第15話 『怯懦』の上杉
「さて、後はこの『要石』を破壊すれば…………っ!?」
赤毛の女騎士……ハリエットが、二振りの斧槍を構えて『要石』に向き直ろうとした時、彼女の背後で爆発的な魔力が発生した。彼女が思わず振り向くと、そこには蹲るような姿勢になった上杉がいた。この魔力は奴の身体から発せられているようだ。何が起きるのかぺラギアにはすぐ分かった。
「い、いけない。すぐにアイツに止めを刺すんだ……! でないと……」
「……っ! 私とした事が仕損じましたわ……!」
ハリエットも理解はしているようで、すぐさま上杉に止めを刺すべく斧槍を構えて突っ込む。だが奴の身体から大量の『雀蓮華』、のようなものが発生して放射される方が早かった。
「ちぃ……!」
ハリエットは舌打ちして斧槍を振って触手を払いつつ、後ろに跳び退る。上杉の身体から発生する触手は更にその数を増して上杉の身体を覆い尽くす。その大量の触手が生えた物体は転がるようにして窓から校舎の外へと飛び出した。
そして……上空で『翼』を広げた。
「な…………」
ハリエットも、ぺラギアも……思わず唖然とした声を上げた。彼女らの見上げる先、校舎を見下ろす上空に恐ろしく巨大な『鳥』が羽ばたいていた。翼長は10メートル程にもなろうか。それは赤と黒の不気味な色合いをしている事以外は一見、奴の力の元となった孔雀明王に由来する孔雀のよう見えた。だが猛禽のような特徴も兼ね備えており、単純な巨大孔雀という感じではなかった。
しかし、その『尾』……。それはまさに孔雀の尾そのものの形状で、そこからあの『雀蓮華』と同じような柔らかく羽毛に包まれた触手が大量に生えて蠢いていた。
猛禽類と融合したような赤黒い羽毛に包まれた恐ろしく巨大な孔雀……それが今彼女らの先にいる怪物の姿であった。
『許さない……絶対に許さないぞ、お前達。僕にこんな傷を負わせた報いは絶対に受けさせてやる。今更後悔しても手遅れだよ?』
孔雀の怪物から上杉の怨嗟の声が響いてくる。やはりあれはウォーデン上杉の戦闘形態のようだ。
「ち……『ヴァハ!』『バズヴ!』」
ハリエットは二振りの斧槍(恐らくヴァハとバズヴという名前の神器)を振り上げて、上杉に向かって全力で振り下ろした。
『クロスクレア―!!』
二本の斧槍から放たれた半月状のエネルギー体が、まるで交差するような軌道を描きつつ凄まじい速度で上杉に迫る。巨体の上杉は回避も間に合わずにハリエットの技が直撃した。しかし……
『ふ……あはは! 無駄だよ! 今の僕にそんな技が効くと思うかい!』
「……!!」
恐らく天馬の鬼刃斬などと等しい威力と思われるハリエットの遠距離攻撃を受けても、上杉の巨体は僅かに小動した程度で、目に見えて効いている様子がなかった。
『今度はこっちの番だねぇ!』
上杉が巨大な翼をはためかせると、そこから真っ黒い光で構成された球体がいくつも射出された。それらはぺラギア達がいる教室だけではなく、校舎の最上階全体に着弾すると一斉に激しい爆発を引き起こした。
「……っ!」
「まずい……!」
神力と体力が殆ど枯渇しているぺラギアは勿論、ハリエットも咄嗟に出来たのは只その場に伏せる事のみであった。
凄まじい轟音と衝撃、熱波、そして巻き込まれた人々の阿鼻叫喚が轟き……神衣のお陰で何とか耐えきれたぺラギアが恐る恐る顔を上げると……
「……っ!!」
屋上……つまり校舎の最上階部分の天井と、そして各教室などを区切っていた壁が軒並み消し飛んでいた。ぺラギア達の頭上に直接日の光が注いでいた。言ってみれば『屋上』が一階分低くなったような物だ。
破壊され遮る物もなくなった『屋上』に、神力以外では傷つく事も無い『要石』だけが相変わらず鎮座して、魔力の靄を放出し続けていた。
「く……とんでもない、破壊力ですわね」
ハリエットが斧槍を杖代わりに立ち上がる。彼女もダメージは受けたものの無事だったようだ。だが敵は相変わらず空中にいて、ハリエットも先程の遠距離攻撃が効かないとなると打つ手なしだ。
『さあ、これでお膳立ては整ったね! お前の神力も根こそぎ吸い尽くしてやるよ!』
上杉が尾に生える大量の『雀蓮華』を繰り出してきた。あれの一本一本が『雀蓮華』と同じ効能なのだとしたら恐ろしい事になる。
「……っ! 冗談じゃありませんわ!」
ハリエットもぺラギアがやられている所は見ていたのだろう。顔を引き攣らせて距離を取ろうとする。だが『雀蓮華』の群れは意思を持ったように彼女を追尾してくる。あれに捕まったら一巻の終わりだ。
(このままじゃマズい……。でも、どうすれば……!?)
ハリエットを援護しようにも、神力と体力がほぼ枯渇していて立つ事さえ辛い状態だ。既に脅威はないと見做された故に放置されているだけだ。仮に戦えた所で遠距離攻撃に乏しいぺラギアでは、上空にいる相手に対して有効な攻撃手段がない。
(そんな私でも……今の私でも出来る事があるとすれば、それは……)
目標を決めたぺラギアはなけなしの神力を必死にかき集める。幸いというか上杉はハリエットを追い回すのに夢中で、またぺラギアには既に戦う力がないと見做してか、こちらには全く注意を向けていなかった。今なら……やれる。
(頼む……上手く行ってくれ。アテナよ……私に力を!)
激しい応酬を続ける上杉とハリエットの戦いを尻目に、ぺラギアは無様に四つ這いで息を切らせながら、じれったい程ゆっくりとソレに近付いていく。その間にも殆ど残っていない神力をかき集め続ける。
目標に接近したぺラギアは『ニケ』を手に取って、両膝をついた姿勢のまま上体だけ起こして、剣の柄を両手で握って思い切り振りかぶる。そして……渾身の力で『要石』に突き立てた。
「う……おおぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
必死にかき集めた神力を全て使い果たす勢いで雷撃を発動させる。『ニケ』を楔として、神の雷が『要石』の内部に注ぎ込まれた。普通でも大技を叩き込まなければ破壊できない『要石』。だが幸か不幸か、この要石は通常よりも小型であった為か、今のぺラギアでも心血を注ぎ込む事で何とかなったようだ。
『要石』に白い亀裂が走り、それが全体に広がっていく。そして内部からの圧力で弾けるように粉々に砕け散った!
「……!?」
『何……あいつ、まだ動けたのか!? 『要石』を……!』
意識から除外されていたぺラギアの行動に、ハリエットと上杉が共に驚愕した。だが上杉はすぐに動揺から立ち直る。
『要石を壊されたのは想定外だったけど、『結界』は僕自身が張り直せるし、今この場での戦況には何も影響しないよ。残念だったねぇ!』
嗤う上杉が言葉通り『結界』を発動して学校全体を覆い直す。確かにこれ自体は何も変わらない。だが……上杉が、ある意味でぺラギアの存在以上に忘れ去っているものがあった。ぺラギアは苦し気に脂汗を流しながらも口の端を吊り上げる。
「何も、影響しない……? それは……どうかな……?」
『何ぃ…………っ!?』
訝しむ上杉はその時、地上から強烈な神力が湧き上がるのを感知した。すっかり忘れていたが、そういえばディヤウスはもう1人――
『カーリーの抱擁!!』
地上から……神力を練り上げたシャクティの全力攻撃が打ち上げられた。
ぺラギアが『要石』を破壊した事で学生たちを襲っていた骨蜘蛛が一斉に消滅したのであった。上杉は『結界』は張り直しても、骨蜘蛛を呼び直すのは失念していた。
突如う校舎の上空に出現した巨大鳥がウォーデンの戦闘形態である事は解っても、体育館に集めた学生たちを守る為にその場から動けなかったシャクティは、骨蜘蛛たちが消滅した事よってフリーになった瞬間、飛び出したのであった。
直径が5メートルにもなろうかという巨大な光のチャクラムが下から高速回転で迫ってくる様に、上杉は本能的に防御を選択した。全ての『雀蓮華』を巻き戻して、それを束ねる事で強固な『防壁』を形成する。『防壁』とシャクティの巨大チャクラムが正面衝突した。
「く……攻め、切れない!?」
『ふ、くく……惜しかったねぇ! でも僕の防御を突き破れるほどじゃなかったようだね!』
何と上杉は『カーリーの抱擁』を、束ねた尾の防壁で真っ向から受け止めていた。力と力の押し合いになる。シャクティは懸命に神力を込めて押し切ろうとするが、逆に徐々に押し返され始める。
いくら大技であっても、やはりウォーデンの戦闘形態と真っ向から押し合っては分が悪い。……単身であれば。
「まさか……この機会を、見逃すなんて事は、しないよね……!」
「……! ふ、ふん! 当然ですわ! 後は私にお任せなさい!」
シャクティによって救われた形のハリエットは、ぺラギアに促されて若干バツが悪そうに請け負うと、神力を限界まで練り上げて二振りの斧槍を構えつつ『屋上』の縁から全力で跳び上がった。その跳躍力は見事なもので、一っ跳びで上空にいる上杉の元まで到達した。シャクティと『鍔迫り合い』の真っ最中であった上杉は、迫りくるハリエットに対する反応が遅れた。
『……!! ちょっと待っ――』
「――待てと言われて待つ馬鹿はいませんわ! 必殺っ! 『ドローラス・ストローク!!』」
ハリエットが空中で振り上げた二振りの斧槍『ヴァハ』と『バズヴ』が光に包まれて、冗談のようなサイズに巨大化する。そしてそれを一気呵成に振り下ろした。
巨大化しているだけあって速度はやや遅く、ただ正面から放ったのであれば上杉には躱すなり防御するなり対応されていたかも知れない。だが今、奴はシャクティの技を防御するのに全リソースを割いており、ハリエットの攻撃に咄嗟に対処する余裕がなかった。
まるで電柱のようなサイズになった二振りの斧槍が、無防備な上杉の身体に叩きつけられた。
『ぎゃばぁぁぁぁぁァァァァァァッ!!!!』
鳥の身体をほぼ両断された上杉が断末魔の苦鳴と共に落下する。地面に墜ちた時は既に人間の身体に戻っていた。ただし胴体を肩口からほぼ両断された無惨な姿ではあったが。
「ち、ちくしょう……どうして……僕が…………」
怨嗟を撒き散らしながら上杉は事切れた。それを屋上から見届けたぺラギアが息を吐いた。
「ふぅ……今度こそ本当に終わったね。一時はどうなる事かと思ったけど……」
危ない場面が何度もあった。ハリエットが来てくれなければあの時点で終わっていたし、その後も上手く『要石』を破壊できなければやはり上杉に圧倒されて終わっていただろう。際どい綱渡り勝負であった。
「ほら、アイツを斃した事でじきに『結界』が消滅しますわ。その前にこの場を離れますわよ」
そのハリエットが近付いてきてぺラギアに肩を貸して担ぎ上げてくれる。わざわざ戻ってきてくれたようだ。
「ふ、ふん。まあ、あなた達のお陰で奴を討てたのも事実ですからね。それに今このトーキョーで何が起きているのか、あなた達の方がよく知っていそうですし」
若干顔を赤らめて言い訳のように喋るハリエット。どうやらあまり素直ではない性格のようだ。
彼女はぺラギアを抱えたまま、『屋上』からシャクティのいるグラウンドに向かって飛び降りる。流石にこのくらいの高さなら危なげがない。赤毛の女騎士の姿を目にしたシャクティが瞠目する。
「先程あのウォーデンを斃す姿を拝見いたしましたが……。えっと……どちら様でしょうか?」
ぺラギアに対しても問い掛けるような視線になる。彼女は苦笑してかぶりを振った。
「もうじきここは『結界』が消えるから、今はこの場を離れる事を優先しよう。お互いの詳しい素性や事情などはそこで説明し合うという事で。それに正直こうしているのも辛くて、早くどこかで休みたいしね」
冗談ではなく本気で消耗し尽くしているぺラギアは、真剣な口調で2人を促した。
「あ、そ、そうですね。解りました。まずはここを離れましょう」
「ええ、それじゃ早く行きますわよ」
シャクティが最後に体育館の学生たちに、もう安全で、じきに救助が来るからそれまでここを動かないようにとだけ告げて、3人は素早く学校を後にしていった。
残された生き残りの学生たちは地獄のような体験と、それから救ってくれたインドの女神の事を末永く語り継ぐのであった……