第三十四話 不死身ト最兇
白一色に染まった景色、その景色に溶け込むように巨大な立方体の建物が聳えている。
その立方体の一つの面に5メートル程の鉄門がある。否、あった、という表現の方が正しい。
鉄門は跡形も無く粉々に砕けていた。否、そこには初めから門など無かったかのように綺麗に穴が空いている。そこから中に入ると広い空間に出た。
外の白い雪景色とは真逆で一面が血の赤に染まり、死体が転がっていた。
いや、「死体」と呼べるモノは一つも無い。そう呼ぶより「肉塊」と呼ぶ方が正しいのではないか。
どれもが腕、足、首、眼球、脳、臓物、骨、全てがバラバラに散らばった凄惨な光景だ。それも一人分ではない、数十人分はある。どの肉塊の近くにも拳銃、ライフル、ナイフや刀などの武器が一緒に転がっており「肉塊」になる前の人間が何かと交戦し、惨殺された末に血の海が出来上がったと物語っている。
その血の海の奥、地下へ通じる階段がある。
階段には光が差し込まず暗闇が広がっている。その暗闇の底から一つの音が響いた。
カツン…カツン…と下へ降って行く足音だ。
その音の先にいるのは一人の男だった。
男は鮮血で赤黒く不気味に染まったフードコートを纏い、暗闇と同化しているかのようだ。
「長い階段だなぁ…オイ」
男は退屈そうに欠伸をかきながら階段を降る。
「お?やっと終点か…」
しばらく降ると、目の前にドアが見えた。
男はドアノブに手を掛ける。カギは掛かっていない。
「面倒だ」
内側に押せば開くのだが、男はドアを蹴破り、中に入る。
ドアを開けて最初に見えたのは光、次に見えたのは青空だった。
「…ここ地下だよな?」
あれ?と首を傾げて中に入り、辺りを見回すと部屋の全体が見えた。
男が入った部屋は縦10メートル、横30メートルほどの直方体の空間だった。その部屋の壁、天井、床、上下左右に青空の絵が書かれていた。
「この部屋全体か…よく描いたもんだな」
男は感心したように嘆息すると部屋中を見回す。
「お、いたいた」
男の視線の先には部屋の隅で筆を走らせている20代前半と思われる青年がいた。
「お〜い」
男が声を掛けると青年がこちらに振り向く。焦げ茶の髪に、色素の薄い肌、男だと言うのに街を歩けばどんな者でも振り向き、見とれてしまいそうな美しさを持っている。
「おや?お客さんとは珍しいですね」
青年は柔らかな物腰で男に向かって笑顔を向ける。
「ほぉ〜男前だな!っても俺より何百も年上なんだっけか?」
男は笑いながら青年に向かって歩み寄る。
「はじめまして、僕の名前は…ええと…なんでしたっけ?」
「ははははは!初対面でボケかましてやがるぜこのアンちゃん!」
男は腹を抱えて床を転げ回りながら笑う。
「あの、どうしましたか?何処か身体の調子が悪いのですか?」
狂ったように笑う男を見て、青年は心配したように問い掛ける。
「いや気にすんなアンちゃん!ちょっと面白かっただけだ…でアンちゃんの名前はなんだ?」
男が笑いながら問うと、青年は顎に手をあて、首を傾げる。
「それが…僕自分の名前を忘れちゃったんですよ。ここでは皆さんが僕を名前では無く、「囚人番号二番」とよんでいましたから」
「いやソレ名前じゃねーし!つーかなんで名前忘れんだよ?」
「ここに来てから200年近く「囚人番号二番」と呼ばれていたので忘れてしまいました。いや〜うっかりですね」
青年は苦笑しながら頭をかく。
「そういえば…たまに来る人達が僕の事を「アンデット」と呼んでいましたからそれが名前だと思いますよ?」
「なんで本人が疑問形なんだよ?」
「すみません」
青年が苦笑すると男が腹を抱えて笑う。それの繰り返しだった。
「ところで…貴方の名前は?」
笑いを堪え、ああ、と男が返事をすると、笑っていた口元を不気味に歪ませる。
「俺は鬼神・兇鬼…お前を殺す男だ」
名乗ると同時に兇鬼は拳を青年に向けて放つ。
拳は青年の胸部に着弾。瞬間、爆発したように血飛沫が舞い、肉が散る。
「え…もう死んだ?……マジ弱すぎだろ…」
兇鬼は舌打ちをすると、青年だったモノを眺める。
「興冷めだ…わざわざこんな所まで来たけど無駄足だったな〜これなら闘鬼を殺しに行った時の方がまだ愉しめたぜ」
不機嫌そうにため息をつくとドアに向かう。
「あの」
不意に背後から声が聞こえた。
「あ?」
振り向くと背後には肉塊になったはずの青年が立っていた。そしてこちらに笑みを見せると、こう言った。
「僕、死ねないんですよ…もし貴方が殺せるというなら、どうぞ殺してみせてください」
足元には失血死してもおかしくない、夥しい量の血溜まりがある。しかし青年には傷一つ無く、会った直後の時と変わりない状態だった。
「は…ははははははははははははははは!!」
兇鬼は喜びに打ち震え、叫ぶような笑い声を響かせる。
「お前サイコーだぜぇぇ!!」
叫び終わると兇鬼は数メートルあった青年との距離を一瞬で零に詰めた。同時に兇鬼の踵が青年の脇腹に突き刺さる。
ゴキゴキッ!と鈍い音と共に青年の肋が数本砕け、内臓が潰れる。
「ッ!?」
口の中に鉄の味が広がり、思考が停止する。次の瞬間、硬い壁に全身が叩きつけられた。
しかし痛みは無い、強すぎる痛みの信号に脳が麻痺しているのだろうか。
前を見ると兇鬼は狂ったように笑い、叫びながら拳を振りかぶっている。次の瞬間には拳が体を打っていた。
着弾と同時に肉体が爆ぜる。が、その刹那、青年の肉体が元通りに再生した。
「なぁるほどぉ!死なねぇから不死身ってかぁ!?なら死ぬまで殺してやんぜぇぇ!」
兇鬼は声をあげて笑うと、両の手に拳を作り、雨のような乱打を浴びせる。拳が着弾するたびに青年の肉体は砕け散るが、すぐ元通りに再生する。
−死ナナイ−
−ドレダケ砕カレヨウト−
「はッははははははは!!」
−ドレダケ殺サレヨウト−
「ハアァッ!!」
指が喉をえぐる。
しかし、えぐり取られた喉は時間が巻き戻されたかのように再生する。
「しぃぶといねぇ!」
手刀が心臓を貫く。
瞬く間に再生する。
−死ネナイ−
踵が頭蓋を砕く。
再生
拳が骨を穿つ。
再生
爪が筋肉を断つ。
再生
掌低が臓腑を潰す。
再生
肘鉄が顎を割る。
再生
再生再生再生再生再生再生
−ナンダ…僕ヲ殺セナイノカ?−
青年の頭の中が突然真っ白に、クリアになったかのように冴える。
痛みは感じない、自然と口元が歪む。
−僕ヲ殺セナイノナラ…用ハナイ−
次の瞬間、青年が兇鬼の拳を弾いた。
「お?」
口元が歪む。
嬉しそうに、愉しそうに。
「一方的に殺すより抵抗してもらった方が愉しいからなぁ!!」
兇鬼は弾かれた方と逆の拳を放つ。青年も同じく拳を放つ。
真正面から激突、砕けたのは青年の拳だ。しかし青年は砕けた拳を開き、腕を掴む。兇鬼は振り払おうとするが、それより早く青年の手が再生し力が込められる。
凄まじい握力で掴み、引き寄せると同時に膝蹴りを水月に叩き込む。直後、兇鬼の体が浮く。青年は腕を離さず続けざまに膝蹴りを叩き込む。
「ハハ!!」
青年は兇鬼の腕を掴んだまま、無造作に投げ飛ばす。まるで幼い子供が玩具を投げ捨てるかのように。
吹っ飛ばされた体が二、三度床をバウンドするとようやく止まった。
「アハ!ハハハハ!!」
倒れた兇鬼の体に青年はマウントポジションで拳を叩き込む。
「僕を殺してくれるんじゃなかったんですか?」
「はッ!言うじゃねーの!!」
兇鬼は青年の首を掴み、握り潰す。そこから起き上がり、背負い投げの動作で頭から地面に叩きつけた。
ゴシャア!!と血と骨が同時に砕け散る音が響く、しかし次の瞬間には青年の体は再生していた。
「シッ!!」
真下から顎に向かってアッパーを放つが、兇鬼は頭突きで拳を受け止める。
「あめぇんだよ!」
真下へ掌低を放つ。
青年の顔面にヒットすると衝撃が突き抜け、床を割る。
「そら!!」
顔を掴み、青年の体を真上に浮かせると回し蹴りで胴を打つ。
体がくの字に曲がり、骨が折れる音が響く。刹那、青年の体が壁にたたき付けられた。
「ガ…ハ…」
息が止まる、器官をやられたのか上手く呼吸ができない。しかしそれも一瞬でもとに戻る。
体を起こして目の前を睨む。視線の先の男は先程と打って変わり、つまらなそうな顔でこちらを見ていた。
「飽きた」
「…?」
「殺しても死なねぇってのは、最初は面白ぇと思ったが…同じ奴を10回以上殺すってのは流石に飽きる」
兇鬼は大きく伸びをすると頭をかく。
「それに、アンちゃん弱すぎだ。弱すぎて話んなんねぇ〜噂じゃ馬鹿みてぇに強いって聞いてたから…期待ハズレもいいとこだぜ」
無駄足だったな、とため息をつきながら部屋を出る。
「じゃあなアンちゃん、もう二度と合わねぇだろ」
「…待ってください」
青年が呼び止めると、不機嫌そうな顔で兇鬼は振り向く。
「僕を外に連れて行ってください」
「は?」
「外を見たいんです。200年ずっとここにいましたから」
まてまて、と兇鬼は呆れたように笑う。
「なんで今更?つーか死にてぇんじゃなかったのかよ?」
「貴方と一緒なら、いつか死ねるんじゃないかって…そう思ったからです」
「なんだそりゃ?まぁいい、来たいなら勝手について来ればいいさ。俺は構わねぇ」
「ありがとうございます。兇鬼さんって意外といい人なんですね」
青年が兇鬼に笑みを向けると、兇鬼は喉を鳴らして笑う。
「いい人?ククク…違うな…俺は極悪人だぜ?」
「なるほど〜叔父殿はどういう訳か「アンデット」を連れてまた何処かへ消えたと…そういう事だな?」
タクシーの後部座席で青髪の青年、戦鬼が話の内容を確認するように問い掛けると運転手は首を縦に振って答える。
「で、それと俺達を連れ出した事の関係は?護衛なら間に合ってるんだが」
「護衛ではありません。しばらく貴方達を監視させていただきます」
「何?」
「我々の上層部は、貴方達鬼神本家が、鬼神・兇鬼と通じているのではないか、と見ている者がいるのです。そのような事は有り得ないと思うのですが、我々は可能性が1%でもあるモノは見逃さない。を信条としておりますゆえ」
運転手が言い終わると戦鬼は鼻で笑う。
「馬鹿言え、叔父殿は祖父様や親父殿と絶縁状態だ。なんで通じるなんて馬鹿みたいな意見が出るんだよ?つーか叔父殿と組んでウチにメリットはなにもねぇだろうが」
「確かに、ですが可能性はゼロではありません。先程も申した通り、ゼロではないことは見逃さない。が我々の信条ですので」
運転手が答えると、戦鬼は呆れたようにため息をつく。
「…じゃあ聞くが、アンタ等が、俺達鬼神家と絶縁された叔父殿が通じていると考えた理由はなんだ?」
「過去、鬼神・皇鬼が鬼火、鬼武の両当主と共に「鬼神・兇鬼」の討伐を行った。結果は鬼火・鬼武両当主の死亡と引き換えに鬼神・兇鬼は生死不明となりました。この事はご存知ですよね?」
「それがどう関係あるよ?」
「つまり鬼神・皇鬼は鬼神・兇鬼と共謀し、鬼火、鬼武両当主を殺害。序列第二位、第三位を弱体化させた状態で一族を掌握。序列第一位としての地位を盤石のものとした…これが我々の提示する理由です」
「無茶苦茶な理由だなぁ…ま、確かに可能性はある」
戦鬼は両目を閉じて頷く。
「しかし解せねぇ…監視するなら黙ってすればいいだろう?なのに何故俺達にバラす?」
そう問い掛けると運転手は微笑する。
「これは私の個人的な判断です。「鬼神」のおかげで私は監視役という役割を与えられた…その事に対するお礼と受け取ってください」
「お礼ねぇ…」
運転手が頷くとタクシーが停車した。ドアの外をに出ると、そこは自宅のマンションだった。
「もう一つ「お礼」をしておきますよ…先程私の同士から連絡が入りましてね。鬼神・兇鬼が日本で目撃されました。一応用心した方がよろしいかと」
運転手はそう告げると二人に向かって軽く手を振り、そのままタクシーを走らせて去っていった。
「また面倒事かよ…」
「…好都合だ…今度は殺してやるさ」