第8話 決戦の地へ
球体が砕け散ると同時に、発散された光の奔流が聖堂内を覆い尽くした。それが止むとあの銀色の球体は影も形もなくなっており、代わりに人間の姿に戻ったベネディクトが倒れ伏していた。
「お……おぉ……何故だ……。ヨグ=ソートス様より力を賜ったはずの私が……何故、貴様ら如きに……」
死んではいないが、既に死に瀕した男は怨嗟と呪詛を撒き散らす。そこに近付くものが1人。元同僚でもあったアリシアだ。
「ベネディクトよ。あそこにいるテンマは邪神の誘惑に耐えた。そして今もなお耐えている。しかしお前は堕ちた。何故だ? お前は何を見た? 何を感じた?」
「……途轍もなく広く深い海に、1人だけ浮かんでいるような感覚。周りには何もない。そしてその海の底から、自分を呑み込まんとせり上がってくる途方もない大きさの何か。あの恐怖に耐えられるものなどいない。自分もその『何か』の一部になるしか、その恐怖から逃れる術はない。……なかったのだ」
「……!!」
「この恐怖は、それを味わった者にしか……即ち男にしか解らん。お前達は……あの男と仲間のつもりかも知れんが……あの男とお前達には……大きな精神的隔たりがある。決して埋められん隔たりが、な……」
「……っ」
「く、ふふ……あの男は、内心では、お前達よりも、同じ恐怖を味わった、我等に対して、シンパシーを感じている、はずだ。……『王』と邂逅すれば、あの男は、必ずや……こちら側へと来る、はずだ……」
「……っ!」
不吉な予言を吐く男にアリシアは動揺を隠せなかった。死相を浮かべながらそんな彼女を嘲笑うベネディクト。
「あの男が、墜ちる、のは、時間の問題でしか、ない……。それまで精々、偽りの、お仲間ごっこを、楽しむのだな……く、ふふ……ふ……ぐふっ!」
「…………」
ベネディクトは痙攣して血を吐くとそのまま事切れた。元同僚に対する憐憫の情はあったが、それよりは不穏極まる予言にアリシアの心中は穏やかではなかった。
「終わったな。……どうした、アリシア? 奴とは同僚だったみたいだし、割と親しかったのか?」
当の天馬がアリシアの様子を訝しんで問い掛けてくる。アリシアは慌てて取り繕った。
「オホン! ……まあ、そんな所だ。だがウォーデンへと堕ちた以上こやつはただの敵だった。討ち果たした事に何の後悔も無い。ましてやこれだけの事をしでかした以上な」
それは取り繕いだけではなく本心でもあった。彼女の所属している組織であった聖公会の多くの同僚たちが殺戮されたのだ。中には気の合わない者もいたが、それとて死んで欲しかった訳ではない。
「ああ、そうだな……。そして聖公会がこんな事になっちまった以上、少なくともしばらくは仲間集めの旅もお預けって事になっちまうな。だからな……俺は決断したぜ。日本に……東京に行く決断をな」
「……!」
東京……即ち茉莉香を救出すべく『王』に戦いを挑むという事だ。勿論それ自体は反対ではない。邪神の勢力とは必ず決着を付けなくてはならないのだから。ディヤウスも小鈴達のチームが合流した事で戦力的にもある程度は集める事が出来た。
だが……そうした理屈とは別に、先程のベネディクトの今際の言葉が脳裏をよぎる。本当に天馬と『王』を邂逅させてしまって良いものなのだろうか。
「天馬……!! 無事で良かった……!」
だがそんなアリシアの懸念をよそに、南アフリカで別チームを率いていた小鈴が喜色を浮かべて駆け寄ってくる。
「小鈴。ああ、お前達もな。よくやってくれたぜ」
天馬も素直に小鈴達の成果を労う。彼女らは見事に自分の役目を果たしてくれたのだ。それはあのタビサという少女の存在が証明している。
「こっちも色々あって大変だったけど……それはそちらも同じみたいね」
ラシーダがミネルヴァの方に視線を向けながら呟いた。ディヤウスある所にウォーデンあり。恐らく南アフリカ組も相応の死闘を潜り抜けてきたのだろう。
「こんな状況だけど、とりあえず新規メンバーに関してだけは、簡単に自己紹介しておくべきじゃないかな?」
ぺラギアが提案する。確かに互いに名乗ってもいない初対面の状態だと、色々意思疎通などにも問題が生じる。互いの任務の詳細などはあとで落ち着いてから説明し合えば良い。
「そうだな。じゃあ取り急ぎだが構わないか、ミネルヴァ?」
「ええ、問題ないわ。私はミネルヴァ・カーリクス。戦女神ヴァルキュリアのディヤウスよ。これから宜しく」
本当に必要最低限の簡潔な紹介に小鈴達が一瞬目を丸くする。だが天馬が表情だけでジェスチャーすると、彼女が元からこういう性格だと伝わったようだ。
「あー、なるほどね。冷気を操るみたいね。私は炎だから真逆だけど、戦術の幅が広がるのは良い事ね」
小鈴が頷いて自分も名前と守護神だけの簡単な自己紹介を伝える。ぺラギア達もそれに倣う。
「アタシはタビサ・ムウェネジだ。アタシの守護神は地母神のノムクルワネだ。クソッタレな邪神やその部下どもはアタシがまとめてぶっ飛ばしてやる。アタシが加わったからには大船に乗ったつもりでいな」
自信満々に宣言して、その比較的小さな身体をふんぞり返らせるタビサ。何というか、外見的にも性格的にもミネルヴァとは正反対のように思える。
「へっ、大した自信だな。まあそういう奴は嫌いじゃないぜ。実力の方も確かみたいだしな。大いに当てにさせてもらうぜ。それとさっきは悪かったな。非常事態って事で大目に見てもらえると助かる」
天馬がそう言うと何故かタビサは急にモジモジいたような態度になった。
「あ、ああ、そりゃ勿論だよ。もう気にしてないぜ。こっちこそ宜しくな。アタシは強い男は好きだよ」
「……!?」
その言葉と態度に天馬ではなく、小鈴やその他一部の女性が反応した。
「ノムクルワネというとズールー神話の主神クラスですか!? それは凄いですね! 大層頼りになりそうですし、これから宜しくお願いしますね!」
その1人であるシャクティが顔と言葉だけはにこやかに、しかし妙な圧力を伴った笑顔でタビサに手を握る。
「え? あ、ああ……ははぁ、そういう事かよ。こっちこそ宜しく、センパイ?」
女性特有の感覚ですぐに凡その事態を察したらしいタビサは、挑戦的な表情になってシャクティの手を握り返す。両者の間で見えない火花が散った気がした。
「オホン! では我々も自己紹介させてもらって良いか?」
アリシアが咳払いして強引に割り込んだ事でとりあえず有耶無耶になった。そうして互いに簡単な自己紹介が終わった所で、聖堂に新たな人影が入ってきた。
「……全く、何という悲劇だ。歴史ある聖公会の大聖堂がここまで破壊し尽くされてしまうとは。それにダヴィド司教らを始めとして人的損害も計り知れないものがあるな」
「……! ジューダス主教!」
アリシアが慌てて駆け寄る。米国聖公会主教のジューダス・アクランドは、暗い顔で聖堂の惨状を見渡して嘆息した。
「だがそれでも君達には礼を言いたい。君達がいなければ聖公会はベネディクトと奴が率いるプログレス達によって全滅していただろう。こんな事態を予測していた訳ではないが、君達をここに呼び寄せていた事が不幸中の幸いだった」
「……気にする事はねぇよ。奴等と戦うのは俺達の使命みたいなモンだからな。俺達こそアンタには礼を言いたかった。アンタがいなかったら俺達も、この短期間でここまでの人数が集まらなかっただろうからな」
天馬が一同を代表して答えると、女性達も全員同意するように頷いた。それを受けてジューダスは苦笑したようだった。
「ふ……ディヤウスでない私に出来るのは裏方のサポートくらいであったからな。本当は君達と色々話したい事もあったのだが、生憎このような状況だ。『結界』が解けた事でここの状況も外部に知られて、すぐに大騒ぎになるだろう。教会もしばらくは再建に追われて君達のサポートが出来なくなる」
「ああ、それも解ってるぜ。あんた達には充分世話になった。あとは日本に行けさえすればとりあえずこっちは大丈夫だ」
「勿論だ。あとはシスター・アリシアに任せてある。君達が日本に赴くくらいは問題ない。日本……東京は今、『王』と名乗る強力なウォーデンの根城になっているはずだ。奴等に挑むのだな?」
ジューダスの問いに天馬は躊躇う事無く頷いた。
「ああ。俺の大切な人が囚われてるんでな。絶対に奴等を生かしちゃおかねぇ。勿論それはディヤウスとしての使命にも沿う事だしな」
天馬は若干言い訳するような気持ちで付け足した。茉莉香を助けたいというのはあくまで彼個人の都合だ。小鈴ら仲間達をその都合だけで巻き込むのは気が引けたが、強大な邪神の勢力と戦うのは『ディヤウスの使命』でもあるのだから問題ない、という訳だ。
ジューダスはそんな天馬の心情を知ってかしらずか、再び苦笑しながら頷いた。
「ああ、どのような事情で戦うかは君達次第だ。重要なのは結果だ。私には君達の目的が無事達成されるのを祈るしかないが……必ず生きて再び顔を見せてくれたまえ」
「……確約は出来ねぇが、可能な限り努力する。それしか言えねぇ」
「充分だ。君達の健闘を祈っている」
ジューダスとの会話を終えて、見守っていた仲間達の元へ戻ってくる。彼女らは皆天馬に注目している。
「主教さんの言う通り『結界』が解けた事で、もうじきここには警察だの消防だのが押し寄せて騒がしくなるだろうから手短に済ます。聖公会がこんな状況になった事で、俺達の旅もしばらくはお預けだ。だが既に戦力は充分集まった。俺は今の戦いでそう判断した。だから……俺はこれから日本へ向かう。『王』を名乗るクソ野郎を倒しにな」
天馬はここで一旦言葉を切った。女性達は相変わらず黙って彼の話に聞き入っている。
「ただ……知ってる者も多いだろうが、俺には『王』に捕らわれてる自分の幼馴染を救いたいって目的もある。これは完全に俺の独り善がりで、お前らには関係のねぇ話だ。だからこそ正直に打ち明けた上で、それでも尚お前らの手を借りたい。俺一人じゃ絶対に成し遂げられねぇ事だからだ。もし異論や意見がある者は今ここで言ってくれ。それに対して俺は何も反論しねぇと約束する」
決戦に赴くに当たって、これだけははっきりさせておかねばならなかった。ここに蟠りや疑問があっては戦いにも差し支える。天馬は仲間達の意思に全てを委ねてその反応を待つ。
「……私はあの現場にいた。お前達の想いも直に見て知っている。お前の目的もな。今更反対などあろうはずもない」
最初に発言したのはアリシアだ。それこそ最初から天馬とともに旅をしている彼女は、この中では天馬達の事情を最もよく知る人物と言える。彼女は天馬の事情を知った上で、彼を戦いの旅へと誘ったのだ。
「そうですね。私もテンマさんの想いを知った上で旅に同行させてもらった身です。思う所が全くない訳ではありませんが、テンマさんの為にその女性を助けてあげたいという気持ちも実際にあります。この上は何としても奴等を倒し、マリカさんを救出しましょう」
シャクティも天馬の事情を知った上で仲間になった経緯がある。今更異論はないだろう。
「私も言うまでもないわよね? その問答は既にルクソールで経験済みよ。私は最後まであなたに付いていくわ」
躊躇いなく断言するのはラシーダだ。確かに彼女にははっきりと『戦力扱い』と伝えて、それでも構わないという答えを貰っている。
「君の幼馴染という女性については良く知らないが、どのみち『王』を名乗るような不遜な輩を放っておく事は出来ないからね。邪神の勢力と戦う事は私の使命だ。君は何も気にしなくていいさ」
ぺラギアがストイックな彼女らしい論調で賛意を示してくれる。だがそれが彼女の偽らざる本心なのだろう。彼女は生粋の戦士であった。
「私も同じ。それが邪神の勢力を倒す事に繋がるなら反対する理由は何もない。その結果としてあなたの大切な人を助けられるならそれに越したことはない」
ミネルヴァも特に気負うでもなく賛同してくれる。基本的に物事への関心が薄い彼女は、天馬の目的が何であれそれが邪神の勢力との戦いに繋がるなら頓着しないようだ。
「ア、アタシも勿論協力するぜ? 邪神の奴等は許しちゃおけねぇしな。そ、それにその……アンタの大切な人ってのも見ておきたいしな……」
タビサも皆に倣うように慌てて同意する。とりあえずその言葉に嘘や気遣いはなさそうだった。
「…………」
天馬も含めて全員の視線が、まだ発言していない最後の人物……小鈴に集中する。彼女は皆の視線を集めながらゆっくりと口を開いた。
「……私は正直、その人の事は好きになれない。天馬の最優先が今まで一緒に冒険を共にして死闘を潜り抜けてきた私達じゃなく、その人に向いているのが納得いかない」
「……!」
他の女性達が何となく息を呑んだ。天馬は何も言わずに小鈴を見返している。
「でも天馬が悲しんで苦しむ姿も見たくない。だから……必ずその人を助け出して、そして直接宣言してやるわ。あなたに天馬は渡さない、あなたより私の方がずっと天馬の事を好きだってね」
小鈴はここにはいない茉莉香に対してだけでなく、仲間達にもそう宣言しているかのようだった。
「む……そ、そうか。どんな理由であっても手を貸してくれるならありがたい」
茉莉香を理由にして小鈴の想いに応えられていない自覚のある天馬は、反論しないと約束していたが流石に少し居心地が悪くなって咳払いした。
「オホン! ……まあとにかく、決戦へ赴くのに賛同してくれて礼を言うぜ。日本には善は急げって諺がある。皆さえ良ければこれから早速にでも日本へ向かうつもりだが、構わないか?」
アメリカについてすぐにこのような死闘に巻き込まれ、休む間もなく日本へ出発となるとかなりのハードスケジュールだ。だがそこはディヤウスたる者、普通の人間とは耐久力が違う。不満を唱える者は誰もいなかった。
天馬はそれを受けて再びジューダスを振り返った。
「そういう訳で、来てすぐで悪いが俺達はもう行くぜ。今まで色々と世話になったな」
「ああ、構わんよ。君達の勝利と目的が叶う事を祈っている。こっちの事は心配いらんから、全力で戦ってくるがいい。頼んだぞ、シスター・アリシア」
目を向けられたアリシアは頷いた。
「お任せください、ジューダス主教。私こそ教会がこのような時に場を空ける事をお許しください」
ジューダスと別れの挨拶を済ませた天馬達は、徐々に大きくなりつつある表の騒ぎから身を隠すようにしてひっそりと主教座を離れる。そして一路空港へと向かう。
決戦の地は日本……『魔都』東京。