第2話 映像越しの彼女
ラジーヴ・ガンディー国際空港はハイデラバードより少し離れた郊外にあり、街の中心部までは車で少しかかる。途上には小さな村と思しき集落や木が殆ど生えていない赤茶けた荒れ地などが点在していた。行き交う人々も粗末な身なりが多く、大勢の子供が元気に走り回っている。
集落も日本では考えられないような粗末な建物が目立つ。大きな街は栄えていて特にIT関連などは日本はじめとした先進国よりも優れていたりするらしいのだが、それ以外の場所との落差が激しいという印象を受けた。
あとは行き交う車も古い物や壊れかかった車が当たり前のように走っており、当然ながら日本のように車検もなく排ガス規制もないので、街に近づくにつれて何だか空気が汚れていくような感覚を覚えた。ここで生まれ育った人にとってはこれが当たり前なのだろうが、日本で生まれ育った天馬にとっては少し気になる所であった。
そしてそんな郊外を過ぎて車は街の中心部に近づいていく。ここまで来ると周囲の景色も徐々に大きな建物や綺麗な建物も多くなってくる。それに比例して人通りもどんどん増えてくる。当然車の数も更に多くなり、結構な渋滞に何度も巻き込まれて特に腹が減っているらしいアリシアが苛々していた。
「ほら、見えてきたよ。あれがチャーミナーだ」
「……!」
しかしそんな移動の時間もようやく終わりを告げ、運転手の言葉に天馬達はほぼ同時に前方に視線を向ける。その名もチャーミナーロードという大きな通りの先に聳える大きな建造物。道路を跨いで建つ様はまるで凱旋門のようだ。
そして確かに運転手の言うようにその凱旋門の上にテラスのような設備があり、建物の四隅には大きく壮麗な尖塔がそれぞれ突き出ていた。この建物を作ったのはゴールコンダ王国である事は解っているが、何のために作られた物なのかは未だにはっきりとは解っておらず諸説があるらしい。
近くまで着いた所でタクシーを停めて運転手に礼を言って降りた。道中他にも色々ガイドしてくれたり、煩わしい詮索などもされずに目的地まで送ってくれたので、インドにそういう習慣があるのか解らないがと前置きした上で、アリシアが料金に少し色を付けて支払った。アメリカでは一般的らしい、いわゆるチップというやつだ。
アメリカのようにチップが予め織り込まれているという事はないようだが、それでも特にマナー違反という事もないらしく、運転手は喜んでチップを受け取ってくれた。
天馬達が離れるとすぐに別の客が乗り込んで、今度は逆に空港に向かうらしく再び来た道を戻っていくタクシーを見送ると、天馬達は何とはなしに間近に聳えるチャーミナーを見上げた。
この距離から見上げると流石に壮観であった。歴史的に古い建物だけあって、何やら威厳のような物さえ感じる。作られた目的ははっきりとは解っていないが、これを作ったゴールコンダ王国も完成させたムガル帝国も基本的にイスラム教国であり、何らかの宗教的な意味合いで作られた物と推察された。
このチャーミナーのすぐ近くにメッカ・マスジドという、やはり昔に作られた非常に広いモスクがある事からも間違いない。
「ふむ、確かに運転手の言っていた通りレストランや食堂が沢山あるな。外国料理の看板も目立つな。あそこにはファストフード店もあるぞ。どれに入るか迷うな」
一方アリシアはそんな事はお構いなく、意識は完全に食に向いているようだ。
「まあでも折角インドまで来たなら、インドの料理を扱ってる店に行ってみるか?」
天馬とてその程度の好奇心ならある。少なくともインドに来てまで日本食のレストランで食べようとは思わなかった。……まあ肝心のインド料理が余りにも口に合わなかった場合は別だが。そこは実際に食べてみないと解らない。
小鈴はあまり乗り気ではなかったが、天馬が賛成した事で渋々という感じで承諾した。
合意に至った一行はとりあえず最寄りの現地料理を扱っている大きな食堂のような店を見つけたのでそこに入ってみる。
因みにインドと聞いてよくイメージされるナンは主にパンが主食の北インドで食べられているもので、南インドでは米が主食らしかった。後は宗教や文化の関係上菜食主義者が多く、代替の蛋白源として日常に食されているのが豆類であった。
天馬達が入った店でも例外なく、外国人には違いが全く分からない大量の豆類が仕分けされて並べられており、好きにトッピングできるようだ。
個々のテーブルにメニュー表が無くファーストフード店のようにカウンターで直接注文する形式らしい。といってもあまりメニューの種類は多くなく、天馬達はとりあえずチャーハンのような豆を混ぜたご飯と、豆を煮込んだカレー(ダールというらしい)、後は野菜がたっぷり入ったスープ(サンパールというらしい)を頼む。肉料理は無かったので、アリシアは代わりに魚の煮込み料理を追加で頼んでいた。
「むぅ……やはり私は菜食主義者とは相容れんようだな」
テーブルの上に並べられた料理を見てアリシアが少し不満そうに唸る。量はかなり多いが、肉料理が無いのが不満のようだ。代わりに無料でトッピングできる豆類をこれでもかと盛り付けてあったが。
「肉好きの欧米人は大変ね? 私は意外とおいしそうだと思ったわ。元々野菜は好きだし」
一方最初はインド料理に消極的だった小鈴は、目の前の料理を見て上機嫌になっていた。そういえば飛行機の中で好きな食べ物の話が出た時に聞いた気がする。
「まあ俺は実家で精進料理も食い慣れてるから、これでも充分ご馳走に見えるけどな」
父親の戒連の方針で普段の食事も修行の一環という考え方から、栄養面だけを重視した味気ない食事が多かった天馬としては、肉が無くてもこれだけふんだんに油や香辛料を使っていれば充分こってりしているように思えた。
とはいえインドは人口も多く当然ベジタリアンばかりではないので、実際にはビリヤニなど非ベジタリアン向けの料理も数多く存在しているようだが。
「むむ……東洋人同士、嗜好や価値観が近いようだな。民主主義ルールだと私が不利になりそうだ。もういい、さっさと食べるぞ」
仲間達から賛同を得られなかったアリシアは不満げな表情のまま、しかし相当腹が減っているらしく物凄い勢いで料理を頬張りはじめた。天馬と小鈴は顔を見合わせて苦笑すると、やはりそれぞれの料理に手を付け始める。アリシア程ではないが彼等も充分腹は減っていた。
中国でもそうだったが、インドも香辛料の辛さは日本とは比較にならなかった。韓国などもキムチが有名だし、むしろ日本が異質なだけでそれ以外のアジア諸国は大体こういう刺激物を好む傾向にあるのかもしれない。
(確かに慣れてくりゃ意外と美味いんだが……ずっと住んでてこういうモンばっか食ってると痔になりそうだな)
それが香辛料たっぷりのご飯やスープを食べた天馬の感想であった。ただ旅行のような短期滞在で食べる分には、こういった濃い味付けの料理の方が食いではありそうだった。
3人はしばらく無言でスプーンを動かし続ける。因みに現地のインド人には料理を手づかみで食べる者達もいたが、流石にこの辺りは外国人観光客も良く訪れる場所だけあって、ちゃんとスプーンやフォークなどが用意されていた。
外国人が多い場所である事は天馬達にも恩恵があり、カウガールルックのアリシアの姿が多少目立つものの、それ以外はそこまで人目を引く事無く食事を楽しむ事が出来ていた。
「……ふぅ、大分足りてきたな」
料理と一緒に購入したボトルウォーター(インドでは飲めるレベルの水は大抵有料)で喉を潤しながら、大分満ち足りてきた天馬が一息ついた。
「ええ、私もお腹一杯」
小鈴はアリシアに負けないくらい大量に頼んでいたが、食べきれずに残していた。中国ではむしろ出された料理を残す方が礼儀であると何かで聞いた覚えがある。出された料理を全部平らげてしまうと、その量では満足できなかったという意思表示になってしまうのだとか。
その辺は日本とは真逆の価値観だ。
「私は少々物足りんかな。やはり肉が無いとな……」
一方あれだけ大量に頼んでいた料理を全て喰い尽くしたアリシアは、それでもまだ微妙に不満そうであった。中国でもやや物足りなそうにしていたし、彼女がその食欲を完全に満たせるとしたら本場のアメリカしかなさそうだ。一度アメリカで彼女が満足するまで食べきる所を見てみたいと思う天馬であった。
食べる手の止まった3人の意識は自然と周囲に向く。この食堂はかなり広い造りになっていて、壁際の上の方に大きなテレビが取り付けられていた。先程までドラマか何かをやっていたようだが、それが終わって今は国内のニュースが流れている。
『……3日前に誘拐されたハイデラバード在住のプラサード家令嬢シャクティさんは未だに行方不明のままです。失踪の翌日に『ヴリトラの怒り』と名乗るテロ組織から犯行声明がありましたが、その後は身代金の要求などもなくシャクティさんは完全に消息不明となっています』
ハイデラバードというまさに自分達がいる街の名前に反応した天馬達は、全員そのニュースに意識が行った。TV画面にはその誘拐されたシャクティという令嬢と思われる若い女性の姿が映っていた。
「へぇ……凄い美人さんね。それでお金持ちなら誘拐されるのも頷けるわ」
小鈴の言う通りTV画面に映っているそのインド人女性は、画面越しであっても華やかさが伝わるような人目を惹きつける美貌の持ち主であった。だが天馬にはそれだけではなく、もっと本能的な部分で何となくその女性の映像から目を離しがたい気持ちを抱いた。
微妙な違和感。彼はこれに近い感覚をつい最近も抱いた記憶があった。それは中国で、今隣に座っている小鈴を初めて見た時と同じ物であった。
「……アリシア」
「うむ……お前も感じたか、テンマ。ならば可能性は高いな」
アリシアも神妙な顔で頷いている。自分一人であればただの気のせいだったかも知れないが、同じディヤウスであるアリシアも同様の感覚を抱いたとするなら、確かにその可能性は高くなる。
「え、どうしたの、2人とも? 何か気になる事でもあった?」
一方、小鈴は天馬達の反応に首を傾げている。それで天馬は思い至った。
「そうか、小鈴は初めてだったな。あの女性の映像を見て何か感じないか? 美人だって事以外にだ」
「……! え、この変な胸騒ぎ、気のせいじゃなかったの?」
やはり彼女も感じてはいたようだ。これは未覚醒のディヤウスを見た時に感じる微妙な違和感だ。まさかTVの映像越しでも感じるとは思わなかったが。
「……しかしまあ、ホントに来て早々だな。今後の方針とか話し合う間もなかったな。いや、まあ早く見つかるに越した事はないけどよ」
天馬は苦笑する。アリシアの言っていたディヤウス同士の無意識に引き合う力とやらは予想以上の効果のようだ。そのアリシアが渋面を作る。
「うむ……だが誘拐とは穏やかではないな。やはりと言うかすんなりとは行かなそうな気配だな」
誘拐と言うなら、中国での小鈴との出会いも誘拐事件に因んだものだった。しかし小鈴の時は友達が誘拐されそれを共に捜すという形であったが、今回はどうもターゲットとしている当人が誘拐されてしまっているようだ。
「犯人は吴珊の時みたいな人身売買組織とかじゃないのよね? だとするなら早く見つけないとこの人の身の安全にも関わるんじゃ……」
その小鈴が別の懸念を滲ませる。確かに彼女の言う通り、人身売買組織なら商品を傷つけるような行為は極力控えるので、身の安全という意味では保証されている。しかしこのシャクティという女性を攫ったのはテロ組織らしいので、誘拐した目的も不明ならば何をされてもおかしくはない。余り時間的な余裕はなさそうだ。
「でもどうするよ? 警察に行ったって、立場的にはただの外国人旅行者の俺らが何か情報を得られるとも思えねぇし」
その辺りは今回に限らず常につきまとう問題であった。天馬達は社会的には何の立場も無い外国人に過ぎないのだ。
そんな話をしているとTVが切り替わり、シャクティの父親と思しき人物が記者達の前で話している映像になった。
『……卑劣な犯人達に対する怒りしかありません。彼等が何を目的に娘を攫ったにせよ、犯人達は必ず報いを受ける事になるでしょう』
テロップによるとザキールという名前らしい壮年のインド人男性は、そう言ってカメラに怒りの視線を向ける。しかし天馬は彼の表情や口調から、犯人達への怒りは感じるものの、攫われた娘を案じているという感情を読み取る事はできなかった。
『犯人に関するどのような情報提供も受け付けています。情報の裏付けが取れた者には相応の報奨金を支払うと約束しましょう。犯人達を追い詰めるのに是非皆さんの力をお貸しください』
報奨金という単語にTVを見ていた人々が騒めくのが解った。
(おいおい……そんな事言っちまって大丈夫か? 余計混乱が増すだけじゃないか)
天馬がそう思っていると、アリシアも眉をしかめていた。
「むぅ……我々が彼女を探す邪魔にならなければ良いがな……」
「でも天馬じゃないけど、この後どうしようか? さっきも言ったように早く見つけた方がいいと思うし」
小鈴の言葉に一行は、とりあえず食べ終わった事だしこれ以上ここにいても仕方ないので、支払いを済ませてから店の外へと出る。
次回は第3話 足掛かりは向こうから




