あなたの、全てを
「やり過ぎですよ、ユウシア君」
勝ったというのに、どこか沈んだ雰囲気のまま闘技場を後にしたユウシアに、後ろから声がかかる。
それにユウシアは、振り返りながら答える。
「……俺は、そうは思いませんが。それとも、この学校にいる講師は、部位の欠損も治せないんですか? ヴェルム先生」
「部位の欠損を治すというのは、治癒魔法でも最高位の魔法なのですが……まぁ、いいでしょう。僕が言いたいのはそういうことではありません。君なら分かるでしょう?」
そのヴェルムの問いかけに、ユウシアは軽く目を逸らす。
「確かに僕も、ヴァイツ君を更生させて欲しいとは思っていましたし、遠回しに頼みもしたと思います。……ですが、あそこまで嬲るような真似をする必要は、なかったはずです」
「アイツは色々な人を……そして、リルを、傷付けた。当然の処置です」
「当然の処置、ですか。戦う力を、抗う力を奪って、一方的に痛めつけることが?」
「アイツはそれだけのことをしました」
「いいえ。彼でも、君程非道いことはしていません。君も彼の戦いを見たことがあるのなら分かるはずです。彼は、君のように両腕を奪ったり、そうでなくとも拘束したりしていましたか?」
「…………」
して、いない。
リルのときも、ヴァイツが奪ったのはあくまでも、戦う意思だ。他の試合もそう。ユウシアが知っているのは、彼の戦いのほんの一部だが、それでも武器を奪うことすらしていなかったように思える。だが、
「……アイツは、それすらも楽しんでいます。戦う意思を残した相手が、段々と絶望に呑まれ、それを奪われる様を」
「そうかもしれませんね。では、それは君と何が違うのでしょう?」
「は?」
「ヴァイツ君は、戦う意思を奪い、結果として戦う力を奪いました。君は順番が違うだけで、ほぼ同じことをしています。ヴァイツ君は、自分のために、楽しむためにそれを行いました。今回の君の行動もまた自分のため。リルさんを傷付けられた。その報復がしたかったから行いました。決して彼女のためではないはずです。少なくとも僕の知る彼女は、そんなことを望む人ではない」
「っ……」
否定、出来ない。
ヴァイツも、ユウシアも、結果としては戦う意思と力、どちらも奪った。確かにその通りだろう。
ヴァイツも、ユウシアも、その理由は「自分のため」。それもまた、その通りだろう。
そして、リル。ユウシアの知る彼女も、こんなこと望みはしないと思えた。
「……ユウシア君。僕は、自分のやりたいことをやる、その行為を否定しません。人間であれば、いえ、生き物であれば誰もが持ち得る感情であり、当然の権利だと思っているからです。……ですが、やっていいことと悪いことの――“善”と“悪”の境界だけは、どうか見誤らないで下さい。それが、教育者としての、君の担任としての僕の願いです」
「…………はい」
ヴェルムは小さくそう返すユウシアを見ると、満足そうに頷いて去っていく。しばらくその場に立ち尽くしていたユウシアだったが、いつの間にかその足は、ある場所に向いていた。
++++++++++
一月程前、リルと共に訪れた山がある。ユウシアは、なんとなく、ではあるが、再びそこを訪れていた。
一人になりたかったのかもしれないし、思い出に浸りたかったのかもしれない。そうでなくとも、何かしらが起きると予感したのかもしれない。
ともかく、理由はユウシア自身にも分からなかったが、彼の足はそこに向いていたのだ。
前と同じ、開けた芝生の広場。日本の四季に照らし合わせればまだまだ春であり、見た目は前とほとんど変わらない。
ユウシアは真ん中に立つ巨木に歩み寄ると、集中せずとも使える最大限まで【集中強化】による強化を施し、目の前の木を殴りつける。
ズドン、と音が響き、木が大きく揺れる。木の葉が舞い落ち、木に止まっていたのか小鳥が数羽飛び立っていく。
ユウシアはそれらに意識を向けることなくその場に勢いのまま倒れ込むと、仰向けに寝転がり、木を殴りつけた右手を空に翳す。その甲には血が滲んでいた。
「……俺、何やってんだろ」
ユウシアは小さく呟くと、右腕から力を抜き、無造作に下ろす。
何をやっているんだろう、とは、どういった意味の言葉だったのか。本来なら怪我などせずにもっと上手く殴れた自分に言っているのか、それとも、ここに来たことそのものに対してかもしれない。ユウシア自身にもそれは定かではなかったが、ふとそう思ったのだ。
ユウシアはゆっくりと目を閉じる。別に、寝ようとか思った訳ではない。ただ無心になりたくて、余計な情報を遮断したかっただけ。しかし、木漏れ日の暖かさのせいか、芝生の柔らかい感触のせいか、いつの間にか眠りに落ちていた。
++++++++++
額のあたりに感じるぎこちない動きに、ユウシアは目を覚ます。
(……寝てたのか、俺)
そんなことを思いながら目を開くと、目の前には、すやすやと寝息を立てる整った顔。
「……リル?」
「んっ……あら、ユウシア様……よく眠れましたか?」
「多分……っていうか、なんでリルが……」
言いながらユウシアは、辺りを確認する。目を閉じたときのまま、確かにあの山の上だ。
「分かりません……なんとなく、ここに来たいと思ったのです。ユウシア様を見つけたときには、とても驚きましたが」
「……平気、なの?」
ユウシアは、医務室にいなくて平気なのだろうかと思い問いかける。
「えぇ、もう問題ありませんわ。元々、あまり大きな怪我もありませんでしたし。ユウシア様の試合も、実は見ていました」
「えっ」
正直な話、ユウシアは、あの試合だけはリルには見られたくなかった。何せ、あのとき試合に出ていた彼はある意味、ユウシアであってユウシアではないのだから。
「スカッとしました。ありがとうございます、ユウシア様」
笑ってそう言うリルだったが、ユウシアにはその笑顔が無理をしているように思えてしまう。
「……駄目だな、俺は」
その言葉に訝しげな表情になるリルから隠すように、ユウシアは手で顔を覆う。
「試合では非情になり切れず……そればかりか、大切な人にそんな顔させて……俺は、本当に、駄目だな……っ」
「ユウシア様……」
呟くリルから逃げるように、ユウシアは彼女とは反対側を向く。そこで彼はやっと、自分が膝枕されていることに気が付いた。
「……ユウシア様は、優しい方です」
「そんなこと……」
「いいえ、優しい方です。私は、そんなあなたを好きになりました。強いあなたを好きになりました。格好いいあなたを好きになりました。……あなたの、全てを好きになりました」
突然の告白に、そんな心境ではないにもかかわらずユウシアの顔が少し赤くなる。
「……時々、ユウシア様が何か隠し事をしていると感じることがあります」
「そ、れは……」
確かに、していない、と言えば嘘になる。いつかは話すつもりだが、今は、まだ。
「ですが、いつか必ず話してくれると信じていますし、私は、ユウシア様が隠していた部分も好きになる自信があります」
「リル……」
ユウシアは、目を丸くしてリルを見る。彼女は微笑んでいた。
「……あぁ。話すよ、必ず。そう遠くない内に」
ユウシアも小さく笑いながらそう返す。
「はい。お待ちしていますわ」
「……うん」
いっそう笑顔を深くするリルに、ユウシアは小さく頷く。
「……ですから、ユウシア様」
しかし次の瞬間、その笑顔は反転、悲しそうな表情に。
「お願いですから、もうあんなことはしないで下さい……あんなユウシア様は、もう見たくありません。自分勝手な願いなのは分かっています。ですが、私に、一つでもユウシア様の好きでない部分を作らせないで下さい……」
彼女の顔を見たユウシアは、自分を殴り飛ばしたい衝動に駆られた。
俺は何をやっているんだ、と。誰よりも、何よりも大切な彼女にこんな顔をさせて、何が恋人だ、と。
「……約束する。絶対に、もう二度と、あんな真似はしない。リルを悲しませたりしない。……だから、俺からも頼む。もうそんな顔はしないでくれ……」
ユウシアは、起き上がってリルを抱きしめながら言う。
「……はい」
頷くリル。少し離れて見えた彼女の顔は、やはり小さく微笑んでいた。
恋人>>>越えられない壁>>>担任。
どちらも結果として求めてることはほとんど同じだったのに、ユウシアの反応の差。まぁ、当然ですよね。