第16話 王家の谷
王家の谷。ルクソールからナイル川を挟んで対岸に広がる岩山の渓谷。その渓谷の中に埋没するように古代エジプトのファラオ達の墳墓が存在している事からそう名付けられている。
盗掘などを避ける為に意図的にこのような場所へ作られたものと思われるが、残念ながらそれでも長い時の中で殆どの陵墓が盗掘の憂き目に遭った。そんな中で唯一盗掘被害を免れたトゥトアンクアメン――ツタンカーメン王の墓が発見されて一躍世界的にも有名な観光地ともなった。
「ツタンカーメンの墓、ね。まさか自分がそんな場所の前まで来るなんてな」
ルクソールの対岸から伸びる『キングスバレーロード』を伝った先、『王家の谷』の入り口とも言えるチケット売り場を前にして、天馬は広大な涸れ谷を見上げながら呟いた。普段なら観光客やそれらを相手にする商売人達で賑わう場所だが、今は不自然なほど人気が無い。
「……この谷全体から魔力を感じるわ。広大な『結界』が張られているようね。間違いなく罠だと思うけど、本当に行くのね?」
同行しているラシーダが今一度の確認に問うてくるが、天馬は躊躇う事無く頷いた。彼女も既にディヤウスとして覚醒しているので魔力を感じ取れるようになっていた。
「ああ、この先に小鈴とシャクティが囚われてる以上、退くって選択肢はないな。アンタこそ本当に大丈夫か?」
「ええ、私ももう躊躇いはないわ。ディヤウスとして覚醒したし、私も既に邪神共の勢力と戦う仲間でしょう?」
彼女の中にも既に迷いや怖れは無いようだ。天馬は苦笑しつつすぐに神妙な顔で頷く。
「ああ、そうだな。アンタはもう俺達の仲間だ。じゃあ……行くか?」
「ええ、作戦通りにね。あなたはちょっと大変だと思うけど、それこそ大丈夫かしら?」
「へっ、問題ないぜ。マフムードの奴の裏を掻くとしたらそれしか方法が無いからな」
そして2人は無人のチケット売り場を通り抜けて『王家の谷』へと入り込む。無賃入場はこの際大目に見てもらうしかないだろう。
左右に巨大な岩山が聳える渓谷は自然というものの雄大さを物語っている。渓谷は静まり返っており、古代のファラオ達が眠る場所という条件も相まってその静寂が不気味に感じられる。だが無人のはずはないのだ。
「……居やがるな。ラシーダ、アンタは俺の側から離れるな。そして絶対に手を出すんじゃないぞ?」
「ええ、頑張るわ」
話しながらも慎重に渓谷を進んでいく2人。やがて最初の墓がある地点に差し掛かった。するとその陵墓を障害物として、隠れていた大勢の男達が姿を現す。その手にはライフルやサブマシンガンなどの銃火器が握られていた。
「……! 俺の後ろに隠れろ!」
素早くラシーダに警告。ほぼ同時に男達の持つ銃が火を噴いた。天馬はディヤウスの能力を全開させ、飛んでくる無数の銃弾の雨を全て見切る。
「ふっ!」
常人には見切れない速さで刀を縦横に振り抜いて、弾幕の中でこちらに被弾する軌道の銃弾だけを正確に斬り払う。今までに何度も経験してきているので慣れたものだ。ナラシンハの黒い矢のように変幻自在に軌道が変わる訳でもない只の銃弾など、天馬からすれば比喩ではなく目を瞑っていても斬り払える自信があった。
『鬼刃斬!』
そして弾幕が止んだ所でこちらから遠距離攻撃で反撃していく。プログレスでもない只の人間であるだろうテロリスト達はディヤウスの真空刃を避ける事など出来るはずもなく、為す術もなく身体を輪切りにされて地面に転がり、白茶けた涸れ谷を紅く染め上げていく。
「彼等は邪神の下僕という訳では無さそうだけど、本当に容赦しないのね」
敵を粗方殲滅し終わった所でラシーダがそんな事を言うが、シャクティの時とは違ってその口調や表情には特に嫌悪や衝撃を受けている様子はない。天馬は肩を竦めた。
「まあな。俺は博愛主義者じゃないからな。殺意には殺意で応えるのが流儀なのさ。アンタも同じだろ?」
「ふふ……お見通しのようね。ええ、その通りよ。敵には一片の容赦も掛ける気はない。あなたもそういう主義でむしろ安心したわ」
単に小鈴達よりも大人というだけではない。自分が自由になる為に実の家族さえ毒殺したのだ。ラシーダは元から目的の為にはある程度手段を選ばない性質だと天馬は見抜いていた。
「へっ、アンタになら安心して背中を任せられそうだな。だがそれはもう少し後になりそうだけどな」
天馬は口の端を吊り上げて笑うと、そのままラシーダを連れて前進を再開する。途中で同じように銃火器で武装したテロリスト達に襲撃されたが、全て鎧袖一触で蹴散らした。だがそう順調にばかり事は運ばない。
『ふん……やはり【外なる神々】の影響を受けていない連中などこんな物か。まあ最初から分かっていた事だがな』
「……! 出やがったな」
ラムセス2世やツタンカーメンの墓がある有名なエリアに差し掛かった所で、プログレス共が姿を現した。蜥蜴頭が2人と蛇頭が1人の全部で3人だ。ある意味ではここからが本番だ。
プログレス達は自信満々な様子で天馬の前に立ちはだかる。
『ふふふ……如何に貴様がマフムード様の警戒するディヤウスであったとしても、その『蠍』というお荷物を抱えながら我等に勝てるかな?』
「ち……やっぱそう来るかよ。見下げ果てた臆病者どもがよ」
天馬がラシーダを後方に庇いつつ舌打ちする。だがむしろプログレス共は増々嵩に懸かる。
『ふぁはは! どんな手を使おうが勝てばいいのよ! 『蠍』を狙え!』
「ちぃ……! ラシーダ、絶対に俺から離れるなよ!」
「わ、解ったわ!」
ラシーダは慌てている振りをして、天馬に大人しく庇われている。それは卓越した毒薬調合の能力は持っていても、それ以外には何の力もない一般人そのものの姿であった。そしてプログレス達は誰もその事に疑問を抱かなかった。
「おぉぉぉぉぉぉっ!! 掛かってきやがれっ!!」
そして天馬もまた自然にお荷物を庇うような動きでプログレス達を迎え撃つ。連中は1人が常に天馬の弱点であるラシーダを狙うような動きを見せて彼を牽制し、そこに気を取られた所を残りの2人が攻撃してくるという連携で天馬を苦しめた。
だがそれでも天馬は驚異的な粘り強さを見せて、何とかラシーダを庇いつつプログレス3体を打倒する事に成功した。だがその代償として天馬も無傷とはいかずに、身体のあちこちに裂傷を負ってしまう。その中でも最後にもらった一撃は奴等の持つ毒を体内に流し込まれて、ラシーダの持つハーブを使った応急処置によって何とか毒の回りを抑える事が出来た。
「ふぅぅぅ……! ふぅぅ……! ふぅーー……。よし、もう大丈夫だ。先へ進もう」
立ち上がった天馬は傷を押して先へ進もうとする。
「ほ、本当に大丈夫なの、テンマ? 少し休んでからの方が……」
「休んでる暇はねぇ。こうしてる間にもマフムードの奴の気が変わって小鈴達が処刑される可能性もあるしな」
天馬の言葉を否定する根拠もないので、諦めて溜息をつきつつ天馬に随伴するラシーダ。作戦とはいえ無力な振りをして戦いを天馬に任せきりにする事がもどかしかった。今の戦いも彼女が加勢していれば、天馬が無駄に傷つく事無く終わっていたはずだ。
だがそれではその場は良くても、マフムードの裏を搔く事が出来なくなる。奴は今この瞬間も天馬達の戦いを監視している可能性が高い。
幸いというかそれ以上のプログレスの襲撃は無く、天馬達は『王家の谷』の最奥部である広いスペースに到着した。セティ1世の墓などがある場所だ。これ以上奥には行けない。そしてそこには……
「小鈴! シャクティ!!」
その広場のようなスペースの奥に、こちらを向くようにして杭が2本、地面から突き立っていた。そしてその杭にはそれぞれ、小鈴とシャクティが後ろ手に縛り付けられていた。やはり本当に囚われていたのだ。その横には見張り役と思われるプログレスがそれぞれ控えていた。
小鈴達は顔を上げて天馬の姿を認めるとしきりに何かを喋ろうとするが、猿轡をされていて声にならない呻きが漏れるだけであった。弱々しく身体を揺するが後ろ手に縛られた拘束を解く事も出来ないようだ。
「……死なない程度の微量な毒で弱らされているようね。自力での脱出は困難でしょうね」
「つまりその毒が抜けりゃ何とかなるかも知れねぇって事か」
小声で耳打ちするラシーダに答える天馬。だが……
「――私がいながらむざむざ『蠍』を人質に近付けるような真似をすると思うか?」
「――っ!?」
自分達の後ろから唐突に男の声が聞こえて、天馬達は慌てて距離を取りながら振り返った。案の定そこにはあの男……冥府の神アヌビスのウォーデンを名乗るマフムード・ビンラディンの姿があった。
天馬でさえ、奴が自分達の後ろにいつ現れたのか解らなかった。
「よく来たな、ディヤウス。そして我が『蠍』よ。当然だがこれ以上抵抗すれば人質の命はないものと思え」
「……っ。これがてめぇのやり方かよ。絶大な力を持ってるはずのウォーデンにしちゃせこいやり方じゃねぇか?」
天馬がせめてもの挑発をするが、マフムードは全く平然と聞き流した。
「何とでも言うがいい。重要なのは結果だ。過程はどうでもいい。さあ『蠍』よ。我が元へ来るのだ。お前の才能は私が有効利用してやろう」
マフムードが手招きする。ラシーダは躊躇っているような様子を見せる。この状況でそれは然程不自然な挙動ではない。事実マフムードは特に訝しんだりはせずにただ苛立たしげに催促する。
「何をしている。わざわざここまで来ておいて今更人質を見捨てるような事はすまい? お前達に選択肢は無いのだ」
確かにその通りだ。小鈴達を見捨てるつもりなら最初からここまで来てはいない。そして天馬達に他に選択肢は無いように思える。……今までであれば。
だが今はラシーダが既にディヤウスに覚醒しているという事実がある。そしてマフムードはまだそれを知らなかった。この唯一とも言えるアドバンテージを活かさない手はない。天馬が谷を進んでくる間自らが傷つきながらも、ラシーダに一切手を出させずに無力な振りをさせていたのはこれが理由であった。
そしてその成果は如実に発揮される事となる。
『グェッ!? ゲゲ……!! こ、これはぁ……!?』
小鈴達を側で見張っていたプログレス達が急に悶え苦しみだす。それはあの時解毒作用のあるラシーダの力を吸い込んだ亀男の反応と似ていた。プログレス達はそのまま喉を押さえて倒れ込むと痙攣しだした。
「……! 何……これは、まさか!?」
マフムードが始めて眉をひそめて声を荒げる。この広場一帯に漂う神力と、その出処に気づいたらしく、ラシーダに対して驚愕したような目を向ける。だがもう遅い。
「……っ!? んん! んんーーー!!!」
苦しんで血を噴き出しながら死んでいくプログレス達とは対照的に、囚われていた小鈴達が驚いたように目を瞬かせると、その身体の動きが見る見る内に力強く活発なものに変わっていく。
身体を蝕んでいた毒素が抜けて力を取り戻した彼女達は、杭に縛られていた拘束をディヤウスの力で強引に引き千切った。
「こ、これは……あんなに苦しかったのに、もう何とも無いわ!」
「ま、まさかこの力は……ラシーダさん!? 覚醒されたのですか……!?」
猿轡も外した小鈴とシャクティは、自分達の身体に起こった回復ぶりとその原因について察知して、目を丸くしてラシーダを見やる。ラシーダはその視線を受けて艶然と微笑む。
「ええ、お察しの通りよ。私もディヤウスとして覚醒したの。蠍の女神セルケトの神化種ラシーダ・アル・ジュンディー、これより正式にあなた達の仲間になるわ」
「……!!」
小鈴もシャクティも唖然として目を瞬いた。いや、驚いているのは彼女らだけではない。
「おのれ……そうか。そういう事だったのか。セルケトのディヤウスだと? 『蠍』の才能は女神から授けられたものであったか……!」
マフムードがその身を憤怒に震わせながら唸る。天馬は見事に出し抜かれたマフムードに対して刀を突きつける。
「へっ、今頃気づいてももう遅いぜ。さあ、好き放題やってくれたが今度はこっちの番だなぁ? 言ったはずだよな。また俺の前にその面見せたら冥府送りにしてやるってよ」
そして古代のファラオ達が眠る『王家の谷』にて、このエジプトにおける最終決戦の火蓋が切って落とされた!




