第1話 戦いの意義
カイロ国際空港。エジプトに空路で入国する場合は、大体この空港が玄関口となる。エジプトはアフリカにおいては屈指の経済規模を誇る大国であり、遥か数千年の昔からナイル文明発祥の地ともなった極めて古い歴史を持つ国でもあった。
このカイロはエジプトの首都であり、エジプト随一の規模を持つ街だ。しかし……エジプトの地に降り立った天馬達の目的地はこの街ではなかった。
「ふぃー……やっと着いたな。ここがカイロの街、つまりはエジプトか。なんつーか、自分がエジプトにいるってのがちょっと信じられないよな」
空港のターミナルビルから出た天馬は、強い日差しが照りつける空を見上げながら呟いた。気候も風土も、何もかもが日本とは違いすぎる。中国やインドはそれでもまだ同じアジアであったが、ここはもうアジアですら無い。
「そうですね。それにインドも暑いですが、ここの暑さはなんというか……暑さの『質』が違う気がします。私のいたインド南部はどちらかというとジメついた暑さでしたが、ここはカラッとした暑さというか……」
インド人のシャクティが初めて降り立った異国の地を興味深そうに見渡しながら呟く。
「森が全然なくて、海より砂漠の方が近いからね。知ってる? サハラ砂漠ってアメリカや中国と殆ど同じくらいの面積らしいわよ。そんな広大な面積の不毛の砂丘が延々と続いてるなんて……勘弁して欲しいわね」
中国人の小鈴も暑さと日差しに目を細めながら肩を竦めていた。
インドでの戦いを終えた天馬達一行は、米国聖公会の召喚によって急遽アメリカに呼び戻されたアリシアと別れて、新たな未覚醒ディヤウスがいるとされるこのエジプトへとやって来ていた。
しかしジューダス主教が示した地はこの首都カイロではなく……
「ルクソールか……。確かここよりもずっと南にある街だっけか?」
「はい。ナイル川をずっと下っていった所ですね。古の都市国家テーベがあった場所で、当時の遺跡が数多く残っていて観光地としても有名な街です」
シャクティが補足してくれる。彼女は生まれ育った環境から、その反動で地理や歴史に興味があったらしく、そっち方面では結構博識であるらしいと最近知った。
「でも……その観光絡みで何かテロ事件とかがあった街よね? 私が生まれるよりも前だし詳しくは知らないけど」
小鈴が眉を顰めて言うと、シャクティは少し悲し気な表情になって頷いた。
「そうですね……。現政権と対立するイスラム原理主義のテロリスト達の仕業と言われています。この国は観光が主要な産業ですから、政権に打撃を与えたい犯罪者達にとって観光客は格好の標的なんです」
天馬は自分達が暮らしていた日本が如何に平和で安全な国であったか改めて実感していた。邪神やプログレスなどに関わらず人間という生き物は欲深く攻撃的であり、世界は危険に満ちたものなのだ。
「そう考えると邪神やウォーデンから地球を救えと言われても、元から争いばかりだし私達が命がけで戦う理由って何だろうって思えてきちゃうわね……」
同じ事を考えたのか小鈴が嘆息する。しかしシャクティはかぶりを振った。
「でもその邪神とやらを放置しているとこの星そのものがエネルギーを吸い尽くされて、人の住めない死の星になってしまうのですよね? ならばそれだけでも私達が戦う意義はあるはずです」
悲しい事だが争いもまた人の正常な営みの1つと考えれば、少なくともこの地球自体が破壊されてしまうよりは遥かにマシである。その意味では天馬達の戦いが全くの無意味という事はないだろう。そして天馬にとってはそれだけでなく……
「……それ以前に俺には、茉莉香を助け出すって明確な目的があるからな。この戦いの意義を考えるのはその後でいいぜ」
「あ…………」
小鈴が自分の失言に気付いて無意識に口を覆う。そう……天馬は元々幼馴染の女性を救うためにこの戦いに身を投じたのだ。彼にとってはそれが最優先目標であり、だからこそ何があってもブレない。
地球を救うだの何だのという話は、極端に言えば全部二の次だ。無論今彼が言っていたように、幼馴染の救出が叶った後はその限りではないだろうが。
小鈴は半ば意図的に茉莉香の存在を忘れていたので、先のような失言が無意識に出てしまったのだ。
「マリカさん……ウォーデン達の首領に囚われているという、例の幼馴染の女性ですよね? 確かに心配ですよね……」
シャクティも憂いを帯びた表情で呟く。しかし彼女もまたその裏に複雑な感情を込めていたが、少なくともこの場でそれを表に出す事はなかった。なので天馬はそれに気付く事無く頷いた。
「ああ。でもお前らをそれに付き合わせちまってるのは正直悪いと思ってる。お前らは本来、茉莉香とは何の関係もないのに。協力してくれてありがとな」
天馬が素直に頭を下げると、若干醜く卑しい感情が心の隅に浮かび上がっていた2人は慌ててかぶりを振った。
「そ、そんな、とんでもないですよ! 私だって今までの環境から逃れて世界中を巡ってみたいという不純な動機が切っ掛けなんですから! テンマさんが気にするような事は全然ありません!」
「そ、そうそう! それに動機が何であれ、結果として邪神の尖兵になってるウォーデンやプログレスを斃したりしてきてるんだから、地球を守るって行動にも繋がってるはずよ。私達は全然気にしてないから!」
「そ、そうか? そういって貰えると助かるけどよ……」
2人の勢いに若干押されたような形の天馬。小鈴達は話題を変える目的もあって、ルクソール行きの交通手段を検討しだした。
「エジプトの国営鉄道か長距離バス、後はこの空港から国内便も出ているようなので飛行機でルクソール空港まで直接飛ぶルートもありますが、如何いたしましょうか?」
シャクティが選択肢を提示する。流石にタクシーで行くには距離が遠すぎるので、基本的にはその3つのどれかという事になるだろう。
「一番早いのは飛行機だろうけど……インドから何時間もかけて到着したばっかりだし、流石に変わり映えしない空の旅も飽きたわね。私としては少しのんびりしたいし、ナイル川の景色を見ながら電車で向かうのはどうかしら?」
「そう、だなぁ。バスは流石に時間がかかり過ぎるし、そんな長時間バスに乗り続けてるのは俺にとったら拷問だしな……」
一刻も早く目的地にたどり着く為には飛行機が一番だろうが、彼も正直小鈴と同じで些か空の旅に飽いていたのは事実であった。さりとて長距離バスで丸1日以上も掛けてのんびり下るのは流石に暢気すぎるし、天馬自身バスが少し苦手な事もあって勘弁願いたかった。
(まあ急がば回れって言うしな……)
こういう場合に使うのが正しいのかは分からないが、あまり気持ちばかり焦っても良い事がないのは確かだ。ある程度心にゆとりがあった方が物事は上手く行く事が多い。
「……よし! じゃあ少し時間は掛かるが、電車で行くとするか」
天馬が決断すると、小鈴だけでなくシャクティも飛び上がって喜んだ。
「やった! ナイル川が本当に黄河や長江よりも大きいのかこの目で確かめてやるわ」
「ええ、私もガンジス川は直に見た事がありますが、世界一の大河と言われるナイル川の眺望には興味がありますね」
祖国の国内にそれぞれ世界級の大河を持つ2人は、妙な所で意気投合していた。もしアリシアもいたらミシシッピ川の名前も出ていたかも知れないと思う天馬であった。
かくして一行はエジプト国鉄を利用して、一路ルクソールを目指す事になった。なお途上にはピラミッドやスフィンクス像で有名なギザもあったが、ギザが目的地ならどこで目当てのディヤウスと出会うか解らないので観光も良かったが、流石に寄り道してまで観光するのは不謹慎だし本末転倒だという事で、真っ直ぐルクソールを目指す事になったのは余談である。




