第7話 釣り餌
翌朝。約束通り9時前に小鈴から電話が掛かってきたのでラウンジに降りると、既に彼女が待っていた。天馬達が着くと彼女はラウンジにあるソファに所在なさげに腰掛けて、天井や周囲を見渡していた。
どうやらこういうホテルに入った経験があまりないらしく落ち着かない様子だ。まあその気持ちは天馬にもよく解った。彼等が近付いていくと、その姿を認めた小鈴が露骨にホッとした表情で立ち上がった。
「天馬! アリシア! おはよう!」
昨日連絡先などを交換する際に、お互い遠慮せずに名前で呼び合おうと決めてあった。相手の合意があれば小鈴も遠慮はしない性質らしく、ごく自然に名前を呼んできた。
「ああ、おはよう、シャオリン。……昨夜はちゃんと眠れたか?」
向かい合ってソファに座る3人。アリシアの言葉に小鈴も神妙な顔になって頷く。
「うん……流石に色々あったしちょっと気持ちが昂っちゃってて苦労したけど、何とか眠れたわ。元々寝つきはいい方だし」
殺し屋に命を狙われて、その後『神化種』の事を聞いて、直後にプログレスに襲われて人外の危機をまざまざと認識させられて、と立て続けに事態が進行したのだ。精神的にちょっとした興奮状態になってしまっても仕方のない事だろう。
「その……天馬も、よく眠れた?」
小鈴が少し俯いて上目遣いに、何故か天馬にだけそう聞いてきた。
「ん? ああ、勿論だぜ。例え野宿でもしっかり眠れるようにって昔から親父に鍛えられてたから、逆にあまりいいベッドだとふかふか過ぎて寝入るのに苦労するけどな」
「あ、それ解るかも。枕とかも余り柔らかすぎると却って寝にくいのよね」
「そうそう! だからもう少し硬いベッドと枕ないのかってこのホテルの従業員に聞いたら変な顔されちまってよ。個人の好みってやつがあるだろによ……」
天馬がそう言ってボヤくと小鈴は可笑しそうに笑った。
「ふふ、天馬ってそういう所お茶目なのね」
そう笑う彼女の顔からは、先程までの緊張が自然とほぐれているように感じられた。それを見て取ったアリシアが手を叩いた。
「さあ、それではぼちぼち出るとしよう。シャオリンはもう朝食は摂ってきたのだったな?」
「ええ、朝は大体いつも家の近くの屋台や食堂で手早く済ませるから。天馬達は?」
「我々も時間はあったから、このホテルで済ませてある」
「そうなのね。じゃあ早速本題に入らせてもらうけど大丈夫?」
小鈴が確認してきたので天馬達は2人揃って頷く。
「ああ、何か当てはあるのか?」
天馬が問い返すと小鈴もまた頷いた。
「以前私が吴珊の捜索を頼みに行ったのは、彼女が住んでいる青羊区にある警察署……成都市公安局の青羊区分局よ。あの刺客の男はそこの刑事だった。だから今回もそこに行ってみるつもり」
「敵の懐に自分から飛び込もうというのか? 言うまでも無いが危険だぞ?」
アリシアがそう警告するが、小鈴はやや挑戦的な表情になって口の端を吊り上げた。
「昨日ああやって襲ってきたくらいだし何もしてなくても危険よ。それに昨日までなら確かに無茶だったけど今はあなた達が協力してくれてる。だったら少しくらい危険を冒した方がより速く確実に真相に近付けるはずよ」
「そりゃそうだが、具体的には警察署に行ってどうするんだ?」
「私も流石に警察で働いてる人全員がグルだとは思えないわ。関わってる人数が多ければ多い程、必ずどこかから噂や情報は洩れるものだし。でも警察の中に奴等の仲間が潜んでる事は間違いないはず。だから……それを炙り出すのよ」
「炙り出す? どうやって?」
「そもそも奴等からしたら私がこうして無事でいる事自体計算外でしょう? それに加えて自分達の仲間が何人も、更にはあのプログレスとかいう化け物まで返り討ちにあってる訳だし。そんな私が何事も無かったようにまた警察署に現れて吴珊の捜索を嘆願してきたら、奴等はどう考えるかな?」
「ふむ、なるほど……。確実に再び接触してくるだろうな。囮作戦という訳か?」
アリシアの確認に小鈴は再び挑戦的な表情で頷いた。
「ええ、そして今度は襲ってきた奴等を殺さずに情報を吐かせるのよ。ちまちま調べるよりそれが一番確実だし手っ取り早いでしょ?」
何とも大胆な捜査方法だ。これまで彼女1人では考えられなかった方法だが、今は天馬達がいる。大胆で無茶な方法であっても、決して実現不可能ではないはずだ。
「ふむ……だとすると奴等も昨日の刺客たちがプログレスも含めて返り討ちにあっている事から警戒を強めているはずだし、昨日よりも強い戦力で襲ってくるかもしれんな。どうだ、テンマ? やれそうか?」
「ああ、俺の方は問題ないぜ。ただの人間の犯罪者じゃねぇ。邪神共の手先と戦うってんならいつでも望む所だ。俺よりもむしろアンタの方が問題だぜ、小鈴。昨日よりも危険な戦いになる可能性があるってんなら、アンタは無理せず……」
安全な所にいた方が良いと提案しかける天馬を遮るようにかぶりを振る小鈴。
「それは出来ないわ。これは私の問題だし、奴等の狙いも私よ。そもそも囮になるんだから危険は承知の上よ。私だって自分の身くらいは自分で守ってみせるわ」
「いや、しかしだな……」
「それに私だって天馬達と同じそのディヤウスって奴なんでしょ? だったら私があいつらと戦うのも自然な成り行きって事よね?」
「ぬ…………」
そう。そもそもが邪神やウォーデン達との戦いに彼女を勧誘する為にここまで来ているのだ。その彼女に、相手が危険な奴等だから来るなというのでは本末転倒だ。既にディヤウスとして覚醒しているかどうかは問題ではない。
アリシアが小鈴の同行に反対しないのは最初からそれが解っていた為か。天馬は溜息を吐いて折れた。
「はぁ……確かにアンタの言う通りだな。アンタを戦いから遠ざけようってのは矛盾だ。解ったよ。でも本当に自分の身はしっかり守ってくれよな?」
勿論彼自身も可能な限りは彼女を守るつもりだが、戦いは生ものであり確実はない。敵の戦力や戦術によってもどうなるか保証はできないのだ。
「ええ、約束するわ。ありがとう、天馬」
だが小鈴もそれを解った上で躊躇いなく請け負った。2人が合意に至ったのを見てアリシアが立ち上がった。
「よし、方針がまとまったのであれば、そろそろ行くとしようか。警察署に着いて以降は何が起きるか解らんから、気を引き締めていくぞ」
そして3人は連れ立ってホテルを出ると、一路青羊区にある警察署を目指して移動していくのであった。
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成都市公安局青羊区分局。名前だけ聞くと分かりにくいが、他の国で言う警察署の分署みたいなものだ。小鈴に聞く限りでは司っている役割や機能もほぼ同じようだ。
「だから何度も言っているでしょう! いくら彼女でもこんなに音信不通になった事はないわ! 早く誘拐事件として受理しなさいよ!」
刑事課の受付で甲高い怒鳴り声を響かせるのは小鈴だ。基本的に中国人は日本人に比べて自己主張が激しくけたたましい傾向があるが、それでも年若い女性で人目を惹く容姿の小鈴が激しい剣幕で大声を張り上げていると、それは充分に局内の耳目を集める効果があった。
「ですから何度も申し上げたように、身内の方からの捜索願が無いと受理できないんですよ! その吴珊さんの身内の方を呼んできて下さい!」
受付で対応している女性の職員も小鈴の剣幕に怯む事無く、むしろ対抗するように声を張り上げる。この辺も日本のお役所警察ではまず見られない光景だ。
因みに今小鈴に同行しているのは天馬だけだ。アリシアは外見的に目立ちすぎて余計な注目を引いてしまう。それでは天馬達が本当に見つけたい相手が紛れてしまうので、アリシアは警察署の外で待ってもらっている。
「それも前に言ったでしょ! 彼女の身内は遥か河北省にいて、しかも家庭の問題で絶縁状態なのよ! 頼んだって来てくれやしないわ! 私しかいないよの!」
「規則は規則です! 身内の方がいないなら受理はできません! 他の人の迷惑ですからお引き取り下さい!」
「何よ! あんたじゃ話にならないわ! この前応対した金って刑事を出しなさいよ! ここにいるんでしょ!?」
「……! そ、それは……」
受付の女性が初めて口ごもった。金というのは以前に小鈴の応対をして彼女を追い返したという刑事だ。そして……昨日の路地で自分達を襲ってきた刺客の中の1人。
彼はあそこで死んだので当然今日この場に来ているはずがない。解っていて敢えて言っているのだ。小鈴が目を細めて、少し挑発的に口の端を吊り上げる。
「あら、どうしたの? 所用でいないならそう言えばいいだけよね? それとも……何か言えない理由でもあるのかしら?」
「……っ!」
女性が息を呑んだ。いや、彼女だけではない。天馬はさりげなく、しかし注意深く周囲を観察しており、今の小鈴の言葉に何人かの職員が反応した事を素早く見て取った。
これで金が帰ってこないのが偶然や事故ではなく、尚且つ小鈴がその事について知っていると彼等にも解ったはずだ。つまり小鈴が、金やその他の刺客たちに襲われたうえで今こうして生きているのだと。
「小鈴、これ以上は無駄だ。今日はもう帰ろう」
これでここでの目的は果たした。天馬は小鈴を宥める聞き分けのいい同行者を装って彼女に合図を送る。手応えを感じたら天馬が仲裁して帰宅を促すというのが最初から決めていた合図であった。
「……! あなたがそう言うなら仕方ないわね。でも覚えてなさい。私は絶対諦めないからね!?」
そして小鈴も天馬に仲裁されて仕方なく矛を収めたという風を装って、不自然なくその場を後にする事が出来た。
次回は第8話 刺客襲来




