第9話 地獄からの脱出
「茉莉香ッ!」
「天馬!? 良かった……」
職員室に戻ると、部屋の隅で蹲っていた茉莉香がガバッと顔を上げて立ち上がったと思うと、一直線に天馬の元に走ってきてその胸に飛び込んだ。
「おおっとっ! ま、茉莉香……!?」
「天馬ぁ! 良かった! ホントに良かったよぉ! でも……でも、皆が……皆が……」
「……! 茉莉香……」
涙声になる彼女の心情を慮って天馬は何も言わずに彼女を抱きしめた。自分のせいで級友たちも無関係な人達も皆死んでしまったのだ。平静でいられるはずがない。
恥ずかしいとか照れくさいとかそんな感情はどこかに吹き飛んでいた。とにかく彼女を受け止めて守ってやらなければという思いで占められていた。
茉莉香は天馬の胸に縋ったまま、大声を上げて慟哭し続けていた。
「……少し落ち着いたか?」
しばらく経って慟哭が止まってから天馬は静かに問い掛けた。茉莉香はまだ目を充血させ鼻を啜りながらも頷いて離れた。
「うん……もう大丈夫。ありがとう。みっともない所見せちゃったね」
「いいさ……」
若干の名残惜しさを感じたのは事実だが、今はそれどころでもないので忘れる事にする。
「よし、あの野郎はぶっ倒したから今なら外に出られるはずだ。警察に言ったって信じちゃもらえないだろうから、とりあえず一旦家に戻ろう。それで竜伯さんにこの事を伝えて今後の事を相談しよう」
どのみちもう天馬達にまともな人生を歩む事は不可能だろう。いつまた同じような襲撃が起こらないとも限らないのだ。ならば辛いが、とりあえずこの学校の惨状は誰かが発見するに任せて、天馬達は一足早くこの場から立ち去るべきだ。
「うん……そうだね。でも、天馬も『神化種』だったなんて驚いたわ。どんな神様だったの?」
「俺自身が一番驚いてるよ。神社の茉莉香がアマテラス様ってのと同じで、俺も実家の本尊だった不動明王様だったよ」
「そ、そうだったんだ。でも、天馬のイメージにはピッタリかも、不動明王様」
「それは喜んでいいのか?」
あの厳つい不動明王にピッタリというのも複雑な気分ではあった。自分ではそんなに暑苦しい容姿ではないという自覚があったのだが。
茉莉香が慌ててかぶりを振った。
「あ、も、勿論そういう意味じゃないよ? 頼りがいがあって素敵って意味よ」
「そ、そうか? まあいいけどよ……」
話しながらも2人は職員室を出て、極力散らばっている死体を見ないようにしながら校舎を抜けて、学校裏のスペースに出る。学校中を徘徊していた骨クモ達は主人であるあの魚男が死んだからか、全て消滅していた。
だがなるべく人目に付きたくない事もあって、正門ではなくあえて裏口から抜けてそのまま山を目指して突っ切るつもりだった。だが……
「『膜』が……消えていない!?」
あの学校中を包んで誰も逃がさないようにしていた黒い半透明の『膜』が消えずに、相変わらず学校全体を包み込んでいたのだ。
「どういう事だ!? あの野郎は倒したのに……!」
「て、天馬……」
驚愕する天馬。茉莉香の声も不安に震える。その彼女の不安を裏付けるように……
『同胞ガ討タレタ……』
『モウ一人ノ『神化種』ノ存在ハ想定外ダッタ……』
『ヤハリ最初カラ奴ダケニ任セルベキデハナカッタ』
「……っ!?」
天馬と茉莉香は突如後ろから聞こえてきた複数の不気味な声に、弾かれたように振り返った。そして驚愕に目を見開いた。
そこには先程天馬が倒したのと同じような格好の10人近い数の黒コートがいた。塀の上や車の上に立っている者もいる。全員あの魚男が最初に被っていたのと同じ帽子を目深に被っている。黒コート達はそれぞれ身長が微妙に違うようだったが、それ以外には殆ど差異がなかった。
「くそ……他にも仲間がいたのか!?」
天馬は茉莉香を後ろに庇いながら顔を歪めて舌打ちする。極めてマズい状況だ。こいつらがあの魚男と同じくらいの強さであれば1対1なら負けるとは思わなかったが、この数で来られると流石に厳しい。ましてや今は茉莉香がいる。彼女を守りながらとなると1人の相手が限界だ。
「天馬……」
「大丈夫だ、茉莉香。俺が必ず守ってやる」
泣きそうな声の茉莉香を安心させるように天馬が請け負う。だが正直に言ってこの状況はほぼ詰みだ。既に仲間の魚男がやられている為か、この黒コート達はいずれも殺気と魔力を漲らせ一切の油断なく全員で襲ってくる気のようだ。
(……ちくしょう、ここまでなのかよ? ふざけんじゃねぇ! 俺は最後まで抗ってやるぞ。茉莉香だけでも必ず逃がすんだ)
天馬が今度こそ自身の死を覚悟して悲壮な決意を固めた時だった。
「……良い覚悟だ、少年。いや、天馬よ」
「え……!?」
再び後ろから、今度は聞き覚えのある声が聞こえた。しかし今の天馬達は『膜』を背にして黒コート達と対峙しており、その彼等の後ろから聞こえたという事は……
振り返った天馬と茉莉香の目に飛び込んできたのは、黒い『膜』の外側から『膜』に向けて銃を構える1人の白人女性。その金髪と碧眼だけでも日本では目立つが、更に人目を惹く露出度の高いカウガール風の衣装。
それは紛れもなく、昨日天馬達に『神化種』の事を教えたアメリカ人女性、アリシア・М・ベイツであった!
「2人とも、伏せていろ!」
「……!」
アリシアの構えている拳銃に凄まじい神気が集中している。今の天馬にはそれが分かった。なので彼女に言われるよりも早く、天馬は茉莉香の頭を押さえるようにして共に地面に伏せた。
「『神聖砲弾』!!」
その瞬間強烈な光の波動が彼女の銃口から迸った。それは彼女の持つリボルバー式の拳銃とは明らかにサイズの合わない極大の光球となって、黒い『膜』にぶち当たった。すると……
「……!」
光弾は弾け飛んだが、当たった場所の『膜』に大きな亀裂が走る。そしてその亀裂は物凄い速さで広がっていき、やがて割れた。『膜』に直径数メートルほどの穴が開いたのだ。
「さあ、今だ! 急げっ!」
「……っ! 茉莉香、行くぞ!」
天馬は茉莉香の腕を引っ張りながら素早く身を起こすと、開いた出口に向かって一目散に飛び込む。後ろから黒コート達が追い縋ってくる気配を感じた。そこにアリシアが再度銃口を向ける。
「『拡散神聖弾』!」
今度は銃口から何条もの細い光線が発射され、それが拡散して穴に殺到しようとしていた黒コート達に浴びせられる。
『……!!』
倒す事は出来なかったようだが、明らかに怯んだ黒コート達の動きが停滞する。
「よし、走れ!」
その隙にアリシアは踵を返して『膜』から遠ざかるように走り出し、天馬達もその後に付いて駆け出した。
ここに天馬と茉莉香は、昼休みから始まった地獄の饗宴からようやく脱出を果たしたのであった……
次回は第10話 終わりなき脅威