第12話 空想世界への誘い
夢を見ていた。彼はどこかの建物の中にいたが、その建物が何なのか彼には解らなかった。しかしそれは全く気にならない。夢とはそういうものだ。
当たり前のようにそこにいて……当たり前のように目の前にいる幼馴染の姿を見ていた。
彼女は学校の制服姿のままで、何重にも鎖で縛られていた。そしてそんな彼女の前には真っ黒い煙と靄で構成された4本足の怪物のような存在がいた。輪郭ははっきりしていない。ただ赤く光る目を持つ怪物とだけ認識できた。
その怪物は明らかに彼女を狙っていた。そしてやはり輪郭のぼやけた大口を開けて彼女にかぶりつこうとする。
(くそ……やめろ! やめろ……!!)
彼は必死に彼女の元に行こうと足掻くが、何故か身体は全く動かなかった。怪物の大口が彼女に迫る。怪物に吞み込まれる寸前、彼女がこちらに振り向いた。
(天馬……ごめんね)
彼女は確かにそう言った。そして彼が何か言う前に、怪物が彼女をすっぽりと呑み込んでしまった。
(茉莉香ぁぁぁぁぁぁっ!!!)
彼は力の限り絶叫した。
*****
「はっ……!?」
そして天馬は目覚めた。そして即座に背中を走る激痛に顔を顰める。しかしその激痛が彼の意識を瞬時に覚醒させて、現状を思い出させてくれた。
(そうか……俺はあのナラシンハってウォーデンに敗れて……)
何故か殺されずにどこかに連行された。恐らくここがその場所なのだろう。殺風景なコンクリートに覆われた独房のような部屋だった。そして彼はすぐに……自分がこの部屋に1人ではない事に気付いた。
「あ……め、目を覚まされたのですね? 良かった……」
「……! アンタは……」
意識を取り戻した天馬の姿を見てホッと胸を撫で下ろすのは……これまでTV越しや檻の中で気絶している姿しか見た事が無かったインド人女性、シャクティ・プラサードであった。彼女が喋って動いている姿を天馬は初めて見た。
そして間近で見る生の彼女は、その華やかでオリエンタルな美貌も相まって、まるでこの陰鬱な独房が彼女の周りだけは光り輝いているような錯覚を天馬に与えた。
「アンタが……シャクティ・プラサードだな? やっと会えたな」
こんな状況ながら天馬は感無量に呟いた。実際に捜していた期間はそれほど長くないとはいえ、姿だけは何度か見ていても話しは出来ず、しかもその間に激しい戦闘を経て敗北まで喫しているのだ。何だか随分長い間彼女を追い求めて、今ようやく会えたかのような感覚を天馬は抱いていた。
一方のシャクティの方はその大きな目を瞬かせた。
「え……何で私の名前を……?」
「ああ、そうだよな。あんな奴等にずっと捕まってたんだから何も知らなくて当然だよな」
天馬は身体中の痛みを堪えながらゆっくりと身を起こした。
「あ、まだ寝ていた方が……」
「いや、もう充分寝たよ。寝てても起きてても大して変わりないさ」
天馬は苦笑しながらシャクティと正面から向き合った。
「俺だけアンタの名前を知ってるのは不公平だな。俺は小笠原天馬。日本人だ。実はアンタを救出する為にアンタの親父さんに雇われてたんだが、返り討ちに遭っちまってこのザマって訳さ」
「……! お、お父様に……」
天馬が自嘲気味に素性を明かすと、シャクティは一瞬顔を強張らせた。彼が父親の差し向けた人物だと知って警戒を強めたようだ。
普通自分の親が自分を助けようとしていると知って顔を強張らせる人間などいないだろう。どうやらザキールに関して天馬の印象は完全に当たっていたようで、尚且つ娘のシャクティ自身も父親に対して天馬と同じ感情を抱いている様子であった。
「おっと、勘違いしないでくれよ? 確かにアンタの父親に雇われはしたが、それはあくまでアンタを捜す為の情報を得るのが目的だっただけだ。親父さんはアンタを連れ戻す事に多額の報酬を約束したが、俺達は金なんていらない。純粋にアンタを助け出すのが目的だったんだ」
「お、お金がいらない? それじゃ何のために私を……?」
シャクティは当然の疑問を浮かべる。天馬は苦笑した。
「ああ、まあ俺達もアンタを助ける目的は別にあるから、純粋にって言うと語弊があるのかな? その目的を話す前にアンタに聞きたい事があるんだけど……アンタはここ最近になって、何かの神様と対面で話すような明晰夢を見なかったか?」
「……っ!? え……な、何でそれを……!?」
シャクティが明らかに心当たりがある様子で目を剥いた。確信はあったもののこれで完全に確定だ。天馬はそのまま質問を続けた。
「それも後で説明する。その夢を見たのはいつ頃の事だ? 夢の中でその神様に何て言われた?」
「え、ええと……夢を見たのはこの連中に攫われてから牢屋の中で眠っていた時です。内容は……邪悪な神々がこの星を蝕んでいて、その邪神たちを討伐しなければこの星は消滅してしまう。私には神の力が宿っているから、その力を使って邪なる者達と戦うのだとかそういう感じの内容でした」
明晰夢なだけあって、夢の中で言われた事ははっきりと記憶しているようだ。天馬は頷いた。
「アンタ、それを聞いてどう思った?」
「どうって……いきなりそんな事言われても信じられる訳ありません。映画じゃあるまいし、邪神だの神の力だの、ましてや地球が滅びるだの……。それにあくまで夢の中での話ですし」
まあそれが普通の反応だ。こればかりは余程の切欠がないと独力では中々自覚する事が出来ない。だから手っ取り早く証拠を見せてやることにする。
「何で夢の事を知ってるのか聞いたよな? 俺も同じだからさ」
「え? …………っ!?」
シャクティが訝し気な表情となるが、その直後には驚愕に塗り替えられた。彼女の視線は天馬の掲げた手に出現した『瀑布割り』に注がれていた。
「え……な、何ですか、それ? 今……手品じゃないです、よね?」
手品が出来るような環境ではないし『瀑布割り』は有り合わせの手品で出し入れするには大きすぎる。そもそも明らかに目の前でいきなり出現したのだ。超常現象以外の何物でもない。
「アンタにも似たような事は出来るはずなんだ。俺達と同じ……神化種なんだからな」
「ディ、ディヤウス……?」
「そうだ。夢で対面した神の力の一部を受け継いでいる……まあ一種の新人類みたいなモンだ。アンタもまだ覚醒していないだけで同じような力が備わっているんだ」
「……! わ、私にも……? でも、それじゃ、あの夢の中で言われた事は真実という事ですか? 邪神が地球を滅ぼすとかそういう話も……?」
シャクティがまだ微妙に半信半疑のまま問い掛ける。とりあえず神器は見せたが、彼女はまだプログレスにもウォーデンにも遭遇していないのだ。実感が湧かないのは当然だ。天馬は意図して力強く首肯した。
「ああ、そうだ。アンタはまだ知らないだろうが、邪神共の影響は目に見えない所で確実に表れてる。邪神の影響を受けた、人間の振りをした化け物共も大量に潜んでやがるのさ。俺達はそいつらと戦ってるんだ。ついでに言うならアンタを攫った、そして俺を返り討ちにしたこの連中もそうした化け物共の一員さ」
「……!」
「俺達がこの国に来た、そしてアンタを捜していた理由は単純だ。アンタにも俺達と同じ力が備わってるはずなんだ。そんなアンタを……『仲間』として勧誘に来たんだ」
「っ!!」
シャクティは大きく身体を震わせる。その大きな目も更に零れ落ちそうなくらい見開かれる。
「な、仲間……勧誘? わ、私を、ですか? 邪神との戦いに……?」
その声が震える。まあいきなりこんな話をされても戸惑うのは当然だ。天馬達自身がそうだったし、中国でも小鈴を納得させるのには苦労した。だが天馬もその為にここまで来ているのだから、変に誤魔化したりせずに正面から向き合う。
「そうだ。正直過酷な戦いになるとは思う。だからこそ1人でも多くの仲間が必要なんだ。俺達は今、アンタも含めて仲間を集める為に世界中を巡ってる最中なんだ」
「……!! せ、世界中を……!? じゃあその旅に私も……?」
「ああ、まあ、そうなるな。正直いきなりこんな話されても、アンタにもここでの生活ってものが…………シャクティ?」
そこで天馬はシャクティの様子がおかしい事に気付いた。まるで何かを堪えるようにブルブルと身体を震わせている。急に理不尽な話をされて自分の運命に怒っているのか、それとも荒唐無稽な話だと笑いを堪えてでもいるのか……
結論から言うと、そのいずれの予想も外れていた。彼女はガバッと顔を上げると両手で天馬の手を握り込んだ。
「――行きますっ!! いえ、是非連れて行って下さい!!」
「…………へっ?」
天馬は間の抜けた声を漏らしてしまう。そこで彼はシャクティの目が妙にキラキラしている事に気付いた。彼女は天馬から手を離すと両手を合わせて天井を拝むような姿勢になった。相変わらず目は妙な輝きを帯びて、心なしか頬も上気している。
「地球を滅ぼそうと暗躍する邪神達と人知れず世界中を旅して戦う光の戦士達……。そんなものが現実に存在したというだけでも驚きなのに、私もその一員だなんて……!! しかもまだ目覚めていない隠された能力がある? ああ、嘘でしょ!? 本当に映画の中みたいな……そんな冒険に出られるの!? ああ、夢なら醒めないで……!」
「お、おーーい……」
急に妄想の世界にトリップしてしまったシャクティの姿に、天馬は若干頬を引きつらせながら恐る恐る声を掛ける。
すると彼女は正気に戻ったかのようにハッと目を瞬かせて、目の前に天馬がいる事を思い出して赤面した。
「あ……す、済みません! 私ったら、つい……」
「いや、まあ、いいけどよ……。アレか? 映画とかが好きなのか?」
天馬が問い掛けると、シャクティは赤面したまま恥ずかしそうに俯いた。
「は、はい。あの、お恥ずかしい話なんですが……お父様にお会いした事があるなら想像がつくかも知れませんが、私は物心ついた時から父が成り上がる為の道具として育てられてきたのです」
「……!」
それはあのザキールの人物や言動などから考えると如何にもあり得そうだった。
「勉強も習い事も、そして結婚まで父が全てを決めて、私には何の自由もありませんでした。私にとって人生とはただ父が敷いたレールの上を歩く事だけだったのです」
「…………」
「そんな私が唯一その現実を忘れられるのが映画の中だったのです。映画を見ている時だけは、その中の世界に入り込んでこの現実から逃避する事が出来たのです」
それが彼女がフィクションの世界に没頭するようになった理由。シャクティはそこで一転して悲し気な表情でかぶりを振る。
「しかしフィクションは所詮フィクション。必ず終わりがやってきて、そして私は陰鬱な現実に引き戻されて余計に辛くなる事もしばしばでした。私は結局どんなに望んでもこの人生のレールから逃れる術はないんだ。そう思っていました。……今この時までは」
シャクティの表情が今度は歓喜に彩られる。
「これこそまさに神のお導きです! 私が心の奥底で求めていた全てをあなたが齎してくれたんです! お願いです! 何でもやります! 私の中に力とやらがあって、それで敵と戦えというなら戦います! だから私をあなたの旅に同行させて下さい!」
「お、おお……いや、そう言ってくれるのはありがたいけどよ……」
天馬は若干引き攣った笑いを浮かべながら冷や汗を垂らした。流石にこの反応は予測していなかった。どうやって説得しようか頭を悩ませていたくらいだというのに、彼女の方からそのハードルをあっさりと乗り越えてくれたのだ。
しかしそうなったらなったで別の問題が浮上してくる。いや、これはシャクティが積極的か消極的かに関わらず、いずれは必ず突き当たる問題であったが。
「でも、あの親父さんの事はいいのか? アンタを取り戻す事に相当執心してるみたいだぞ?」
そうでなくとも同居している家族などがいる場合、その了承を得た上でないと天馬達が誘拐犯になってしまう。だがシャクティは激しくかぶりを振った。
「お父様など関係ありませんわ! どうせ私を都合の良い道具として束縛したいだけですし。お願いです! 私をこの国から……父の手の届かない所へ連れ出して下さい!」
一旦レールから外れられる選択肢が目の前に降って湧いた事で、彼女の意識は完全にそちらに向いているようだ。これまでにない必死さで取り縋ってくる。
「わ、解った。解ったから落ち着けって。まずはここから無事に脱出する事を考えようぜ? それが出来なきゃ全部絵に描いた餅だからな。他にも仲間がいるから、脱出してそいつらと無事に合流出来たら改めてその辺の問題をどうするか考えよう。な?」
「あ……そ、そうですよね。すみませんでした。まずは今の状況を何とかしないとですよね……」
天馬はアリシア達も巻き込んで相談しようと問題を先送りにする事を決めたが、実際問題としてここからの脱出が最優先事項である事も間違いなかった。シャクティもそれを理解したのか矛先を収めてくれた。それを悟って天馬はホッと胸を撫で下ろす。




