第5話 邪神跳梁
ズヴァナの家はこのファラボルワの丁度真ん中辺りに位置しているらしい。この街は西側の赤茶けた貧民街と、東側の緑に囲まれた高級住宅街の二つにはっきりとエリアが分かれていた。
この街のみならずこの南アフリカという国の過去、そして現状を象徴するような構図と言えた。ズヴァナの家はその丁度中間地点の、何も無いようなだだっ広い荒れ地にあるらしい。
「この国の白人達は多くがいなくなったのよね? となるとあっちの高級住宅街に住んでいるのは……?」
「……お察しの通り、今は中国人達が多いようだね。無論現地のアフリカ人にも富裕層はいるから、そういった者達も住んではいるけど」
小鈴の呟きにぺラギアが運転しながら答える。
「やっぱりそうなのね……」
小鈴は嘆息した。中国人としては祖国が発展するのは素直に喜ばしい事だと思える。しかし天馬達と共に世界を巡るようになり、シャクティら外国人の友人達も増えた現在では、そこまで自国本位の物の見方が出来なくなっていた。
ちゃんと現地に融和して良好な関係を築いているというならともかく、少なくとも一方的な搾取と支配のような関係を肯定的に捉える事はいくら祖国とはいえできなかった。
「あ、見えてきたわ。あれじゃないかしら。でも……誰かいるようね」
「……!」
ラシーダの指摘に小鈴も物思いから覚める。彼女の言う通り荒野にポツンと一軒だけ建っている粗末な家があった。少なくとも敷地面積に関する悩みだけは無さそうだ。あれがズヴァナの家で間違いないだろう。
だがそんな粗末な一軒家の前に、この時は何人かの人間の姿があった。そしてディヤウスの視力はその中に例のあの少女……タビサの姿を認めていた。特徴的な長いドレッドヘアは見間違えようがない。他は全員男達のようで、その男達とタビサが何か揉めている様子であった。
「どうやら早速トラブルのようだね。非常手段を使ってでも急いだ甲斐があったね」
ぺラギアも表情を厳しくして呟く。確かにハシム相手に悠長に説得を続けていたら、この現場に間に合わなかった可能性が高い。
素早く家の前に車を横づけする。タビサも含めてその場にいた者達の視線がこちらに集中した。男達も全員現地のアフリカ人のようだ。だが何となく堅気ではない雰囲気を醸し出していた。
「ちょっとあなた達、何してるの!? すぐに彼女を離しなさい!」
小鈴が真っ先に車から飛び出して男達を牽制する。すると彼等の中ではリーダー格と思われる男が反応した。
「……! 何だ、中国人だと? 硯盛資源の関係者か? 俺達はそっちの仕事の後始末をしてるだけだ。汪社長から聞いていないのか?」
硯盛資源とは正しくは『硯盛資源開発有限公司』の事で、このファラボルワ南東の巨大な採掘工場を所有している中国国営企業の名前のはずだ。
またその『汪社長』とやらの関係者と間違われた。中国人だったら全員その会社の関係者でなければならないルールでもあるのだろうか。小鈴は憤りを感じたが、その反面ハシムもそうだったが、小鈴が中国人だと見ると勝手にその汪とやらの関係者と誤解して色々と口を滑らせてくれるのは嬉しい誤算だった。
「後始末ですって? 聞いてないけど、何の話?」
なので少しだけ便乗させてもらう事にした。男は嘆息するようにかぶりを振った。
「やはり聞いてなかったのか。お宅らがこの家の女を攫った件だよ。まあうちのボスも一枚噛んでる話だがね。だからこうしてその件について騒ぎ立てる奴の処理を請け負ってるんだ。解ったら邪魔しないでくれ」
「……!! テメェら、やっぱりズヴァナ伯母さんを……! チクショウ、この人でなし共が!!」
男の話を聞いたタビサが目を吊り上げて暴れようとする。だが複数の男に抑え込まれていて全く動けない。
「うるさい! 馬鹿な小娘だ。下手に嗅ぎ回らずに大人しくしてりゃこんな目にも遭わなかっただろうになぁ」
リーダー格の男が嗤いながら懐から拳銃を取り出した。この時点でタビサに対する害意は確定だ。それに男が勝手に勘違いして口を滑らせた事で、聞きたい事も大体聞けた。要はズヴァナの失踪にやはり硯盛資源の中国人達が絡んでいる事と、この男達が完全なクロである事。それだけ解ればもう充分だ。これ以上突っ込んだ話を聞こうとすれば流石に疑われるだろう。
「洋の東西南北を問わず、こういう光景は見ていて甚だ不快だね」
「全くね。中国人ばかり悪者にしちゃってたけど、現地人も相応に腐った連中がいるようね」
ぺラギアとラシーダも車から降りてきた。それを見たリーダー格の男が眉をひそめる。
「んん? 何で白人やアラブ人まで……。っ! ま、まさか、お前……?」
「ようやく気付いた? 別に私は自分がその硯盛資源の関係者だなんて一言も言ってないわよ?」
彼等が勝手に勘違いしただけだ。それに気付いたリーダー格の男が目を吊り上げた。
「クソ! 事情を聞かれた! こいつらも殺せっ!」
男が怒鳴るとその部下達が一斉に銃を抜いた。そして躊躇う事無くこちらに発砲してくる。当然その反応を予測していた小鈴達に動揺は無い。
「ふっ!」
『朱雀翼』を顕現させて撃ち込まれた銃弾を全て叩き落とす小鈴。ぺラギアも光の楯『アイギス』を顕現させて、ラシーダに撃ち込まれた分も含めて全ての銃弾を弾き返す。
「な……お、お前ら、それは……」
リーダー格の男が唖然となる。いや、彼だけではなく部下の男達や彼等に押さえこまれているタビサも、この非現実的な光景に目を丸くしていた。
『フロー・ヴェノム!』
その隙にラシーダがぺラギアの後ろから『セルケトの尾』を振るう。鞭の軌跡に合わせて毒を帯びた飛沫が拡散される。それは意思を持っているかのようにタビサのみを除外して、他の男達の口から体内に侵入した。
ラシーダの技にしては威力は弱めだが、その代わりに敵味方の選別が出来るのが便利な技であった。
「……!! ……っ!!」
男達が一斉に悶え苦しみ出す。この連中は無関係の小鈴達も口封じのために容赦なく殺そうとした奴等だ。慈悲を掛ける必要はない。
「な、何だぁ……お、お前ら一体誰なんだよ? こいつらに何したんだ?」
急に倒れた男達を見てタビサが呆気に取られたように小鈴達に向き直る。気が立っている時に偶然ぶつかっただけの小鈴達の事は覚えていないようだ。
「落ち着いて。私達はあなたの敵じゃないわ。あなたのお父さんに頼まれてきたの。あなたを助けて欲しいってね」
「……! 親父が……?」
小鈴の言葉にタビサはその大きな目を吊り上げた。
「っ! ふざけんな、アイツの差し金かよ! お前、中国人だろ!? 親父は汪の奴から金を受け取ってたんだ! 汪の奴とグルだってのは解ってんだよ! 汪の命令で来たんだろ!? こいつらとも仲違いして何企んでやがんだ! アタシをどうするつもりだ!」
「ちょ、ちょっと、落ち着いてってば……!」
一気に想像を膨らませて勝手に結論付けたタビサが凄い剣幕で詰め寄ってくる。どうやらかなり激しやすく人の話を聞かない性格のようだ。
――パシィィン!
「……っ!」
小気味良い平手打ちの音が鳴った。頬を叩かれたタビサがびっくりしたような顔で、自分を叩いた……ラシーダを見やる。
「親に向かってアイツとか呼ぶのはやめなさい。彼は彼なりの方法であなたを守ろうとしているだけよ。自分を心配してくれる家族がいる。それがどれだけ幸せな事か解っていないのでしょうね」
「……! ラシーダ……」
彼女の生い立ちや親との確執を考えれば、タビサの態度はある意味で我慢ならないものなのかも知れない。
「な、何だよ、いきなり……。ア、アタシは……」
いきなり叩かれたタビサは頬を押さえて声を震わせる。ラシーダの怒りに充てられて頭が冷えたらしく激情は鳴りを潜めていた。何か言い訳を呟こうとするタビサだったが……
「……っ! 危ない!」
小鈴は半ば反射的な動きでタビサを抱きかかえるようにして横に跳んだ。その直後、今まで彼女らがいた空間を黒い波動のような物が薙いだ。
「何……!?」
ぺラギアも素早く反応して『アイギス』を構える。彼女が向き直った先には……あのリーダー格の男がこちらに手を掲げた姿勢で佇んでいた。
「……!? 私の毒を喰らったはずなのに……」
ラシーダが動揺する。彼女の技としては弱毒だったが、人間を殺傷するには充分すぎる効果があったはずだ。事実他の男達は確実に死んでいる。
「ラシーダ、下がって。こいつは……プログレスだ。今まで気づかなかったのは不覚だったよ」
「……!!」
油断なく相手を見据えながらのぺラギアの言葉に、ラシーダも小鈴も目を瞠った。
「……貴様ら、ディヤウスか。我が主の邪魔はさせん。ここで死んでもらおうか」
男は短く呟くと……魔力を発散させた。それと同時に男の姿が急速に変化していく。男の変化は下半身に如実に表れた。
足腰が急速に形を変えて膨張し四本足となる。そして剛毛や鉤爪が生え、まるで獣の胴体の如き形状となった。
「あ、ああ……な、何だ、あいつは!?」
まだ何も知らないタビサがその異形を見て慄く。数瞬の後、そこに屹立していたのは……上半身は人間のままで、下半身は肉食獣の身体になった怪物であった。黄色と黒のまだら模様の体毛で豹の身体のようだ。巨大な豹の身体の頭の部分から人間の上半身が突き出ている……それがこの怪物のフォルムであった。
「……私の国の神話に登場するケンタウルスの豹バージョンといった所かな。これがこの国……いや、この地域を縄張りとする邪神の眷属の姿か!」
ぺラギアが唸る。地球を蝕む邪神達は地域ごとに縄張りが異なっているらしく、どの邪神の種子を取り込んだかでプログレスの形状も異なってくる。地域ごとにプログレスの形状や能力が異なるのはその為だ。
「やっぱりこの国にも蔓延っているのね。でも……1人で私達の相手をする気?」
小鈴も立ち上がって油断なく構えながらも訝しむ。タビサは未覚醒だが、それを除いてもこちらにはディヤウスが3人もいるのだ。ウォーデンならともかく、プログレス1体程度では相手にならないだろう。
「ふ……流石にそこまで無謀ではない。だがお前達が庇うという事はその小娘はディヤウスの卵か。ならば存分に利用させてもらおうか!」
「……!」
プログレスが両手を上げて魔力を放散させる。するとラシーダの毒で死んだはずの男達が不自然な挙動で立ち上がってきた。だが生き返った訳でないのは、その白濁した目や関節の構造を無視した動きを見れば一目瞭然だ。
「こ、これは僵尸!? いや、でも……」
中国でも戦った生ける屍どもを思い出す小鈴だが、何か違和感がある。こいつらは僵尸とは似ていて非なるモノだ。
「ふふふ、主より授かった屍鬼作成の力は便利なものだな。死体さえあればいくらでも手軽に兵隊を作れる」
「屍鬼ですって……!?」
アメリカのホラー映画で有名なゾンビだが、元々の発祥はブードゥー教である。そしてブードゥー教は元来このアフリカから黒人奴隷と共にハイチなどに伝わったものとされている。
「やれ、ゾンビ共! あの小娘を殺せ!」
「ひっ……!?」
指差されたタビサが引き攣った悲鳴を上げる。ゾンビ共は自身では何も考える事無く、外見通り盲目的に命令をこなすべく、タビサを狙って襲い掛かってくる。その動きは当然映画などとは異なり非常に素早いものだ。いや、むしろ生前よりも遥かに速く力強い動きだ。
「ち! タビサを狙うとは中々姑息なやり方だね! シャオリン、こいつらは私達が抑える! 君はあのプログレスを倒すんだ!」
ぺラギアが『アイギス』だけでなく『ニケ』も顕現しながら叫ぶ。タビサを狙ってくる以上、彼女を守る為に人員を割かなければならない。守りに長けたぺラギアは当然として、1対1の戦いは不得手なラシーダもここは抑えに回った方が良いという咄嗟の判断だ。
「解ったわ! そっちはお願い!」
即座に判断して頷いた小鈴は『朱雀翼』を構え、そして神衣を顕現させて身に纏うと、プログレスに向かって一直線に突撃する。
「馬鹿め!」
男が両手から黒い波動を飛ばしてくる。小鈴は斜め横に跳んでその波動を躱しつつ、動きを止める事無く敵に肉薄する。
「砕ッ!!」
勢い良く『朱雀翼』を叩きつけるが、プログレスはその下半身の見た目通りの俊敏さで彼女の攻撃を跳んで躱した。
「小癪な。接近戦なら俺に勝てるとでも思ったか!」
プログレスは吼えると、その両手に黒い炎のようなもので構成された『剣』を作り出した。そして獣の下半身を撓めると一気に飛び掛かってくる。
「ふん!」
両手の黒い剣が唸りを上げて振るわれる。それらの斬撃を躱すと、間髪入れず下半身の獣の爪がこちらの脚を攻撃してくる。そしてこちらの攻撃も獣の機動力で躱してくる。敵が実質2体いるかのような厄介さだ。だが……
(もう……無様に不覚を取る気はないのよ!)
過去にプログレス相手に何度も不覚を取って、その都度天馬に助けられてきた小鈴。だがここに彼は居ない。自分がその環境を望んだのだ。彼に甘えられない環境を。これは彼女に課せられた試練であった。
「死ね!」
プログレスの黒い刃が彼女の首を狩ろうと迫る。しかし小鈴は冷静にその軌道を最小限の動きで躱す。そして流れるようにカウンターの一撃を当てる。
「ヌガッ! 貴様……!」
プログレスは怒り狂って剣を連続で斬り付けてくるが、しばらく戦っていた事で奴の剣速や軌道は見切った。敵の攻撃を躱しつつヒット&アウェイで自らの打撃を叩き込んでいく小鈴。敵は素早い動きでこちらの攻撃を躱す身体能力の持ち主だが、自らの攻撃が躱された瞬間には避けようがない。カウンター戦法で着実にダメージを与えていく小鈴。
「おのれぇぇ!! ちょこまかと……!!」
プログレスは咆哮すると大きく後ろに跳び退る。そして剣を消滅させると両手を前に突き出して、巨大な黒い波動を放ってきた。しかし小鈴は上空に跳び上がってそれを回避した。
「何だと……!?」
「終わりよ! 『炎帝降龍脚!!』」
小鈴の脚が紅蓮の炎を纏う。彼女は空中で華麗に縦に一回転しつつ、プログレスの脳天目掛けて炎の踵落としを叩き込んだ!
「ごばぁっ!!」
断末魔の呻きと共に脳天を熱と衝撃で叩き潰されたプログレスが、血反吐を吐きながら倒れ伏す。それと同時にぺラギア達が抑えていたゾンビ共が崩れ落ちていく。決着だ。