抽斗
「ありがとう」、言えてますか?
※短いので、10分くらいで読めると思います!
私には、ずっと仲の良い友達がいた。
小学校くらいからの長い付き合いだった。病院によくお見舞いに行った。窓の外に雪がちらつく中、二人で静かに一晩中語り合ったこと、七分咲きの桜を見つつ病院の中庭を散歩したこと。いくらかそのような思い出がある。
あのひとは、病弱だった。詳しくは語ってくれなかったのだけれど、ただ一つわかっていたのは、その病気がとても重いものだということ。
ほんの数日前、彼女は、落ち葉と一緒に散った。彼女の口癖は、未だ耳にはっきりと聞こえてくる。
「思い出は、宝物。言葉も宝物。
一番大切にしたい言葉は、「ありがとう」なの。
ありがとうって、絶対にありえないことを心の底から喜んでいる感じがするから、好きなんだ。
だからね、ミズキにも、「ありがとう」を大切にしてほしいな」
数年前、そんなあの子と、私は大ゲンカをした。
「来るなら一言伝えてって、わたし、言ったよね!?
どうして言ってくれないの!? ねぇ! どうして!?」
「言おうとしてたよ!
さっきも説明したじゃん、家の用事で急いでて、大変だったって!
なのに電話繋がらなかったって!
自分でも言ってたじゃん! 電源切ってたって! 違うの!?」
「公衆電話なり何なりあるでしょ!?
ミズキは、なんでそうしてくれないの!?」
「それは謝ったじゃん! こっちにも色々あるんだよ、どうして聞いてくれないの!? ねぇ、聞いてる!?」
「もう、いい。いいから。分かったから。……帰って」
「何でそうなるの?」
「わかったから、帰って」
「ちょっと、待ってよ! 話し合おうよ!」
「もういい! はやく帰ってよ! それとも看護婦さん呼ばれたいの!?」
踵を返すことしか、わたしには、出来なかった。
悔しくって、病室の戸を蹴ることしか、出来なかった。
あの日が、あの子の顔を最後に見る日になるなんて、思いもよらずに。
あれから、随分経った。私は、大きくなり、ずる賢くなった。
けれど、気もちはまだ、桜咲く中庭に、囚われたままだった。
あの子とのことは、イライラしたままだった。向こうが言ってくるまで謝らないぞ! と決めていた。
そんな中で、いろんな人と繋がって、離れて、もがいて、近づいて。
それでも変わらないものはあるんだよって、ときどき、どこかから、聞こえてくる。そんな毎日だった。
今、私は、彼女の実家の前にいる。通夜の済んだ後で、彼女の母親に、こういわれた。
「あの子の遺品を整理するから、そのときはあなたにも、ぜひ来てほしい。
あの子にとって、あなたが一番大切な人だったの。
本当に、ありがとうね」
軽トラックの止まっている大きな家が、彼女の家だ。
あのとき、そう、学生のとき以来だ。やや錆びついた門を通り、古く小気味良い音を立てる玄関の扉に手をかけた。
最後に見た時から、ほとんど変わっていなかった。変わっていたのは、さみしげなおばさんの顔と、立ち込める線香の、ほんのり甘い香り。
おばさんに挨拶をして、彼女の部屋のあった二階へ、ゆっくりと歩を進めた。
部屋に入ると、ふわっと思い出がよみがえってきた。
小奇麗で片付いた部屋は、紛れもなく、かつてあの子がここにいたことを告げる。
彼女の母が、抽斗の中に、ぜひ見せたいものがあるという。
書類作業があるから下に降りるわね、OL時代に逆戻りよ、と朗らかに笑うおばさんを見送る。なんだか、変わらないね。
私は、カーテンの揺れるあの子の部屋に一人、残された。
そっと彼女の勉強机の抽斗を開ける。
抽斗の中には、小さな鍵付きの木箱。
ここで、やっと気づいた。私が、二人病院で語り合った夜に貰った小さな鍵の意味に。
財布のポケットから鍵を取り出す。
机の上に木箱を出して、鍵を差し込んでみる。
驚くほどすんなりと鍵は回った。
おそるおそる蓋を開く。
箱の中には、文庫本サイズのノートがあった。
日記だろうか、と思い、はらはらとページをめくる。
「これから、最期の日まで、この日記を書いていこうと思います」
「お医者さんの言葉が、何より重かった。
目の前が真っ暗になる気がした。
遠い遠い、ドラマの中の世界だと思ってたんだけど、違うみたい」
「感謝の言葉って、言いやすそうでなかなか言いにくいよね」
「あの子が見舞いに来てくれて、ほんとにうれしい。
明日はきっと特別な日、そう信じていられる」
「検査、検査、検査。
不安でたまらないや。入院あと何日?」
ページをめくる自分の指が、がたがた震えている。
「そうか、そういうことか、なるほど。
じゃあ、今から何か特別なプレゼント考えないとね、あの子のために」
「これを書く気力? がなくなってきた。
ご飯は味しないし、なにより食欲がない」
「お母さんに頼んで、あの箱とこの日記をどうするかってのを決めた。
どうするって? 決まってるじゃん。
答えは一択」
「あの子とケンカしちゃった。
私の、ほんの、出来心なの。
周りの人、みんな優しすぎてさ。ミズキも変に優しいし、不安でたまらなかった。調子狂っちゃってて。
でもね、今日、ミズキの怒るとこ見られて良かった。
怒ってくれる人がいるんだもの、私は幸せ者だね!
気まずくはなっちゃうけど、きっと大丈夫。すぐに仲直りだもん!」
もう、わたしは、涙が止まらなかった。
「お医者さんが、覚悟しなさいよって……さ。
お母さんの泣いてる顔は見たくないなぁ。」
「ちょっと……気分が、悪いかも……」
「これをかくのも、多分最後。
思ったよりも、時間がなかったみたい
家族のみなさん、他のいろんな人、みなさん、ありがとう
それとね、」
日記は不思議なところで終わっていた。
まさかこれを書いている途中に、なんて不吉な想像が頭を駆け巡る。
ノートを最後までめくっても何も書いていないので、あきらめて本を箱に戻そうとした時、箱の中に小さな紙が残っているのに気が付いた。
手紙だろうか。
きれいに三つ折りされたその紙の表には、
「ミズキへ」と書かれている。
慎重に紙を開いてみると、そこには、大きくて、やわらかな文字があった。
「ありがとう」
「……バカ」
だんだん冷たくなってく風が、そっと私のほっぺを撫でた。
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