第3話 手荒い邂逅
「さて、どうする? とりあえず適当に歩き回ってみるか? 折角だ。どこか行ってみたい所はあるか?」
翌日、ホテルのラウンジでアリシアと今日の予定について話し合う。何だか観光旅行にでも来ているみたいで少し気が引けたが、明確な当てがある訳ではないので仕方がない。
そしてそういう事であれば天馬には行ってみたい場所があるにはあった。
「そうだな……。ここには武侯祠があるみたいだからちょっと行ってみたいんだけど、良いか?」
成都と言えばパンダと三国志だ。茉莉香ならパンダの方が興味があっただろうが、天馬としてはパンダよりも三国志の英傑たちが祀られているという武侯祠を一度生で見てみたかった。アリシアは特に難色を示す事もなく頷いた。
「ふむ、三国志か。名前だけは聞いた事があるな。いいだろう。ではそこに行ってみるか」
2人はホテルを出るとバスを乗り継いで武侯祠がある武侯区の中心街へ向かう。武侯区は成都市の中でも中心と言える繁華街で、武侯祠大街に面して様々な商業施設や大学などの教育研究施設も所狭しと集まっていた。
実は武侯祠と呼ばれる主に諸葛亮孔明を祀った祠は中国各地に点在しているのだが、その中で最も有名な総本山的な祠がこの成都武侯祠なのだ。この成都はかつて蜀の首都であった訳なので、それも当然と言えた。
有名な観光スポットであり、中国国内だけでなく海外からの観光客にも人気が高い場所であった。しかしただで見て回れる訳ではなく入場料が掛かるようだ。しかも結構高い。流石に『観光』で無駄金を使うのも気が引けた天馬が入ろうかどうしようか迷っていた所、天馬は自分と同じように武侯祠の入り口を見上げている人物がいる事に気づいた。
彼等から少し離れた所にいるその人物は女性であった。現地の中国人のようだが、年格好からしてこの近辺のいずれかの大学に通う学生だろうか。天馬とそう変わらない年頃に見える。
「……!」
その女性を見た天馬は何故か目を惹かれた。勿論その女性が人目を引くような美しさを持っていたのもある。長い髪をアップにまとめた髪型と少し気の強そうな吊り目が印象的な美少女であった。そしてその吊り目を憂いに曇らせて、何かを睨むような視線で武侯祠を見上げているのも印象的だった。
だがそれだけではない。天馬は自分でも理由がはっきりとは解らないまま、その少女に対して意識を吸い寄せられた。これは理屈ではなかった。
やがてその中国人少女は武侯祠から視線を逸らすと、脇目もふらずに真っ直ぐ歩き出した。何か目的地があるかのような足取りだ。
「……テンマ、あの少女を見て何か感じたか?」
「……! アンタも何か感じたのか?」
天馬が驚いてアリシアに振り向くと、彼女は少し口の端を吊り上げて笑っていた。
「そうか、お前は初めてであったな。今の感覚は……日本のあの神社で初めてマリカを見た時に感じたものと同じだ」
「……っ! じゃあ今のあの人が……?」
天馬は目を見開いた。引き合うとは聞いていたが、この巨大都市でまさかこんなにあっさりと見つかるとは俄には信じられなかった。
「勿論現段階ではあくまで状況証拠のみだ。もう少し確証を得なければならんな。とりあえずあの少女を追うぞ」
「あ、ああ」
アリシアに促されてあの女性の後を尾行し始める。そこで天馬は気づいた。こんなに簡単に見つかるとは思っていなかった為まだそこまで具体的に考えていなかったが、そう言えばそもそも何と言って勧誘すればいいのだろうか。
彼女がディヤウスかどうかは、彼女に話しかけて日本でアリシアがしたように夢の中で守護神と会話をした明晰夢を見なかったかどうか確認すれば良いはずだ。それで何らかの反応を得られるだろう。
だがその後は?
いきなり初対面の外国人に話しかけられて、あなたは神の力を持つ新人類です、地球に危機が迫っているので共に戦いましょうなどと言った所で、まずそこでウンと頷く者はいないだろう。最悪怪しげな宗教か詐欺師としか思われずに、逆に不信感を抱かせてしまう。
日本での天馬たち自身だって、アリシアの勧誘に対して多少それに近い反応を返してしまっているのだから間違いない。
「ふむ……その問題は確かにあるが……だからと言って誤解を恐れていては何も始まるまい。誠意を持って説得すればきっと理解してくれるはずだ。何と言っても同じディヤウスなのだからな」
アリシアに懸念を話すと彼女はそのように答えた。そう言えば日本でも彼女は直球勝負であった。だが確かに彼女の言う通りでもある。まずは接触しなければ何も始まらない。その後の事はその時に臨機応変で考えればいい事だ。
天馬自身もどちらかと言えばあれこれ小難しく考えるよりも直球勝負の方が性に合っていた。納得した天馬はとりあえずまずはあの女性がディヤウスであるという確証を得る為、その後を追っていった。
女性はバスに乗り込むとそのまましばらく進み、やがて武侯区の外れの地区でバスを降りた。この辺りは低所得者向けの住宅地のようで中心街に比べると寂れており、小さな建物が入り組んでいてめっきり人気が少なくなる。
そして女性はそのままどんどん入り組んだ路地に進んでいってしまう。同じ場所で降りた天馬達も当然その後について歩き出す。
「随分寂れた感じの場所だな。あの人はこの辺りに住んでいるのか?」
「……むぅ、テンマ。これはどうも……誘い込まれたやもしれん」
「ん?」
アリシアが難しい顔をして足を止める。天馬も釣られて足を止めた。それとほぼ同時に2人の頭上を影が覆った。
「把っ!!」
「な……!?」
咄嗟に仰ぎ見た天馬は目を見開いた。それはつい今まで彼等が追っていた、あのディヤウスと思しき中国人女性であった。いつの間に回り込んで、しかも低いとはいえ建物の屋根に上がったのか。更にその手には鎖で連結されたヌンチャクを長くしたような独特の武器が握られていた。
制止の声を上げる間もない。天馬とアリシアは咄嗟に分かれて、転がるようにして女性の奇襲を躱した。
「……!?」
奇襲を躱された女性は少し驚いたように目を瞠るが、間髪を入れず天馬の方に狙いを定めて襲いかかってきた。
「ちょ、ちょっと待っ――」
「問答無用!」
女性は言葉通り問答無用で踏み込んで、あのヌンチャクのような武器で打ちかかってくる。
「テンマ、手荒な事はするな! 無傷で取り押さえるんだ!」
「んな事言ったって……!!」
アリシアの叫びに天馬は毒づくが、自分達の目的を考えたら当然彼女を傷つける訳にはいかない。明らかに何か誤解があるようなので、確かにまずは取り押さえなければ話が出来ないようだ。
「ふっ!!」
女性が呼気と共に棍を突き出してくる。かなり鋭い一撃だ。先程の身のこなしといい何か武術をやっているのは間違いない。天馬自身も鬼神流の修行をしていなかったら危なかったかも知れない。
棍の突きを躱すと今度は下段蹴りが迫る。それも後ろに下がって躱すと、女性は身体を傾けるようにして素早く上段蹴りを放ってくる。天馬はその蹴りを両腕でガードする。鈍い衝撃が腕越しに伝わる。ちゃんと体重も乗った重い蹴りだ。普通の人間ならまともに食らったら一撃でKOされてもおかしくない。
だが幼い頃から武術を修行しているのはこの女性だけではない。天馬は相手の上段蹴りをガードするのとほぼ同時に、女性の軸足に足払いを仕掛ける。
「……!」
女性はバランスを崩すが、驚異的な身のこなしで持ち直す。そして天馬が油断できない敵であると認識したのか、今度はあのヌンチャクのような武器の長い方の棍を把持して、鎖で連結された短い方の棍を高速で旋回させる。
「……っ。おいおい……!」
旋回する棍の先端が見えなくなる程の速さで、あれに当たったら冗談抜きで大怪我か生命の危険さえある。洒落では済まなさそうだ。天馬達をただのストーカーと勘違いしているだけにしては少し過剰防衛な気がする。そう言えば女性の表情も不審というより、最初から敵意に満ちていた事に天馬は気づいた。
「砕っ!」
だが天馬が何か言葉を発する前に女性が踏み込んできた。唸りを上げて迫る旋回する凶器。これは彼女との戦いという訳ではない。天馬には彼女を傷つけずに制圧しなければならないというハンデがある。
(悠長な事言ってる場合じゃねぇな……!)
天馬はそう決断すると、ディヤウスとしての神力を僅かに開放した。そうしなければ危険だと判断したのだ。
「『鬼神天輪眼』!」
彼を守護する不動明王の神力を自身の目に集中させる。一時的に天馬の周囲だけ時間の流れが遅くなったかのようにスローモーションになる。否、本来は通常の速度で動いているのだが、動体視力が急上昇した事によって遅く感じているのだ。
女性の振り回す棍も、その更に先端に書かれている文字まで読めるくらいにスローになる。軽く上げただけでこれだ。幸いまだ試した事はないが、本気になって集中すれば恐らく銃弾も躱せるのではないか。それほどの感覚であった。
上がった動体視力に合わせて身体を高速で動かすが、やはりディヤウスの加護によって殆ど負担がない。
(やっぱ一般人相手にはチートだよな、この能力)
まあ相手の女性も恐らくディヤウスだと思われるが、仮にそうでもこの様子ではまだ覚醒はしていないようだ。天馬は女性の振り回す棍を軽々と潜り抜けると、その手首を掴んで動きを押さえた。
「え……!?」
まるで瞬間移動したかの如き速さで一瞬にして自分の攻撃を潜り抜けて懐に入られ、更には手首を掴んで動きを押さえられた女性が、何が起きたのか解らないという風に目を瞬かせる。その動揺の隙を逃さず天馬は女性の手首を背中に捻りあげて、そのまま地面に押し倒す。
「あぐっ!」
地面にうつ伏せで押さえつけられ、武器を手放して呻く女性。死物狂いで暴れようとするが、下手に暴れると自傷行為に繋がる恐れがある。
「待て! 落ち着け! 俺達はアンタの敵じゃない! 暴れるのを止めてくれっ!」
「……っ!?」
女性が目を見開いた。暴れていた力が弱まる。そこに無事制圧を完了したと見て取ったアリシアも駆けつけてくる。
「黙って後を尾けていた事は謝罪しよう。しかしどうやらそれ以外にも何か誤解があるようだ。頼むから我等の話を聞いてもらえないか」
天馬はともかく、見るからにアメリカンな金髪カウガールのアリシアに流暢な中国語で話しかけられた女性は、驚きと珍しさから完全に動きが止まって大人しくなる。
「ど、どういう事? あなた達、吴珊を攫った奴等の仲間じゃないの……?」
「吴珊? いや、初めて聞く名だ。攫われたというのは穏やかではないな」
アリシアは首を傾げる。根が正直らしい彼女が嘘を言っていない事は女性にも伝わったらしい。その身体から闘気が消えたのが天馬にも解った。
「……じゃあ離すけど、もう暴れたりしないよな?」
「ええ、もう大丈夫よ。どうも私の勘違いだったみたい」
冷静な声音に大丈夫だと判断した天馬はゆっくりと女性の腕を離して立ち上がった。女性も少し腕を擦って服の埃を払いながら立ち上がる。
次回は第4話 強襲