第8話 自由公正党
「私に今の生活への未練があるとしたら……ここでしょうね」
「ここ? この店って事か?」
天馬の問いに頷くラシーダ。
「ええ。この国で身元も不確かな女が1人で身を立てようと思ったら並大抵ではないわ。私は自分の才能を使う事でそれを成し遂げた。最近ようやく軌道に乗り始めた所だったのよ」
「…………」
20代前半と思しきラシーダの外見からして、彼女が家族と袂を分かってこのルクソールに来てからそれなりの年月が経っているはずだ。外国人である天馬達には想像もつかないような苦労があっただろう事は間違いない。
しかしそれを今また捨てなければならないのだ。
「まあさっきも言ったけど、奴等に見つかった以上どっちみちここから逃げなければならなかったし、そう思えば諦めもつくわね」
ラシーダはそう言ってかぶりを振った。表面上は苦笑しているだけだが、その胸中は複雑なものがあるだろう。それも当然だ。
彼女が完全にここでの生活への未練を捨てて邪神やウォーデンとの戦いを決意できるかどうか。それが彼女の覚醒の条件という事になる。いや、ラシーダに限らず、まだ他にもいるかも知れない未覚醒のディヤウスについても同じ事が言えるだろうが。
「……じゃあ話を変えるが、あの襲ってきた連中に心当たりはあるのか? ボスはマフムードって名乗ってたが」
とりあえずここでこれ以上考えても仕方のない事は一旦脇に避けておいて、目先の問題に意識を切り替える。どのみちあの連中を何とかしなければ、その先の事を考えても意味がないというのもある。
「私も奴等から逃げていた身だし、連中の詳しい実態は知らないわ。解っているのは今のナギーブ政権に不満を持っていてその転覆を目論んでる連中という事だけ」
「……つまりテロリスト達の同類って事ね」
カイロの空港で遭遇したテロリスト達を思い出したのか、小鈴が顔を顰めて吐き捨てた。ラシーダも首肯した。
「そういう事になるわね。でも……同類というか、もしかしたら親玉かも知れないわね。あなたの言う『マフムード』が、私の知っている男と同一人物だとしたら」
「……! 心当たりがあるのか?」
天馬は僅かに目を瞠った。
「まあ名前とあなたから聞いた容姿から判断する限りだけど……恐らく『自由公正党』の党首、マフムード・ビンラディンじゃないかしら」
「『自由公正党』って……確かエジプト議会の第2野党じゃありませんでしたっけ?」
外国の文化や政治にも詳しいシャクティが、すぐに思い当たったらしく目を丸くしていた。
「そうよ。よく知ってるわね。エジプトは大統領制だけど一応三権分立していて、立法に関しては議会が担っているの。小さいものまで含めたら両院合わせて無数の政党があるんだけど、中でも『自由公正党』は第2野党としてそれなりの議席を有している政党よ」
日本で言えば日本共〇党に当たると思えばイメージしやすいか。
「そんなデカい所のトップがテロリスト共の親玉だって? そう思う根拠は何なんだ?」
「自由公正党は自由とは名ばかりの生粋のナショナリズムを標榜しているのよ。そして外国人を嫌厭し、経済を外国人観光客に依存している今の政権を厳しく批判・糾弾している急先鋒なの」
「……!」
外国人への排斥・嫌悪は、あのテロリスト共やカルナック神殿で戦ったプログレス共にも共通していた性質だ。
「だから自由公正党がイスラム原理主義のテロリスト達と繋がっているというのは、ある意味で公然の秘密なのよ。勿論『証拠』は一切ないから、それを表立って指摘したり糾弾したり出来る者は政府にもマスコミにも皆無よ。その繋がりを探ろうとしたものは、皆人知れず消されたとまことしやかに言われているわ」
「…………」
ボスのマフムードは超常の力を操るウォーデンであり、その配下にもプログレスが多数存在しているとなれば、そのような工作はお手の物だろう。
「でも……そんな連中でもここまでしてあなたを捕まえようとするなんて、あなたの才能って相当な物なのね。私も命を救われた身だけど、あんなのはあなたの力のほんの一部なんでしょ?」
小鈴が確信を持って言うと、ラシーダは少し複雑な表情で目を伏せた。
「そう……なのかも知れないわね。私が父に騙されてよく作っていた『薬』は、食べ物や飲み物に混ぜても完全に無味無臭で、それでいてきっかり24時間後に何らかの致命的な病気を発症して死ぬという効果の物が多かったわ。病気の種類も心臓発作から急性肺炎、脳卒中など様々な疾患を選別できた。しかも24時間あるから毒殺の場に同席していてもまず疑われないし、何なら自分も同じ物を食べても後でこっそり解毒剤を飲む時間はいくらでも取れるという優れものよ」
「……っ!」
天馬達は揃って絶句した。そんな物で狙われたら防ぎようがない。しかも対象や周囲の者は毒殺されたという事実にすら殆ど気付かないだろう。
そんな恐ろしい効果の『薬』を、自然界の安価な素材だけでタダ同然に働いてくれる少女が作っていたのだ。彼女の家族は丸儲けだったろうし、マフムード達も相当その恩恵に与ってきた事だろう。
今度は彼女を自分達が直接確保して『薬』を作らせるという方向に考えがシフトするのも、ある意味当然と言えた。
「これが私が連中に狙われている理由という訳。奴等が私を諦める事は絶対にないでしょうし、私を国外に逃がす事もあり得ない。その上で改めて聞くけど……本当に良いのね? あなた達だけだったらここから逃げる事も可能でしょう? 命を懸けてまで私の事情に付き合う必要は……」
「そこまでよ。私は逃げたりしない。あなたに命を救われた恩は必ず返すし、奴等にも酷い目に遭わされた仕返しをしてやらなきゃ気が済まないのよ」
真っ先に小鈴が声を上げた。どうやら無様に毒で倒れてしまった経験は彼女の中で相当の屈辱であったらしい。
「そうですね。それに私達はあなたに会う為にここまでやってきたんです。危険があるからと言ってそれで尻込みしたりなんてしません」
シャクティも同意するように頷く。そもそも天馬達は邪神やウォーデン達と戦う為に旅をしているのだから今更な話だろう。
「ああ、それにさっきも言ったが、俺達は既に奴等のボスに目を付けられてる。もう他人事じゃないのさ。殺るか殺られるかだ。もちろん俺達が殺る側だけどな」
天馬も勿論今更逃げる気はないので(そもそも邪神勢力相手に逃げるという選択肢自体がない)、事も無げに頷いた。
ラシーダは天馬達の反応を見て呆れたように、しかしどこかホッとしたように苦笑した。
「ふぅ……全く命知らずな子達ね。でも、ありがとう」
ラシーダは目尻を拭う動作をすると、それを誤魔化すように話題を変えた。
「さあ、今日はもう遅いわ。あなた達、どこかホテルなり取ってあるの?」
「いえ、それが生憎。その前にカルナック神殿に立ち寄っていたものですから……」
シャクティがやや恐縮したように答える。ラシーダが少し驚いた顔をする。
「あら、じゃあルクソールに着いてすぐあちこち観光していたという事? 随分逞しいわね。でもそういう事なら丁度いいわね。ちょっと狭いけどここに泊まっていくといいわ」
「え……でも、急に3人も押し掛けて大丈夫?」
小鈴がそう問い掛けるが、中国人の彼女の事。別に遠慮している訳ではなく、この小さい家で何人も泊まるのが物理的に大丈夫か心配しているだけだ。ラシーダが苦笑する。
「まあ一晩くらいなら大丈夫よ。幸か不幸か……多分何泊もする時間的な余裕は無いでしょうし」
「……!」
言外の意味を汲み取ったシャクティが小さく息を呑む。あのような結界を張ってまでラシーダを捕らえようとしていた奴等だ。連中は既に具体的に行動を起こしている。そうなれば後は突き進んでくるだけだ。
「そうだな。どのみち今の状況であんたを1人にする訳にもいかないから、そういう意味でも遠慮なく一晩世話になるぜ」
天馬も同意する。ここで下手に遠慮しても意味はない。ただ同じ家に泊まるとなると全員女であれば一つの部屋に泊まる事も可能だったろうが、生憎天馬は男だ。同じ部屋で雑魚寝という訳にも行くまい。するとラシーダが悪戯っぽく笑う。
「あら? 私は全員同じ部屋でもいいわよ?」
「「――っ!?」」
天馬……よりも、むしろ小鈴とシャクティが目を剥いた。改めてラシーダを見ると彼女は20代前半ほどの大人の女性であり、小鈴達には無い『大人の色香』を漂わせた妖艶で肉感的な美女であった。
こんな美女が天馬と同じ部屋で寝泊まりしたら大変な事になりかねない。少なくとも2人は勝手にそう判断した。
「あー……折角だけど、俺はここでいい。連中が夜襲を掛けてこないとも限らないし、ここの方が外の気配を感知しやすいからな」
「……天馬がそれでいいなら良いけど」
自分達から居間で寝てくれとも言い辛かった小鈴もシャクティも露骨にホッとして、それでも一応不本意な振りをして頷いた。
「あらあら……これは別の意味でちょっと大変そうね、色男さん?」
「それは言わんでくれ……」
小鈴達の様子を見て揶揄するラシーダに天馬は実感の籠った溜息を吐くのであった……




