第4話 迷宮回廊
ナイル川上流にある都市ルクソール。かつて古代エジプトの都市国家テーベがあった場所で、数々の古代遺跡の跡地が残っている事でも有名だ。そのため観光地としても栄えているが、逆にそれが災いして観光客を狙った大規模なテロ事件が発生して世界的に話題になった事もあった。
日本人も数多く犠牲になり、当時日本でも大々的に報道されたらしい。尤も前世紀の出来事であり天馬が生まれるよりも前の事なので、彼自身は知識として知っているだけだ。しかし……
「実際にテロに遭遇した身とすりゃ他人事じゃねぇな。何十年も前から悪い意味で何も変わってねぇんだな、この国は」
ルクソールの街に降り立った天馬が呟く。着いた早々あんな目に遭った事もあって、天馬の中でエジプトに対するイメージは急降下していた。勿論悪いのは卑劣なテロリスト共であり、一般の国民には何の罪もない事は頭では解っていたが。
「イスラム教も本来は平和を貴ぶ素晴らしい宗教のはずなのですが、過激な原理主義者達によってすっかりテロリストを生み出す危険な宗教だと外国人に誤解されてしまいました」
シャクティが悲し気に目を伏せる。彼女は元々敬虔なヒンドゥー教の信徒であったらしく、宗教絡みの出来事に関しては他人事ではいられないようだ。
「でもそれ以降はこの街でテロは起きてないし、折角だから色々見て回りましょうよ。ピラミッドやスフィンクスには寄れなかったけど、このルクソールの中にいる分には観光したって構わないのよね?」
一方小鈴はそんな感傷などお構いなしに、その意識は観光に向いているらしい。途中でギザのピラミッドを見られなかった事が余程心残りであるらしく、天馬に懇願してくる。
確かに一旦目的地に到着してしまえば、あとは闇雲に捜すのではなく(というより顔も名前も職業も一切不明なので捜しようがない)、ディヤウス同士が引き合うという特性を利用して待ちの姿勢でいる方がスムーズだというのはこれまでの経験で解っている。
ならば街の中にいさえすれば後は何をしていようと構わない訳なので、天馬達は大体これまでも観光などで時間を潰してきた。
「そうですね。何をしていようと同じなら折角ルクソールにいるのですから、古都テーベの史跡を巡って歴史の風を感じるのも一興かも知れませんね。如何でしょうか、テンマさん?」
シャクティも乗り気な様子で天馬の判断を仰ぐ。といっても女性二人が乗り気な時点でほぼ決まったようなものだ。ここで無理に反対して女性陣を怒らせる理由もないので、天馬は苦笑しつつ肩を竦めた。
「別に俺は構わないぜ。ただまずは冷たい飲み物が欲しいな。湿気が少ないのは助かるが、その分喉がカラカラだ。一旦どこかでメシにしようぜ。話しはそれからだ」
女性陣もそれには異論なく、3人は冷たい飲み物を求めて軽食のとれる喫茶店を探し回った。天馬は日本で当たり前のように置かれている数多くの自動販売機のありがたみを思い知っていた。日本は上下水道が完備されていて、何だったら公園の水道の水だって飲もうと思えば飲める。そんな国は世界ではむしろ珍しい方なのだと最近は学習していた。
幸いルクソールは前日に泊まったアシュートの街と同程度の規模の街であったので、程なくして良さそうな喫茶店を見つける事ができた。冷房の効いた店内と、冷えたアイスティーを飲んでようやく人心地ついた一行は、そこで改めて今後の予定を話し合う。
「ルクソールと言えばラムセス2世を始めとした数多くのファラオの墓がある『王家の谷』も有名なのですが、生憎ナイル川を挟んだ対岸に位置していてルクソールの市域から出てしまうので、有効範囲内なのかどうか今一つ曖昧です。なので確実を期すなら市内にあるルクソール神殿および、街の東側に広がるカルナック神殿辺りがおすすめですね」
シャクティがまるで観光ガイドのように淀みなく提案する。心なしか生き生きしているようだ。
「随分詳しいわね? 事前に勉強でもしてたの?」
同じ印象を抱いたらしい小鈴が聞くとシャクティは少し恥ずかしそうに目を伏せる。
「その……自由に憧れていたので、いつか世界中を旅してみたいと夢想していて、こういう事を調べるのが好きだったのです。大学でも歴史学を専攻していましたし」
彼女の生まれ育った境遇については皆よく知っていたので、それも納得のできるものだった。今はある意味でまさにその夢が叶ったような状態と言えるので、彼女のテンションが上がるのも致し方ない事かも知れない。
天馬も茉莉香の事があるとはいえ焦っても仕方ない事だとも解っていたので、ここはシャクティの為に一肌脱ごうと決めた。
「そうだな。折角ここまで来た事だしな。シャクティの行きたいように行ってみようぜ。小鈴もそれでいいよな?」
「そうね。私は色々見られればそれでいいし、シャクティの行きたい所で構わないわ」
小鈴も特に異論なく頷いた。特定の条件下でいがみ合う事はあっても、基本的には既に友人同士と言っていい間柄だ。シャクティの心情を慮る事に抵抗はない。
「テンマさん、シャオリンさん……あ、ありがとうございます!」
2人の計らいに感動したシャクティは目尻に涙を浮かべて礼を言った。
喫茶店から出た3人は、シャクティの勧めに従ってまずは街中にあるルクソール神殿から回る事にする。もうひとつの見所であるカルナック神殿とはスフィンクス通りという大きな古道によって繋がった神殿で、元はカルナック神殿の一部として増築された建造物らしい。
大きなオベリスクがそびえ立ち、その奥には偉人の巨大な像が立ち並ぶ神殿が続く。円柱と像が交互に並ぶラムセスの中庭に出る。黄土色の石造りの神殿もデフォルメされた偉人の立像も如何にも「古代エジプト」感満載で、その大きさもあって天馬も圧倒されたように見上げる。
「はぁぁ……! これがルクソール神殿……! 歴史が……5000年の歴史を感じます! あ、あれがラムセス2世の坐像ですね!」
歴史好きのシャクティは感極まったように遺跡を見渡していた。天馬達は曜日も時間も関係ないので、今はオフシーズンであるらしく観光地もそこまで賑わっていなかった。そのため思う存分史跡を観光でき、シャクティの言う所の「歴史の風」を感じる事が出来た。
「それでこの道が例の『スフィンクス通り』って訳ね。どうする? 行ってみる?」
小鈴が指し示す先には広い並木道が続いていた。よく見ると立ち並ぶ木々の前にズラリと石像のような物が道のずっと先まで並んでいた。その石像は例のギザのスフィンクスと同じような形をしている。
「なるほど、スフィンクス通りってのは本当に読んで字の如くだったって訳か」
天馬も納得して頷く。通りの先には小さく建物が見えている。かなりの距離があるはずだが、それでもここから見えるという事は結構な大きさの建造物だ。あれがカルナック神殿らしい。
「どうする? 結構距離がありそうだけど、あっちにも行ってみようか?」
「はい、そうですね! やはりルクソールに来たならカルナック神殿には絶対に立ち寄っておかなければ!」
小鈴に聞かれたシャクティはハイテンションなまま意気込んで頷いた。天馬と小鈴は顔を見合わせて苦笑すると、シャクティに付いてスフィンクス通りを歩き出した。
スフィンクス通りは日差しを遮るものがなにもない広い道が延々と続く。地理的にはサハラ砂漠内と言ってもいい灼熱の日差しが降り注ぐ中で、日陰もない道をひたすら歩く事になる。
「ふぅー……正直砂漠の気候を舐めてたな。こりゃ脱水症状で倒れる奴とかいても不思議はねぇな」
天馬は先程の喫茶店で買った、主に観光客用のペットボトル入りミネラルウォーターを呷りながら呟いた。小鈴も同じように水分補給しながら汗を拭っていた。
「ええ、ホントにね……。旅行で一度だけウイグルに行ったことがあるけど、同じ砂漠でもこんなに違うものなんだって初めて実感したわ」
中国も西側にはタクラマカン砂漠という広大な砂漠が広がっているが、同じ砂漠という名前が付いていてもサハラ砂漠とは大分気候が違うようだ。
「皆さん、カルナック神殿が見えてきましたよ! 聞いていた話に違わない……いえ、話に聞くだけよりもっと壮麗ですね! 古の歴代ファラオ達によって増改築が繰り返されてきた、いわば古代エジプトの英知が詰まっている遺跡です。楽しみですね!」
一方シャクティはまだまだ元気そうだ。有名な遺跡を見れる楽しみに浮かれているからというのもあるが、元々気温の高い南インドに住んでいた事も平気な理由であるようだ。
だが天馬達にしても元々心身健康な若者である上にディヤウスとしての頑健さも加味されているので、誰も脱水症状で倒れる事無くカルナック神殿に無事到着した。
いくつもの神殿が集合してできた複合宗教施設で、その巨大さと壮麗さには天馬達も圧倒された。最初の神殿跡を抜けると、巨大な石柱が無数に立ち並んだ回廊のような場所に出る。
「これがかの有名な大列柱室なのですね! ピラミッドと並んで古代エジプトの建築技術の高さを窺わせる素晴らしい遺跡です」
相変わらずテンションの高いシャクティと連れ立って列柱回廊に入る天馬達。
「こりゃ確かに凄いな。何千年も前によくこんな巨大な回廊が作れたモンだ」
「ええ、ここにいると何だか自分が凄く卑小な存在に思えてくるわね」
天馬と小鈴もやはり歴史ある遺跡の中に入ると、その静謐とも言える荘厳さに感銘を受ける。しばらく時間を忘れて回廊内を散策する天馬達。
そして……違和感に気付いた。
「なあ……さっきから俺達以外に誰か見たり、すれ違ったりしたか?」
「え……? そう言われてみれば……誰もいないわね」
天馬に問われて小鈴も辺りを見渡す。静謐な回廊は、だが余りにも静謐すぎた。
冷静に考えたらおかしい。確かに今はオフシーズンではあるが、それでも観光客が自分達以外に皆無という事はあり得ない。ましてやカルナック神殿はこの街で最も有名なランドマークであり、人の姿が完全に途絶えるなどという事はないはずだ。
さっきまでハイテンションだったシャクティも、言われてその違和感に気付いたらしい。不安げに視線を巡らせる。
「ど、どうした事でしょう、これは。とりあえず一旦ここから出ましょうか」
その意見には賛成で、天馬達はこの大列柱室から出ようと歩くペースを速める。だが……
「おいおい、どうなってんだ、こりゃ!?」
「外に……出られない!?」
歩けど歩けど、外に辿り着けない。あり得ない話だ。いくらこの大列柱室が広くとも所詮は建造物であり、ちょっと同じ方向に歩いていればすぐに外に出られるはずだ。
だがかなりのペースで歩いているにも関わらず一向に回廊から出る事ができない。
「天馬、あの柱さっきも見たわ! 特徴的な傷が付いてるから間違いない!」
「……!」
小鈴の指摘に天馬の表情が一気に厳しくなる。彼等は明らかに同じ方向に進んでいたはずだ。彼女の言うことが正しければ、この回廊はループしているという事になる。
明らかに超常的な現象だ。そして彼等はいずれも超常的な現象には心当たりがあった。
「テ、テンマさん……少し集中してみたら解りました。この回廊全体に魔力が漂っています。これは『結界』です!」
「……っ! やっぱりか!」
天馬は歯噛みした。一体いつから、そして何故かも解らないまま、彼等はいつの間にか『敵』の罠の中に入り込んでしまっていたらしい。だがループする『結界』など聞いた事もない。天馬達が今まで気づかなかったのもそうだが、どうやらかなり強い魔力の持ち主がこの巧妙な『結界』を張っているらしい。




