第20話 レールからの脱却
「や、やった、のか……?」
アリシアが思わずといった感じでフラグの立ちそうな呟きを漏らすが、幸いにしてナラシンハが復活して襲いかかってくる事はなかった。
「おおぉぉ……何故だ……。我が、進化は、目前、に……」
背中の腕も消えて人間の姿に戻ったナラシンハの上半身が、それでも尚未練がましく怨嗟の呻きを漏らしていた。凄まじい生命力だが、致命傷であり死ぬのは時間の問題だろう。
決着がついた事を悟ったシャクティが戦闘態勢を解いて、瀕死のナラシンハの元に近づいていく。その表情は妙に悲しげであった。
「……あなたは生まれながらのエリート、上位カーストで州首相の息子として将来を約束されていたはずです。一体何が不満だったというのですか? 何故こんな事を……」
苦悶していたナラシンハだが、その問いかけに目線を動かしシャクティを仰ぎ見た。その死相は皮肉げに歪められていた。
「ふ、ふ……エリート? 上位カースト? そんなもの……誰が頼んだ?」
「……!!」
「私はそのようなもの、どうでも良かった。私は自由になりたかった。だが、ディヤウスになっても、ウォーデンになってさえ、それは果たせなかった……。完全に、人間社会の軛を断ち切るには……足りなかったのだ」
だから『神』になろうとした。それによってあらゆるしがらみから自由になろうとした。シャクティは酷い目に遭わされた相手ながら、その動機に憐憫を感じた。
ナラシンハも結局はシャクティと同じで、敷かれたレールの上を歩いていただけなのだ。そしてその事に強い鬱屈を感じていたのだ。だが彼には良くも悪くもその環境を自分で無理やり変えようとする『力』があった。それが今回の事件に繋がったのだ。
シャクティも彼と同じ環境で同じ力があれば、同じ事をしていたかも知れない。少なくとも自身もレールの上から降りたいがために天馬達の誘いに乗った彼女には、ナラシンハの動機を身勝手だと責める資格はなかった。
「お前も……精々足掻くがいい。人間でいる限り、レールから降りたつもりになっても、所詮それは新たな別のレールに、乗るというだけの話に、過ぎんのだ……く、ふふ……」
皮肉げに口を歪めたナラシンハは、その口からも血が零れ落ち、やがて……動かなくなった。目を見開いて歪んだ笑みを浮かべた顔のままナラシンハは死んだ。
「…………」
シャクティは何も言わずに黙って彼の死に際を見届けた。それは自分は絶対にこうなってはいけないという戒めでもあった。
「終わった、な……」
天馬が刀を収納すると、アリシアと小鈴も自身の得物を収納して頷いた。小鈴は急いで天馬の元に駆け寄る。
「天馬、本当に無事で良かった! 心配したんだから!」
「ああ、悪かったな。でも心配してたってのはこっちのセリフでもあるぜ?」
お互いに相手がどうなっていたのか全く解らなかったのだ。それも無理からぬ話である。
「でも酷い怪我……。病院に行った方がいいんじゃ……」
「いや、入院なんかさせられたら事だ。そんな暇はねぇしな。俺なら大丈夫だ。神力を回復に充てて数日安静にしてれば治るはずだ」
ディヤウスの耐久力と生命力は普通の人間よりずっと高い。神力には傷の治りを早める効果もあるので、戦闘中の即時の回復は難しくても非戦闘時であれば問題ないはずだ。
「シャクティ、改めて我らの仲間になってくれた事、礼を言わせてくれ」
アリシアが改まって礼を言うと、シャクティは慌てたように手を合わせてヒンドゥー式のお辞儀をする。
「あ……い、いえ、こちらこそ受け入れて下さってありがとうございます。シャクティ・プラサードです。女神パールヴァティー様からお力を頂いたディヤウスです。宜しくお願いします」
やや不純な動機で仲間入りを希望した彼女は、先程のナラシンハの言葉もあって若干後ろめたい気持ちでそれを誤魔化すように自己紹介する。だが何も気づいていないアリシアと小鈴は満足げにうなずく。
「うむ、アメリカ人で大天使ガブリエルのディヤウスであるアリシア・M・ベイツだ。宜しく頼む」
「私はスー・シャオリン。中国人よ。火の神祝融のディヤウス。はぁ……やっとって感じね。あなたに会うのは本当に苦労したわ」
小鈴は少し疲れたように、しかし感慨深げに苦笑した。天馬も初めてシャクティを見た時に抱いた感慨に近いものを感じているのだろう。
「ア、アメリカに中国、ですか。テンマさんは日本人なんですよね? 本当に世界中を旅されているんですね」
一方でシャクティの方もアリシア達の素性を聞いて別の感慨を抱いていた。彼等と共に行く事で本当に世界中を旅して回れる事が信じられないようだ。
「うむ、それで……シャクティ。先程までは激闘で話している暇など無かったが、無事に戦闘が終わった故に今ここで伝えておこう。お前の……父上からの伝言だ」
「……! お父様の……」
シャクティは若干息を呑んだ。そういえば何故父のザキールがアリシア達に彼女の愛用の武器を託してくれたのか。その真意……。聞くのが怖くもあったが、やはり聞いておかねばならないだろう。
「うむ……『私の娘シャクティは卑劣なテロリスト達に誘拐され、懸命な救出活動も虚しくテロリストによって殺害された。それによってシャクティを連れ戻す為の捜索を完全に打ち切る事とする』」
「……!!」
「……『死んだ娘によく似た少女がいても、それは私ともプラサード家とも何の関係もない赤の他人だ。私はその行動に一切干渉するつもりはない』……との事だ」
「お、お父様……!」
シャクティはこみ上げてくるものを堪えた。それはつまり彼女を解放してくれるという事だ。プラサード家のシャクティは死んだので、後はしがらみを気にせずに好きにしろ、と。
「……私達が空港での件……つまりアディティの裏切りとナラシンハの事を伝えたらあの人、急に様子が変わったのよ。多分だけど……薄々あなたがディヤウスだって事に気づいてたんじゃない? 邪神やディヤウスの事を詳細に知ってたとは思えないけど、何か直感的な部分であなたが人間じゃなくて、もっと大きな何かの運命を背負った存在だって事にね」
「うむ、お前を早く結婚させようとしていたのも、もしかしたらその過酷な戦いの運命から遠ざけようとする目的もあったのかも知れんな。……無論全て推測だが」
「…………」
小鈴とアリシアの話を黙って聞いていたシャクティは唇を噛み締めて、感情を押し殺した。
「まあ真実は解らねぇが、解らねぇならこっちである程度自由に解釈しちまってもいいんじゃねぇか? アンタの親父さんは実際にはアンタを愛していて守ろうとしていた。だからその武器だって寄越してくれたんだ。そう思っておこうぜ」
「テンマさん……。は、はい……はい、そうですね! 確かに父の真意は分かりません。だから私もそう思う事にします! 皆さん、ありがとうございました!」
そう言って笑うシャクティの目尻に僅かに光るものがあった。天馬の言う通り彼女の手の中にある二振りのチャクラム……ソーマとダラは、父の真意を裏付ける確かな証拠だ。ならばこれ以上の詮索も推測も必要ない。
シャクティはそう考え、そして長年に渡る父との確執を乗り越えたのであった。




