第二十三話 最兇
一仁を打つはずだった闘鬼の拳は、突如目の前に現れたフードコートの男に阻まれていた。
(何者だ?)
闘鬼は眉をひそめ、思考する。己の拳を受け止めた相手が一体何者なのかと。
フードで顔の上半分は見えないが、中身は男だとわかった。
顎に無精髭を生やした男だ。
男は口元を歪め、不気味な笑みを作って言葉を発した。
「面白い…」
一瞬何処かで聞いたような声だと思ったが、そんなことよりも闘鬼は本能で察知した。
この男は危険な存在だと…
今までも何度かそんな存在と鉢合わせしたことがあったが、コイツは別格だと、闘鬼はそう判断した。
「逃げな…」
男が声を発した。おそらく後ろで呆然として、何がなんだか状況が掴めていない一仁に向かってだろう。
「なッ?」
「俺は…お前達の依頼主だ」
一仁の言葉を遮るように男が言った。
「金はお前達の指定した口座に振り込んでおいたから。さっさと仲間を連れて逃げるんだな…お前達じゃコイツの相手は無理だ」
男は眈眈と告げ、闘鬼の拳から手を離す。
「俺はお前達の質問には一切答えるつもりはない…殺されたくなければさっさと仲間を連れて消えろ。俺の気が変わらない内にな」
笑ってはいたが、とてつもなく低く、戦慄の走るような声だった。
「わ、わかった…」
一仁は頷くと、倒れた三人を車に乗せ、その場から逃げるように走り去った。
「さぁ…やっと二人っきりだな」
男は走り去るワゴン車を見送ると、闘鬼を中心として回るように、ゆっくりと歩き始めた。
「貴様は…誰だ?」闘鬼は男に向かって殺気を放つ。
「久しぶりだなぁ…俺を恐れない奴は…」
男は愉しそうに口元を歪める。
「この俺にマジの殺気を飛ばす奴ぁ久しぶりだな…親父と…弟以来か?」
今度は狂ったように笑い始めた。
「質問に答えろ」
闘鬼はいつの間にか左右の拳をにぎりしめ、構えていた。
「気まぐれで残して置いたガキが…面白い場所に引き取られたもんだな〜オイ」
男は視線を離れた場所にいる真那鬼に向けると、無表情だった真那鬼が突然自分を抱きしめるようにうずくまり、怯えたように震え始めた。
「やっぱあれは、ダメだな」
男は口元を歪めると、一瞬で闘鬼の目の前に現れた。
「チッ!?」
気づいたときには既に男の拳が放たれていた。闘鬼は紙一重で右に跳んでかわす。拳から衝撃波が発生し、廃工事の壁を粉砕した。
「流石は…俺の甥っ子…上手く避けたな」
男は嬉しそうに笑う。
「貴様…今なんて言った?」
闘鬼が言い終える前に男はフードを捲り、顔を見せた。
「−ッ!?」
目の前の男の顔を見て、闘鬼はおもわず絶句した。立っていたのは己の父親である鬼神・神鬼と、うり二つの男だったのだ。違うとすれば声質、髪と瞳の色が灰色だということのみ。
「親父…?」
「ん?そういえばこうして合うのは初めてだったなぁ…俺はお前の父親、鬼神・神鬼の双子の兄…鬼神・兇鬼。よろしくな…闘鬼」
兇鬼は獲物を前にした獣のような目で闘鬼を見据える。
「で、伯父上殿が何故…真那鬼の拉致を依頼したんだ?」
闘鬼は拳を硬くにぎりしめたまま、兇鬼を睨む。
「暇つぶし。そのガキ、前に遊びで鬼原を消した時、気まぐれで生かして置いたんだが〜やっぱすっきりしないから、殺そうと思った訳だ……で、闘鬼。そのガキ…伯父さんに渡してくれないか?」
兇鬼は真那鬼を見据えたまま、感情のこもっていない声で問い掛ける。それは闘鬼など、いつでも殺して真那鬼を奪うことが可能だ、という挑発でもあった。
「残念だが…断る」
即答と同時に闘鬼は左拳を構えた状態で兇鬼の背後へ移動していた。
「死ね、クソ野郎」
闘鬼の拳が着弾すると同時に、大気が爆発したような衝撃波が発生した。
「ひでぇな〜伯父さんに向かって死ね。だなんてよ…」
兇鬼は笑う。闘鬼の拳を左手の拳で受けたまま。
「な…」
「驚いたか?」
兇鬼は、拳を受け止められ棒立ちになっている闘鬼の鳩尾を蹴り飛ばした。
「!?」
身体が廃工事を支える鉄骨に叩きつけられ、衝撃を受けた鉄骨が棒切れのように折れ曲がった。
「クソッ…たれが!」
咄嗟に倒れた身体を起こして前に踏み込む。今度は懐に入って拳を叩き込んだ。
「無駄だって」
正面から拳を拳で受け止められた。
「なんで効かないか…教えてやるよ…」
再び闘鬼の鳩尾を蹴り飛ばす。
「お前の拳は…一見するとただの一撃にしか見えない…だが、実際は違う…」
兇鬼はそう言い右手に拳を作り、近くの鉄骨に打ち付ける。爆発音が響くと鉄骨は破片も残らず粉々に砕け散った。
「この技は…お前が壊腕…とかなんとかいろんな場所で騒がれるようになった技だろ?人間の不良と路地裏でやり合った時には脅しで見せて逃がし、戦場ではこれで敵をひき肉に変える技…」
兇鬼は粉砕した鉄骨の粉末を眺めながら続ける。
「刹那(75分の1秒)…その一瞬に五回打撃を打ち込む…スピード、パワー、タイミング、この三つを完璧に揃えることができれば、その破壊力は絶大だ…防ぐ方法など皆無と言っていい…」
だが、と付け加え不適に笑う。
「一つだけ防ぐ方法がある…同じスピード、同じパワー、同じタイミング…それを打ち返せば衝撃は相殺される…簡単な理屈だよなぁ…ってもできるのは俺か、神鬼くらいのもんだろう」
「それが…どうした?」
闘鬼は倒れた身体を起こし、兇鬼を睨む。
「その程度で勝ったつもりか!?」
三歩のステップで加速し、拳を放つ。が、虚しく空を切る。
「無駄だって」
鳩尾と顎、同時に打撃を喰らうと闘鬼の身体が吹っ飛び、コンクリートの壁に叩きつけられた。
「おとなしくガキを渡せば…お前の命は助けてやるよ…さ、早くガキを渡せ…闘鬼」
歩み寄ると、闘鬼の首を掴み、徐々に力を加えて締め上げる。
「ッ…!」
「早く言わないと…お前が死ぬぜ?」
兇鬼の首を締め上げる力が寄り一層強まる。
「クソ……食らえ!」
闘鬼は両手に拳を作り、拳と拳を合わせるように兇鬼の腕目掛けて打ち込む。
「おっと!」
兇鬼は咄嗟に闘鬼を投げ飛ばし、拳を避ける。
闘鬼は受け身をとって体制を整えると、乱れた呼吸を調える。
「なぁ…闘鬼、おとなしくガキ渡せって…お前じゃ伯父さんには勝てねーからよ…」
兇鬼は視線を真那鬼に向け、闘鬼を見ずに告げる。
それは侮辱に等しい行為だった。
もうお前など眼中にない…という
「舐めやがって…!」闘鬼は怒りを抑えることなく力を解放する。刹那、火花が散った。次の瞬間には闘鬼の身体は血のような赤に染まり、身体を覆う甲殻は赤く鈍い光を放ち、額には深紅の角が二本、漆黒の髪は背まで伸びた姿に変身した。
「ほお〜」兇鬼はゆっくりと闘鬼の姿を眺める。まるで値踏みでもするかのように。
その瞬間、闘鬼は床を蹴って前に出た。一歩、二歩と踏み込む度に床がひび割れ、砕ける。
「動きに無駄が多いんだよなぁ…」
兇鬼はそう呟くと、姿が消えた。その瞬間、爆発音のような音が響き渡り、闘鬼の身体が床にたたき付けられた。
「カッ…!?」
一撃だったのか、それとも連撃だったのか、何をされたのかすら全く理解できないまま、全身に痛みが駆け巡る。
「無理だって闘鬼〜お前じゃ伯父さんには勝てない…さっきから言ってるだろ?だからおとなしく…ガキを渡せ」
「こと…わる…!」
ボロボロになった身体に鞭を打ち、立ち上がる。足はふらつき、視界は靄がかかったようにぼやけた状態だった。
「困ったな…じゃ、お前ごと殺そう」
そうだそうだ、と頷くと、兇鬼は右手に拳を作り真那鬼に視線を向ける。
「ん?あんな所に人っていたか?」
兇鬼は真那鬼から少し離れた位置に倒れている魔衣に視線を移す。
「運び屋…じゃないな…ま、殺しておくか」
まるで蚊を殺すような、どうでもいいというような勢いで魔衣に向かって拳を放った。爆発音と共に衝撃波が飛ぶ。
「チィ!」
闘鬼はボロボロの身体で地を蹴り、魔衣を守るように盾となる。
衝撃波が闘鬼の身体を打った。
「!?…ガァ!」
倒れそうになる身体をなんとか踏み止め、兇鬼を睨む。既に姿は元に戻り、全身の筋肉は悲鳴を上げ、骨は軋み、視界は霞んでいた。
「あーあ…庇っちゃったよ…そのガキと知り合い?それとも彼女?ま…いいや」兇鬼は笑う。笑いながら再び拳を作った。
「ん?…ちょっとまてよ…いいこと思いついたぜ…!」
兇鬼は不気味なほど口元を歪める。
「闘鬼…選ばせてやるよ…鬼原のガキか…今お前が守ったガキ…どちらかの命を助けてやる。そのかわりどっちかは確実に死ぬ…選ぶのはお前だ」
そういって兇鬼は両手に拳を作る。
「五秒…選ぶ時間をやるよ、お前が防げば…一人は助かるぜぇ!…さぁスタートだ!ごぉ!」
カウントが始まった。
「よぉん!」
(真那鬼と魔衣を選べだと!?)
咄嗟に背後の魔衣と、その斜め後ろにいる真那鬼をを見る。
「さぁん!」
魔衣は気絶したまま目を覚まさない。真那鬼は目と耳を塞ぎ、身体を震わせて怯えている。
(クソ…!!)
「にぃ!」
(どちらを…!)
「いぃち!!」
(畜生!!)
「ぜろぉ!さぁ選べ!!」
兇鬼は真那鬼と魔衣に向け、拳を放つ。
「クソッたれがぁぁ!!」
闘鬼は無意識の内に前に出ていた。兇鬼を殺すため、たとえ刺し違えてでも。
「はっはぁ!お前ならそう来ると思ってたぜぇぇ!!先に死になぁぁ!!後で二人も送ってやるからよぉ!!」
兇鬼は二人に拳を向けたが、衝撃波を放ってはいなかった。放ったフリをしただけだったのだ。
己の弟、神鬼の息子である闘鬼、己が消した鬼原の生き残りである真那鬼、この場所に居合わせた魔衣、三人の誰かを生かすつもりなどなかったのだ。
どうせ殺すなら遊んで殺す…
それが兇鬼の性格だ。
殺す前に僅かな希望を見せ、殺す寸前にその希望を消し去る。絶望に染まった相手の表情が面白くて堪らない。
「ははははははははは!!!」
拳を、真正面から迫る闘鬼に放つ。その拳は闘鬼の技と同じ、当たれば肉体が消し飛ぶ拳だ。
「死ね!」
大気が爆発したような衝撃波が発生する。だが
「…ぁに?」
手応えがない…兇鬼がそう思って拳の先を確認すると、拳は闘鬼を粉砕してはおらず、受け止められていた。
白いスーツに赤いオールバックの男、神鬼の拳に。
「危ない危ない…大丈夫かい、トウ君?」
神鬼は背後でボロボロになっていた闘鬼に問い掛ける。それは息子を気遣う優しい父親の声だった。
「クソ…親父…?」
視界がぼやけたままで、焦点が定まらない。しかし、神鬼と他に二人の人影があることがわかった。
「うん…助けに来たよ。よく頑張ったね、後は私達に任せて闘君はゆっくり休んで…」
振り向かずに、笑顔で告げた。
「ッたく…来るのが…おせぇんだよ…クソ…親父…」
そう呟くと、闘鬼の身体が仰向けに倒れ、意識が途切れた。
「久しぶりだね…兇鬼兄さん」
神鬼は目の前の兇鬼を睨み、闘鬼に向けた優しい言葉とは違う憎悪を込めた言葉で告げる。
「久しぶりだなぁ…何年ぶりだぁ?ま…そんなことより…なんだ?俺を殺すために親父に神鬼、無銘までくるたぁ…随分豪勢なメンバーじゃねぇかぁ…オイ?」
「お前さんを殺すためじゃ…親のワシが来るのは当然じゃよ…」
神鬼の隣には、黒いスーツを着た皇鬼が立っている。
「貴様に…引導を渡す時が来たのだ…」
皇鬼の隣には仮面を着けた男が立っている。
「…流石に三体一でお前らと戦うつもりはねー…負け戦はごめんだからな…ここは退かせてもらうぜ?」
「逃がすと思うか!?」
仮面の男が兇鬼に向かって跳躍した瞬間、兇鬼は拳を床にたたき付けた。コンクリートの粉塵が煙幕となる。
「また会おうぜ…兄弟!」
次の瞬間には煙幕が吹き飛ばされ、兇鬼の姿はなかった。
「逃がさん!」
「追うなナナシ!奴の狙いが解らぬ以上、下手に動くでない。まずは三人を病院に運ぶんじゃ」
仮面の男が追おうとするのを皇鬼が制止する。
「クッ!!…了解した」
仮面の男は舌打ちをして、拳を爪が食い込むほどにぎりしめて怒りを抑える。
「兇鬼兄さん…次にあった時は必ず殺してあげますよ…」
恐ろしく冷たい声で呟く表情は、溢れ出る憎しみと怒りを無理矢理押さえ込んだ表情だった。