第1話 灼熱と混沌の街
空港から降り立って最初に感じたのは、ムワッとする熱気であった。頭上からは日本では感じた事のないような強烈な日差しが照りつける。天馬はその日差しと暑さだけで、今までとは全く環境のかけ離れた異境の地へやってきた事を実感していた。
ラジーヴ・ガンディー国際空港。インドの中南部テランガーナ州の州都であるハイデラバードの玄関口とも言える国際空港だ。大きな街だけあって空港も設備は充実しており、ボーディングブリッジも完備していて直接ターミナルビルに入ったので、飛行機から降りて外気に触れる機会がなかった。
勿論ターミナルの中も行き交う人々も含めて異国感はあったが、やはり中国でもそうだったが、特に国際空港は性質上頻繁に古今東西の外国人が利用する為、どの国でもある程度似通った外観、雰囲気になりやすかった。
そのため天馬がここに着いて初めてインドを感じたのは、空港のターミナルビルから出てその暑さや日差しを体感したこの時であった。
「まあ想像はしてたが……やっぱり知識として想像するのと実際に体感するのとじゃ全然違うな。めちゃくちゃ暑ちぃ!」
実は若干暑がりな傾向のある天馬が開口一番ボヤく。同行者の1人、中国人の小鈴が苦笑する。
「天馬は日本の丁度中間くらいの場所に住んでたんだっけ? 確かにそれなら暑く感じるかもね。いや、まあ実際暑いんだけどね」
小鈴も強い日差しにその大きな目を細めてはいるが、余り暑がっている様子はない。
「小鈴は平気なのか? 成都だって緯度って意味じゃ、ここよりは大分上じゃないか?」
「私は元々夏の方が好きだったし、暑いのはそこまで苦じゃないのよ。だから中国でも海南省には何度か旅行に行ってるから、このくらいの暑さなら経験済みよ」
海南は中国本土の南に位置する大きな島で熱帯に属しており、リゾート地としても名高い。日本で言えば沖縄のようなイメージだろうか。天馬は旅行自体殆ど行った事が無かったので、当然沖縄にも行ったことはない。
(そんな俺がまさか沖縄も飛び越えて、中国だの更にはインドにまで来ちまうなんてな……)
自分の数奇な経緯に思わず苦笑が漏れてしまう。こんな未来など誰にも予測できるはずがない。
「天馬、どうしたの? 何か面白い事でもあった?」
「ん? ああ、いや……自分がインドにいるってのがまだ信じられなくてな。不思議なもんだと思ってな」
「ああ……そうね。私もその気持ち解るわ」
小鈴もしみじみと呟いた。彼女も国こそ違うものの、天馬と同じようにそれまでは普通の小市民として暮らしており、好むと好まざるとにかかわらずディヤウスとして覚醒しこの戦いに参加する事となったのだ。そういう意味で彼女と天馬は立場が似ていた。
「これからまだ他の国も回る可能性が高いのだ。異国や異文化へ足を踏み入れる感覚には早く慣れておく事だ」
一方最初からディヤウスとして覚醒しており、天馬たちをこの戦いへと誘った案内役とも言えるアメリカ人のアリシアは、特に感慨もなく淡々としたものだった。彼女は元々開放的なカウガールルックであり、この灼熱の国とも相性が良さそうではあった。最も金髪アメリカンで露出度の高いカウガール姿の彼女は、やはりこの国でも大いに人目を引いてはいたが。
この空港は街の中心部からは大分離れているので、3人はまずタクシーを拾う事にした。ターミナルビルの外にあるバスターミナルはタクシー乗り場も兼ねており、インドの混沌ぶりを象徴するように非常に多くの人間が行き交う雑然とした空気を醸し出している。
「うう、何だろ……。人口なら中国だって負けてないはずなのに、何だか中国よりずっとゴミゴミしてる感じがするわね」
タクシー乗り場に向かう間にも大勢の人の壁を潜り抜けるような感じで、確かに小鈴の言う通りゴミゴミしているという印象を受けた。インド特有のカラフルな色合いの衣装を身に着けている女性が多く、更に男性も女性もかなり多くの何らかの荷物を抱えている。
動くのかどうかも怪しい壊れかかったバイクや三輪カーなどに乗っている人々の姿も目立ち、益々雑然とした印象を強めていた。
「ふぅ……流石に凄い人いきれだな。さて、タクシー乗り場に着いたが、お前達はどこか行きたい場所などはあるか?」
アリシアが天馬と小鈴に聞いてくる。成都でもそうだったが、天馬達に解るのはそのディヤウスが暮らしている街までだ。それ以上の詳細は全く解らない。顔も名前も職業も住所も、全て不明だ。
特定の人物を探すにしては何ともお粗末な状況ではあるが、米国聖公会の主教ジューダスに感知できる範囲がそこまでなので仕方がない。その代わり小鈴の時のように、ディヤウス同士は何となく引かれ合う性質があるらしいので、それを利用して機会が訪れるのを待つしか無い。
だがそれは逆に言えば、その街に着いた時点でそれ以上の明確な目的地という物が存在しない事を意味している。闇雲に探した所で絶対に見つかるものではないのだ。なのではっきり言えばこの街に居さえすれば後は自由という事でもある。
アリシアの質問はそれを踏まえてのものだ。極論すれば街のどこに居て何をしていても起きる時は起きる、どれだけ焦って探しても何も起きない時は起きない。なのでとりあえず常に何が起きてもいいように注意はしながらも、後は適当に行きたい所を回っていようという訳だ。
「うーん……行きたい所、ねぇ」
といってもこのハイデラバードは人口や規模こそインドの中でも上位であるものの、国際的にはそれほど有名な街という訳ではなく目立ったランドマークもなかった。これがタージマハル廟のあるアーグラであったり、ムンバイやコルカタなどの世界的にも有名な都市であればまた違ったかも知れないが、いきなりこのハイデラバードに来て特に行きたい所も天馬には思いつかなかった。小鈴も同様である。
すると2人の様子を見て取ったアリシアが急にそわそわしだした。
「そうか、特にないか。ではやはり、まずは腹ごしらえだな。何をするにも腹が減っていては何もできんからな」
健啖家である彼女らしい欲求だ。因みにアリシアの底なしぶりは既に小鈴も知る所であった。
「そりゃいいが、アリシアこそどこか行きたい店や食べたい料理なんかはあるのか? 」
「む? いや、私は食べられれば何でもいいぞ。どこか近くの飲食店を探して入るとしよう」
アリシアは当然のようにそう言うが、小鈴が待ったを掛ける。
「どこでも目についた所っていうのは感心しないわね。失礼だけど何だかインドって余り清潔なイメージないし、下手な所で食べたら何が出てくるか解ったものじゃないしお腹壊しそうだわ」
その意見には大いに賛成だが、日本人からすると中国のイメージも似たようなもんだぞ、と内心で思う天馬であった。勿論それを口に出すような愚かな真似はしないが。
「むぅ……ではどうするのだ? この街どころかこの国に今日初めて来た我らには、どの店が安全かなど知りようもないぞ」
不満げなアリシアに問われ小鈴は可愛らしく小首を傾げた。
「そうねぇ……。丁度タクシーに乗る所だし、タクシーの運転手さんに聞いてみたらどうかしら? 空港で待ってるくらいだから、外国人相手のオススメの場所なんか知ってるかも。ついでに観光地なんかも聞いてみましょう」
「そうだな。俺もそれでいいと思うぜ」
まあ無難な所だろう。天馬も同意した。アリシアもやや不満げながら渋々頷いた。
「ふむ……お前達がそう言うなら仕方あるまい。多数決は民主主義の基本だからな。ではさっさとタクシーに乗り込むぞ」
アリシアはそう言って最寄りに停まっていたタクシーを選んで乗り込んだ。まあどの運転手が良いかなど分からないので、どのタクシーに乗っても同じだろう。天馬と小鈴も目を合わせて苦笑するとアリシアを追って同じタクシーに乗り込んだ。
「お客さん、珍しい組み合わせだねぇ。どこにでも連れてってやるよ。行き先は?」
3人が乗り込むと、見るからにインド人なタクシー運転手が少し目を丸くする。天馬と小鈴だけだと外国人からすると同じ国のカップルにでも見えるかも知れないが、そこに金髪アメリカ人のアリシアも加わっていると途端にどういう関係なのか傍目には分からなくなる。
しかし運転手はプロ意識が高いのか、余り詮索する事無く行き先を聞いてきた。インドはヒンディー語を公用語としているが、それ以外にも多くの地方言語が根強く残っているという。
運転手が喋っているのがヒンディー語なのかそれ以外の地方言語なのか天馬達には判別がつかなかったが、やはり問題なくその言葉の意味を聞き取る事ができた。この不思議な感覚にまだ慣れていない小鈴は少し戸惑ったような表情をしていた。
「実はまだ行き先が決まっていないんだ。どこかこの街の見所なんかがあれば教えてくれ。後は外国人に人気の飲食店やホテルなんかも教えてもらえると助かる」
「……!? あ、ああ、そうなのかい。そりゃ勿論構わないがね……」
運転手があからさまに驚いた顔で天馬を見た。別に彼等が行きあたりばったりで旅をしているからではなく、明らかに外国人の天馬が流暢に運転手の母国語を喋った事に驚いたのだろう。実際には天馬は日本語で喋っているのだが。
「あー……それなら、街の中心部からやや南にあるチャーミナーが一番オススメだね。昔この辺りで栄えたゴールコンダ王国が建てたモスクで、美しい4つの尖塔が特徴的なんだ。この街に来たなら一度はあれを見ておくべきだね。勿論他にも観光名所はあるが、チャーミナーはこの街じゃ一番有名なランドマークだから周りには外国人向けの色んな店やホテルなんかも充実してるし、特に行きたい場所が決まってないならあそこがいいと思うよ」
「ふむ……良さそうだな。ではその辺りまで連れて行ってくれるか?」
天馬達も特に異論は無かったので頷くと、アリシアが運転手に頼む。彼は天馬が喋った時より更に大きな驚きを持ってアリシアを見つめたが、やはりすんでの所で色々詮索したい欲求を堪えたらしく、「ああ、じゃあ出発するよ」とだけ言って車を発進させた。
こうして一行はチャーミナーと呼ばれるランドマークをとりあえずの行き先とするのであった。
次回は第2話 映像越しの彼女




