第14話 『ブリュンヒルド』
『その輝き……やはりその槍は貴様の神器だったのか!』
「ええ、その通り。これを餌に私達を誘き寄せて始末するつもりだったんでしょうけど、策に溺れたわね」
ミネルヴァの様子を見て唸るレイグラーフに、彼女は槍を突き付けて不敵に口の端を吊り上げる。
『馬鹿め、もう勝った気でいるのか? 甘いな。貴様が神器を手に入れたとて、状況は何も変わっておらんぞ? 仲間は既に満身創痍。そしてこちらにはお前の友人を始めとした人質がいる事を忘れたか』
一瞬の動揺から立ち直ったレイグラーフが、ミネルヴァに見せつけるように操られた学生たちを全面に押し出して牽制してくる。勿論その中にはヘルガ達もいる。
確かに彼等の洗脳を今すぐ解く事は出来ない。それが出来るなら天馬やアリシア達がとっくにやっていたはずだ。だが……洗脳を解く以外にも戦いようはある。そしてミネルヴァの新たに得た能力にはその手段があった。
「甘いのはそっち。『ブリュンヒルド』の力を見せてあげる」
ミネルヴァは神力を練り上げて『ブリュンヒルド』を両手で旋回させる。すると槍が強烈な冷気を帯び始め、更に高速で回転させる事によってファンのような役割を果たし、槍が帯びている冷気が迫ってくる群衆に吹き付けられる。
『ぬわっ!? だがこの程度の冷気など……』
「ええ、あなた達には効かない。でも彼等にはどうかしら?」
『……!!』
レイグラーフが目を剥いた。凍てつく突風を受けて学生たちの動きが止まっていた。といっても洗脳は継続している。ではなぜ動かなくなったか……それは彼等の足元に答えがあった。
彼等の足は例外なく氷によって床に縫い付けられていたのだ。ミネルヴァは神器を得た事によって能力の精密操作が可能となり、彼等の足元にだけ空気中の水分から一瞬で氷晶を作り出してその機動力を封じたのだ。
動けない案山子となった学生たちであればそこまで脅威ではない。ミネルヴァは一気に踏み込んで、学生たちの間を縫うようにしてプログレスの一体に素早く接近。
『スクルド・フェーデッ!!』
強力な冷気を帯びた槍は、固さだけが取り柄のプログレスにとっては天敵のようなもの。相手を氷像と化しつつの連続突きに、そのプログレスは一溜まりもなく砕け散った。
『貴様ァァァァッ!』
残ったプログレスが破れかぶれに襲い掛かってくる。ミネルヴァは冷静にその攻撃を避けると、学生たちを巻き込まないように注意しながら立ち回り、氷の槍でもう一体のプログレスも撃破する事に成功した。これで残るはレイグラーフだけだ。
「さあ、後はあなただけね。覚悟は出来てる?」
この大学の学長ではあったが、その学生たちを盾に卑劣な戦術を用いる男だ。しかもプログレス。容赦する理由は一切ない。
『ふん、神器と神衣を得て調子に乗っておるようだな。だが忘れていないか? 確かに動きは封じられたが、こやつらにはまだ人質としての価値が残っているという事を』
「……!」
レイグラーフがその長い鉤爪をこれ見よがしにマルグレーテの頭の上に乗せる。奴がその気になれば一瞬で彼女の命を奪えるだろう。
『くくく、どうするね? いくら友人とはいえ自分の命と引き換えには出来まい? 別にそれならそれで構わんぞ。こやつらの命を犠牲に儂を討つがいい。それでお前達の勝利だ。人質を見捨てて勝利を取ったという意識はこの先ずっと付き纏うだろうがな!』
「く……!」
ミネルヴァは歯噛みして槍を握る手に力が籠もる。ここにいたのが天馬であれば或いは、人質を犠牲にしても確実な勝利を取るという選択をしたかも知れない。だがミネルヴァにはまだそこまでの覚悟が無かった。友人達が人質に取られているのも大きい。
『おや、どうしたのかね? 急に元気がなくなったようだが。来ないのならこちらから行くぞ?』
「っ!」
嘲笑うようなレイグラーフの声と共に、奴の片方の腕が異様に伸びてミネルヴァを攻撃してきた。友人達を人質に取られた彼女は反撃できずに奴の攻撃を凌ぐので精一杯になる。
『ふぁはは! さっきまでの勢いはどうしたのかね!?』
「ぐっ……」
嵩にかかって腕を振り回してくるレイグラーフに防戦一方のミネルヴァが呻く。だが奴のもう一方の手はしっかりマルグレーテに回されていて反撃できない。このままでは一方的に嬲られて、やがて致命的な隙を晒してしまう。ミネルヴァが解決策を見出せずに焦っていると……
『はははは――――――はがっ!?』
突如レイグラーフの耳障りな哄笑が止んだ。奴が身体を大きく仰け反らせる。
「馬鹿め。彼女を嬲るあまり私達の存在を忘れたな?」
『……!!』
いつの間にか奴の背後に回ったアリシアが、レイグラーフに『デュランダル』の銃口を向けていた。あれで奴の背中を撃ったのだろう。
『き、貴様ら――』
『バイラヴィの拒絶!!』
レイグラーフが振り向く前に、もう一つの追撃が奴の腕を斬り落とした。シャクティが自身の神器である『ソーマ』と『ダラ』という二振りのチャクラムで直接斬り付けたのだ。
レイグラーフはその見た目通り機動力や俊敏性に優れるようだが、反面耐久力は劣るらしく不意打ちとはいえシャクティの斬撃で腕を切断する事が出来た。マルグレーテを抱えていた方の腕だ。
『ウゴアァァァァッ!!?』
腕から大量の血を噴き出しながらレイグラーフが苦悶する。絶好のチャンスだ。
「2人とも、ありがとう! 下がっていて!」
そう合図してから神力を練り上げ『ブリュンヒルド』に集中させる。そして槍を大きく振りかぶった。
『ベルセルク・シグルーンッ!!!』
全力で投擲された槍は狙い過たず、苦悶するレイグラーフの胴体に命中した。勢いあまって槍が奴の胴体を貫通する。その傷口から冷気が噴き出し、奴の身体を一瞬で凍結させた。そして間を置かず凍り付いたその身体が、文字通り木っ端微塵に砕け散った!
「終わった、な……」
他に敵がいない事を確認して、アリシアが銃をしまって呟いた。
「ミネルヴァさん、やりましたね! あいつを一撃で斃すなんて凄い力です!」
「ありがとう、シャクティ。それにアリシアも。皆の協力があったからこそ切り抜けられた」
はしゃいで喜色を表わすシャクティに、ミネルヴァも戦闘態勢を解いて静かに頷いた。
「目的を達成できたのは目出度いが、この者達はどうするのだ? まだ洗脳は解けていないようだが」
アリシアがそう言って周囲の学生たちを見回す。彼等は未だに氷晶に足を取られたまま、虚ろな表情で動こうともがいていた。彼等の洗脳を解くには、この事態を引き起こしているウォーデンを探し出して討伐する以外にないだろう。
「そうね。仕方ないけど、私達がここから立ち去ったら時間差で拘束が解けるようにしておくわ。……今はそれしか出来ないみたいだし」
「ミネルヴァさん……」
シャクティが若干慮ったような口調になる。この学生たちはいずれもミネルヴァの同窓生のようなもので、しかもヘルガ達のような親しい友人も混じっているのだ。この地に何のしがらみも無いシャクティ達とは異なり、忸怩たる思いがあるのは事実だった。
だが今は出来る事をやるしかない。このまま彼女が前を進む事が、結果として友人達の解放に繋がるのだ。
「よい決意だ。ならばせめて急ぐとしよう。一分一秒でも早くウォーデンを討伐して彼等を解放できるようにな。テンマもまだ外で戦っているはずだしな」
「そうね。急ぎましょう」
アリシアの言葉に頷いたミネルヴァは、最後にもう一度だけ心の中で友人達に詫びると、氷晶が時間で自動的に溶けるように調節してから、シャクティ達と共に大学を後にするのだった……