第十九話 流水ト武神
戦鬼は刃についた血を拭いながら鬼島・永砕を見据える。永砕は焦げ茶色の法衣に身をつつみ、右手には法衣に似合わない西洋の剣を握っていた。
「私はどんな相手であろうと常に全力を尽くし、殺します」
永砕は剣の柄を両手で持ち、半身の構えになる。それから力を解放すると肌が漂白したように白く染まる。鬼が特有に持つ甲殻は西洋の甲冑のような流線的な形になり、最後に額から一本の白い角が生えた。
「行きますよ?」
永砕が大理石の床を蹴って、加速する。二度三度と蹴ると徐々にスピードが上がり、永砕の姿を目で確認することが出来なくなった。
戦鬼の回りからは永砕が加速する度に、天井、柱、壁、床などの蹴った場所がひび割れ、砕けていく。そして、ヒュンという空を切る音と同時に首を切断する横殴りの斬撃が迫った。
「瞬動術?なんだ…縮地法はつかえねーのか?」
戦鬼はつまらなそうに欠伸をかき、迫る斬撃に何も持っていない右手を沿える。
すると斬撃が軌道を変え、下に向かった。永砕は下に向かった斬撃を強引に止め、斜めに切り上げるように振る。対する戦鬼は先程と同じように右手を沿える。するとまたしても斬撃は軌道を逸れて戦鬼と逆方向に向く。
「なッ!?」
永砕は驚きながらも構え直し、今度は縦に一閃する。しかし、斬撃は戦鬼にかすりもせず、虚しく空を切った。
「今度はこちらから行くぜ?」
戦鬼は呆然とする永砕に足払いをした。重心をずらされた永砕の身体が浮く。
戦鬼はそれに手を沿え、プロペラが回転するように永砕の身体を回転させた。十二分に回転に加速をつけたあと、戦鬼は永砕の頭に手を沿えて床に叩きつけた。
ゴシャ!っという音が響き、大理石の床がひび割れる。
「ぐ…おぉぉぉ!!」
永砕は両足に力を込め、柄を両手で握りしめながら戦鬼を睨み、立ち上がる。
「お…おのれ…!」
もう一度床を蹴り、瞬動術で人間の肉眼では確認できないスピードまで加速する。先程よりもスピードは速くなり、床や柱が粉々に砕けていく。
剣を突き立て、永砕は真っ正面から戦鬼に特攻を仕掛けた。
戦鬼は接近する永砕の身体に、触れるか触れないかの距離で右手を沿えた。すると永砕の身体が反射したかのように逆方向へ吹っ飛ぶ。
「馬…鹿な…!?」
10メートルほど飛ぶと、永砕の身体が壁に激突し、骨が砕ける音と壁が砕ける二つの音が響いた。
永砕の身体がズルズルと崩れ落ち、血の海に倒れる。
「ど…どうして私の…攻撃が…当たらない…?」
呼吸を乱し、ふらつく足をなんとか立たせる。既に身体はもとの姿に戻り、右腕はひしゃげ、剣は激突の衝撃で柄から先が折れていた。外傷も酷いが、脇腹は紫色に腫れ、肋骨は砕け、あちこちが骨折や内出血などで身体の内部も酷いありさまだった。しかし、それでも永砕は柄を握り締めたまま戦鬼を睨みつづける。
「冥土の土産に教えてやるよ、鬼島・永砕」
戦鬼はゆっくりと口を開く。
「俺が使っている技は俗に言う、合気道ってやつだ」
「合気道…だと?馬鹿な…あれは…例え習得したとして…演舞なら未だしも実戦での使用は不可能なはずだ…!ましてや…我々のような者同士の殺し合いでは…なおさら…!」
怪訝な表情で声を振り絞る。
「ところがどっこい、可能なんだよ。俺に合気を教えた師が、本物の『達人』だったからな」
戦鬼は笑いを堪え、懐かしむように続ける。
「俺も最初に見たときは信じられなかったさ。だから俺はその時、名も知らぬ師に挑んだ。全力で、力も100%解放したが…結果は惨敗。家族以外の相手で負けたのは師が初めてだったな。それから俺は師に弟子入りし、合気を実戦で使用可能なレベルになるまで修練を積み重ねた結果、見事に免許皆伝となりました。めでたしめでたし」
戦鬼はパチパチと小さな拍手で自賛する。
「馬鹿な…それでは私の技はすべて…受け流されていた…?」
驚愕の表情で永砕は戦鬼に問う。
「ま、そういうことだ。合気は相手の力を利用し、相手に返すものだから…お前のそのダメージはお前自身の攻撃が跳ね返った結果だ」
戦鬼は告げると、出刃包丁を構えた。
「それから、殺す前にもう一つ教えてやる」
出刃包丁の柄に備えられている引き金に指を掛ける。
「俺は敵を殺す時に合気では殺さず、必ず武器で留めを刺す。なぜなら−」
引き金を引きながら、出刃包丁を横に振る。
「合気は、護身術であり殺人術にあらず。そう言った師の教えを護るためだ」
空を斬る音が響くと、永砕の首が血の海に落ちた。
20階
鬼神・皇鬼は会議室のような場所のど真ん中で腰を降ろし、安物のタバコを吹かして一服していた。
「そろそろ出て来てもらわんと、深夜アニメを見逃してしまうんじゃがの〜」
タバコの煙でわっかを作りながら退屈そうに呟くと、窓ガラスから差す月明かりで皇鬼を殺そうと襲ってきた集団の死体が照らされる。
どの死体も決まった殺し方をされていなかった。皇鬼の前に横たわっている死体は首が胴体と綺麗に別れているが、皇鬼の後ろにある死体は粉々のミンチ状になっている。他にも何かが貫通して死んだ死体があれば、中途半端に食い散らかされたような死体、もはや人だったのかすらわからない死体も数多くあった。
「いい加減出てこぬか、鬼島・柳聖。ワシは忙しいんじゃ」
タバコを血溜まりに投げ捨て、月明かりの届かない暗闇に向かって問いかける。
すると暗闇から禿頭に無精髭を生やした中年の男が現れた。
男は真っ白な死に装束を纏い、袖を襷でたくし上げていた。
「ようやくお出ましかと思ったら…死に装束なんぞ着おって、腹でも切るのか?」
皇鬼の問いかけに男は鼻で笑う。
「何を馬鹿な…これは不退転の決意を形に現しただけだ」
男は左手に拳を右手に手刀を作り、半身の構えになった。
「不退転か…お前さん、ワシより若いのに古い考えの人間じゃな」
皇鬼はゴルフバックから日本刀を取り出し、居合の構えをとる。
「来い…若僧」
「鬼島・柳聖…参る!」
刹那、柳聖の姿が消える。皇鬼は背後に振り向き、瞬時に抜刀。暗闇に金属音が響き渡る。そこから三度、金属音を響かせ打ち合うと、鍔ぜり合いになった。
「流石は武神、鬼神・皇鬼…一筋縄ではいかんな!」
柳聖は歯を食いしばり、全力で刀を押し戻そうと手刀を作った右手に左手を沿える。が、対する皇鬼は片手で刀を持ち、無表情で徐々に押していた。
「阿呆、ワシの力がこの程度だと思っておるのか?少しでも生きていたいのなら、さっさと力を解放した方がよいぞ」
皇鬼は鍔ぜり合いの状態から強引に刀を振り切きると、柳聖の身体が後方に吹っ飛んだ。
「ぐッ!!」
空中で身体を捻り、体制を立て直して着地。
「まだだ!」
床を蹴って永砕と同じ瞬動術で加速。
手刀や拳を打ち込んで一撃を入れようとしても、皇鬼はすべて刀で受け流し、斬撃を返す。柳聖がギリギリのタイミングで斬撃を弾いた時には次の斬撃が迫っている。何度も何度もその繰り返しだった。
次第に柳聖の額から汗が滲み出し、筋肉は疲労し、表情は険しくなっていた。
対する皇鬼は汗一滴も流さず、変化のない無表情で弾いては斬撃を繰り返す。
これ以上はまずい…そう感じた柳聖は力を解放し、姿を変えた。
肌が黒ずみ、腕の甲殻の肘から手首にかけて鏡のように研ぎ澄まされた刃が生え、爪は一つ一つが剃刀のように鋭くなった。
「まだ負けられぬ!我には成すべきことがあるのだから!」
柳聖が床を蹴ると空気が振動して爆発音が響き、姿が消える。踏み込む毎に床や天井、窓ガラスが砕け、地鳴りのような音が連続して響いた。
皇鬼は刀を鞘に戻し、右手で柄を持ったまま身体を前に倒すように居合の構えを取る。机や椅子、壁、天井、死体とその血液、それらの破片や飛沫が踏み込む度に宙に舞う。そんな嵐の中心点のような場所で皇鬼は目を閉じ、集中する。
「…お前さんの技にも飽きた。そろそろ終いにするぞ」
呟くと同時に皇鬼は凄まじい速さで抜刀する。刀身から火花が散り、大気を切り裂いて振動した。
「ぐおぉぉぉ!?」
皇鬼が刀身を鞘に納めると、柳聖の右腕の肩の付け根から先が消えていた。柳聖は痛みを堪え、苦悶の表情で無くなった腕を抑える。
「ほぅ、姿だけは保つか…お前さん、なかなか根性あるのう」
倒れた柳聖を見下ろす。
「殺す前に聞いておくことがある。お前さんは、何故内乱を起こした?」
いつもの軽口を叩く口調ではなく、低く、悪寒が走るような声で問う。
柳聖は出血や疲労でふらつく足で立ち上がり、血みどろになりながらも、怒りと憎しみを込めた声で答える。
「わからんのか…!?過去、貴様らが人間共と共存するなど吐かしたからに決まっているだろう!!」
「…なんじゃと?」
「もともと我等のような異種族と、人間が共存すること事態が間違いなのだ!人間ほど弱く、脆く、愚かで救いようのない生物は我等が『管理』しなければ簡単に道を踏み外して取り返しの付かないことをする。そんな連中のために我等は尽力して来たが結果はどうだ!?紛争、内紛、テロリズム、我等が陰から支えたところで必ず道を踏み外し、争う!我はそんな連中を守ることに嫌気がさしたのだ!」
「それでワシら、鬼神を潰して何がしたかったんじゃ?」
「決まっている…鬼の一族は他の種族に比べれば小数だが、政治面、軍事面の力は他の種族を凌駕する。その力を掌握し、愚かな人間共を根絶やしにするはずだった…」柳聖の言葉から力がなくなっていく。
「残念じゃったな、鬼島」
「だが…忘れるな。貴様はいずれ後悔する…人間と共存など不可能だと…滅ぼしておけばよかったと思う日が必ず…」
来る。そう言い終わる前に皇鬼は抜刀していた。
「阿呆…全滅させるなど以っての外…弱く、愚かだからこそワシらが正しく導かねばならんのじゃ」
柳聖の首が胴からズレ落ちる。皇鬼は刀身についた血を払うと、刀を鞘に納めた。
「まったく…このような危険思想を持つ者を野放しにするとは…なんのための監視役じゃて」
そう呟き、皇鬼はポケットからタバコを取り出して火を点けた。
「神鬼の奴は…そろそろ鬼劉を潰し終えた頃じゃな」
スーツの内ポケットから携帯電話を取り出し、登録した番号へかける。
二回コール音が鳴なったあと、通話が繋がった。
「神鬼、ワシじゃ。そっちは終わったか?」
『ええ10分ほど前に、今は帰りのヘリに乗ってます。そっちの方はどうですか?』
「ちょうど鬼島・柳聖を仕留めたところじゃ、闘鬼と戦鬼もそれぞれ標的を仕留めたらしい。ワシはこれから、屋上に行って二人と合流する。そのあとお前さんと合流し、鬼原に向かうんじゃろ?」
皇鬼の問いに神鬼は無言になった。
「どうしたんじゃ?」
再び皇鬼は問いかける。
『それが…鬼原は既に壊滅したようです』
皇鬼は驚愕した。
「馬鹿な!一族でも鬼原の序列は上位に位置するはずじゃ!確かな情報なのか!?」
序列とは鬼の一族の、政治、財政、武力の大きさを表すバロメーター。その序列が上位に位置すればするほど手練が多く、一族内での発言力が大きい。
鬼原の序列は第四位、その鬼原が壊滅したと聞いて皇鬼は己の耳を疑った。
『協力派の、鬼崎からの情報ですから間違いはありません。私も先程映像で確認しました』
「…どこの組織じゃ?」
『たった一人生き残った生存者からの情報によると…鬼原を壊滅させたのは、たった一人…黒いフードコートを羽織った人物だそうです』
言葉を聞いた皇鬼は絶句した。馬鹿な…と。
「鬼原を一人で壊滅させる事ができる者…そんな事が出来るのはワシの知る限り、神鬼、メルツェル、リーナ、無銘、ワシ、この五人と…」
『兇鬼…』
二人の顔が同時に曇った。
「まだ奴だと確定したわけではないが…この事は闘鬼や戦鬼には伝えるな。ワシらでケリを付けるんじゃ。わかったな?それでは切るぞ、奴が狙ってくるやもしれぬから、くれぐれも用心せい…」
『はい、お父さんもお気をつけて』
皇鬼は通話を切った。
「何故じゃ…何故今になって奴が…」
皇鬼は通話の切れた携帯にぎりしめ、窓ガラスの外を睨んだ。