マトリョーシカ
周りに何もない真っ白な空間にいた。
此処は何処だろう。
自分の体を見下ろすと、青い寝間着を着ていた。普段から使っているものだ。……夢の続きだろうか。
疑問に首を傾げていると、空間の奥に、ちいさな点が見えた。
じっと見つめていると、段々と点は大きくなり、この世の恐怖をすべて集めたような影が人の形をしていることが分かった。
ケタケタと音を立てて、影はピエロのような戯けた仕種でこっちへ走ってくる。
――逃げなきゃ。
そう思うのに、体が動かない。
――逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ!
金縛り状態の僕に、影は一直線に向かってくる。
邪気に溢れた無邪気な笑顔で。
可愛らしい子猫が鼠を見つけた時みたいな、残虐な動きで。
手を伸ばし、僕の頭を叩き割った。
***
と思ったら、目が覚めた。
胸に手を当てると、心臓が別の生き物のようにバクバクと動いていた。
――良かった。
安堵して辺りを見回すと、そこは、真っ白な、何もない空間。
まさか――。
影の姿を確認する前に、俺は走り出した。
――逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ!
走って、走って、走って。
心臓がかつてないほどの速さで鼓動する。
息が苦しい。酸素が足りない。
けれど走る。
必死に、走る、走る、走る。
やがて苦しさに足を止め、僕は倒れ込んだ。
大丈夫、ここまで走ったんだ。きっと追いつけやしないだろう。
息を整えて何とか立ち上がると、足元の自分の影までもが立ちあがって、僕に覆い被さった。
にたり、と笑って影は、僕の首をぎりぎりと、ゆっくりゆっくり絞め上げた。
***
跳び起きると、僕はベッドの上だった。
――あぁ、夢か。
今にも胸から飛び出しそうな心臓を宥め、布団で汗を拭い、起き上がる。
喉が渇いていることに気がつき、僕は台所へ向かった。
台所では母が朝食を作っていた。
「おはよう」
と振り返らずに母が言うので、低い声で僕も挨拶を返した。
食器棚からガラスのコップを取って冷蔵庫の方を振り向くと、母が冷蔵庫を開けて何かを探していた。
「母さん、飲み物取って」
「はいはい」
振り返った母さんの顔は、真っ黒だった。
ガラスのコップが音を立てた。我に返り、僕は後ずさる。
しかしニタニタと笑う影は落ちているガラスを踏みつけて僕に近付き、僕の心臓を包丁で刺し貫いた。




