第六話:余裕
開始のブザーが鳴り止むと、闘鬼、魔衣、辰希の携帯が無機質な電子音を響かせた。携帯を開くと建物の見取り図があり、建物の中を走る矢印が五つあった。
「時間がないので最短ルートを五つに絞りました。どのルートも監視カメラやセンサーを避けるように選んでいますし、相手に察知されても皆さんの力なら問題ないはずです。それじゃ、頑張ってください〜」
真紅が三人に笑顔を振り撒きながら、さっさと行けと言わんばかりに手を振る。
「バラバラに侵入するか……魔衣、お前は確か暗殺を何度かやってきたと言っていたがどうだ? 隠密戦の経験者から見ると?」
魔衣は携帯の画面に写っている図面を見ながら答える。
「たぶん楽勝ですよ〜。この建物、中はたいして入り組んでいないみたいですし、天井裏の配線や通気孔を伝って行けばすぐに取れます。闘鬼さんと辰希君は、上と下から陽動かけてください。その間に私が旗を取ります」
魔衣は一通り図面を見終えると携帯をポケットにしまい、柔軟体操を始めた。
「わかった、なら俺が玄関から、辰希は屋上から陽動を仕掛けよう。どれくらいで片が付く?」
「真紅君の出した最短ルートを通って……4〜5分くらいで旗を取れます。二人とも結構派手に陽動かけてください。それだけすぐに片が付きますから。じゃあぼちぼち始めましょう」
魔衣は腕時計のタイマーを設定して、動いた。
「む……行くか………」
辰希は龍の姿に変身し、翼を広げて建物の屋上に向かって飛んだ。
「さて……俺も行くか」
正面玄関の自動ドアが開き、中に入る。
「む………」
辰希は屋上に到着すると、翼を畳んで元の姿に戻る。
「陽動だったな……」
屋上の通用口から建物の内部へ侵入する。
「む………?」
通用口へ入った途端、ブザーが鳴り響いた。
「……もう見つかったのか……」
辺りを見回してみると、監視カメラのレンズが辰希の方を向いて静止している。そのあと、第三小隊の男子生徒が階段を駆け上がって辰希の前に立った。
辰希は目の前の男子生徒を見て自己紹介の時を思いだす。
(む……確かコイツは……野乃代・狐狛……妖狐の男だったな……)狐狛を見下ろしながら辰希は構える。
(うわ、マジかよ……海東かよ〜、ついてねぇ! これ絶対人選ミスだろ〜! 俺の力じゃ龍人族の海東なんて止めれねーよ! でもやるしかねーんだよな……名波と時宮は鬼神と当たるって言ってたし俺はまだマシなはず……なんだよな?)狐狛は身長の高い辰希を見上げながら低い姿勢で構える。
(スピードで撹乱すればなんとかなるよな?)自分に言い聞かせ、狐狛が軽快なフットワークで辰希の右サイドへ回り込む、そのまま勢いをつけた肘鉄を脇腹へ打ち込んだ。
「痛ッ!?」
肘鉄は確かに辰希の脇腹へヒットした。だが逆に孤狛の肘に重い痛みが走る。対する辰希は肘鉄を受けてもびくともせずに、悠然と構えている。
「うっそだ〜……」
狐狛は呆然とその様子を見ていた。
(おいおい! かなり本気で打ち込んだぞ! 畜生……やっぱ甲殻種の龍人は普通でもかてーな……逆に俺の肘が痺れたぜ)すかさず辰希から距離をとって体制を立て直す。
(階段の踊場じゃあスピードが完全に生かせねぇのか? ……どうにかして広い屋上まで持っていかねーと時間稼ぎもできねぇな……)狐狛は思考を巡らせ、辰希を屋上へ誘い込む方法を思案する。
(む……5分だったな……)辰希は魔衣が言った言葉を思い出す。
5分稼ぐ……それが自分に課せられた任務だ……その5分を敵に悟られないように……守らねば……守る事に関しては誰よりも自信がある……誰よりも…だ。
辰希はそう自分に言い聞かせ、目の前の狐狛と対峙する。
(む……なるべく攻めるように見せ掛けなければ……)攻めは苦手だ、と思いながら辰希が動く。素早い狐狛を自分のリーチを生かした攻撃で追う。
(クソ! 見た目に寄らず早いじゃねーか海東!)辰希の腕をかい潜りながら狐狛は徐々に間合いを狭める。
(でも俺の方が早いんだよ! 狙うは顎!)狐狛が辰希の懐へ入り、 アッパーを打ち込む。 が、辰希は拳をスウェーで避ける。狐狛の拳が空を切った。
(あれ……?)そこから目の前の景色がコマ送りになり、自分が投げ飛ばされたと気づいた時には視界が一周していた。身体がコンクリートの地面に倒れ、痛みで視界が元に戻る。
(海東ってこんなに強いのかよ……! でも、おかげで屋上に誘い込むことができた……)身体を起こし、構える。
(広い屋上なら……こっちのもんだ!)力を解放すると狐狛の身体から青白い光が溢れ出し、姿が徐々に変わる。焦げ茶色の体毛、しなやかな尾、ピンと立った耳が生えた。
(む……あれが妖狐の姿……か?)辰希は狐狛の力を警戒しながら、その姿をじっと見据える。
「行くぜ海東!」
狐狛が地を蹴って走る。
「おら!」
上段の回し蹴り、辰希は左手の甲で回し蹴りを防ぐ。しかしそれとは別の攻撃が辰希を襲った。
「む!?」
右脇腹と左肩に狐狛の拳と脚がある。よく見ると正面の狐狛を含め、背後に一人、右に一人、計三人の狐狛が辰希を攻撃していた。
「な…に……?」
三人の狐狛に気を取られ動きが止まる。
『ぼけっとしてんじゃねーよ海東!』
三方向から声が聞こえると同時に、一斉に掛かる。
(分身か……!)上段、中段、下段、次々と攻撃が入れ代わり、辰希に反撃させるヒマを与えない。
(む……本体と全く同じ密度の分身を二体も……!)狐狛の攻撃を防ぎながら反撃の機会を伺っていると、突然、通信が入った。
『辰希さん、魔衣さんがもうすぐフラッグに到達します。時間稼ぎは十分です』
通信機から真紅の声が聞こえ、辰希は応答する。
「む……了解した……時間稼ぎを終了する……」
『何ぶつくさ言ってんだ!』
三方向から狐狛の攻撃が迫る。が、辰希はすべての攻撃をあえて受け、力を解放する。
「むん!」
辰希の身体が甲殻に覆われ、牙が生え、強靭な翼と尾が生えた。
『マジ……?』
狐狛はその姿を見たまま棒立ちになっていると、辰希が回転する。その勢いで尾が分身の一体を弾き飛ばした。
辰希はその勢いを殺さずにもう一体を捉え、同じく尾で弾き飛ばす。
「む……ハズレか……」
弾き飛ばした狐狛が分身だったことを確認してから本体の狐狛へ迫る。
「おいおいおいおい! 冗談だろぉ!?」
狐狛は逃げようとするが、足が言うことを聞かない。
「む……悪く思うなよ……?」
そのまま辰希の腕が胸倉を掴んだ瞬間、終わりを告げるブザーが鳴り響いた。
5分前……
建物のロビーに侵入者を発見した警戒が鳴り響く。
「馬鹿正直に正面から来れば当たり前か……」
建物のロビーに入ると、待っていたと言わんばかりに二人の生徒がいた。一人は日焼けしたような褐色の肌で、スキンヘッドの男子生徒。もう一人は男子生徒とは対称的な色白で肩まで伸びた黒髪を持つ女子生徒だった。
(スキンヘッドは確か……名波・霊確か魔族だったな……女の方は時宮・アリス、先生や真紅と同じ、獣人だったか……)二人を観察していると、霊が闘鬼を指差し、睨みながら叫んだ。
「鬼神! 昨日と今日……A科の奴らから喧嘩吹っ掛けられて、みんなから注目浴びやがって! うらやましいぞコノヤロー!」
「は? 何を言ってい…」
「うるせー! 俺が目立てなくなったじゃねーか!」
呆然としている闘鬼の言葉を遮るように霊は続ける。
「あの時、俺はチャンスだと思ってたのに……目立つチャンスだったのに……鬼神! お前が目立ちやがって! 許さねーぞコラァ!」
闘争心剥き出しの霊をアリスは呆れた顔で見ていた。
「いつもの事だけど……あんたって本当に馬鹿ね……そんな事より早く仕掛けるわよ、霊」
「おう任せろアリス! 鬼神! お前を倒して俺がスターになる!」
言い終わると同時に二人が目の前から消えた。瞬間、闘鬼の背後に回り込み、拳を打つ。だが、二人の拳は空を切り、目の前にいたはずの闘鬼が消えていた。
「霊! 上!」
霊が上を見ると、すでに闘鬼が真上に出現し、霊の頭を右手で掴みんで落下の勢いを加えて床に叩きつける。
「がぁ!?」
床に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。
「チッ!」
アリスが闘鬼の喉笛目掛け、跳び蹴りを放つが、闘鬼は空いた左手でアリスの脚を受け止め、そのまま後ろに投げる。アリスは投げられながらも宙で体制を整え、着地する。
「くッ……霊! いつまで寝ている!?」
アリスの怒声に霊が飛び起きる。
「おう! 今起きた!」
アリスが力を解放し、虎の姿に変身した。
「合わせろ!」
アリスが叫ぶと同時に、霊の姿が変わった。
「ほう……」
闘鬼は変身した霊の姿を見ると、両腕が打鞭のように変化し、もう一対の腕が霊の肩から生え、身体は黒ずみ、肌が龍人のような甲殻に覆われ、頭は山羊の頭骨のような物に変化した。
「おもしろい!」
闘鬼が愉しそうに構える。
「でぇぇぃや!!」
正面から霊の四本腕の乱打が迫る。
「アリス!」
「わかってる!」
背後からアリスの足技が迫る。
「なかなかの連携だな、お前達、長い付き合いなのか?」
闘鬼は全ての攻撃を避け、いなし、笑いながら問う。
「当たり前だ! 俺とアリスとはガキの頃から組んでる! てめぇなんぞに負けるか!」
闘鬼は二人の攻撃をかい潜り、間合いを取る。
「逃げても無駄よ!」
アリスが瞬時に闘鬼の眼前に跳び、踵落としを放つ。
「はっ! やるな!」
闘鬼はアリスの踵を掌で受け止める。
「甘い!」
「とったぜ!」
アリスの背後から霊が現れ、四つの拳が闘鬼の身体を打つ。
「ぐ……」
闘鬼の膝が床につく。
「なんだ、たいしたことねーじゃねーか!」
霊が笑いながら闘鬼を見下ろす。
(あの鬼神がこの程度のはずがない……何かを隠している……?)アリスが警戒していると、闘鬼が何かを呟いた。
「……真紅、もういいのか?」
『はい、今、辰希さんにも連絡しましたけど、もうすぐ魔衣さんがフラッグに到達しますから、十分ですよ』
通信機越しに真紅が答える。
「わかった……」
身体を起こし、二人を見て言った。
「なかなか愉しめたぞ、名波、時宮、その礼だ……ほんの一瞬だけ俺の姿を見せてやろう」
「は! 何強がってやがる? ふらふらじゃねーか?」
霊が闘鬼に歩み寄ったその時、闘鬼の身体から火花が散った。
「まずい! 離れて霊!」
「なんだよ? アリ――」
瞬間、霊の身体が吹っ飛んだ。
「………ス……?」
「……!!」
霊の名を叫ぼうとした時、眼前に闘鬼の姿があった。その姿は、血のように赤い肌と、鋼のような筋肉を持ち、それを覆う甲殻がマグマのように赤く光っている。
頭には深紅の角が二本生え、漆黒の髪が腰まで伸びていた。そこまで見ると、アリスの視界が一種で真っ暗になった。
終わりを告げるブザーがロビーに鳴り響く。
「終わったか……」
闘鬼はため息をついてから元の姿に戻り、手刀で気絶させたアリスと、霊を引きずって建物を出た。
1分前……
魔衣は通気孔の中を歩伏で進んでいた。
(さすが真紅君ですね〜もう旗が見えますよ〜)通気孔の下にはフラッグを持った三嶋と、それを警護する十亀がいた。
(え〜とあの人は……十亀・乙音さんですね〜! 確か、霧谷さんと同じ人魚でしたか。唄われると厄介ですし、ちょっと眠ってもらいましょうか……)
魔衣は馴れた手つきで通気孔の金網を物音一つ立てる事なく外す。
(よっ……と)足を通気孔に引っ掻け、宙づりの状態で乙音の背後に回る。
「こんばんは〜」
「ひゃ!」
背後に突然、魔衣が現れた事に乙音は驚き、振り向く事もできず魔衣の手刀を受けて気絶した。
「暗部さん、まだ昼ですから……こんにちはでは?」
三嶋が苦笑しながら言った。
「あ、そうですね、へへへ……間違えました〜」
魔衣は苦笑しながら通信機の回線を開く。
「真紅君、闘鬼さんと辰希君の方はどうなりました?」
『しっかり時間稼ぎをしてくれましたよ』
「そうですか。じゃあ私が旗を取ったら終わりですね〜」
魔衣は三嶋が持つフラッグを笑顔で取り上に掲げて、旗とったどー!!、と雄叫びを上げると、終了を告げるブザーが鳴り響いた。