ハロルド
彼女を見かけたのは偶然だった。
学園の入学式も終わり、漸く慌ただしさも落ち着いて緑が眩しくなってきた春終りの頃。
学園自慢の広大な図書館で彼女は静かに本を読んでいた。
薄い金と淡い桃色が混じりあう珍しい髪色に、垂れ目の金の瞳は本に向けられ、ぽってりとした唇はきゅっと結ばれている。
ふむ、確かに目を引く美しさだが…。
学園で評判の噂程でもないな、とその時は思った。
次に見かけたのは、魔術師長の息子のバルセルと会話している姿だった、バルセルが何か面白い事でも言ったのだろう、クスクスと笑っている。
笑う彼女を見て何故か母を思い出した。
母は弱い人だった。
美しくもなく頭もあまり良くなかったが、本人は善良で血筋だけは素晴らしい家に生まれた人だった。
善良な人間は、政略結婚した相手の負の部分が嫌で堪らなかったらしい。
宰相として汚い仕事をして人から恨まれ愛人を持つ父の後継ぎの私とスペアの弟を産むとさっさと領地へ引きこもってしまった。
それは宰相という地位にいる父の社交界的な立場を無くすものだったが父は何も言わず好きにさせて…いや、父はたんに母に興味なかっただけで無関心だった。
彼女は母が父を見る時と同じ目をしていた、バルセルの事を個として見ないでいる姿は母そのものに見えた。
あまにり強く見すぎていたのだろう、彼女が私の視線を感じ取って私を見つめた。
それは、不思議なくらい透明な眼差しだった。
何故母と似てると思ったのだろう、母のような媚びも嗜虐的な卑屈さも負を見る嫌悪感も全く無かった。
ただただ私をなにか物の様に見る眼に圧倒されてしまった。
そこらの椅子や花瓶と同じ、あまりにも新鮮な体験だった。
夏の暑い頃には彼女の側に誰かしらいた。
自分もそのひとりだが、いつしかミレニアを独占出来ないものかと考えるようになっていた。
戦闘狂の王子、重度のシスコンのユーレン、年上しか興味がないナハト、バルセルは自分をいたぶる女が好きなのだ。
皆は、私が女性に興味がないと思っているようだった、確かに普通の女性は興味無い。
しかしミレニアだけは手に入れたいと思った、彼女の透明な視線を独り占めしたかった。
彼らが何故ミレニアの側にいるのかはわからないが、彼らなりの理由があるのだろう。
そんな中、王子の本心を知ったのは秋が始まる頃だった。
「このままですと廃嫡になりますぞっ!」
「…わかっている」
王城の人気の無い場所で王子が婚約者の父親から小言を受けている、ありえない場面に出くわしてしまった。
「話はそれだけか?」
「っ!つ、次の夜会では必ず娘をエスコートして頂きますぞ!」
ずかずかとデュポア侯爵は反対の廊下へと歩いていった。
「見ていたのかハロルド」
「殿下」
「…全く煩わしい…なぁハロルド」
「何でしょう」
「本当に廃嫡出来るものか?」
「今のままであれば問題にもならないかと」
「ふむ、今以上に騒ぎになれば?」
「廃嫡される可能性があると思われます」
「……そうか」
平和な世に産まれてしまった、戦闘狂はさらりと言った。
「ハロルド、このままだと俺はこの国をいずれ滅ぼす」
「…はい」
「そうなるのは困るか?」
「皆いなくなるのは寂しくなりますね」
「そうだな、寂しくなるな」
「はい」
「ならば、俺は廃嫡されようと思う、知恵を貸せ」
「畏まりました」
ライア殿下が晴れ晴れとした顔で、自室へと戻られるのを見送りながら私は思った。
滅びるのも、それはそれで悪く無かったなと。
母に似て、どうも自分は偽善的なところがあると反省した。
殿下がこの先の事を決めたように、私も昔からの夢を叶える事にしよう。
その為に、産まれて初めて好意を持った人間を犠牲にするのもまた私らしくとても良い。
そうだ、神殿に2年か3年過ごさせてから迎えに行けば、長い期間想われていたのかと感激した彼女に感謝されるかもしれないな。