第28話 次元斬り
小鈴の容体は極めて危険な状態であった。だがアリシアの状況判断で一早く戦線離脱させて、シャクティに樹里の元まで運ばせた事が功を奏した。正直あと30分でも治療が遅れていたら最悪の事態になっていただろう。
樹里の懸命な治療によって辛うじて一命を取り留め、つい先程ようやく意識を取り戻した小鈴は、疲労困憊で青い顔をしている樹里からそう聞かされていた。
「シャオリンさん!! 良かった……! 本当にどうなる事かと……!!」
彼女をこの靖国神社まで運んできたシャクティが、涙ながらに抱き着いてくる。どうやらかなり心配させてしまったようだ。小鈴は無意識にシャクティの頭を撫でる。
「あー……シャクティ? ごめんね、心配掛けちゃって。でも本当にありがとう。あなたのお陰で助かったわ」
「……本当ですよ。でも私はここまで運んだだけです。ジュリさんがいなかったらと思うと……!」
シャクティがゾッとしたように身を震わせる。同時に小鈴自身もゾッとした。樹里がいなかったら自分は確実に死んでいたのだ。
「あー……その、あなたも……あ、ありがと……。助かったわ」
日本人という事でやや隔意があった樹里だが、我妻との戦いも含めてこう何度も命を救われては流石に小鈴としても礼を言わざるを得ない。
「い、いえ……これしか取り柄がありませんから。本当にご無事で良かったです……」
まだ疲労が残っている状態ながら、樹里が頷いて微笑んだ。
「シャオリン、無事に助かって何よりだよ。だが病み上がりで悪いけど、私達は現在逼迫した状況に置かれている。君もシャクティも折角この場にいるのだから、この状況を打破するために協力して欲しい」
ぺラギアも小鈴の無事を喜びつつ、しかし厳しい表情で頼んでくる。それを受けて小鈴もシャクティも意識を切り替えた。確かに病み上がりなどとは言ってられない。先程から天馬の姿が見えない事も気になる。
「ええ、私なら大丈夫よ。天馬がここにいないのは何故? 何があったの?」
「ああ、実は……」
ぺラギアから事情を聞かされた小鈴達は目を瞠った。この神社に入った途端に天馬とはぐれてしまったというのだ。
「私の見立てでは恐らく、次元そのものを切り離して私達を分断させた可能性が高い。常識外れだけど、ここに待ち構えていたのが『王』とやらである事を考えると……」
「…………」
『王』の力がこちらの想定を上回っているのだとしたら、ほぼ何でもありという事だ。どんな突飛な可能性も想定するべきだろう。
「問題は次元そのものを切り離すなんて状態に対して干渉しようがないって事なんだよね。『結界』のように目に見えてる障壁とかの類いなら、それを突破出来ればいいだけなんだけど……」
ぺラギアが嘆息する。目に見えず、存在も認識できないものに対しては対処のしようがない。だが話を聞いていた小鈴はシャクティと顔を見合わせて頷き合った。シャクティもエジプトでの戦いを共にしているのですぐに『同じ結論』に行き着いたようだ。
「うん? 2人ともどうしたんだい? 何か心当たりがありそうな感じだけど……」
「心当たりって程じゃないんだけど……かつてエジプトで戦ったウォーデンが空間を操る能力の持ち主で、そいつの力で今の天馬のように別次元みたいな所に引き込まれた事があったの」
ルクソールのカルナック神殿で、いつの間にか現実世界とは切り離された別次元に閉じ込められた事があった。脱出不可能に陥りかけたが、天馬が空間ごと切り裂いて脱出に成功したのだ。ぺラギアが目を瞠る。
「空間ごと……切り裂いただって?」
「勿論テンマさんだからこそ可能な離れ業だったとは思うんですが……今の状況を打破するにはそれしかないかも知れません」
シャクティがそう言って補足する。ぺラギアが難しい顔になって唸る。
「……彼も充分常識外れだね。ただ他に指針がないのも事実だし、やってみるしかないか」
少なくとも空間は斬り裂ける物だという実例はあるのだし、他に方法がないなら試してみる価値はあるだろう。
とりあえず武器が切断系で、尚且つ天馬の『空間斬り』を直に見た経験のあるシャクティが実演役に選ばれた。
「……いきます!」
神器の『ソーマ』と『ダラ』を両手に握り締め神力を限界まで練り上げたシャクティが、エジプトでの天馬のそれを極力再現しつつ、二振りのチャクラムを交叉させるようにして何もない空間に渾身の力で斬り付けた。
「…………」
その場にいた全員が固唾を飲んで見守るが、生憎と何も起きない。シャクティが大きな息を吐いてその場に座り込んでしまう。
「だ、駄目です、全然手応えが……。やっぱり私なんかじゃ……」
「むぅ……やはり駄目か」
ぺラギアも顎に手を当てて唸る。しかし諦めるのはまだ早い。
「1人で無理なら、皆の神力を束ねてみるべきね。樹里、悪いけどあなたも手伝って」
「あ……は、はい」
「そうだね。やれる事はやってみるべきだ」
小鈴に促されて樹里もぺラギアも、そして勿論小鈴自身も限界まで神力を練り上げて、シャクティの背中に手を当てて自身の神力を彼女に受け渡す。
「……! これなら行けるかも知れません! もう一度やってみます!」
3人の神力を受けたシャクティは元気を取り戻して勢いよく立ち上がった。そしてもう一度チャクラムを構え直す。
「はぁぁぁぁっ!!!」
再度全力でチャクラムを斬り付ける。神力の軌跡が何もない空間に広がり……そして虚しく消えていった。
「……! ああ……」
「これでも駄目か……! 一体どれだけ規格外なんだい、テンマは!?」
シャクティと樹里が揃って脱力する。4人のディヤウスの神力を束ねた斬撃でも、空間には何の手応えも与えられない。それを独りで為したという天馬の離れ業に今更ながらぺラギアは戦慄する。
「諦めたらそこで終わりよ! 出来るまで何度だってやるのよ!」
だがこの『向こう』に天馬がいると解っていながらそこに行けない事に焦燥を感じている小鈴は、皆を励まして再度のチャレンジを促す。だが……現実は非情であった。
何度やっても上手くは行かず、それどころか繰り返せば繰り返す程神力を消耗し、また集中力も切れてきて更に能率が落ちていく。完全な悪循環に陥る小鈴達。
「だ、駄目です、シャオリンさん……これ以上は、もう……」
「シャオリン、一旦休憩しよう。シャクティも私達も限界だ。これ以上続けても無駄に神力を消耗するだけだ」
シャクティは疲れ果ててへばってしまっている。樹里もだ。ぺラギアも息を切らせた状態で小鈴にストップをかける。彼女自身も同じような状態だったのでぺラギアの言葉を否定する事も出来なかった。確かにこのまま闇雲に続けても成功する気がしない。
(でも……天馬がすぐ近くに一人でいるのに……!)
分断されたはずの彼が今どういう状況にあるのか、それすら全く分からない。最悪の想像ばかりが頭をよぎる。しかし焦った所で更なる悪循環に陥るだけだ。にっちもさっちも行かない状況に小鈴は呻吟する。
何か状況を打破する手はないのか。焦燥に駆られた小鈴は必死に思考を巡らせるが、焦りから空回りするだけだ。勿論ぺラギア達も似たような状態だ。誰も打つ手を見出せず暗い雰囲気に沈みかけたその時……
「シャオリン! 無事だったのか!!」
「……っ! アリシア!? タビサも……!!」
聞き覚えのある声に弾かれたように顔を上げると、そこには予想通り新宿で別れたアリシアとタビサの姿があった。
「こっちは他にウォーデンもいなかったから、何とか全部の『要石』をぶっ壊せたぜ! で、無事だったのは良かったけど、こんな所で何してんだ? テンマは?」
タビサが境内の真ん中でへたり込んでいる4人の姿を見て首を傾げる。自分達の担当する『要石』を全て破壊した後、即座にこちらに駆け付けてくれたらしい。アリシアの目線が厳しくなる。
「どうやら何か不測の事態が起こっているようだな。状況を聞かせてくれ」
「あ、ああ。といってもそんなに複雑な事態じゃないけどね……」
ぺラギアが掻い摘んで状況を説明する。それを聞いたタビサが目を吊り上げた。
「テンマが別の次元に? 何だかよく分からねぇけど、神力が沢山ありゃいいんだな? だったらアタシに任せとけ! すぐにでもテンマを助けに行こうぜ!」
「落ち着け、タビサ。そうしたいのは山々だが、今の話を聞く限りそれでもまた無駄に神力を消耗するだけの結果に終わりかねん。何と言っても『空間を斬る』などという離れ業をやろうというのだ。それには万全の態勢を整える必要がある」
「万全の態勢? それって……」
タビサは再び首を傾げるが、ぺラギアにはそれが何か解ったらしく同意するように頷いた。
「ああ、なるほど。確かにそうだね。君達がこうしてやって来たんだ。向こうもそろそろ――」
「――ちょっと、これはどういう事ですの!? ここは『結界』の中ですわよ!? こんな所に座り込んで何をやっているのです!?」
ぺラギアの言葉に被せるようにして特徴的な口調の甲高い声が響いてきた。それで小鈴にもアリシア達が何を待っていたのか理解できた。
ハリエット達のチームだ。彼女らも『要石』破壊の任務を終えてこの場に集ってきたのだ。ミネルヴァ、ドロテア、そしてラシーダの姿もある。そのラシーダが小鈴達の状況を見て目を細める。
「……テンマは? 彼はどこに行ったの?」
「うむ、それなんだが……」
今度はアリシアがラシーダ達への説明を引き受ける。その説明を聞いたハリエット達は一様に目を瞠った。
「……空間を斬る? 本当にそんな事が可能なの?」
ミネルヴァが信じがたいという風に疑問を呈するが、ラシーダが頷いた。
「気持ちは分かるわ。でも私もまだ覚醒する前だけどシャクティと一緒にその現場を直に見たの。彼は本当に『空間を斬った』わ。それは確かよ」
「……生憎彼が戦っている所は見た事がないのですけれど、それが本当ならとんでもない男ですのね。流石ウォーデンの誘惑を跳ね除けているだけはありますわ」
ハリエットが納得したように唸る。タビサが待ちきれないという様子で足踏みする。
「なあ、もう全員揃ったんだから早く始めようぜ! テンマの所に行かねぇと!」
「そうね。ここにいる全員の神力を束ねれば奇跡を起こせるかも知れない。でも……それだけじゃまだ足りないわね」
ラシーダが顎に手を当てて思案顔になる。そしてすぐに顔を上げた。
「実演役は引き続きシャクティにやってもらいましょう。私もルクソールで天馬の技を間近で見てたけど、私の力や武器はこういうのに向いてないし」
「は、はい、解りました。今度こそ……やってみせます!」
皆が話している間に体力を回復させたシャクティが意気込む。ラシーダはそれに頷きつつ、ドロテアにも視線を向ける。
「ドロテアはシャクティのサポートをお願い。相手は空間よ。別の空間から骸骨を呼んだりできるあなたの能力があれば、この空間にも作用を及ぼせるかもしれないし」
「……! 確かにそうかも。解った、サポートは任せて」
ラシーダの意図を読んだドロテアもしっかり頷いて請け負った。
「あとの皆は私も含めて、神力を限界まで練り上げてシャクティへと流し込む係よ。この一回で成功させましょう」
「おうよ! 任しとけ!」
タビサが勢い込んで手を打ち付ける。小鈴含めて他の面々も真剣な表情で頷いた。シャクティは再び神器を顕現させて構える。これまで以上の気迫に満ちている。その横でドロテアも禍々しい形状の神器を顕現させて、空間そのものに干渉すべく神力を高めていく。
彼女らの後ろでは、小鈴、樹里、ぺラギア、アリシア、タビサ、そしてラシーダ、ミネルヴァ、ハリエットの8人のディヤウスがその神力を限界まで練り上げている。恐ろしい程の濃密な神力がその場に集中して、まるで陽炎のように空気を揺らめかせていた。
「……今よっ!」
小鈴の合図で後方の8人が一斉にシャクティに向かって神力を放出する。それを受けてシャクティが二振りのチャクラムを大きく振りかぶった。同時にドロテアが『死者の杖』を掲げて空間のとある一点に向ける。
「――ハァァァァァァァァッ!!!」
気合一閃。シャクティが二振りのチャクラムを全力で振り下ろした。その軌跡にドロテアも自らの力を纏わせる。10人の神力が込められた斬撃が空間そのものに叩きつけられる。そして……
「……っ!!」
何もない空間に亀裂が走った。その亀裂は徐々に広がっていき……まるでガラスのように粉々に砕け散った!