俺と同居人の朝食事情
「起きてください、朝ですよ」
「んん、ああ」
俺の体を揺らして、起こしたのはリーン。俺の同居人だ。
柔らかな金の髪と白い肌。そして、その綺麗な碧眼を俺の顔に近付ける。そして、口を開いた。
「ご飯を食べますか? 私を食べますか? それとも私に食べられますか?」
「なんで俺が食べられる側に回ってるんだよ。おい、舌舐め擦りをするな」
ちょっと背筋が震えたじゃないか。これは興奮か、それとも恐怖か。もしかしたらどちらでもあるかもしれないが。どちらにしてもあまり歓迎すべき感情ではない。
雰囲気だけなら清楚だというのに平気でこんなことをこいつは言うのだ。
「じゃあ、私を食べるんですか?」
「食べねえよ。常識的に考えて普通は朝食だろうが」
「ああ、確かに朝いきなりは疲れますからね」
「妙な納得な仕方をするな。後、さも俺がお前に朝以外なら手を出すような物言いは止めろ。俺はお前に一度も手を付けてないよな」
別にリーンと同居しているからと言って俺たちは決してそんな関係ではない。リーンからはかなりの頻度で迫られているがそれは理性で抑えている。じゃあ、俺たちの関係は何だと言われれば口を噤むことになるが。そんなの俺が聞きたいものだ。
そんなことを思っていると。リーンは自分の口に指を当てていた。
「では、口移しで」
「ではじゃない。お前はいちいちそういう事を言わないといけないのか? 普通に食わせろよ」
「普通、ですね。分かりました。もう、ご飯も出来ちゃってますから早く来てくださいね」
そう言ってから俺の部屋に出る。思わずため息が出た。
全く朝からどうしてこうも疲れなければいけないんだ。しかも、こんなやり取りをほぼ毎日繰り返しているというのだから笑えてくる。色々と笑えないが。
「しょっと」
体を毛布から出したせいで少しだけ寒い。ああ、名残惜しい。このまま布団に戻りたいが、腹も減っている。それにリーンを待たせるのも悪い。そもそも、そのリーンのせいで布団から出たくないわけだが。まあ、仕方がない。
さて、今日の朝食は何だろう?
扉を開けると、パンと炒め物がテーブルに乗せられていた。いつもの風景だ。ただ、一つおかしなところがあった。何故かリーンは椅子に座りながらフォークを手に持っていた。
「何をしてるんだ……?」
食事中なら何ら問題は無かったが、フォークを持ったその手をなぜか前にへと突き出していた。リーンはふふんと豊満な胸を張りながら自慢げに言った。
「練習です」
「何の?」
「カルラさんにあーんをするためのですかね」
思わず、手で額を抑えた。
「俺は普通にと言ったんだ」
「普通ですよね?」
「俺はお前の普通を疑うよ」
こいつの行動はいつも読めない。誰が普通に食べたいと言ったらあーんの練習をするなんて予想できるんだ。というかあーんの練習ってなんだ? フォークを持って手を前に突き出す様子を見ていると狂気すら感じる。
リーンはフォークを卓に置き、にっこりと微笑んだ。
「では、食べましょうか」
「それは別に良いが俺は自分の手で食うぞ」
飯を誰かによって食べさせられるというのは気恥ずかしい。それに、今のこいつに食べさせて貰うのはなんだか怖い。食した後に食されそうだ。そんな思いはリーンによって砕かれた。
「ああ、それは無理です」
「無理? 駄目じゃなくてか」
「ええ、この家にあるカトラリー類は私のもの以外全て廃棄しました」
「は?」
ちょっと待て、意味が分からない。
「廃棄って……」
「ええ、全て捨てましたよ」
にっこりと言うんじゃないよ。え? 本当になんで? 馬鹿なの? 馬鹿だよね? ……動揺したせいでおかしなことになってしまった。深呼吸だ、深呼吸。
「なんで、そんなこと」
「そちらの方が都合がいいですからね」
「都合って、何の?」
俺がそう聞くと、リーンは嬉しそうに笑った。
「カルラさんは恥ずかしがり屋さんですからね。逃げ道は無くしておかないと」
リーンのその言葉に俺は卓に置かれたフォークを見て、またリーンの顔を見る。その顔はとても純粋な笑顔に見える。だから、いっそう性質が悪い。
「……馬鹿じゃねえの」
「では、ご飯を食べましょうか」
まるで俺の言葉が聞こえなかったように再び宅に置いたフォークを手に取り、炒め物のキノコを刺す。ああ、憐れなキノコよ……。いつもは何気なく食べているキノコに妙な感慨を持ってしまった。ああ、キノコ! どうしてあなたはキノコなの! まあ、ふざけはこれくらいにして。
「とりあえず、そのフォークを寄こせ」
せめて自分の分は自分の手で食べたい。だから手をリーンに向けて出したのがあっさりと渡されてなんだか拍子抜けだ。もう少しごねられるものだと思っていたのに。しかも、その顔はなぜか嬉しそうで。
「変な顔してどうしたんですか?」
「あ、いや。やけにあっさりと俺に渡すなと思ってな」
「当然じゃないですか。私的には嬉しいですよ」
「嬉しい? なんで」
リーンは自分の唇に指を当てて微笑んだ。……あざとい仕草なのに少しだけドキッとしてしまった。
「だって、カルラさんが私にアーんってしてくれるってことでしょう?」
「うん?」
若干の思考停止。そして少し時間が経って我に返った。そう言えばこいつ、カトラリー類は全て処分してたな。だから当たり前のように俺が持ってるこのフォークしかないわけで。
「……違うからな」
「じゃあ、私には食べさせてくれないんですか? せっかく作ったのに食べられないのは残念です」
「ああ、もう! じゃあ、俺は食べなくてもいいよ」
「えー! カルナさんに食べてもらおうと思って作ったんですよ」
ここぞという時に悲しそうな表情を見せないで欲しい。絶対に演技なのだろうが拒むことが出来なくなる。俺は悪くないはずなのに。
「よし、分かった。じゃあ、俺がお前に食べさせる。その後に俺が食べる」
そして、譲歩をしてしまった。俺が食べさせる側に回ったのは自分が食べさせられるのが気恥ずかしかったからだ。食べさせるのも恥ずかしいが天秤にかけた結果としてはこちらの方がましという事になった。これ以上揉めても仕方ないしな。
「わーい! カルラさんが乗ってくれて嬉しいですよ、私は」
リーンは俺の言葉に嬉しそうに声を上げた。そして、雛が親鳥から餌をもらうかのように口を開けて、期待の眼差しを俺に向けた。
フォークに刺さったまま放置されたキノコを見て、心の中で遺憾の意を表明した。
「今日は廃棄したカトラリーした分を買いに行くぞ。金が勿体ないが」
「えへへ。デートのお誘いですか?」
「ニヤニヤするな。気持ち悪い」
俺はそんなリーンの口にキノコを押し込んだ。さらば、キノコよ。お前のことは忘れない。ああ、顔が熱くなるのを感じる。心の中でも茶化しておかないとやっておけないぞ、全く。
リーンは頬をハムハムと動かしてゆっくりと飲み込む。俺は、今度は豚肉を刺してリーンに向ける。こんなことを無心で続けて、いつの間にかリーンの皿から食べ物は無くなった。
「美味しかったです。カルラさんにあーんまでさせてもらって幸せです~」
「です~、じゃない。です~、じゃ」
色々と言いたいこともあったが、リーンのそんな幸せで満ち足りたような顔を見たら、なんだかどうでも良くなってきた。ほだされていると感じたが、今ぐらいはいいかと思ってしまった。
そんなことが気恥ずかしくなって俺は野菜を刺して、口に入れた。
「……美味いもんだな」
「ありがとうございます」
こんなやつでもこんな美味い飯を作ってくれるんだ。気がつけば俺は朝食を完食していた。
「ごちそうさま」
「どういたしまして。……あ」
「どうした?」
リーンが何かに気づいたような声をあげたので聞いてみた。その顔はなぜか少しだけ赤くなりながらも頰を緩ませていた。
「間接キスですね」
「な!」
羞恥で顔が真っ赤に染まる。俺としたことが完全に失念していた。ああ、時間が巻き戻せるなら巻き戻したい!
そんな風に少し騒がしく、俺とリーンの一日が始まる。
さらば、キノコ。謎のキノコリスペクトは気にしちゃいけません。
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