第29話 総力戦
「がはっ……!」
全身を切り刻まれ、焼かれ、貫かれた天馬は、文字通りの死に体となって倒れ伏した。『王』たる朝香啓次郎と刺し違えようと特攻した天馬だが、現実は非情であった。
「くはは、ざまぁねぇな小僧。俺達の本体に勝ったからって調子に乗ってんじゃねぇぞ?」
雷を帯びた剣を手に嗤うのは、雷神タケミカヅチのウォーデンである我妻だ。
「我々の本体を倒しただけあって大した強さだが……流石に4人ものウォーデンを相手にして勝負になるはずがあるまい」
光の剣を突き付けて宣言するのは、大天使メタトロンのウォーデンであるベネディクトだ。
「惜しいね。君も覚醒していればこの上なく強力な同志となったであろうに。よりによって『王』に歯向かう道を選ぶなんてね」
鋭利な刺突剣を手に嘆息するのは、狩猟神ケルヌンノスのウォーデンであるジルベールだ。
「……温い。我等の本体を殺し『王』に逆らう痴れ者など、即刻この場で処刑する以外の選択肢はない」
鍛え抜かれた体躯でそう吐き捨てるのは、風神タケミナカタのウォーデンである西園寺だ。
いずれも既に天馬達が死闘の末に討伐してきたはずの強敵達であった。それが何事も無かったように健在し、こうして徒党を組んで天馬を嬲りものにしている。このあり得ない現象の原因は……
「無様よな、小僧。それが貴様の限界だ。我が力の前にひれ伏し、そこで眺めているがよい。お前が救おうとした神代茉莉香が強制的に天照大御神のディヤウスへと覚醒する様をな」
むしろ憐憫すら含んだような声と表情で、『王』たる啓次郎が宣う。大日如来のウォーデンである奴の力『天尊流生』によって、これまで打倒してきたウォーデン共が甦った。正確には本体から抽出した魔力で作られた複製らしいのだが、本体と同等の力を持っているので同じ事だ。
瀕死の重傷を負って倒れる天馬の目の前で、磔にされた茉莉香が苦しみ悶えている。『要石』の魔力が彼女を内側から浸食しているのだ。このままでは茉莉香は強制的に覚醒させられ、啓次郎の思惑通りになってしまう。
奴が具体的に覚醒した茉莉香の力を何に利用するつもりなのかは解らない。だがそんな事は関係なかった。彼の目の前で茉莉香が激しい苦痛に身悶えしてしている。彼が彼女を助ける理由はそれだけで充分だ。
「茉……莉、香ぁぁぁ……!!」
這いずってでも茉莉香の元に近寄ろうとする天馬。だが無情にもそれを取り囲む複数の影。天馬の脚を貫いて剣が突き立つ。
「がっ……!!」
「『王』のお言葉が聞こえなかったのか? ひれ伏して黙って見ていよと仰せだ。すぐに処断せぬだけありがたいと思え」
ベネディクトだ。自らの光の剣を天馬の脚に突き刺して、彼をその場に縫い止めたのだ。
「甘いぞ、ベネディクト。このような狂犬、牙自体を奪っておくべきだ」
西園寺が腕を振り上げて真空刃を作り出すと、それを天馬の右腕に振り下ろした。大量の鮮血と共に斬り落とされた天馬の腕が宙を舞った。
「ぎぁ!? がぁぁぁぁぁっ!!!」
激痛と失血に天馬は死にかけの野獣のような咆哮を上げる。だが彼の苦しみはそこで終わらない。
「ひはは、いい趣向だな! 俺にも一枚噛ませろや!」
残忍な笑みを浮かべた我妻が、自らの剣を天馬の背中に急所を外して突き立てた。天馬の身体がビクンッと跳ねる。
『布都御霊剣!』
その剣を通して凄まじい電流が天馬の身体に流れ込む。彼がディヤウスでなければ一瞬で感電死しているだろう電圧だ。
「――――っ!! ――!!!」
最早叫び声すら上げられず天馬はただのたうち回るだけだ。しかしそれも身体に突き立った複数の凶器が強制的に押し留める。
「……敵とはいえ彼のような真のサムライをこれ以上無闇に甚振る事はしのびない。『王』よ、彼に止めを刺すご許可を頂けませぬか」
その様子に眉を顰めたジルベールが啓次郎を仰ぎ見る。啓次郎は肩を竦めた。
「ふむ。確かにこやつ、全く絶望する気配がなくいつまでも無駄に足掻きよる。こうなってくると目障りなだけか。もうよい、興が醒めたわ。構わんから殺せ」
『王』の許可が出たジルベールは頷くと、レイピアを構えて天馬の後頭部の辺りに狙いを定める。
「一撃で延髄を貫いて苦しませずに逝かせてあげよう。さらばだ、サムライよ」
既に半死半生の天馬にそれを受ける術も躱す術もない。ジルベールの慈悲の刃が振り下ろされようとしたその時……
――ピシッ!!
「……! 何だ……?」
何かに亀裂が入るような大きな音が響き、西園寺が眉を顰めて視線を巡らせる。他のウォーデン達も同様だ。その音源はすぐに目に入ってきた。
何もないはずの空間の一点に、巨大な白い亀裂が走っていたのである。唖然とする彼等の前でその亀裂は見る見る大きくなり、枝分かれして際限なく広がっていく。
「な、何だ、こりゃあ!?」
「空間が……割れる!?」
我妻とベネディクトが目を瞠る。ジルベールもレイピアを止めてその現象を見上げていた。
「まさか……『王』の力で作り出した亜空間が……?」
やがて網の目のように広がった亀裂に、空間そのものが耐え切れなくなり、そして……遂に粉々に砕け散った!
*****
10人のディヤウスの力を結集して、遂に空間そのものを切り裂く事に成功した小鈴達。小鈴は割れた空間の先に率先して飛び込んだ。勿論仲間達も慌ててその後に続いていく。『結界』を潜った時のような一瞬の違和感を経て、小鈴達は異空間の中に飛び出した。
そこは一見、先程まで彼女達がいた靖国神社そのものであった。だが、違う。空気の質のような物が違うと彼女らは本能的に悟った。だがすぐにそんな事はどうでもよくなるような光景が彼女らを出迎えた。
「あれは……ベネディクト!? 奴はDCで倒したはずだぞ!」
「あの我妻って奴もいるわ! どうなってるの!?」
そこで彼女らを出迎えた面々の姿を見て、小鈴達は一様に驚愕に目を瞠った。
「それだけじゃない。私とテンマがスカイツリーで倒したジルベールという男もいるわ」
「ああ、私達が先だって倒したばかりのサイオンジという男もね……!」
信じがたい光景に、それぞれの敵を打倒してきた面々が呻いた。だが彼女らはすぐに、ある意味でそれ以上に衝撃的な光景に顔を青ざめさせる事になる。
「テ、テンマさん!? テンマさんが……!!」
「「「……っ!!」」」
シャクティの悲鳴のような叫び声に、彼女らはようやくその何故か復活しているウォーデン達の足元に何かが倒れているのに気付いた。そしてそれが変わり果てた姿の天馬である事にも。
全身が無惨に焼け焦げ、身体中が深い傷だらけで大量の血だまりを作っていた。その満身創痍の身体には何本もの剣が突き刺さって彼を地面に縫い止めている。そして……天馬の右腕から先が無かった。
切断された腕からも大量の血が零れ落ち、天馬は文字通り死に体となっていた。いや、もう死んでいても全くおかしくないような状態だ。先程の小鈴自身の火傷よりも更に酷い。
天馬ほどの手練れが何故このような有様になっているのか。その原因は明らかだ。
「おお、何だぁ? 何が現れるのかと思ったら、こりゃまた綺麗処がわんさかと。樹里の奴までいるじゃねぇか!」
「……っ」
『我妻』の目が自分に向いた樹里が可哀想なくらい青ざめる。無理もない。やっとの思いで逃れたはずの悪夢が再び目の前に現れたようなものだ。
4人ものウォーデンがその場に集っていた。これではいかに天馬であろうとも単身では嬲り殺しにされるのも避けようがない。しかもその『ウォーデン』達は……
「どういう事だ! 何故奴等が生きている!? 確実に斃したはずだ!」
「理由はさっぱり解らないけど……原因は予想が付くね」
ぺラギアは冷や汗を垂らしながら、ウォーデン達の後ろに控えている人物を見やった。その人物を知っている者は誰もいなかった。つまり他の連中のように生き返った者ではないという事だ。となると……
「ふむ、よもや私の次元障壁が破られるとは思わなかったぞ。取るに足らん羽虫共と気にも留めていなかったが……私を煩わせた報いは受けてもらおうか」
「……! あなた……あなたが『王』とやら!? あなたが天馬を……!!」
小鈴は怒りに燃えた目で、進み出てきたその男を睨み付ける。男はあっさりと肯定した。
「いかにも、私が大日如来のウォーデンたる朝香啓次郎だ。そしてお前達の想像通り、こやつらを甦らせたのは私の力だ。このようにな……!」
啓次郎が大きく手を振った。すると目を疑うような現象が起きた。黒い光の塊がいくつも発生したかと思うと、それらの黒い光が急速に人型を取り始める。そして完全に形を得たそれらは、彼女らにとって直近で見知っている姿となった。
「そ、そんな……こんな事、あり得ませんわ!」
「う、嘘……兄さん!?」
その光景に豪胆なはずのハリエットが呻き、ドロテアもまた別の意味で顔を青ざめさせる。
「ん、んんーー……? ドロテア? そうか……俺は死んだんだな。やってくれたねぇ」
そう言って頭を掻くのは浅黒い肌のラテン系の男……死神ミクトランテクトリのウォーデン、エミリオだ。その恐ろしい力を知っているミネルヴァとタビサも顔を引き攣らせる。
「やってくれた、ってのは僕の台詞さ。本体を殺されたんだ。あいつら、絶対に只じゃ済まさないよ」
暗い声と表情で怨嗟を垂れ流すのは、高校の制服を纏った日本人の少年……孔雀明王のウォーデン、上杉だ。その手には既に神器である『雀蓮華』が握られている。
「私のラボを台無しにしてくれた罪は重いぞ。跡形もなく焼き尽くしてあげよう」
くすんだ金髪をオールバックにした神経質そうなロシア人……火神スヴァローグのウォーデン、ボリスが自分の眼鏡の位置を直しながら宣言する。
「おお……偉大なる『王』よ。今一度の機会を与えて頂いた事、感謝致しますぞ」
頭にターバンを巻いたスーツ姿のアラブ人……魔神ネルガルのウォーデン、ハキ―ムは啓次郎に対して恭しく一礼する。
自分達が死闘の末にようやく倒したはずの強敵達が何事も無かったように復活して目の前に立ち塞がる。それは悪夢以外の何物でもなかった。同時にこれを為した『王』という存在の規格外さを思い知る小鈴達。
「こりゃあマジで……ちょっとやべぇかも」
「……同感。『王』とやらを見くびっていたみたい」
普段は強気なタビサの漏らした本音に、ラシーダも心底から同意して頷いた。これで最初の4人に加えて合計で8人ものウォーデンがこの場に出現した事になる。間違いなく前代未聞の事態だ。
こちらは天馬を含めないでも10人いるので、一応数の上ではまだこちらの方が多い。しかし……
中国からの旅路も含めて今までの戦いから解った事は、1人のウォーデンを相手にするには最低でも2人、いや、3人のディヤウスが必要だという点だ。より確実を期すなら4人は欲しい所だ。1人のウォーデンを相手に、である。
つまり単純な計算で考えても、こちらに10人いたとして同時に相手に出来るウォーデンは3人が限界という事だ。そしてあちらには啓次郎を除いても、そのキャパシティの倍以上である8人ものウォーデンが……
「……どうやらここまでのようだね」
「ええ……私も正直『王』とやらの力を見誤っておりましたわ」
冷静に彼我の戦力差を分析してしまったぺラギアが諦念と共に嘆息する。ハリエットも同意するように首肯していた。無言だがアリシアも同様であった。彼女達ベテラン勢は、ベテランであるが故に一早くそれを悟ってしまったのである。しかし……
「……まだよ!」
「……! シャオリンさん……?」
絶望と諦念ムードが漂う中、小鈴だけは全く折れる事無く啓次郎とその足元に倒れて動かない天馬を見据えていた。その更に向こうには磔にされて悶え苦しんでいる、恐らく神代茉莉香と思われる少女がいたが今は敢えて意識から除外する。
「シャオリン、気持ちは分かるがこの状況は如何とも――」
「いいえ、まだ勝機はあるわ」
「え……!?」
彼女の言葉に仲間たち全員の視線が集中する。それを説明している暇はないし、そんな状況でもない。ウォーデン共は自分達の勝利が揺るがないと確信しているが為に余裕があり、こちらにすぐに襲い掛かってくる様子はないが、それとて奴等の気分次第だ。
「私は今からあの『王』の……正確には天馬の元に直行する。樹里、悪いけどあなたは私と一緒に来て。今の天馬を助けられるのはあなただけだから」
「あ……は、はい!」
樹里は青ざめた顔ながら慌てて頷く。だがそれを聞いたミネルヴァが眉を顰めた。
「テンマの元に? それが出来るなら今すぐにでもそうしている。前に8人ものウォーデンがいてそれは不可能」
「そう、不可能ね。だから皆に奴等を足止めして欲しいの。それも……一対一で」
「……っ!!」
仲間達全員が息を呑んだ。小鈴と樹里を除くと残った仲間の数は8人。丁度復活したウォーデン共と同じ数だ。だが前述のようにウォーデン1人に対してディヤウス3人でようやく釣り合うくらいだ。一対一ではまともな勝負になるかさえ怪しい。ぺラギアが納得したように頷く。
「なるほど、だから足止めという事だね」
「そうよ。勝ち目がないのは解っている。けど私達が勝つ可能性があるとしたらこれしかないの」
「けど……いくらテンマを助けられても、流石にこれは無理じゃねぇか? あの『王』って野郎も入れてウォーデンが9人だぜ?」
いつもは押せ押せなタビサも弱気になっている。それも仕方のない事だ。だが小鈴はかぶりを振った。
「いくら『王』とはいっても、あんな反則級の力を何の制限もなしに使えるはずがないわ。あの『王』さえ死ねばもしかしたら他の連中は消え去るかも」
勿論何の確証もない。なのでこれは一種の賭けだ。外れたらその時が自分達の終わる時だ。ハリエットが大きく息を吐いた。
「……私とした事が諦念に陥る所でしたわ。確かに他に手が無いのなら試してみる価値はありますわね」
「うむ、そうだな。シャオリンの作戦で行ってみよう。皆、覚悟はいいか?」
一対一でウォーデンと戦うという難行を耐え抜かねばならないが、それしかないと皆解っているようで、アリシアの確認に一様に頷いて神器を構える。ドロテアが深く嘆息する。
「……正直また兄さんと戦う事になるとは思わなかったけど、こうなったらやるしかないわね」
「そ、そうですね。足止めだけで倒す必要はないというのだけが救いですけど……」
シャクティも泣きそうな顔になりながら、それでも気丈にチャクラムを構える。
「一対一か……。私には一番厳しい条件ね。でもテンマを助ける為に泣き言は言ってられないわね」
接近戦が苦手なラシーダも覚悟を決めて『セルケトの尾』を構えて神力を高める。
「……『末後の別れ』は終わったかな? それでは……そろそろ時間だ」
ジルベールがそう告げたのを合図に、他のウォーデン達も動き出した。基本的にどいつも嗜虐的で残忍な笑みにその顔を歪めている。奴等から感じる魔力は本物と比べて全く遜色ない。
「……行くわよ、樹里!」
「はい!」
だが小鈴は些かも怯まず、ただひたすら天馬だけを見据えて特攻を開始した。その後に必死に追随する樹里。当然それを妨害しようとするウォーデン共だが……
「私達も行くよ! 皆、武運を!」
そこに残った仲間達が突撃していく。8人の男と8人の女。数は同数でもその力には圧倒的な差がある二つの集団が正面からぶつかり合う。魔都・東京における真の最終決戦の火蓋が切って落とされた!