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32新たな家庭教師

 新しい日常が始まり、家でも新しい出会いがあった。それは、新たな家庭教師だった。


「そうそう、匠さんは頭がいいとは思うけど、念には念を入れなくては。ということで、新しい家庭教師を雇ってしまいました。」


「ええと、家庭教師なら、結城さんがいるのでは。」


 学校生活が始まり、一週間が経過した時のことだった。今日は土曜日で、家にはヒナタと母親しかいなかった。ミツキは朝からバイトに出かけていた。


「そうねえ。でも、結城君も大学4年生で忙しくなってくるでしょう。その点、明石君はまだ大学に入ったばかりの1年生だから、時間があるのよ。違う人に教えてもらうのも、環境が変わっていいと思うの。」


結城彰人は、双子が受験を終えると、急に家に来なくなった。母親がもう必要ないだろうと契約を打ち切ったと思っていたので、まさか、高校に入っても、家庭教師をつけられるとは思っていなかった。


「家庭教師を雇うなら僕に一言相談があってもよかったんでは……。」



「ピンポーン。」


 インターホンが鳴り、母親が対応する。すぐに玄関からガチャッとドアが開く音が聞こえた。来客のようだ。このタイミングは、おそらく、母親が新しく雇うといっていた家庭教師が来たのだろう。



 母親がリビングに連れてきたのは一人の男性だった。


「紹介するわ。明石あゆむ君。大学1年生なの。匠さんと同じ大学だから、本当ならあなたの後輩にあたることになるわ。今日からあなたの家庭教師だから、明石君のいうことをよく聞くのよ。」



「明石あゆむです。これから一緒に勉強を頑張っていきましょう。」



 明石と呼ばれた男は、結城彰人とは正反対の男だった。ニタニタと下品な笑みを浮かべて、ヒナタのことを見つめていた。結城彰人は清潔そうな真面目そうな雰囲気で知性を感じることができたが、明石という男からは、知性を感じなかった。


 家庭教師として、本当に自分たちに勉強を教えてくれるのだろうか。そんな不安がよぎるほどに信用できない男だった。


「この子が水藤匠。私のかわいい夫よ。今は高校生の姿になっているけど、気にしないで頂戴ね。K学園に今年から通うことになっているの。だから、しっかりと勉強を見てくれるかしら。」



「わかりました。よろしくお願いしますね。匠さん。」


 母親の言っていることがおかしいと思わないのだろうか。母親の言動に何も言わずに明石はヒナタに手を差し伸べてきた。母親を見ると、手を握ろと圧をかけてくる。



「いたっ。」


 ヒナタが手を差し出すと、ものすごい勢いで手を握られる。痛さに思わず顔をしかめるが、それ以上に明石の手の冷たさに驚いた。氷のように冷たい手だった。慌てて手を離し、明石から一歩遠ざかる。そこに母親がこっそりと話しかけてきた。


「そうそう。明石君には、あなたが二人いることは秘密にしているから、くれぐれも彼のの前では分裂しないように。」


 耳元で告げられた言葉に、ハイっとしか返事ができないヒナタだった。



「さっそくだけど、今日からよろしくお願いしますね。明石君。」

「お任せください。」


「なっ。いきなりはさすがに……。」


「文句を言える立場ですか。いくら一度卒業しているとは言え、K学園は大学進学率トップクラスの進学校。なめてかかってはいけませんよ。」


 来て早々、授業が始まるとは思っていなかったヒナタだが、母親に逆らうことはしなかった。勉強が難しいことは肌で感じていたからだ。



「よろしくお願いします。明石先生。」


 否定の言葉は心の中にしまい込み、新たな家庭教師「明石」に挨拶をするヒナタだった。





 ヒナタと明石はヒナタの部屋でさっそく勉強を始めた。しかし、母親がいないこの空間で、二人の間には気まずい空気が流れていた。家庭教師の話は突然だったが、K学園の勉強についていくために仕方ないと思うことにしたヒナタだったが、それでも、初対面の相手に何を話したらいいか、どのくらいの距離が適切かわからなかった。


 家庭教師を雇ってくれたのは好都合だったはずだが、ヒナタにとっては苦痛な時間が増えただけだった。



「匠君って、お母さんに似て、美人だよねえ。」

「いや、それほど似ていないですよ。」


 最初に話し始めたのは、明石だった。しかし、それ以降、会話が続かない。そもそも、最初に話しかける内容が女性でもないのに、美人とはいかがなものか。ヒナタは生理的にこの明石という男を受け付けないだろうと思った。


「あれ、この質問はダメだったかな。それでは、無駄話はしないで、さっそく始めていこうか。」



 明石という男は、どうやらヒナタのためにいろいろ準備していたようだ。まずは中学のことがどれくらいできているかのテストを行った。それから、高校の授業の範囲を教えてくれた。


 明石という男は、一応、大学生ということだけあった。


「ここがわからないんですが。」


「どれどれ。ああ、この問題は、この数式を使って……。」


 わからないところは、的確にヒントをくれて、わかりやすく教えてくれたが、教えるときの距離が妙に近くて、反吐がでそうだった。顔を近づけて、互いの顔が触れ合いそうな距離で話しかけてくる。



「近いです。そんなに顔を近づけないでください。」


「そうかなあ、あっ。ここ間違っているよ。全く、ミスをしたらダメだよ。」


 

 話し方もねっとりとして気色が悪かった。早くこの時間が終われとヒナタは願った。



 90分という地獄の時間がやっと終わり、明石が家から出ていく頃にはヒナタはぐったりと疲れ果てていた。






「明石君はどうだったかしら。」

「どうもこうもない。家庭教師をつけるなら、結城さんに戻してよ。」


「ダメよ。彼は、あなたを私から奪いそうだもの。」


 なぜか結城彰人はダメという母親に、ヒナタはため息をつく。


「じゃあ、家庭教師はいらないよ。自分で勉強することにするから、明石という男にはもう来なくていいよって断ってよ。」



「わがままねえ。」


 話し合いをする気もないようだ。これは、ミツキが帰ってきたら相談しなくてはとヒナタは考えた。


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