第33話 新たなる悪夢
「で、でもどうしたらいいの? もうあまり時間は無さそうよ!?」
小鈴は解決策を見いだせずに焦る。『要石』の魔力はもう今にも茉莉香の中に眠る神力を塗りつぶしてしまいそうだ。それが完了した時茉莉香は死に、クトゥルフが復活を遂げるのだろう。最早一刻の猶予もない。さりとて具体的にどうすればこの状況を解決できるのか、良い方法など浮かばない。それは小鈴だけでなく他の仲間たちも同様であった。
「へ……やっぱりこうなるか。だがこれで茉莉香を助けられるなら悔いはねぇ」
「天馬……?」
何かを悟ったような天馬の声に小鈴は思わず彼を仰ぎ見る。天馬はこの状況にも関わらず、とても穏やかな顔をしていた。常に気を張り詰めていた彼のこんな表情を見るのは初めてであったかも知れない。
天馬はその穏やかな顔のまま小鈴を、そして仲間たちを振り返った。
「小鈴、それに皆も……俺みたいな自分勝手な野郎に付いてきてくれて本当に感謝してる。俺1人じゃ何もなし得なかった。啓次郎に勝てたのも皆の助けがあってこそだ。本当に……ありがとう」
「テ、テンマさん? 一体何を言っているんですか?」
シャクティが不安げに声を震わせる。彼の表情もその言葉も……まるで別れの挨拶かのようだ。
「邪神共は未だに眠ってるし、ウォーデンやプログレスだってまだ世界には大勢いるはずだ。そんな状況で皆に後を託していく俺を許してくれ。でもお前達なら必ず勝てるはずだ。この星のことを頼んだぜ」
「お、おい、テンマ! ふざけんなよ!? アタシらこれからも一緒に戦うんだろうが!」
タビサも動揺から語気を強めるが、天馬の様子は変わらない。
「それと……どうか茉莉香の事もよろしく頼む。こうなったのはあいつのせいなんかじゃない。誰にもどうする事も出来なかったんだ。仲良くしてやってくれ……それが俺の最後の望みだ」
「テ、テンマ……君はまさか……?」
ペラギアが何かに気づいたように目を見開くが、天馬はそれだけ告げると茉莉香の方に向き直って、二度と振り返らなかった。そしてその剣閃で茉莉香を囲む檻を切り破ると、磔になったままの茉莉香の身体に触れた。
「茉莉香……やっと戻ってこれたよ。長かった……。でもようやくお前を助けてやれる」
天馬は何かを念じるように目を閉じて大きく息を吸う。それからカッと目を見開いた。
「さあ、くそったれな邪神の魔力め! ただ塗りつぶすだけじゃ不満だろ!? こっちにもっと美味しい餌があるぞ! てめぇの眷属になれる美味しい餌だ!!」
「て、天馬……!?」
小鈴が悲鳴を上げた。ようやく天馬の狙いが分かったのだ。女のディヤウスは決して邪神の眷属になる事はない。つまり邪神の魔力とは本来全く親和性がないのだ。そこに邪神との親和性が高い男のディヤウスが門戸を開けて呼びかけてきたら。
苦くて不味い食べ物に四苦八苦していた所に、急に美味しい好物を目の前に差し出されたようなものだ。自我がなく本能的な自律性のみで動いている『要石』の魔力は、一も二もなく茉莉香を捨てて天馬の中に移り込んできた!
「――――っ!!!!!」
「て、天馬!? 天馬ぁ!! いやぁぁぁぁっ!!」
激しく痙攣しながら急激に神力を減少させ、替わりに魔力が膨れ上がっていく天馬の姿に小鈴は絶叫する。だが天馬から溢れ出す魔力の奔流が強烈過ぎて、小鈴も他の仲間たちも誰も天馬に近づく事さえ出来なかった。そして……天馬から黒い光が爆発し、小鈴達の視界を完全に塗りつぶした。
「…………っ」
やがて黒い奔流が収まり、女性達は庇っていた腕を下ろす。黒光が晴れたそこには、磔台が破壊されて地面に横たわる茉莉香の姿と……それを見下ろすように佇む天馬の姿があった。
「テ、テンマ……?」
アリシアが恐る恐る声をかけると、天馬はゆっくりとこちらに振り返った。そして振り返った彼の顔を見た全員が一瞬で理解した。
(――違うっ!)
そこにいたのは天馬であって、天馬ではなかった。本能的に臨戦態勢を取る女性達。それを見た『天馬』の顔が卑しい笑みに歪む。
「おいおい、ひでぇな。俺たちは仲間だったんじゃねぇのか。『仲間』に武器を向けるのかお前らは?」
「……ギリシャで誓ったはずだ。君が堕ちた時はこの手で君を殺すと」
ペラギアが宣言して『ニケ』の切っ先を向ける。そう、彼女が言葉にした事で、その場の全員が否応なく事態を把握していた。天馬は……侵化種へと『堕落』したのだ。茉莉香を侵食していた『要石』の魔力を全て自分が肩代わりする事によって。
剣を向けられた『天馬』はわざとらしく身を悶えさせる。
「ああ、酷いな! 俺たちの絆はそんなモンだったのか? なあ、小鈴? なあ、シャクティ? お前らはこんな薄情な女達とは違うよな? ギリシャで言ってたのはただの建前なんだろ? お前らに俺が殺せる訳がない。そうだろ? さあ、こっちに来い。お前らはウォーデンにはなれねぇが、俺に従うならクトゥルフ様が復活した後の世でも安楽に過ごさせてやる」
「テ、テンマ、さん……」
シャクティの顔が青ざめる。ギリシャでの思い出が『天馬』の口から語られる事で、目の前の存在が自分達が慕って共に旅してきた天馬でもあるという残酷な事実を突きつけてくる。だが……
「シャクティ、シャオリン、惑わされては駄目よ。アレはもうテンマじゃない。別の何かよ」
ラシーダが鞭を手に険しい表情で『天馬』を見据える。彼女も長く共に旅をしてきた仲間であり、天馬ともある意味で互いを理解し合う特別な関係であった。この東京でも天馬と組んでスカイツリーで強敵相手に共闘した。そんな彼女が何も感じていないはずはないのだ。
その事実に思い至ったシャクティは自らを鼓舞するように、そして自らの想いと決別するようにチャクラムを握り直した。
「建前なんかじゃありません! あなたは……私が殺します! それが私に出来るあなたへの唯一の恩返しだから!」
「……よく決断した、シャクティ。私もその思いを支えるぞ。このリスクを承知で彼を旅に誘った者の責任としてな」
アリシアも自らの葛藤を振り払って銃口を『天馬』に向ける。
「あなたは幼馴染を助ける為に、敢えて堕ちた。それは分かってる。でも……私の自分勝手な感情は、それでも尚あなたのそんな姿を見たくなかった。私の中の『彼』の記憶をこれ以上汚させはしない」
ミネルヴァは氷のような冷徹な表情の中に、苦しみと悲しみを秘めつつ『天馬』に槍を向ける。
「……未だに信じられねぇよ。けど……他にどうしようもねぇってんなら、アタシがあんたを終わらせてやるよ。あんたにこれ以上そんな顔をして欲しくねぇから、さ」
タビサもいつもとは違う神妙な表情で、しかし闘気を漲らせて『天馬』に拳を構える。
「自らを犠牲に幼馴染を助けたあなたの勇気と献身に敬意を表します。だから約束通り……私があなたを殺して差し上げますわ」
「とても残念だけど……一度邪神の眷属になったら二度と戻る方法はない。兄さんと同じく……倒す事が唯一の解決法なのよ」
ハリエットとドロテアも、それぞれ自分の武器を構えて臨戦態勢になる。これまで自分が率いてきた仲間たちの叛逆に『天馬』は不快気に顔を顰める。
「けっ……ああそうかよ。お前らは所詮その程度だったって事だな。でもお前だけは違うよな、小鈴? お前は俺の事が好きなんだろ? こっちに来い、小鈴。今ならお前の想いに応えてやれる。もう茉莉香なんぞどうでもいい。お前が俺に付いてきてくれるなら……俺はお前だけを愛すると誓おう」
「……っ!」
その言葉に小鈴の身体が震える。それはある意味で彼女が天馬に言って欲しかった一番の言葉だ。だが……天馬が天馬であるが故に、それは絶対に聞けるはずのない言葉でもあった。そんな彼だからこそ小鈴は惹かれたのだ。矛盾しているが……彼女が一番言って欲しかった言葉は、一番彼の口から聞きたくなかった言葉でもあったのだ。
皮肉にも天馬が絶対に言うはずのない言葉を『天馬』が口にした事が、小鈴の意思を後押しした。
「あんたは……天馬じゃない。たった今決心が付いたわ。私が……あんたを殺して、天馬を永遠の闇から解放してあげる。きっと『彼』はそれを望んでいるから!」
神力を漲らせて梢子棍を構える小鈴。その瞳にも心にも、もう迷いはなかった。仲間たち全員から絶縁を突きつけられた『天馬』は、肩を震わせて低く笑った。
「く、ひひ……そうか、残念だよ、小鈴。お前もその程度の想いだったって訳か。だがなぁ、お前らは根本的な勘違いをしてるぜ。そもそもお前らに俺は殺せねぇんだよ。精神的な意味じゃなく戦力的な意味で、な!」
「……!!」
その瞬間、天馬の身体から魔力の嵐が噴き上がった。それは比喩ではなく物理的な圧力を伴った『嵐』であったのだ。
「な……!?」「きゃああ!!」「うわぁぁぁっ!」「……っ!!」
『天馬』を包囲するように展開していた女達はその圧力と威力に抗しきれずに一人残らず吹き飛ばされて、地面や周囲の壁に叩きつけられて崩れ落ちる。『天馬』はその場から一歩も動いていないというのに。
「う……く……」
ダメージに呻いて中々立ち上がれない女達。それを嘲笑しながら見渡す『天馬』。力の差は歴然であった。ただでさえ天才的な戦闘能力を誇っていた天馬が『堕落』したのだ。その魔力はこれまで戦ってきたウォーデン達は勿論、『王』を名乗っていた啓次郎すら上回っているかも知れない。
「ああ……聞こえるぜ、クトゥルフ様の呼び声が。今回は失敗したが、あの御方は俺が必ず復活させる。それまでこいつは預けとくぜ。精々傷の舐め合いでもしてろ」
『天馬』は自分の足元で気を失ったままの茉莉香を無造作に足蹴にする。文字通り自らの存在を犠牲にしてまで助けた幼馴染への想いは、『堕落』した瞬間に消えてなくなったようだ。邪神の影響力の強さに戦慄すると共に、あまりと言えばあまりに酷すぎる『彼』への仕打ちに、女達は心の中で慟哭した。
「くはは、じゃあな雑魚ども。ああ、言い忘れてたがこの亜空間は間もなく崩壊する。崩壊に巻き込まれたらお前らも一緒に死ぬ事になるぜ。存在ごと消滅してな」
「な……!」
絶句して顔を青ざめさせる小鈴達。『天馬』は嗜虐的な笑みを浮かべる。
「それが嫌なら完全崩壊するまでに頑張って脱出するんだな。ほら、もうカウントダウンは始まってるぜ?」
「……っ!」
無様に転がる女達など殺す価値さえないと判断したのだろう。『天馬』は魔力を高めると、あっさりと亜空間を切り裂いて『外』へと消え去っていった。しかしその『切り口』はすぐに閉じてしまう。再び亜空間に閉じ込められる小鈴達。
同時に……空間そのものが歪みはじめ、まるで真夏の日差しに当てたアイスのようにドロドロと溶け崩れ始める。それは異様な光景であった。
「ぐ……じょ、冗談じゃ、ありませんわ!」
「ああ……早く、脱出しないと……!」
ハリエットとペラギアが最初にふらつきながらも何とか立ち上がる。『天馬』の魔力に至近距離で被爆した影響によって、体力と神力を大きく消耗させられてしまっていた。
「く……身体が、重い……」
「ち、くしょ……!」
「皆、頑張って……!」
小鈴や他の仲間たちも辛うじて立ち上がるが、全員大きく息を切らせている状態だ。最初ここに侵入した時は全員万全の状態で尚且つ樹里もいた。それでもあれだけ苦労したというのに、今は樹里を欠いた状態で更には全員が体力と神力を消耗している。
しかし周囲の空間の崩壊は加速度的に進んでおり、最早一刻の猶予もない状況だ。
「泣き言を言ってる暇はないわ。出来るかどうかじゃなく、やるのよ。皆、準備はいいわね!?」
「ああ、だがその前に……」
ラシーダの音頭にアリシアは頷きながらも、気を失っている茉莉香を肩に担ぎ上げる。今となっては天馬の形見ともいえる存在だ。茉莉香を助けるために天馬は『死んだ』のだ。彼女は絶対に無事に連れ帰らねばならなかった。
「……準備はいいわね!? 皆、行くわよ! シャクティ、お願い!」
「は、はい……!」
小鈴の合図で全員がなけなしの神力をシャクティに集中させる。空間の崩壊は最早彼女たちの間近にまで迫っていた。一度たりとも失敗は出来ない。
「……行きます!!」
極限の緊張状態の中、シャクティは全力でチャクラムを振り抜いた。そして……