第1話 プログレス・テロリズム
世界随一の超大国アメリカ合衆国。人口ではより多い国はいくつもあるものの、GDPや軍事力、そして世界的な影響力といった面で、他の追随を許さない押しも押されぬ超大国だ。
ニューヨークやロサンゼルス、シカゴといった世界に名だたる大都市も数多く存在しているが、その首都となると、実は意外と街としての規模は小さい。(小さいと言ってもニューヨークなどと比較すればの話だが)
コロンビア特別区というのが正式名称だが、通称であるワシントンDCの方が遥かに有名なその街は、アメリカ東海岸のポトマック川の流域に存在していた。
「さあ、着いたぞ。ここがアメリカの首都ワシントンDCだ。聖公会の主教座はここにある。無論ホワイトハウスもな」
「……! ここが……」
隣のバージニア州にある国際空港からアリシアの案内で地下鉄に乗って(ワシントンDCの交通渋滞は洒落にならないレベルだそうで、公共交通機関の利用率が非常に高いらしい)DC駅で降りた天馬達は、駅の構内から地上の……ワシントンDCの街中へと出た。
アリシアにそう言われて目を瞠る天馬達だが、少なくとも目に見える範囲に何か特別な光景がある訳ではない。大きな建物が林立する平均的な近代都市の様相であった。ホワイトハウスやワシントン記念塔など有名なランドマークは、ここからでは視認できなかった。
それでもここがアメリカの首都かと思うと、何となく畏敬の念のようなものを感じた。それはこの地を訪れた外国人の多くが感じるものであっただろう。
「ふわぁぁぁ……。こ、ここがワシントンDC。夢のようです。映画の聖地ロサンゼルス以外で私がアメリカで最も訪れたいと思っていた街です!」
観光好きのシャクティが感動した面持ちで街並みを見渡していた。特に彼女にとっては感動も一入らしい。
「……一生スウェーデンから出る事はないと思っていたけど、その私がこんな場所にいるというのが不思議な気分ね」
新たに仲間に加わったミネルヴァも言葉通り、普段は感情の表出に乏しいその面貌がやや感慨深げな表情となっていた。
「まあでも俺達は観光にきた訳じゃないし、今回は仲間集めって訳でもないからな。いつまでもお上りさん丸出しで口開けててもしょうがねぇ。早いとこその聖公会の主教座とやらに行こうぜ」
天馬が苦笑しつつ手を叩いてシャクティ達を促す。
「むぅー、テンマさん。そうは言ってもワシントンDCですよ? ホワイトハウスは絶対に行ってみたいです! アメリカ史上初の女性大統領であるウォーカー大統領も見れるかも知れませんし!」
だがシャクティは不満顔だ。ダイアン・ウォーカー大統領は当選時に日本でも大きなニュースになった有名人だ。直に見てみたいという気持ちは分からないでもない。
「そうね。折角アメリカまで来たのだから、私もワシントン記念塔は一度は見てみたい、かも」
ミネルヴァまでそんな事を言い出した。どうやら態度には出ていないだけで、実際にはそれなりにテンションが上がっているらしい。
「そ、そうか。あー……こいつらはこう言ってるがどうなんだ? ジューダス主教から日時の指定とかはあるのか?」
天馬が困り果ててアリシアに助けを求める。アリシアは苦笑してかぶりを振る。
「ふふ、まあ母国の事を褒められて悪い気はしないがな。主教には細かい日時は指定されていない。訪ねる前に事前に連絡さえすればいつでも良いとの事だ。まだシャオリン達のグループも到着していないようだし、見たい所を回ってからでも全く問題はないぞ。それにホワイトハウスもワシントン記念塔もほぼ同じ場所にあるような物だから一遍に見て回れるしな」
というアリシアのお墨付きが出たので、確かにまだ合流すべき小鈴達が来ていない事もあったので、シャクティ達の希望を優先する事となった。
「ワシントン記念塔はアメリカの独立戦争を戦い抜いた初代大統領ジョージ・ワシントンの功績を讃えて建造されたモニュメントだ」
街のほぼ中心部に位置する広大な記念公園、通称ナショナル・モールの東側に鎮座する巨大なモニュメント。大理石で構成された100メートル以上の建造物は、当時の建築技術からしてもその粋を集めて作られたものと想像できる。
公園を挟んで反対側にはリンカーン記念堂というこれも有名なランドマークが聳えていた。
「へぇ……ここまで来て実物を見ると、やっぱすげえな。圧倒されるっていうかなんというか……」
交通渋滞を避けながらナショナル・パークまで来た天馬達は、巨大で静謐なモニュメントに圧倒されて見上げる。周囲には他にも大勢の観光客や通行人などで溢れ返っていた。
「自分達の力で独立を勝ち取った人々。それを率いた将軍を讃える記念碑を、彼等はどんな思いで建てたのかしら……」
ミネルヴァも感慨深げな表情でモニュメントを見上げている。彼女なりに思う所があるようだ。
「ああ、テンマさん! 見て下さい! ホワイトハウスが見えます! あそこにウォーカー大統領が住んでいるんですね!」
一方で多分にミーハーな観光気分丸出しのシャクティは、ナショナル・パークから見える有名ランドマークの数々に感動の面持ちでしきりに興奮していた。
「ホワイトハウスは大統領官邸を兼ねているからな。大統領の執務機関であるのと同時に公邸でもある。通常は大統領の家族も同居するのだが、生憎ウォーカー大統領は独身で現在は単身で住まわれているらしい」
「へぇ、あの広い建物に1人で住んでんのか? そりゃまた贅沢というか寂しいというか……」
無論居住部分はあくまであの建物の一部分ではあるだろうが、それでも天馬の実家だった暁国寺よりも広そうだ。
「だが……ウォーカー大統領には隠し子がいるという噂がまことしやかに流れていてな。無論真偽は全く定かではないし、政敵たちが意図的にそういう噂を広めている可能性もあるが」
「そんな事を言ってる人達が……? 同じ国の仲間なのに、足を引っ張って追い落とすことばかり考えて……。何だか悲しいですね」
ウォーカー大統領のファンらしいシャクティは言葉通り悲し気に呟く。しかしそんな話をしている天馬達とは別に、ミネルヴァがやや目を細めて公園内の一点を注視していた。
「ミネルヴァ、どうした? 何か気になるものでもあったか?」
天馬が問い掛けると彼女はやや自信なさげに頷いた。
「……気のせいかしら。あそこにいる男3人から微かに魔力を感じるような……」
「何……?」
彼女が指し示す先を天馬も注視する。そこには確かに3人のアジア人と思われる男性がいた。どうも日本人のように見える。他に特筆すべき点がなく、どう見ても観光でやってきた日本人の若者達にしか見えなかった。だが……
「……っ。やべぇ、俺とした事が見落としてたか! すぐに取り押さえ――」
彼がそこまで言い掛けた時、それは起きた。その3人の日本人たちが奇声を上げると、プログレスの姿に変身した。この大勢の人々でごった返す、白昼の観光スポットで。
天馬にも悪い意味で馴染み深い、魚やタコ、イカといった海洋生物と人間が掛け合わさったような姿。太平洋岸を縄張りとする邪神クトゥルーの種子を受けたプログレス特有の姿。
「――――」
周囲にいた人々は当然何が起きたのか解らず、唖然とした様子でその突如出現した怪物達の姿を見やる。或いは何かのコスプレか映画の撮影とでも思ったのかも知れない。だが奴等が本物の怪物である事を天馬達だけが知っていた。
3人のうちイカ男が、その頭から垂れた長い触腕を鞭のように振るった。すると周囲にいた人間の2、3人ほどが一瞬で上半身と下半身が泣き別れになった。大量の血しぶきが舞い、臓物が飛び散る。
テロなどの危険とも身近なアメリカだ。これが銃や刃物を持った犯人が暴れたというのであれば、周囲の人々も比較的素早く反応できたかもしれない。だが予想だにしていない非現実的な光景に、流石のアメリカ人も思考が追い付かない様子で、まだ殆どの人が呆然としたまま固まっていた。
しかしそんな人々を狙って今度はタコ男が、口から黒い液体を周囲の人々に噴きつけた。それは無害な墨などではなく、一瞬で骨まで溶かす強酸のようであった。黒い酸を浴びた人々が悶え苦しんで死んでいく。この時点でようやく人々の思考が追い付いた。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ、化け物だぁぁ!!」
「マジで!? 本物かよ!?」
「に、逃げろぉぉぉっ!!」
「誰か! 誰か、夫を助けてぇぇ!!!」
「邪魔だ、どけ!」
次に起こるのは怒涛のパニックだ。これはもうどこの国であっても変わらないだろう。少しでも犯行現場から遠ざかろうとする人の波は天馬達をして、まったく前に進めなくなる程であった。
そうしている間にも怪物達は更なる凶行に及んでいる。逃げ遅れた人々に魚男が手を翳し、黒い波動を放って殺害している。勿論イカ男やタコ男も同様に殺戮を繰り返している。
「クソが! これじゃ近付けねぇぞ!」
「逃げ遅れた人間も多すぎる! それにホワイトハウスから警備の者達が既にこちらに来ている。じきに首都警察も駆け付けるだろう。我々には手が出せん」
天馬の毒づきにアリシアが無念そうに指摘する。ディヤウスの力を衆目の前で振るう訳にも行かない。そのうえ警備や警察まで来ているとなると増々彼等が出る訳にはいかなくなる。
天馬がどうしたものか考えあぐねていると……
「……っ!? テ、テンマさん……! 『結界』です! ここからそう遠くない場所で大規模な『結界』の魔力を感知しました!」
「何だと!? どっちだ!?」
天馬が聞くとシャクティは迷う事無くとある方向を指差した。その方角を見たアリシアの顔が青ざめる。
「そちらには聖公会の主教座があるぞ。ま、まさか……!?」
「……本命はそっちの可能性もあるわね」
ミネルヴァが冷静に指摘する。聖公会がディヤウスを支援して『世界十字軍』を結成しようとしていた事が邪神の勢力に露見したのかも知れない。このタイミングで同時多発となると確かにその可能性が浮上する。それはつまり……
「こっちは『囮』って訳か?」
「多分。司法の目や注意をこちらに引き付けておいて、その間に本命を『結界』で覆ってしまうというやり方は理に適ってる」
一度『結界』で覆ってしまえば外界から遮断できる上、中で何が行われても分からないし誰の注意も引かないのは、天馬達のあの悪夢の学校襲撃事件で立証済みだ。またあの悲劇が繰り返されるというのか。
「くそ、ならばこうしてはおれん! ジューダス主教が危ない!」
「あ、アリシアさん!?」
シャクティが慌てたような声を上げた時にはアリシアは既に駆け出していた。何と言っても自分の所属する組織だ。気が急くのはある意味で当然だろう。
「私達も行きましょう。ここにいても出来る事は無いし、プログレス3体くらいなら警察やSP達でも対処できるかもしれない」
「そうだな。よし、俺達も行くぞ!」
天馬は短い逡巡の末、そう決断した。ミネルヴァの言う事は尤もだし、天馬達としてはどちらを優先するかと言われたらスポンサーである聖公会とジューダス主教だ。極端な話、聖公会に何かあったら旅が続けられなくなる。
天馬達もすぐにアリシアを追って、混乱の坩堝にあるナショナル・パークを抜けて、聖公会のある方角を目指して走り去っていった。