灯台
ちょっと可笑しな話をするね。そう言って彼は語り始めた。
ちょっと可笑しな話をするね。
いやなに、そんなに身構えないでくれよ。別に僕は 夜毎、手術室のランプが点灯しているオペ室の話や、誰もいないはずの診察室から聴こえた声の話をしようとしてるわけじゃない。あぁ、もちろん、怖いと思うかどうかは人それぞれだけどね、少なくとも僕はこれを怖い話として話そうとしているわけではないことを理解して欲しい。あくまで可笑しな話なんだ。
うん、大丈夫かな、じゃあ話すね。
あれは僕がいつものように病院をフラフラと散歩していた時のことだ。
まぁ当然と言えば当然だけどさ、やっぱり廊下は真っ暗なわけ。若干の明かりは付いてるけど、非常出口の緑色の電気とかが白の壁に反射して、やっぱり不気味に思えちゃうよね。
君は病院の壁がなんで白いか知っているかい? 僕もさ、聞いた話なんだけど、やっぱり病院ってさ、清潔感が大切なわけ、それでマメに清掃とかして白さを保って、患者やなんかに清潔なことを証明するために白なんだってさ。
それにさ、白には安心感を与える作用もあって、白衣も含めて壁が白い理由にはそんな背景があるみたいなんだ。ただ、この場合だと、不気味さが増すばかりだよね、ハハ。
まぁそういうのが好きで毎夜毎夜徘徊している節もあってね、その日になにか特別な感情を抱いていたわけじゃないんだよ。だからその日も変わらずに日課を過ごす予定だった。変わらずにね。
いつものように1階から4階まで回るんだけど、1階のナースセンターの看護婦は僕のことを見向きもしないんだ。いや、毎度のことだけどさ、なんだか寂しいよね、きっと。
といえば1階の病室にいるうるさいオヤジが居なくなったね。退院したのかなぁ? 僕は昼間の病院事情には疎いからさ、君もあのオヤジは嫌いだったろう? ハハ、ざまぁみろなんて思っちゃだめだよ? ホント。
あぁ、話がそれちゃったね、僕の悪いクセだ。それで1階から2階、そして3階へと移っていった。辺りは静かでね、皆すやすやと眠ってるんだろうから当たり前なんだろうけど、この場合だと静かだったってことを強調しておきたいんだ。なんでかって? そう焦らないでよ、時間はたっぷりあるんだからさ。
それでさ、3階から4階へと上がる大きな階段があるだろう? そう、非常階段じゃなくてエレベーターの横にある大きな階段。隣にエレベーターがあるんだから普通は皆エレベーターを使うし、非常階段のほうは売店に近いから人によっては使うけど、あの無駄に大きな階段は誰が使ってるんだろうね? その階段。
そこの階段の踊り場に大きな大きな鏡があるじゃないか。丁度、小学校なんかにあった階段の踊り場の鏡みたいな、アレだよ。
僕はいつものようにただ何となくあの大きな階段を使って君の居る4階の病室に行こうとしたんだ。そしたらね? ピカっと――ってよりチカっと、かな? とにかくそんな感じの光が鏡に反射して見えたんだよ。
ホラ、この病院はさ、夜中に警備員とか看護婦が巡回している時間があるじゃないか、僕は最初、それかなー? って思って気に留めずに4階に上がったんだよ。だけどね? アレ、変だなと思って、また階段を下りてその鏡をジッと見てみたんだ。
だってさ、確かに警備員と看護婦が巡回しているけれど、あの人たちは懐中電灯なんて持っていないじゃないか。学校とは違う。ここは病院だし、さっき僕が言ったように、若干の明かりは付いているんだ。それに懐中電灯なんて使ったら病室で寝ている人たちが目を覚ましちゃうよ。
だからさ、変だな、おかしいな、って思って僕はその鏡をジッと見たわけ。そしたら、やっぱり光がチカ、チカって反射しているんだよ。なんだかその光かたが規則的でね。
であれば廊下の窓から入ってきた光が反射しているんだろうと思って窓の外を見てみるんだけど、当然光なんて入ってきてなくってさ。そりゃそうだよ、ここは山のふもとにある病院なんだしね、入ってくる光なんてありはしない。
じゃあなんでこうも光が反射しているんだろうって思ってさ、不思議に思っていると鳥の鳴き声が聞こえてきたんだよ。ピーピー、クワークワー、うーん、難しいなぁ。いやでも君も聞いたことがあるだろ? カモメの鳴き声、丁度あれが聞こえてきたんだよ。
そんな僕がおかしくなったみたいな顔をしないでよ、最初に言ったじゃない、可笑しな話をするよって。
それでカモメの声が聞こえてきて、それに波の音も聞こえてきたんだ。君の言いたいことも分かるよ、この辺に海はないからね。けどさ、心なしか潮の香りさえしてきて、なんだか不思議だったけど心地いい感じだったよ。
それでね、それで、ポーンって音が聞こえてきたんだ。高くも低くもない、けれども何かを警告しているのは分かった。チカっと光ってポーンと鳴って、それが何なのか僕はすぐには分からなかったんだけどね? あぁ、なるほどなって気が付いたのはその鏡に映ったものを見た時だったんだ。
チカ、チカって光った時に断片的にしか鏡を見てなかったからさ、光ってないときによく鏡を見てみたら、暗くて見えにくかったんだけど、やっぱり白くて長いモノが窓の外にそびえ立ってたんだ。
君は霧笛って知ってるかい? いや、知らないのも無理はないよ。だってそれはとっくの昔に全て廃止されたんだから。
霧笛っていうのはね? 灯台に併設されているモノなんだけど、ダイヤフラムホーンっていう音の鳴らし方を使って霧や吹雪なんかで視界が悪くなった時の警告の音として鳴らされていたんだけど、騒音なんかの被害が集中して2010年に廃止されたんだ。
そう、つまり僕は鏡の中に灯台を見たんだ。何だったら今から一緒に見に行くかい? ハハ、そうだね、君は部屋を出られないもんね。
丁度その時、辺りが霧に包まれたんだ。周りの景色は一切見えなくなって、あるのは鏡の中の灯台と時折聞こえてくる音だけ。
なんだかね、すごく楽しそうな雰囲気で、どこか心理的モラトリアムを感じたよ。理由? なんでだろうね、多分僕は幼いころに海に行ったことがあったんだ。その時のことを思い出したのかもしれない。子供と大人の境界線って言うか……まるで精神空間に行ってしまったような気がして。こんなんで精神空間を感じていたらブッダはお腹空かせて座禅組んでないで夜中の病院で灯台を探してたら良かったのにね。うん。
そしてさ、そして極めつけは、鏡の中に海兵隊が居たんだ。いや、海兵隊じゃないね、海兵だ。そう、海兵が1人だけで、鏡の奥からジッと僕のことを見ていてさ、その兵隊さんがなんだか物言いたげにこちらを見ながらナニかをずっと喋っているんだよ。
でもその人、何言ってるかわからなくて、耳を澄まして聞いてみようとしても波の音が邪魔で何も聞こえなくてさ、僕は思わず、何を言っているんだい? って尋ねてしまったんだよ。
失策だったね、その人は少し必死な表情でナニかを叫びながら僕に手招きをし始めたんだ。瞬時にわかったよ、連れて行かれるって。
鏡の世界は死後の世界だって話は有名だよね? 多分、彼はそういうことだったんじゃないかな。
その人はしばらく手招きしてたんだけどさ、やがて僕が誘いに乗らないって気が付くとその場を去って行ったんだ。気が付いたら霧笛も光も波の音も全て無くなっていてね、ただの階段の踊り場に戻っていたんだ。
うーん、夢でも見てたのかな、なんだか内容が妙にリアルで匂いも景色も鮮明に覚えているんだ。だけどさ、やっぱりあれは幽霊だったのかもしれないね、
これで僕の可笑しな話は終わりなんだけどさ、君ならこの話をどう見るかなって思って今回話してみたんだよ。どうだった? 紛れもなく本当の話なんだけれど、何が原因でこんな体験をしたんだろう。
夢? 夢か、やっぱり君もそう思うのか。じゃあなんで夢だと思うんだい? ナニ? 幽霊なんて存在しない? ハハ、君こそ可笑しなことを言うね。
じゃあ君の目の前に居る男のことを君はどうやって説明するんだい?
外も明るくなり始めたね、じゃあ僕はこの辺で失礼するよ。明日も同じ時間くらいに来ようかな。オヤ、どうしたんだい? 最初に言っただろう? 怖い話をするつもりはないって。なのに君はとても恐ろしいものを見たかのように真っ青な顔をしているよ。知っているかい? さっきの話の続きってわけじゃないんだけど、灯台っていうのはその下が一番暗いんだ。
滑稽だね、滑稽だね、アハハ、アハハハハ……。
拝読いただきありがとうございます。1人でも多くの方がこの作品を楽しんでいただけたら光栄です。
神馬というペンネームで「少年たちのクリミナル」という作品を長期連載しています。よろしければそちらも拝読いただければ幸いです。
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