第21話 静かなる旅立ち
『ギハァッ!! お、おのれぇぇぇ……』
驚いた事にエーギルはシャクティの技で頭部を真っ二つにされながらもまだ崩れ落ちてはおらず、怨嗟の叫びをあげる。だが今度こそ絶好の攻撃チャンスだ。天馬はこれが最後とばかりに思い切り跳び上がる。
そして真っ二つになったエーギルの頭の内部に刀を突き入れた。
『……ッ!!』
「いい加減……終われやぁぁぁぁぁっ!!」
刀から神力が直接化け物の内部に流し込まれる。
『ウギェェェェェェェェェェェェェ!!!!』
内部から神力によって破壊された怪物は今度こそ一溜まりもなく、断末魔の叫びを上げながら崩壊した。同時にミネルヴァが足止めしていた水人形達も形を失くして、地面へと還っていった。
「……終わった、のね? 正直……かなり、際どかった……」
技を解いたミネルヴァは血の気の引いた顔でその場に片膝を着いて喘ぐ。彼女も限界まで力を振り絞っていたらしい。
勿論天馬も、そしてシャクティとアリシアも神力を消耗し尽くしていたので、エーギルが斃れたのを確認して、大きく息を吐いて戦闘態勢を解いていた。4人とも神器は勿論、神衣を維持する神力すら使い果たしており、通常の私服姿に戻っていた。アリシアも初めて見るカジュアルルック姿となっている。
「いぎぃぃぃぃ…………。あ、あり得ん……こんな事がぁ……。私の……私の目的は、まだ……」
「……!!」
その時、息も絶え絶えな様子の苦鳴が聞こえてきて、天馬達は一様にそちらを振り向いた。そこには人間に戻った状態で肩口から胴体を深々と斬り裂かれて、更にその傷口から焼けたような異臭と煙を上げて地面に倒れているエーギルの姿があった。
どう見ても致命傷であり、既に死を免れない状態であるのは一目瞭然であった。
「…………」
ミネルヴァが表情を押し殺して、無言でその側まで歩み寄っていく。もう危険はないだろうと判断した天馬は特にそれを止めなかった。
「あなたは……自分の欲望のためだけに関係のない人達を巻き込んで、この街も私の生活も全部滅茶苦茶にした。あなただけは許せない」
ディヤウスへの覚醒と戦いに身を投じる事に抵抗はないものの、それでもこの島での生活は彼女にとって大切な日常であった。初めての友人達も出来た。そんな暮らしをこの男が下らない目的のために台無しにしたのだ。
その理不尽に対する怒りは、普段感情の起伏が乏しい彼女をして死にかけの相手を糾弾する程であった。
「く……ひひ……。生活? 日常? ディヤウスになっても、まだそんな事を、言っているのか」
だがエーギルはその死相を皮肉気に歪めた。
「この星は……いずれ全て、【外なる神々】に、呑み込まれる……。そうなれば……どのみち、全ての人間の、日常など、壊れて無くなる。遅いか、早いかの、違いでしかないのだ」
「……!」
邪神達の侵略は確実に進んでいる。それを阻止するためにも彼女達は戦っているのだ。
「【外なる神々】の力の前に、人間など無力だ……。精々地獄から、貴様らが苦悩し、やがてその夢ごと打ち砕かれる、様を見物させて、もらおうか……」
文字通り血を吐きながら呪詛を呟くエーギルは、歪んだ笑みをその顔に張り付けたままあの世へと旅立っていった。
「終わった、な……。大丈夫か、ミネルヴァ?」
何かの激情を堪えたような表情でエーギルの死体を見下ろすミネルヴァに天馬が声を掛ける。果たして彼女は頷いた。
「ええ、私なら大丈夫よ。今更動揺したりはしない。これが自分で選んだ道だから」
その声も、目も、強がりを言っているようには見えなかった。それを見て取って天馬も頷きを返した。
「そうか。ならいいさ。これからアンタもこの島を……いや、この国を出て一緒に戦ってもらいたいんだが、それも構わないか?」
「ええ、問題ないわ。この街のような場所を二度と作らせない為にも、私も皆と世界に出て一緒に戦うわ」
ミネルヴァは躊躇う事無く首肯した。そして天馬と握手を交わした。これで彼女も正式に仲間の一員だ。
「改めてよろしくお願いします、ミネルヴァさん! ディヤウスは言語を気にする必要がありませんし治安の悪い所だってへっちゃらですから、世界中どこでも旅できますし楽しい事もきっとあります! いえ、きっと楽しい物にしましょう!」
「こちらこそよろしく、シャクティ。あなた達が最初からやけに綺麗なスウェーデン語を話していたのはそういう事だったのね」
シャクティとも握手を交わして苦笑するミネルヴァ。もう彼女にもその特性が備わっているのだ。
「うむ、だが無論楽しい事だけでなく大変な戦いにも備えなくてはならんが、だからこそお前の加入は非常にありがたいし、重要な事だ。これから宜しく頼む」
「ええ、共に戦い、必ず邪神とその眷属たちに打ち勝ちましょう」
アリシアとも固く握手を交わし、決意を新たにするミネルヴァ。
「よし、エーギルの奴が斃れた事で、恐らくヴィスビューの『結界』も消滅するはずだ。あいつに洗脳されてた人達もじきに正気に戻るだろ。どうする? 友達に別れの挨拶をしていくか?」
天馬に問われたミネルヴァだが、彼女はかぶりを振った。
「……いえ、このまま黙って行くつもり。彼女達に操られていた時の記憶があるのかは分からないけど、あれは悪い夢だったと思ってほしいから。私の事も含めてね」
「ミネルヴァさん……」
シャクティがやや同情的な様子になる。確かに操られていたとはいえ、図らずも自分達が殺そうとした友人と会っても、色んな意味で気まずくなるだけかも知れない。
「勿論それだけじゃなくてディヤウスとして戦いの旅に出る以上、過去のしがらみは全部ここに置いていかなければならないと思うから。下手に彼女達と会ってその決心が鈍ったりするのも避けたいし」
「……確かにそうかもな。アンタがそう決めたならそれでいいさ。それじゃこのまま人知れず出立って事でいいな?」
「ええ。といっても次にどこへ向かう予定なのか私は知らないのだけど」
ミネルヴァの問いにはアリシアが答えた。
「それは尤もだな。ここを出たらとりあえずアメリカの首都ワシントンDCに向かう予定だ。実はもう一組仲間達がいてな。そちらの組も現在南アフリカで同じように仲間探しの最中であるはずだ。互いの目的を達したらDCで再合流する手筈となっている」
アメリカのワシントンDCには、これまで天馬達の旅をサポートしてくれていた『米国聖公会』の主教座たる総主教会がある。アリシアも所属するその米国聖公会のジューダス主教から、一度直に天馬達と会いたいという申し出があったのだ。
何といってもここまで仲間を集められたのはジューダス主教の『神託』のお陰である。さらに旅の費用やパスポート、身分証の手配など様々な面でのサポートも全て彼の意向だという。言ってみれば天馬達にとって最大のスポンサー、もしくは大株主のようなものだ。
その彼が自分達と会いたいと言っているなら、それを無下に断る訳にもいかない。なので移動の手間を省くためにどうせならと、南北に分かれている二組の合流場所をワシントンDCにさせてもらったのであった。
「……! もう一組? 私達の他にもまだディヤウスがいるという事?」
そういえばまだミネルヴァには説明していなかった。天馬は掻い摘んでこれまでの経緯と他の3人の特徴を説明した。ミネルヴァは得心したように頷いた。
「なるほど……そういう事だったのね。じゃあ私達を含めて7人……いえ、そちらの『勧誘』が成功していれば8人の仲間がいるという事ね」
「まあそうなるな。それでも充分とは言えないかも知れねぇがな……」
天馬は苦い顔つきになる。さりとて敵の陣容が判明していない以上、どれくらいの戦力を集めれば『充分』なのかも判然としないのだ。だが茉莉香の事を考えれば仲間集めにいつまでも時間を費やしていられないのも確かであった。どこかのラインで決断しなくてはならないだろう。
「シャオリンさん達は大丈夫でしょうか? 私達はこうして無事にミネルヴァさんを仲間に出来た事ですし、アメリカではなく私達も南アフリカに向かってシャオリンさん達に協力すべきでは?」
シャクティがそんな伺いを立ててくるが、天馬は少し考えて首を横に振った。
「……いや、それじゃ二組に分かれた意味がねぇ。今から俺達が行っても入れ違いになるかも知れねぇしな。それに俺は小鈴達を信じて任せたんだ。あいつらなら必ずやってくれる。だから俺達はこのまま予定通りアメリカに向かう」
「……! あ……そ、そうですよね。すみませんでした」
ここで天馬達が南アフリカに向かう事は、小鈴達を信じていないという事に繋がってしまう。それに気付いたシャクティがハッとした様子で慌てて撤回する。
「まあそれに案外向こうの方が早く任務を達成していて、既にDCで我等を待っているかも知れんしな」
アリシアがそれを取り成すように冗談めかして発言する。だが案外冗談ではなく、その可能性も普通にあると思われた。
「そうね。私も早くその人達に会ってみたいわ」
ミネルヴァもその話題に乗る。だがそれは彼女の本心でもあった。
「そうだな。よし、それじゃこのまま街の人々が正気付く前にこの島を出るぜ。それでいいな、ミネルヴァ?」
「ええ、私なら大丈夫よ。未練はない」
それもまた彼女の本心であった。
(さようなら、ヘルガ、マルグレーテ。短い間だったけど、あなた達と友人になれて私は充分に幸せだった。でも私は旅立たなくてはいけない。あなた達のこれからの幸福を心から願っている)
彼女は心の中でそっと友人達に別れを告げた。そして後は未練なく、天馬達と共に人知れずゴットランド島を後にするのだった……