第10話 二度目の敗北
「……!」
このままではこの矢に一方的に嬲られると判断した天馬は、矢を放った本体であるナラシンハに狙いを変えた。要は奴を倒してしまえば良いのだ。
「ふ……」
だがナラシンハは突進してくる天馬を見ても少しも慌てる事無く、持っている弓を引き絞った。すると奴の手と弓の弦に合わせて再びあの黒い矢が出現した。どうやらアリシアの神聖弾と同じような性質で、自身の魔力で直接矢弾を作り出す事ができるらしい。それはつまり魔力が尽きない限り弾切れの心配がないという事。
奴が弓の弦を弾き、再び黒い矢が発射される。勿論最初の矢も健在で天馬を追尾している。つまり彼を攻撃する矢が2本になったという事だ。
前後から迫る黒い矢。天馬は咄嗟に横っ飛びして挟撃を躱す。上手い事双方の矢がぶつかり合って相殺してくれないかと期待したが……
「……!」
2本の矢は独自の意思を持っているかのように互いを避けてすれ違うと、軌道修正して再びそれぞれ独自に天馬を狙ってきた。
「くそっ!」
天馬は毒づいた。纏わりついて追尾してくる矢を振り払えない。そうこうしているうちにナラシンハがまた弓を引き絞った。第3矢目だ。同時に操れる矢の数に制限はないのか。しかもあの6本腕と違って、この矢は半自律的な意思を持って独自に敵を追尾する性質があるようだ。
そうなると理論上ナラシンハはいくらでもあの矢を撃ち込んでファンネルを増やせるという事になる。
ナラシンハが第3矢を放つ。矢は正確に天馬を狙って飛来してくる。勿論事前に放たれている2本の矢も健在のままだ。3本の矢がそれぞれ独自の不規則な軌道であらゆる角度から迫ってくる。躱しても斬り払っても延々と纏わりついてしつこく狙い続けてくる。
このままではジリ貧だ。何とか本体のナラシンハを叩かない限りこの矢は消える事が無さそうだ。
(……やるしかねぇ!)
天馬は決断した。そして3本の矢を無視して、強引にナラシンハに突撃を敢行する。当然3矢が彼を追尾してくるが、天馬は最低限の回避だけで突撃を止めない。脇腹、脚、腕と黒い矢が掠めて派手な出血を撒き散らす。しかし天馬は止まらない。
「おおぉぉぉぉっ!!」
気合と共に接近してナラシンハに刀で斬り付けた。奴はなんと弓でその斬撃を受け止めてきた。神器である瀑布割りの一撃を受けても断ち切れない弓。どうやらその弓もまた神器であるようだ。
「鬼神崩滅斬!」
天馬は怯まずに刀を煌めかせて連撃を仕掛ける。常人には刀が何十本も分裂したとしか見えない速度で連続して斬り付けられる。しかし……
「ふんっ!!」
ナラシンハは流石にそれまでの余裕をかなぐり捨てたように気合の声を上げると、持っている弓を縦横に高速で振り回した。そして天馬の連撃を全て受けきる事に成功した!
「何……!」
目を見開く天馬。まさか受けきられるとは思わなかった。このナラシンハは黒い矢による遠距離攻撃だけでなく白兵戦能力も相応に高いようだ。流石はウォーデンという所か。
「シュッ!!」
そして防御だけでなく、自身も積極的に反撃を繰り出してきた。弓幹部分に剃り返った刃が付いており、これで接近戦も可能な万能武器となっているようだ。天馬も負けじと刀を振るって接近戦の応酬となる。だが……
「ぐぁっ!!」
ナラシンハと戦っている最中でも周囲を飛び回る3本の黒い矢は都合よく待っていてなどくれない。容赦なく背後から、しかも3方向から迫ってくる。ナラシンハと斬り結びながら完全に躱す事は不可能で、背中を大きく抉られて天馬の顔が苦痛に歪む。
だがそうなると今度は目の前のナラシンハへの対処がおざなりになってしまう。奴が弓を振り回して斬り付けてくると、それに対応して刀で受けざるを得ない。だがナラシンハへの対処に集中しようとすると今度は周囲を飛び回る黒い矢に対処しきれなくなる。
結果として天馬は防戦一方となり、しかもそれすら危うくなりどんどん傷が増えていく。ナラシンハだけでも強敵だというのに、常に周囲を3体の敵に纏わりつかれている状態で戦わねばならないのだ。
小鈴とアリシアが健在なら戦いようもあったが、生憎彼女らは裏切り者のアディティの毒によって身体を麻痺させられて、意識は失っていないようだが動けずに天馬が苦戦しているのを見ている事しか出来ない。
(くそ……やばい! このままじゃ……)
文字通り四方八方から迫るナラシンハの攻撃に対処するのも厳しくなってきた天馬は内心で激しく焦燥を覚える。成都の鑿歯も一対一では敵わなかっただろう。日本で覚醒したての頃より多少強くなったとはいえ、やはりまだまだウォーデンを単身で倒せる程には成長できていない。
単身で勝てる方法があるとすればただ一つ……天馬自身もウォーデンになる事だけだ。だがそれは同時に茉莉香を助ける為の、この世界を巡る大きな戦いにおける負けを意味する。それだけは出来なかった。
(こうなったら……賭けに出るしかねぇ!)
このまま正攻法で戦い続けても100%勝ち目はない。ならば捨て身で勝ちを拾いに行くしかない。
天馬は決断すると神力を練り上げて極力身体の耐久度を高める。そして後は、一切の能動防御を放棄してナラシンハに突進する。
「……!」
天馬の狙いを悟ったナラシンハがそうはさせじと弓の刃を振るう。だが天馬は敢えての攻撃を自身の刀で受けずに、その代わりに自分の左腕を掲げてその生身の腕で刃を受け止めた!
「うぐぅぅぅぅっ!!!」
「何……!?」
神力で耐久度を高めているとはいえ、それでも尚凄まじい激痛に天馬の食いしばった歯の間から苦鳴が漏れ出る。だがそれはナラシンハの意表を突くことに成功し、初めて奴の顔が驚愕に歪む。
「鬼神三鈷剣!」
天馬は右手でしっかりと握り締めた刀を横薙ぎに一閃。薙ぎ払いは狙い過たず、ナラシンハの首を一撃で刎ね飛ばした!
(やった……!!)
内心で喝采を上げる天馬。これで3本の矢も消えるはずだ。腕一本犠牲にした賭けに勝ったのだ。彼の勝利だ。
――ドスッ! ドスッ! ドスッ!!
「…………あ?」
背中に途轍もない衝撃と激痛。3本の黒い矢が立て続けに天馬の背中に突き立ったのだ。
彼は信じられない思いで目を見開いた。その口から大量の血液が零れ落ちる。ナラシンハを倒したというのに、奴の力で構成されているはずの矢が消えずに彼の背中に突き刺さったのだ。それだけでも信じられない事象であったが、尚信じられない現象が彼の目の前で起きた。
首を刎ねられたナラシンハの姿が揺らいだかと思うと、まるで煙のように消えてしまったのだ。そしてそのすぐ横にそれと入れ替わるように全く無傷のナラシンハが出現したのだ。それは透明な遮蔽を解いたかのような現れ方であった。
「生憎私は……我が化身であるメーガナーダは幻術も得意としていてな。お前は今までクリスナーガだけを持たせた我が幻影相手に戦っていたのだ」
「……っ!!」
クリスナーガとはあの弓の事か。あの弓だけが実体で、今まで戦っていたナラシンハの姿は本物のナラシンハが作り出した幻影だったのだ。それを理解した時にはもう手遅れであった。
天馬はその場に両膝を落とした。とても立っていられるダメージではなかった。神力強化によって辛うじて致命傷だけは免れたが、それはこの場では何の意味も無かった。もう戦闘を継続できる力は残っていなかった。
(ぐ……く、そ……。俺は、こんな所で……ま、茉莉香……)
必死に立ち上がろうとしても身体が言う事を聞かない。天馬は自身の不甲斐なさに呻吟し、大切な幼馴染の顔を思い浮かべた。
「……お見事です、ナラシンハ様。やはり異教のディヤウスなど相手になりませんね」
決着がついたと見做して、今まで静観していたアディティが近付いてきた。ナラシンハは持っていたクリスナーガを亜空間に戻してかぶりを振った。
「いや、思っていたより手こずらされた。ディヤウスのままでこれ程の力を発揮できるのはかなりの逸材だ。シャクティだけでなくこやつの神力も取り込めば、私はより神に近付く事が出来るだろう」
「あの2人は如何いたしますか?」
アディティが未だに動けずに身体を震わせているのみの小鈴とアリシアを指し示す。
「放っておけ。殺す価値もない。進化の儀式を行うにはこの2人の神力があれば充分事足りる」
「殺さなくて良いのですか? ザキールに私やナラシンハ様の事を喋るやも知れませんが……」
「奴に何が出来る。私達の機嫌を取って上流階級に入り込みたいだけの俗物に私を糾弾する度胸などあるまい。そもそも氏素性も知れん外国女の言う事など誰が信じる?」
「それもそうですね。畏まりました」
アディティが一礼すると、今まで隠れていたのか数人の男達がラウンジに現れた。どれもプログレスと思われる異形であった。そして未だ気絶したままのシャクティを2人掛かりで檻ごと担ぎ上げる。倒れ伏した天馬の元にも1人が近寄ってくる。
「喜ぶがいい。お前達はこの地に再び『神の国』を築く為の礎となれるのだから」
乱暴に担ぎ上げられた天馬の耳元に顔を寄せてナラシンハがそう呟くのを聞きながら、限界を迎えた天馬の意識は闇に包まれるのだった……




