第二十四話 心裏
真っ暗な闇の中で一人の男がこちらを見据えていた。
男は不気味な笑みを浮かべて口を開くと、低い笑い声が響く。
(お前じゃ無理だ…)
灰色の瞳に灰色の髪を持つ男、鬼神・兇鬼。その男が嘲笑うように言った。
うるせぇ…
闘鬼は真っ暗闇の中で兇鬼に殺気を飛ばし、すさまじい形相で睨みつける。
(無駄だぜ…)
兇鬼は口元を歪めたまま闘鬼を見下す。
うるせぇ…!
闇の中で拳を作り、目の前の兇鬼に向かって放つ。が、兇鬼の姿が霧散し、消えた。
(…お前じゃ俺には勝てねーよ)
背後に現れたと思うと周囲に一人、二人、三人と兇鬼が次々と現れる。
(ははははは!!)
闘鬼の回りを囲むように兇鬼の笑い声が響き渡る。
「うるせぇ!!」
「はわ!?」
自分の声と共に目が覚めると、驚いてすっ転んだ魔衣の声が耳に入った。
「夢…か?」
視線だけを動かして状況を確認する。見慣れた殺風景な部屋、置いてある物は目覚まし時計と携帯電話、それから学ランと鞄だけ、そこがマンションの自室と気づくのに時間はかからなかった。
目を擦り、目覚まし時計を見ると針は午前7時をまわっていたところだ。
あれからどうなったのか、どれくらいの時間が経ったのか、兇鬼に殺される寸前に神鬼が来たところまでは覚えている。しかしそこから先の記憶は途絶えている。
身体を起こすと兇鬼との戦闘の時に体中に負った怪我の跡が所々に残っており、至る所に包帯が巻いて治療のあとがあった。痛みは殆ど感じないが、両手が小刻みに震えていた。
(体調は万全…ではないようだな)
闘鬼は思考する。
(真那鬼はおそらく無事だろう。それより鬼原を潰し、クソ親父の兄だと言った野郎は一体何者だ?クソ親父は何故奴の存在を隠すような真似をした?しかし…)
様々な疑問が浮かんでくるが、それよりも闘鬼の視線がベッドの下に向く。
(何故コイツが俺の部屋にいる?)
ベッドの下に魔衣が倒れていた。
「…何をやってる?」
問い掛けると魔衣は身体を起こし、子供のように泣きそうな表情で闘鬼を見つめる。
「闘鬼さぁん!!」
次の瞬間、魔衣はどっと涙を流しながら闘鬼に向かって飛びかかる。
「おっと…」
条件反射で身体が動き、飛び掛かる魔衣を避けた。
ガンッ!という鈍い音と共に魔衣が顔から壁に激突する。
「痛い…」
両手で額を抑え、涙を流したまま振り向き、再び闘鬼の顔を見つめると
「闘鬼ざぁんん!!」
「やかましい」
飛び掛かろうとする魔衣を人差し指で抑える。
「…何故俺の部屋にいるんだ?」
「よがっだ…でず!!もう…起きないんじゃないかと…ひっく…おぼいまじだ〜!」
しゃくり上げ、涙を両手で払いながら答える。
「闘鬼さん…ひっく…二日も目を覚まさないから…心配で…っ…でもよかったですよ〜」
落ち着きを取り戻しつつ魔衣は笑う。
「まて…今なんて言った?」
「え?心配で心配で…」
「違う、その前だ」
「二日も目を覚まさない…ですか?」
闘鬼は咄嗟に自分の携帯電話を開く。日付を確認すると五月一日、火曜日になっていた。あの騒動から一日と半日が経過していたのだ。
「学校に行く、急ぐぞ魔衣」
ベッドから起き上がり、ハンガーに掛かっているカッターシャツと学ランを手に取る。
「は、はい!でもちょっと待ってください」
なんだ?と視線を魔衣に移すと魔衣はいつものような惚けた笑顔で言った。
「着替えさせてください」
見ると魔衣の格好はは36時間前と同じ、アイスクリーム屋の制服の上に革ジャンを羽織ったままだった。
午前8時10分。闘鬼は鬼神グループが開発した最新鋭のヘリの中で朝食代わりにブロック状の携帯食料を食べていた。場所は魔衣の実家、暗部家の数百メートル上空。
魔衣は寮生活なので本来なら実家に戻る必要はないのだが「いや〜寮の洗濯機の中に制服入れっぱなしなんですよ〜代えの制服は実家にあるんでそっちに向かってください〜」という理由でどこぞの山脈の上空にいた。
闘鬼は遥か下の山中を眺める。周囲にはコンビニどころか自販機すら見当たらないような山奥だ、そこに魔衣の実家がある。
暗部家とは裏の世界では名の知れた暗殺集団。鬼神とは今でこそ協力態勢にあるが、過去には何度か争い、生き残ったという実力者が揃っている。
(こんな場所に暗部の本拠地があったのか…しかし上空とはいえ俺達を連れてきてよかったのか?)
そんなことを思いながら闘鬼は携帯食料を口に運ぶ。
「まずい…」
不機嫌な表情で缶コーヒーを口に含み、携帯食料を胃に流し込む。
「牛鬼、開発部の連中に伝えておけ。栄養を重視しすぎて味がクソだとな」
食べ終わった袋をポケットの中にしまい込み、再び缶コーヒーを口に含む。
「かしこまりました。闘鬼様」
操縦席にいる牛鬼の反応がいつもと違った。
「妙に機嫌がいいようだが、いいことでもあったのか?」
いつもなら無表情で受け答えるはずだと不思議に思い、尋ねると牛鬼は珍しく笑みを見せて答えた。
「闘鬼様は…素晴らしい友人をお持ちになりましたね」
牛鬼はしみじみと頷く。
「素晴らしいって…魔衣のことか?」
「はい、魔衣様は闘鬼様がお目覚めになるまで片時も離れず側にいたのですよ」
「帰らせなかったのか?」
「皇鬼様や神鬼様、戦鬼様や私が何度かお帰りになるよう進めたのですが、魔衣様は闘鬼様が目覚めるまで動こうとなさいませんでした。我々と違い、心配していたのですよ」
「馬鹿かあいつは…」
呆れたように鼻で笑い、何気なく話題を変えた。
「ところで牛鬼…鬼神・兇鬼とはどんな人間だ?」
その言葉でさっきまで笑顔だった牛鬼の顔から一瞬で笑みが消えた。そしてしばらくの沈黙と重苦しい空気が流れると、牛鬼はようやく口を開いた。
「申し訳ございません闘鬼様…それは私のような使用人風情が答えることはできません。どうしても知りたいのでしたら…」
「クソ親父かクソジジイに聞け…か」
「はい」
その答えを聞き闘鬼は舌打ちをして視線を外の景色に移した。するとヘリの窓ガラスが数回ノックされた。外には学ランを着た蝙蝠のような翼を広げた魔衣が張り付いていた。
牛鬼はそれを確認すると後部ハッチを開ける。
「すみません〜待ちました?」
闘鬼はいつもの不機嫌な表情で軽く首を縦に振ると、魔衣は苦笑して闘鬼の隣に座る。
「では行きましょうか、闘鬼様、魔衣様」
闘鬼と魔衣の二人は遅刻ギリギリのタイミングで教室に到着すると、教室ではジャージ姿の昴がホームルーム始めていた。二人が席につくと昴は少し驚いたような顔で尋ねる。
「珍しいな〜二人がギリギリに来るなんて、なんかあった?」
陽気な笑顔で二人に尋ねる。
「それがですね〜闘鬼さんの家に居たんで学校のことすっかり忘れてたんですよ〜」
魔衣は笑いながら答えると、クラス中の視線が二人に集まった。
「鬼神の家にいた…?」
「…そんな関係?」
「う、嘘よ!魔衣ちゃんの純潔がアタシ以外の…よりによって鬼神に奪われるなん…ぶはッ!?」
鼻血を吹き出しながら水瀬は闘鬼を睨む。
「水瀬!血が!血がヤバイっす!」
そんなクラスの反応を見て、闘鬼は呆れた様子で席につく。
「お前が変なこと言ったせいで誤解されてるぞ」
すると魔衣は不思議そうな顔で自分の言ったことを思い出す。
「変なこと言いましたっけ?ずっと闘鬼さんの部屋にいただけって言っただけですよね?」
後ろの席にいる闘鬼を見て魔衣が首を傾げる。
「ずず、ずっと!?」
「お、同じ部屋にだぁ!?」
興奮気味に血走った生徒達の視線が魔衣に集中する。それに威圧されて、魔衣がビクッと一瞬肩を震わせ、半泣きになりながら闘鬼を見る。。
「と、闘鬼さん〜!みんなの目が怖いですよ〜!」。
「お前が誤解を招くことを言ったからだろうが…そんなことより先生、早くホームルームを始めてください」ため息をつきながら昴に言うと
「お前は昼休みに生徒指導部に来い…不純異性交遊は校則で禁止だぞ?」
額に数本の青筋、口からは牙を覗かせた昴がこれ以上ないような笑顔で闘鬼を睨んでいた。
「誤解だっての…」
放課後
闘鬼は地下射撃訓練所にいた。
不規則に飛び出る的に向かって銃の引き金を引く。しかし今日は調子が悪い。弾丸は的の中心に当たるのだが、二発目が微妙にズレていたのだ。
「あいつが余計な事を言わなければ…」
苛立ちを抑えつつ空の薬莢を落とし、新しい弾丸を詰め込む。一秒もかからないスピードで装填を終えると、再び現れる的にむかって引き金を引く。
「ホントに…あの馬鹿は!」
ウサ晴らしのように銃を乱射している理由は、昼休みだけでなく合間の休み時間にまで昴に呼び出され、散々一昨日と昨日のことを聞かれたからだ。
「いいか鬼神、先生は…ぜっったいに怒らない。だからもう一度聞くぞ?…暗部とcまでいったのか?いってないのか?」
「だからいってません」
「嘘つけぇぇ!!発情期真っ只中の男と女が同じ部屋に居てCまでいかねぇ訳がねぇだろうが!?」
闘鬼は、やけに興奮したような目つきの昴を非常に冷めた目で見て
「つーかCってなんだよ…」
深いため息をつく。
そんなやり取りが延々と繰り返され、耐え兼ねた闘鬼は牛鬼を呼び出して事情を説明すると、ようやく誤解を解くことができたのだ。
「アホ教師が…」
「む…隣いいか?」
新しい弾丸を装填していると、横から聞き覚えのある声が聞こえた。声の方を向くと闘鬼より頭二つ分背が高いスポーツ刈の男子生徒が片手にオートマチックの拳銃を持っている。
「辰希か、別に構わんぞ」
そう言って闘鬼は視線を的に移し、引き金を引く。銃声が六度響くと弾丸は的の中心部に吸い込まれるように貫通した。
「む…相変わらず見事な腕だな…」
隣で辰希が銃にマガジンを装填しながら闘鬼に撃ち抜かれた的を見る。
「そうでもない、俺達のような異種族なら訓練すればできるようになる」
「む…だからと言ってワンホールショットなど…誰でもできる芸当じゃない」
いいながら辰希は両手で拳銃を構え、動く的に向かって引き金を引く。的の中心部が数発の弾丸によって穴が穿たれた。
「闘鬼…」
辰希は銃を的に向けたまま言った。
「どうした?」
リボルバーを胸のホルスターにしまい込み、上から学ランを羽織る。
「休日の間…何かあったのか?」
辰希は銃を下ろし、無表情で問い掛ける。闘鬼は一瞬眉をひそめた。
「魔衣の事か?それなら-」
「そうじゃない…俺は今まで…護り屋として何百という人間と接してきた…だからわかる…何かに恐れているな?」
辰希の言葉に、闘鬼の脳裏に一人の男の姿が過ぎる。黒いコートを纏った父親と全く同じ顔の男、鬼神・兇鬼の姿が
「…俺が恐れているだと?」
闘鬼は一息の間を置き、怪訝な表情で答えると辰希は銃を下ろして頷く。
「そうだ…俺の目には闘鬼が何かに恐れているように見える…前にはそんな様子はなかった…だが…こうして話してみて確信した…闘鬼は何かに恐れている…と」
「何を馬鹿な…」
辰希の言葉に闘鬼は一蹴し、
「俺は恐れてなどいない!」
無意識の内に眉間に皺を寄せ、声を荒げていた。
「いいや…恐れている」
辰希は無表情で、闘鬼の怒声に気圧されることなく逆に闘鬼を威圧する勢いで返す。
「朝からずっと…両手が震えているだろう?意識をすれば震えを止めることができるようだが…意識を逸らすとまた震え始める…それは無意識の内に何かを恐れているってことだ……闘鬼、お前は恐れを抱くような相手に負けた…違うか?」
「…」
言葉が出ない。そんな闘鬼の反応を見て辰希は納得したように頷く。
「やはりそうか…だが負けて恐れを知ることは悪い事じゃない…恐れを知るからこそ人は強くなれるんだ…」
「恐れを知る…か…」
辰希は頷き、闘鬼に背を向けた。
「立ち止まるな…恐れを知り、乗り越えろ…闘鬼…」
そう言い残し、辰希は訓練所から立ち去った。
「すまない…辰希」
闘鬼は去って行く辰希に礼を述べると、ポケットから携帯電話を取り出して登録番号1と表示された番号を呼び出す。二〜三回のコール音の後、通話が繋がった。闘鬼は用件だけを述べる。自らの恐れの対象を。
「クソ親父、鬼神・兇鬼とか言うクソ野郎のことを教えろ」