第三十三話 暗雲
辺りの景色は雪に覆われ、白一色に染まっている。空は灰色で大粒の雪が降り続けている。
その景色に溶け込むように一つ、白い立方体の建物が聳えていた。一辺が30メートルはあろうかというその建物に窓は無い、あるのは高さ5メートル程の鉄の門だ。
門の前には白い雪景色に場違いな黒いフードコートを纏った男がいた。男は両手を擦り合わせ、息を吐いて手を温める。
「さみぃ…」
吐く息が白い。ここは気温が零度以下の極寒の雪国だ。そんな所にいる男の防寒着は黒いフードコート一枚。しかし男は特に気にした様子もなくしばらく両手を擦る。十分に温めると右手に軽く拳を作った。
「さぁ…行くか」
愉しそうに笑みを浮かべつつ、拳を鉄門に向けて放った。
『試合終了。Y科、暗部選手がK科本陣のフラッグを奪取したので、勝者Y科となります』
終了のアナウンスが響くのは高さ40メートルはあるビル、傭専学校の室内演習場だ。そこから少し離れた場所の野外演習場までアナウンスが響く。
野外演習場にそびえる御神木のてっぺん、そこに青髪坊主頭の男子生徒が腰掛けていた。
男子生徒は規定の演習着を身につけず、浴衣のような簡素な和服を着ている。
「これで全勝か、やるね〜さすが闘鬼が指揮するクラス」
男子生徒は嬉しそうに笑い、室内演習場を眺めていると、目の前に思わず目を奪われるような美しい白い翼と金髪を持つ女子生徒が現れた。
「戦鬼様、こちら側の準備が整いました。戦鬼様のご命令があれば何時でも行けます」
金髪の女子生徒は感情の篭っていない声で告げる。と、戦鬼と呼ばれた男子生徒は微笑し、労るように女子生徒の頭を撫でる。
「ご苦労ラキ。後は俺に任せて、もう休んでいいぜ」
「そういう訳にはいきません。まだ私には貴方の背中を守ると言う役目があるのですから」
女子生徒は無表情のまま淡々と告げると戦鬼の隣を浮遊する。
「…なぁラキ、入学の時からもう二年経つけどさ。いい加減に様付けは辞めねーか?お前は俺の部下でも使用人でもねぇんだからよ」
「そうですか?では別の呼び方を…セン公、青ハゲ、青坊主、エロ戦鬼、色魔などいかがでしょう?」
「後半ひでぇ!つーか俺はそんなにエロいか!?やっぱ今まで通りでいいよ…」
はい、とラキが短く答えると戦鬼はため息混じりの苦笑を漏らす。
「戦鬼」
「うおぅ!?」
戦鬼が腰掛けていた場所の真下から緑髪の女子生徒が顔を出した。
「フゥか…ビックリさせんなよ」
「すまんな、それよりまだ仕掛けないのか?いい加減我慢の限界なんだが…」
「まぁ待てよフゥ、もうすぐだから」
「本当か?」
フゥと呼ばれた女子生徒は不機嫌そうな顔で問うと戦鬼の首に腕を回し、抱き着くようにもたれ掛かる。すると女子生徒の表情が怯んだ。
「ふむ…やはり不機嫌な時に戦鬼に抱き着くと気分が落ち着く。ラキ、お前もどうだ?いまなら後ろが空いてるぞ?」
女子生徒は恍惚の表情で問い掛ける。
「遠慮します。それより風廉、今は演習中、戦鬼様の邪魔になります。離れなさい」
ラキがわずかに眉間に皺を寄せた不機嫌な表情で言うと、風廉は口元を歪ませて顔をニヤつかせる。
「妬いているのか?」
「いえ、ただ私の戦鬼様にそのような事をされるのが非常に目障りなだけです」
「そういうことを言うのは世間一般で妬いているということではないのか?あと、戦鬼はお前のものではない、私のものだ」
「おいおい〜何時から俺はお前達の所有物になったんだよ?悪い気はしねぇけどな」
二人の間で火花が散るなか、戦鬼は苦笑いのまま二人から目を逸らす。
「(蒼司、近くにいるなら助けろ!)」
耳元に手を当て、ナノマシンの通信回線を開くと声を小さくして言う。
『無理を言うな、俺は忙しい。自分でなんとかしろ、セン』
と、欠伸をしながら、いかにもやる気のない低い声が返ってくる。
『セン、俺は愚弟がハッキングした所の形跡を消している。つまり非常に忙しいんだ。決してサボって同人誌など描いているのではないからな?だから切る。通信はこちらからかけるまでかけてくるな。わかったか?』
「いや、お前明らか同人誌描いてるだろ?聞いてねぇのに否定するなっ…て、おい!切りやがったよあのヤロウ……」
戦鬼は微笑を漏らすと、首に風廉をぶら下げたまま立ち上がる。
「さてと…フゥ、仕掛けるから離れろ。重てぇ」
「なっ!…酷いぞ戦鬼…私が一番気にしていることをサラリと言うなんて…」
風廉は俯いて目を潤ませ浮かべて戦鬼を見つめる。
「食べた物が全て筋肉に変換される事は兵士として理想的だと思いますが?」
「う…た、食べた物が全てそこに溜まるお前に言われたくないぞ!」
風廉はラキのある一点を指差す。ラキは怪訝な表情で風廉の指差す先を目で追っていくと納得したように鼻で笑い、それを両手で軽く持ち上げる。
「ああ、これですか?確かに肩が凝りますし邪魔ですね。まぁ無い貴女には関係のない話ですが」
「グハッ!?」
場の空気が凍り付く。
(…あ〜あラキの奴、フゥに言っちゃいけねぇことをサラっと言いやがった。それにこれみよがしにアレを強調すんなよ…フゥの思考が停止してんじゃねぇか)
「き、貴様!私にその……ね…が…なななな無いと…そう言ったのか!?」
風廉は顔を引き攣らせながら、風神である己の力を解放して両手に小さな竜巻を発生させながらラキを睨む。
「違うのですか?見るかぎり絶壁にしか見えないのですが」
「ぜっぺッ…!?」
その一言が風廉にクリーンヒットした。直後、風廉は目に大量の涙を浮かべ、声を上げて泣き出しそうになるのをなんとか堪える。
「あ〜いい子だから泣くなフゥ。ラキもちょっと言い過ぎだぜ?」
涙を流して泣いている風廉を優しく慰めるように撫でながら、戦鬼はラキを宥めるように言う。
「はぁ…このような事になったのは戦鬼様、貴方のせいですよ?貴方がいつまで経っても進撃命令を出さないから無駄な時間が経過し、私が風廉を言葉責めで泣かす時間まで出来てしまったのではありませんか」
「え、俺が悪いのか!?」
今更気づいたのですか、とラキは呆れたようにため息をつく。
「とりあえず無駄な労力を使った私に謝罪してからとっとと全小隊に進撃命令を出して下さい戦鬼様」
「あ…すいませんでした」
戦鬼はラキに威圧されるまま頭を下げると、耳元に手を当てて体内通信の全回線を開く。
「え〜と、みんな聞こえっか?いろいろ待たせて悪かったな〜準備は出来た。策も成り立った。そんじゃ行くぜ野郎共!」
『了解!!』
戦鬼の号令と共に全小隊から応答が来る。同時に各地で戦闘が開始された。
「なぁラキ…何時から俺達のクラスって軍隊っぽいんだ?」
「戦鬼様が授業中皆にミリタリー映画を見せた時からです」
「マジ?」
「マジです」
午後6時、初日の日程が終了した事を告げるブザーが全ての演習場に響く。
『はいはい〜生徒の皆さんお疲れちゃん。初日の日程が終わりましたよ〜一年生はY科、二年生はA科、三年生はY科がトップでしたね〜よく頑張りました〜』
気が抜けるような話し方をするのは傭専学校の校長だ。そんな放送を聞き流しながら生徒達は各々寮に向かったり、両親と合流したり、友人とだべったりしながら下校する。
『今日は皆さん、ファインプレイから珍プレイ、思わぬ隠し玉を持っていた子とかいろいろで凄かったですね〜他にも試合中に同人誌書いたり女の子とイチャイチャしたりとか自由な子のせいで校長先生がPTAに怒られるんですけど、まぁお祭りなんでオールオッケーってことで〜許す!それでは今日はゆっくり休んで明日に備えてください。では皆さんさようなら〜』
校長の放送が終わると同時に、校門から二人の男子生徒が外に出る。
一人は青髪坊主に着物を着た鬼神・戦鬼、もう一人は赤髪にカッターシャツを着た鬼神・闘鬼だ。
「おいおい何処のどいつだ〜かわいい女の子とイチャイチャしてたこの野郎は?」
戦鬼は手元の携帯には先程校内でダウンロードした報道部作[クローズアップ演習試合…密着!傭専最強の男、鬼神・戦鬼!!]の動画を不気味な笑みで眺めている。
「黙れナルシスト…それから、ドキュメンタリー組まれてんじゃねーよクソ兄貴」
「なんだうらやましいのか?心配するな〜お前の活躍もドキュメンタリーとしてあっ−グハッ!?」
言い切る前に闘鬼は裏拳を鼻っ柱に打ち込むと、戦鬼は鼻を抑えて悶絶する。
「ッ〜〜!」
「プライバシーの侵害で訴えるぞ?」
「鼻が折れたかと思ったじゃねーか!…それに作ったのは報道部なのになんで俺に飛び火すんだよ?」
鼻の頭を摩りながら闘鬼を睨むと、闘鬼は更に鋭い目で睨み返す。
「うおぅ!何時からそんなコエー目で人を睨めるようになったんだ!?…昔は「兄さん兄さん!」って言って俺の後をついて来るかわいい弟だったのに…一体何時からこんな冷酷野郎になっちまったんだ〜」
「何年前の話だ…」
馬鹿を見て呆れていると、二人の前に一台のタクシーが止まる。同時に後部座席のドアが開いた。傭専学校では学校から比較的遠い位置に住んでいるが寮に入るほど遠い位置ではない生徒のため、様々な交通機関が無料で使用できる。なのでその生徒達と勘違いしたのだろうと戦鬼はドライバーのもとへ歩み寄る。
「運転手さん、わりぃけど俺達乗らな−」
「鬼神・戦鬼さんと闘鬼さんですね?」
帽子を目深に被った運転手が戦鬼の言葉を遮るように問い掛ける。
「誰だ…貴様?」
闘鬼はポケットに隠し持ったナイフに手を掛け、戦鬼にアイコンタクトを取ると戦鬼は口だけを動かして答える。
−手を出すな−
闘鬼は頷くとナイフに手を掛けたまま警戒を強める。
「そう構えないで下さい…私は敵ではありません」
運転手は両手を挙げて頭の後で組む。抵抗しないというサインだ。
(仕掛けてくる気配はねぇところ、あのサインは本物か…それとも、あのままで俺達二人を倒せるという余裕の現れか……まぁ後者はありえねぇが)
面倒だ、と思いつつ戦鬼は問い掛ける。
「アンタは何者だ?」
「監視役…と言えば貴方なら分かるでしょう?詳しい話は中で話します。乗ってください」運転手が答えると戦鬼は納得したように頷き、警戒を解いて後部座席に乗り込む。
「兄さん…?」
闘鬼は状況を理解できず表しぬけしたような表情で戦鬼に問う。
(あ、久しぶりに兄さんって呼ばれた〜最近は親父殿や祖父様と同じ扱いだったからなぁ…なんか嬉しい)
感動しながら戦鬼はしみじみと頷き、答える。
「闘鬼、お前も乗れ。コイツは《今のところ敵じゃない》から安心していいぜ?」
「どういう意味だ…?それに監視役とは−」
「いいから乗れ、詳しく話してやるから」
戦鬼に言われるがまま半ば強引に乗せられると、タクシーは緩やかに発進する。
「兄さん、監視役とは何なんだ?」
乗ってから早々、闘鬼は不機嫌そうな顔で問う。
「簡単に言うなら…人間側の代表ってところだなぁ」
戦鬼の答えに闘鬼は眉間に更に皺を寄せ不機嫌なオーラ全開で、何だそれはと言いかけた時それを察した運転手が先に答える。
「異種族を監視する者…抑止力です」
「抑止力?」
「先日、鬼の一族の一部が反乱を起こしました。その理由の大半は力の無い人間を滅ぼし、異種族だけの世界を造ろうというものです。我々はそんな「人間」にとってマイナスになるような因子を監視、排除するために組織された人間側の勢力。故に抑止力といいます」
「なるほど…ではその抑止力が俺達に何の用だ?」
問い掛けると運転手は表情をやや硬くして答える。
「鬼神・兇鬼の事について…」
その言葉を聞き、闘鬼の眉間に力が入る。
敗北したという忌まわしい記憶が蘇り、同時に怒りの感情が抑え切れなくなる。
「あのクソ野郎か…!おい貴様、詳しく話を聞かせろ!!」
身を乗り出して背後から運転手に掴み掛かろうとしたところを、横から戦鬼の腕に遮られた。
「抑えろよ〜闘鬼」
「邪魔をするな兄さ−」
戦鬼の腕を振り払い、運転手に食ってかかろうとした時。
「俺の言ったことが聞こえなかったのか…闘鬼?」
低く、冷たい殺気の篭った声が耳に響く。まるで何本もの刀で身体を貫かれたかのような錯覚すら覚える。
「…ッ!」
身体が金縛りにでも掛かったかのように動かない。
「おーよしよし、ステイステイ…じゃあ本題だ…聞かせてもらおうか運転手さん…ウチの叔父殿がどうしたのかを…よ?」