって漏れ出ている。
到底致命傷とは言えない傷。だが……それだけで彼女には充分であった。
「皆、ありがとう。後は私に任せて頂戴」
ラシーダは限界まで練り上げていた神力を一気に開放する。『セルケトの尾』は彼女の神力を媒介した一個の生物となって素早く動き、巨大ワニに鎌首をもたげた。
『ブラッド・アブソリューションッ!!』
鞭の先端からまるで蛇が毒液を吐くように、大量の液体が霧状に噴射された。毒霧はすぐに巨大ワニの身体を覆い尽くしてしまう。
『ぬが……!? こ、これは……お……おぉぉぉぉぉぉっ!!』
巨大ワニが悶え苦しむ音が聞こえてくる。奴の表皮はラシーダの毒さえも受け付けなかったが、今は毒が浸透する隙間がある。天馬達が開けた傷口から奴の体内に入り込んだ猛毒は、どんな攻撃でもビクともしなかった巨獣を内側から食い破った!




