ドレスコードが違います
時は深夜12時ジャスト。
四角いガラス窓が何層にも何列にも並んだ上の方、西の角まで飛んで行って、俺はそっと、中を覗き込む。
白いカーテンの隙間から、見えた。
彼だ。
8歳には満たないだろうその少年は真夜中だというのに、ベッドに半身起き上がり小さなゲーム機に頭を落としている。もちろん俺には気づいていないようだ。
俺は白いふさふさのあごひげをなでつけ、次に上着の白い縁取りがついたすそを引き下げてついでにダブついたズボンを一度しっかり上げ直してから息を整え、握った手指の節でガラス窓をそっと叩いた。
最初のノックで、少年はいったん動きを止めた。が、すぐに画面に集中してしまった。
しかし、次のノックで気づき、画面から顔を上げて辺りを見回した。
「ここだよ」
完全に目が合った。俺が小さく手を振る。
少年の目も口もまん丸になっていた。
「入って、いいかな」
「えっ……えっ、もちろん」
少年はあわてて起き上がろうとして、腕につながっていた点滴をスタンドごと倒しそうになった。俺は笑顔をみせる。
「あわてないで、落ちついて、鍵だけ開けてくれればいいよ」
「ああ……ごめんずっと待ってたんだ、鍵は開いてるよ」
言われた通り、枠に手をかけると窓はするりと開いた。俺は軽々とそこをくぐり抜けて病室内、少年のベッド脇に降り立つ。
病院は、実は苦手だが仕方ない。
しかも、相手はやや小粒かな……
まあ、今回は我慢するしかないだろう。
廊下から射しこむ照明とかすかな月明かりで少年の大きな瞳がきらめいているのが分かる。
髪はさらりとくせのない栗色で、血色はあまりよくないが今は興奮のためか、頬がわずかに染まっている。
控えめに言っても、可愛い子だった。
「やっぱり僕のお願い、かなったんだね、こないだ窓から流れ星をたくさん見てね……」
少年の声が大きくなったので、俺はやさしく口元に人差し指を持って行く。
「あっ、ごめんごめん」
ひそめた声に、俺はやさしく笑いかけた。だが、少年は急に我に返った声で
「本物かどうか、質問していい?」
ほら来た。俺はなにくわぬ顔で少年の方をまともに見据える。「どうぞ」
その隙にベッド枠にある名前を確認。
『ホリ・セイヤ』とある。ホーリーナイトだな、まさに。
「トナカイたちは?」
「屋上で待たせているよ」
「名前、全部言って」
「ダッシャー、ダンサー、プランサー、ヴィクセン、コメット、キューピッド、ドンダー、そしてブリッツェン」
俺の口調はよどみない。しかし少年が眉をひそめた。
そんな彼に俺は笑いかけて続ける。「……もちろん、新入りのルドルフも今日は先頭にいるよ」
わあ、と少年は小さく歓声を上げた。しかしすぐ真顔に戻る。次の質問。
「サンタさんはどこに住んでいるの」
「近ごろ、グーグルアースのせいで住みかを特定されてしまったから、引越したんだ……グリーンランドとラップランドには、まだ、ダミーの屋敷が残っているがね」
引越し先は、内緒だよ。と少年にいたずらっぽく笑いかけた。
少年は納得してくれたようだ。満足げに大きく溜息をついた。
「良かった! ボクさ、シンおじさんにお願いのこと話しちゃったから、おじさんが誰かに頼んだのかと思ってさ……」
「正真正銘の、サンタクロースだよ」嘘だって眉ひとつ動かさずに吐ける。
「でもよく来れたね! 夏なのに」
「今、ヒマだから逆に良かったよ。呼んでくれてありがとう」
「でも子どもたちへのプレゼントを夏中用意しているんじゃないの?」
「ああ」返事はためらいもなく出てくる。
「それは8月に入ってからなんだ、今はまだ休暇中なのさ」
「お休みでも、来てくれたんだね……トナカイまで連れて。でもその服、暑くない?」
いや、制服みたいなものだから。と俺はさらりと答えた。
いつもよりは派手だしダボダボで動きづらい、何かの罰ゲームかとも思えたが、こんなにも簡単に部屋の中に入り込めただけでも、ありがたいと言うしかないだろう。
いわば、ドレスコードだ。
そして少年は、すっかり納得している。
もうしばらくは、茶番につきあってやるか。
「ねえ、セイヤ」
俺は改めて彼に向き直った。
「なに」
「夏なのに、サンタさんに来てほしい、ってお願いしたってことは……何か特別なプレゼントが欲しい、ってことなのかな?」
セイヤの声は、心なしか緊張している。
「そうだよ」
ゲームだろうが大金だろうが、たいがいの物ならば俺はすぐに取り寄せてやることができる。サンタクロース並みに、その辺の技は豊富に取りそろえている。
その代わりに、相手からもちゃんと、見返りをいただいているが。
さあ、セイヤ。キミは何がほしい?
「えいえんのいのち」
「は?」
しばらく、俺は固まっていた。
セイヤは床を見つめたままだ。
廊下のどこか遠くから、水音、ひそやかな足音が聴こえる。音が近づいてこないのを確認してから俺はゆっくりと訊き返す。
「永遠の、命?」
セイヤはまだうなだれている。パジャマの膝あたりに、ぽたぽたと雫がこぼれおちているのがかすかな月明かりの中に見えた。
声を出さずに泣くのは、慣れているのだろうか。
それでもどうにか、声を絞り出した。
「聞いちゃったんだ……ママが、お医者さまと話してるの……次のクリスマス……誕生日なんだけど、それまでは、もたない、って」
それで、サンタに命をもらえるよう頼もうとしたのか?
「でもなぜ……だったらさ、最初、流れ星に頼めば」
俺もついオタオタしてしまう。
「星なんて、遠いし生きてないし、どうせなら面と向かってお願いする方が効果あるかなって」
コドモの論理だ。
でもサンタを呼ぶのは成功しただろう? と言いかけたけど黙っていた。
俺だって、『上』から配信された『カモリスト』から、手近なところを選んでたずね歩いていた矢先だからね。
「やっぱ、サンタさんでも、無理なんだ……」
「ま、待ってくれ、あのさ」
その時、ダッシュボードに積んである漫画や本の山がふと目に入った。
なあんだ。
最初から素直に訪問すれば良かったのかも知れない。
俺は座り直し、彼に少しだけ近づく。
「折角来たんだから、もしかしたら、お願いが聞いてあげられるかもしれない」
「えっ」
セイヤは泣きぬれた顔をぱっと上げた。
「でもさ……少しばかり、ちくっとするかも……その、首のあたりに」
「ヘーキだよ」
セイヤが口を尖らせる。
「いつも注射も点滴も、ガマンしてるからね!」
俺はようやく、つけひげを指に絡めてむしり取った。
ああ、顎がかゆい。
そしてセイヤの細い肩を抱き寄せ、首筋にくちびるを寄せた。
―― 明日の晩も来てね。
ことが済んでから、セイヤは器用に点滴の絆創膏を外して針を抜き取り、ようやく満足げにベッドに寝転がってから、そう言って手を振った。
「はい、ではまた明日、同じ時間に来るんで」
窓から出ようとした俺の背に、セイヤの声が飛ぶ。
「それからさ、明日からはその赤い服止めてよ。目立ち過ぎるし……いつもの黒にしてよね」
「はいはい」
何だか今後、俺が顎で使われそうな予感もする。だが……まあいいか。
俺はダボダボのズボンをもう一度引き上げ、雲間にのぞく青白い月めざして高く舞い上がった。
その時俺は笑っていたに違いない。
そして多分、アイツも。
(了)




