第二話「初めての感情」
明くる朝、太陽が昇り始めて人々が眠りから覚める時間帯となり、家畜の鳴き声が妙に騒々しい。が、騒々しさは女性の悲鳴によって更に塗り替えられる。
「あ、ああああ!!」
下半身をどっぷりとゲル状の何かに包まれ、足元から徐々に溶けかかっている。身体が溶けているにも関わらず、女性は涙と涎を垂れ流している。痛みで叫んでいるというよりかは快楽に溺れることで喜びを感じ、叫んでいるといった様子だ。
「きもち……いい?」
ゲル状の何かは人の形になり、溶けていく女性をじっくりと観察する。既に頭まで埋没した女性に掛ける言葉などないというのに。
「このぉ!!」
スライムが現れたとなれば、たちまち男衆が束になってスライムに攻撃を仕掛ける。しかし、持っていた得物はスライムに触れた瞬間に分解され、刀身だけ溶かされて柄だけが残る。
「ひ、ひぃ!!」
「……こわ、い?」
「ひゃああああ!!」
近くにいた数人の男の頭をスライムの手で鷲掴みにし、頭からじっくりと溶かし、踏ん張りがつかなくなった順番に身体へと取り込み、吸収していく。
「に、逃げろおお!!ただのスライムじゃねええ!!」
男性が数人束になっても勝てないと判断し、周りにいた人々も散り散りになって逃げる。
「あははは……はははははは!!」
スライムは高笑いをしながら身体を四方八方に弾き飛ばし、建物を貫通させながら老若男女自身の身体に取り込んでいく。
「くぅ!!まだ城から兵士達は来てくれないのか!!」
「ダメです!まだ、援軍らしき者はエイレーネから来ておりません!」
村の高台にいる派遣されている兵士達はただただ、街の人々がスライム一匹に蹂躙されていく様を指をくわえて見ることしか出来ない無力さに嘆いていた。
「あはははは!!ははは……あぁ?」
スライムは妙な感覚を覚えた。溶かすだけで腹が満たされる感覚が続く最中、一部の身体が痺れ、一部の身体が動けなくなっていることに。何か悪いものでも食べたのか?という理屈を考えるほどまだスライムは思考が豊かではなく、妙な感覚がする方へと飛び散った身体を集めていく。
「うぅ……?」
スライムが見た光景は、自身の身体の一部が形を保てずに地面にビッシャリと伸びている物。そして、形はそのままだが、組織の一つすら動かすことの出来ず、固まっている物。対象を取り込んで起きた事ではなかったことを理解し、その向こうにいる者達がこちらをジロッと見ている事も理解した。今の状況から、身体の一部をこのような状態にしたのは見ている者達だと判断した。
「うぅ……うあああああ!!」
一部だけではダメだと思い、飛ばしていた一部よりも更に大きな粘液体を飛ばす。
「鬼道~赤雷~」
「雪化粧。」
粘液体に赤いギザギザが当たったと思えば、粘液体は痙攣を起こし、粘液体の先端から順に固まり始め、最終的に巨大な粘液体は先程の一部同様の状態になってしまっていた。
「……あぁ?」
「ったく、こんなもんなのか?スライム野郎。」
「まぁまぁ、一応人間達を取り込んだことである程度の知恵は働くようになっているようね。」
片方は巨大な肉体を持った鬼、片方は透き通る程白い肌に可憐な花をあしらった着物を身に纏った女性であった。
「す、スライムの動きがなくなった!今のうちに生きている人達を救出するぞ!」
「は、はい!」
高台から覗いていた兵士達は高台から飛び降りて、建物内に避難している人々を誘導し始める。
「人間達も動き始めたようね。じゃぁ、手っ取り早く畳んじゃいましょうか。」
「おう、出し惜しみはしねぇ。っつか、俺たちに倒されるぐらいなら塔に迎える意味ねぇしな。」
「うう……うあああああ!!」
捕らえて、溶かすことしか知らないスライムこと、色欲のアシッドは二人目掛けて飛び掛かり、空中に巨大な膜を張りながら二人を包もうと仕掛ける。
「芸がなっちゃいねぇ!!鬼道~赤雷拳舞~!!」
鬼は構えてから色々な構え方をしてから、アシッドの顔があるであろう場所に赤い雷を纏った拳を放つ。この行動に、アシッドは対処出来ず拳を顔面で受ける形となった。
「ぐぶっ!?」
身体が始めての感覚に痺れる。膜を張っていた身体ごと建物へと吹き飛ばされ、砂埃が舞う。
「がはっ……。ぐぅ……!!」
建物の埃を被りながら体勢を立て直そうとするも、身体に異変が起こり始めたのはその後のことであった。
「っ!?」
身体の先端から徐々に固まり始めている。細胞の一つ一つが動きを止め、重い石になるように。
「凍らされるという感覚は始めてだったかしら?」
「がああおおお!!?」
激しく暴れるが、冷気の風はアシッドの身体を浸食し、最終的に動きが激しい氷の像と化してしまった。そこに続けざまに黒い鬼が飛び掛かり、赤い雷がバチバチと迸る拳を叩き込んだ。
「しめぇだ!!」
ーーバキャーン!!
叩き込んだ拳から大きな音が立ち、一瞬にして氷の像は粉々になって散乱する。暫く拳を突いた体勢でいた鬼であったが、再生の予兆を見せないアシッドを一瞥すると、構えを解いた。ゆっくりとした足取りで女性も歩み寄り、アシッドであった物を一瞥する。
「これで犠牲になった人間達の借り分は支払い終わったかしらね。」
「おう。っつか、もっと賢いと思ったんだが、俺より頭が悪かったようだな!がはははは!」
「あんたは年がら年中脳筋じゃない。」
「あぁ?なんかいったか?」
「何でも。それじゃあヨウに報告しましょうか。当分は行動できないでしょうし。」
「あ?それっつーと……あれか?」
二人は踵を返して他愛の無い会話をしながら崩れた建物から姿を消した。
崩れた建物から僅かに日が差し、見えない埃が舞っているのを写し、氷の像にもやわらかな温かさを与えていた。ゆっくりと氷は溶けて、直ぐ様粘り気を取り戻し始め、一点に集まり始める。
「ぅ……がっ……。」
だが、細胞が破壊されているのか。凍っていた身体の大部分は溶けるとそのまま地面に吸収されてしまい、身体は青年の上半身だけを残す形となった。
「がぁ……ああああ……。」
アシッドは地面に身体を投げ、崩れた天井を見上げながら初めて嘆いた。目の前がぼやけ始める。
「あああああ……つあああああ!!」
アシッドは初めての感情を覚えた。悔しさ、辛さ、無力さを。二人の攻撃を受けただけだが、アシッドを成長させたのは間違いなかった。
「……これ、が。つら、い?くや、しい?むりょ、く……?」
何故言葉だけを覚えているのかは、バスティーユでの執行していた時に覚えた。囚人達は皆、色欲の間でアシッドの造り出した快楽のプールへと身体を投げ、罰を受けた。それを端から見ていたアシッドは囚人達の快楽に苛まれる姿をずっと見ていた。が、ある囚人は呟いていた。
「あぁ……辛い。辛いよぉ。うああっ……。」
「あぁ!!悔しい!こんな気持ち良さを何故あの時得られなかったか!!今になって後悔するなんて!あっははははは!!」
「……。」
一人は快楽が反って辛いと呟きながら消え、一人はプールの気持ち良さがあの時の行為よりも気持ち良すぎて後悔の呟きを叫びながら自ら身体を深い所へと沈めていった。だが、一人は無言のまま身体を投げ出して、身体が溶けるのを確認しながらぼやいていた。
「こういうのを無力、って言うのかな。」
自嘲気味に言いながら身体はプールの底へと沈んでいった。囚人に興味を持ったのは初めてで、感情すら定かではない監獄獣にとって稀なことであった。
故に与えられた執務を置いて、考えた。ただのスライムで在った怪物が思慮し、暴食のグルグを牽制したのだ。
「……はは。」
アシッドは自嘲するように笑う。まだ太陽が上っている途中だというのに、空には厚みを持った雲が漂い、太陽を隠してしまいそうだ。
「つぎ……は、か、つ……。」
ポツリと、アシッドの頬に雨が当たる。立ち込める分厚い雲はアシッドに恵みの雨をもたらしたようだ。
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「何?アシッドの行方がわからなくなった?」
聖国エイレーネ前のなだらかな平原。そこに鉄製の柵や、魔方陣の罠などを置き、色欲のアシッド対策が十分に施されていたが、防衛大臣ゲラルドに寄せられた一報はアシッドが第二の街で行方を絶ったことであった。
「はい、街の警備兵によりますと。住民の避難をしている間に鬼人と女性がアシッドと闘っているのを見たとのことです。」
「鬼人と女性……一体何者なのだ。だが、まだどこかに潜んでいるかもわからん、このまま陣を敷いておく。」
「ゲラルド隊長!火急の報せです!!」
軽い革の鎧を着た伝令兵がゲラルドの下へと走ってきた。ひどく息遣いが荒く、相当な距離を走ってきたのだと思える。
「どうしたというのだ。貴様はゲン・ガン国境付近を警備している者ではないか。」
「はぁはぁ……エレボス軍が、我が国境を破り、進軍中とのことです!」
「何!国境の関所はどうしたというのだ!」
「エレボス軍の魔法攻撃により陥落!現在も尚、此方に進軍しております!」
予期せぬ事に黙り込むゲラルド。だが、考えようではこう思えてきた。
「(もしや、あの若者はこれをも想定していたのか?色欲のアシッドが行方不明となり、代わりにエレボス軍が国内に進軍していることを)」
口角がつり上がる。なかなか面白い者と出会ったと心底喜ぶゲラルド。兵士達は互いを見やる。
「兵士達に知らせろ!敵はエレボス軍。退却など許さないぞ!」
「おおー!」
ゲラルドが兵士達を鼓舞する最中、魔導士であるジルは嫌みったらしく舌打ちを打つ。
「(ちっくしょ~まさか、奇襲に失敗しちまうとは。じじいに言われてなかったら伝令兵ごとき、すぐに殺せたっていうのに。あのガキ……。絶対に許さねぇ!)」
と、何かを閃いたのか、険悪な微笑みを見せる。端から見れば変人でしかないが。
「(そうだ!確かカイル王子は試練がどうたらとゲラルドに言っていたな。ということは龍神の試練を受けるためにヘパイトスの鍛冶場に行くかもしれないな……。)ふっふっふ……。」
「ジル導士、エレボス軍が間も無くぶつかります。急ぎ退避致しましょう。」
「あぁ……。私は今からヘパイトスの鍛冶場に向かう。お供せよ。」
「……っは。」
ジルの目論見は誰にも露見せず、密かに行われつつあった。
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塔に帰ってきた終鬼とフロンはヨウの部屋に呼ばれた。模様替えをしたのか、入ると靴を脱ぐ為の玄関があり、床に上がると20枚ほどの畳が敷き詰められており、その中央にヨウが座っていた。終鬼とフロンより先に先客がいた。美しいブロンドヘアーを畳に流し、ヨウの太ももに頭を乗せている少女。
「お帰り二人とも。アシッドはどうだった?」
「どうしたもこうしたもないぜ。普通のスライムと同じぐらい弱かったぜ。」
「普通のスライムよりかは強いと思うんだけどね……。まぁ、終鬼達のお陰で何か学習したのならよしとしようかな。」
「ほぉ?じゃあ、もっと強くなった彼奴と闘えるんだな!いいねぇ、腕試しのしがいがあるな!!」
「程ほどにね。ティア、次は何がアシッドには必要だと思う?」
太ももで気持ち良さそうに涎を垂らしていたティアこと、女神テスティアはハッとして口許を拭う。
「んぐっ……。そ、そうですね。良心が必要ですね。」
「良心、か。なかなか難しい問題だね。」
「そう難しい問題ではありませんよ、ヨウ兄ちゃん。」
自信があると豪語するテスティアは義兄の太ももでエッヘンとしている。果たしてテスティアがアシッドに期待する良心とは如何なものか、その場にいる二人は頭にクエスチョンマークを浮かべる。が、地図を細目で見つめるヨウには当てがあるといった表情で、テスティアの頭を撫でるのであった。
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「はぁ……はぁ……。」
どうにか自分の身体を雨を取り込んで形成しなおせたアシッドは村の近辺に存在していた妖精樹林へと逃亡していた。呂律も大分ましになり、それなりに人語を話せるようになっている。これまでに取り込んだ人間の量を考えれば相当な情報量を供給しているのだろう。魔力で碧、蒼、灰と連なる樹林は天からの恵みを享受し、地面に吸収された水分を我が糧にせんと吸収し続けている。特に碧の連なる樹林は吸収する速度は比較的に早く、湿った地面が殆どない異様な光景を醸し出している。
「ぐっ……。」
形成仕立てのアシッドの身体は水分が多く、完全な粘液になるまでには時間を要している。故に、地面を歩くだけで、水分は樹林に吸収されていっている。アシッドがここに逃げ込んでしまったのは誤算でもあった。遂に動けなくなったアシッドは大きな樹の下で倒れ込む。地面に接する面積が広がることで吸収速度も早くなる。微睡みに似た感覚がアシッドを襲い、視界がチカチカとし始める。
「(まだ……だ。あいつらを見返すまで……は)」
が、アシッドの思いとは裏腹に身体は正直で、倦怠感と共に死への揺り舟がたゆたい始めている。そして、目の前が真っ暗になると意識も地面の底へと沈んでいった。
「……?」
第二話を読んで下さりありがとうございます。作者のKANです。初めましての方は初めまして。
特に申すことはありませんが、これからの展開はちょっとしたネタ被りのようなものが混じるかと思われますが、そこは私のアレンジを加えて書いていきますので、よろしくお願いします。まぁ、シチュエーションを考えれば想像できる方もいるかと思われますが……ね。
では、次の後書きでお会いしましょう。ではでは……。