第4話 神の暗示
「あなたの言っていた内容から察するに、誰か近しい人が行方不明になっているという事かな?」
ぺラギアがそのパークレンジャーの男性……ハシムに事情を聞いている。ハシムは勘違いから小鈴を糾弾してしまったという引け目と、それによってある程度の事情を吐露してしまった事で諦めが付いたのか、嘆息しながら頷いた。
「まあ……そうだ。ズヴァナという私の姉なのだが、ここ数日音信不通が続いていてね。とはいえ勿論まだ何かあったと決まった訳じゃないというのに、あのバカ娘が……」
ハシムが苦虫を噛み潰したような顔になる。先程口論していたタビサという少女の事か。あの少女はディヤウスだ。間違いなく本人は自覚していないだろうが。このハシムはどうやらタビサの父親であるらしい。
「でもあなたも何かあったかも知れないという可能性は考えているんでしょう? でなければシャオリンにあんな態度を取ったりはしないでしょうし」
「ぬ……」
ラシーダに指摘されたハシムが唸る。これが無ければ問題など何も起きていないと言い張る事も出来たのだが、一度吐いた言葉は戻せない。
「何か……私達中国人に関わるような事なの?」
そう思っていたからこそ彼女に対してあのような態度になったはずなのだ。ハシムは再び溜息を吐いた。
「ふぅ……まあここなら余人に聞かれる心配もないし丁度いいか。この街の南東……つまりクルーガー国立公園のすぐ南には、中国企業が所有する大きな鉱業プラントがある。ここではレアアースという希少な鉱物資源が採掘できるらしくてな。彼等はこぞってこの地に進出してきた。ズヴァナは最初から彼等の誘致や操業に反対し続けてきた。そして採掘工場が稼働し始めてからも、繰り返し反対運動を殆ど1人で続けてきていた。時には危険な場所に乗り込んで彼等の操業を直接妨害する事もあった。色々な意味で危険だからやめろと何度も忠告したんだが……」
ハシムは苦い顔でかぶりを振った。
「……その人は何故そんな危険を冒してまで中国の工場に反対していたの? この街の経済が潤うならそれは良い事でしょ?」
何となく理由は予測が付いたが、それでもあえて尋ねる小鈴。現地の人間の意見や事情を知りたかったのだ。
「私もそう思って目を瞑ってきた。だが彼等の経済力を嵩に着た横暴ぶりは日に日に増す一方だ。だがズヴァナが何よりも危惧していたのは、あの採掘工場がもたらす深刻な土壌汚染だ」
「……!」
「大規模な採掘作業に伴う廃液はこの地域の土地や河川に染み出して、深刻な汚染を齎している。今はまだ目に見えるような影響は少ないが、あの現場を一度でも間近で見れば致命的な影響が出始めるのも時間の問題だというのは子供でも分かるだろう。しかし中国人達の頭にあるのは本国からの命令と自らの金儲けだけだ。この街やこの国、曳いてはアフリカ自体がどうなろうと知った事ではないのだろうな」
「それでそのズヴァナ女史は、たった1人で反対運動をしていたという訳かい? そんな目に見えて深刻なら他にも抗議する人達がいそうなものだけど?」
ぺラギアの質問にハシムは再びかぶりを振った。
「無駄だ。この街の主だった人間はほぼ全員彼等の金を受け取っているからな。皆見て見ぬ振りだ。いや、それは私も同じ事か。それに彼等を誘致したのは、この地区選出の国会議員だからな。最初から全部『上』で決められていた事なんだ。我々下々の者が騒いだ所でどうなるものでもない。ズヴァナがやっている事はただ自分の身を危険に晒すだけで無意味だ。そう何度も警告してきたのに……」
「でも……それだけで中国人達の仕業だと疑うのは早いんじゃない? 何か他にも疑うような出来事なんかがあったの?」
ラシーダがそう聞くと、ハシムは頷いた。
「ああ、まあ……な。2週間ほど前だが、実際にその採掘工場を任されている汪眞海という社長が、ズヴァナの所に直接説得しに来たらしい。アタッシュケースに大量のランド札を詰めてな」
「……! 買収工作という訳かい? で、察するにその説得は失敗に終わったという事かな?」
「その通りだ。ズヴァナは札束に水をぶっかけて汪社長を追い返したらしい。その時に汪は脅迫めいた言葉を口にしていたとの事だ。それから間もないうちにズヴァナは失踪した。無関係だと思う方がおかしいだろう?」
つまりタビサの怒りや疑いは充分正当なものだったという事だ。しかしハシムはそれを取り合わずに娘を追い返した。
「仕方がないだろう? あいつは昔から無鉄砲な性格なんだ。それでいてズヴァナの事は実の親である私よりも余程慕っていた。下手に首を突っ込んで彼等を挑発してズヴァナの二の舞にならんとも限らん。現地の司法も行政も当てにならん以上、彼等にこれ以上関わるのは危険すぎる」
それは父親としては当然の感情なのかも知れない。少なくとも赤の他人である小鈴達があれこれ口を出せるような問題ではない。だが……彼女はまさに自分達が捜しているディヤウスなのだ。このままはいそうですかと話を終える訳には行かない。
ましてやタビサにも危険が迫っているかもしれないとなれば尚更だ。
「現地の関係者じゃなければいいのよね? だったら娘さんの事、私達に任せて欲しいの。私達なら彼女の安全を守れると保証するわ」
「はぁ? な、何を言っているんだ君達は? 君が汪社長の関係者じゃない事は確かのようだが、だったら尚更そんな事は危険すぎる。これは君達のようなただの外国人旅行者の手に負える話じゃないんだ。もう事情は充分話しただろう? これ以上は君達には関係のない話だ」
ハシムは露骨に呆れたような態度と口調になる。まあこれが普通の反応だろう。そもそも小鈴達に積極的に関わる理由が無い。ぺラギアが頷いた。
「なるほど、尤もな話だね。確かに常識的に考えたらその通りなんだけど、生憎これは常識では考えられない話が関わっているんだ。なので私達も手段は選んでいられない」
彼女はにっこりと微笑むと、ハシムの手をそっと握った。彼が訝し気に眉を顰める。
「おいおい、何のつもりだ? まさか色仕掛けでもしようって言うんじゃ――」
ハシムの言葉がそこで途切れる。ぺラギアの手から神力が発生して、それがハシムの中に流れ込んだ。それに伴ってハシムが焦点の合っていない茫洋とした目付きになる。
「……! ちょっと、ぺラギア!?」
小鈴にはそれが何かすぐに解った。以前にも中国でアリシアがやっているのを見た事があった。神力を用いて人間を洗脳する技術だ。しかしあれは襲ってきた犯罪組織の人間……つまりあくまで『敵』に対してやった事だ。
ハシムは『敵』ではないし、誤解が解けた後は攻撃的な言動もなかった。小鈴は正気を疑うような目でぺラギアを見やるが……
「そうねぇ。現状私達が積極的に関わる尤もらしい理由がないし、そうなると到底彼を説得する事は出来ないでしょう。下手にしつこく聞こうとすれば不審を抱かれてしまいかねないし、まあこれが一番手っ取り早いのは確かよね」
ラシーダもやや複雑そうな表情ながら理解を示す。ぺラギアが肩を竦める。
「大丈夫だよ、2人とも。これは悪人にやるような洗脳と違って、ごく軽い暗示のようなものだからね。これから彼に私達がタビサの友人だという暗示をかける。少なくとも今あの少女が抱えている問題を話して助けを求めてくるくらいの間柄の『友人』という、ね」
「……! まあ、それくらいなら……」
確かに状況を進められなければ何も始まらない。小鈴もラシーダと同様に、ここは妥協させてもらう事にした。2人の同意を受けてぺラギアは、ハシムに対して自分達が娘の友人だという事実を刷り込んだ。
そして指を鳴らすと、彼に掛けていた暗示状態を解いた。
「お……? あ、いや、済まない。ちょっとボーっとしていたようだ」
「いやいや、構わないよ。暑いしね。さて……私達の友人タビサが危険な事に首を突っ込もうとしているのを黙って見ている訳には行かない。私達に出来る範囲で彼女を助けたいと思うけど構わないよね?」
ぺラギアがそう確認すると、ハシムは特に疑問を抱いた様子もなく当然のように頷いた。それも少し申し訳なさそうな表情でだ。
「ああ、勿論だ。君達には迷惑をかけるが、あれでも私の大切な娘で女房の忘れ形見なんだ。私が言っても聞かないし却って意固地になる可能性も高い。君達であれば娘を説得できるかも知れない。どうかタビサの事を宜しく頼む」
これまでどう説得しようか悩んでいたのが嘘のようにあっさり事が進んだ。小鈴もラシーダも改めてディヤウスという存在の規格外さを認識していた。
ハシムからタビサが向かったと思われる候補地として、ズヴァナの家と件の採掘工場の場所を聞き出すと、善は急げという事で早速それらの場所に向かってみる事になった。小鈴達は見送ってくれるハシムに手を振って別れを告げると、まずはズヴァナの家に向かって車を走らせていった。