甘酸っぱい空間
甘酸っぱい、と見せかけて、最後の方多分死ぬ程甘いです。
一晩が過ぎた。
ガイルが迎えに来たのは、昼頃のことだった。
その間の食事は基本的に、部屋の中にあるテーブルに刻まれた魔法陣から出現していた。リルが言うには、あれは「転移魔法陣」というもので、作られた食事を部屋に送っていたのだそう。高い技術力の成せる技だ。こんなことに使うような技術ではない、と苦笑していたが。
閑話休題。
扉を開け、中を覗き込んだガイルが呟く。
「……なんなのだ、この甘酸っぱい空間は」
上手くは説明出来ないが、監禁部屋の中には、ラブラブ! というような甘い雰囲気でもなく、かといって気まずくなっているような訳でもなく、“甘酸っぱい”としか表現のしようがない謎の雰囲気が漂っていたのだ。
「……あら、お父様。少し遅かったのではありません?」
リルが冗談めいた言い方で文句を言う。
そしてユウシアはというと、
「〜〜っ!」
必死に笑いをこらえていた。
それに気が付いたガイルが、不思議そうに首を傾げる。
「ユウシア君、君は何故笑いそうになっているんだ?」
「いや、だって、陛下、ほっぺたが腫れて……!」
そう。何食わぬ顔で入ってきたガイルだが、何故か左の頬が大きく腫れ上がっているのだ。
「もう、ユウシア様ったら。あえて気にしないでいましたのに……」
ユウシアの隣で、楽しそうにそう呟くリル。
ガイルは腫れた頬を擦りながら口を尖らせる。
「昨日の昼、フィルに突然殴られてな。未だに痛みが引かん。まったく、あの子は一体どんな馬鹿力をしているのだ……。そういえば、フィルは恨むならユウシア君を恨めと言っていたぞ。どういうことだ?」
どうやら、フィルは手紙で頼んだことをしっかり実行してくれたようだ。
ユウシアが内心ガッツポーズをしながら誤魔化す。
「さぁ、俺には見当も付きませんね」
「ユウシア様、白々しい……」
「リル、なにか?」
「いえ、なんでもありませんわ」
そんな、気心の知れた、と言えるようなやり取りをするユウシアとリル。
仲の良さそうな二人を見たガイルが、本題に入る。
「……それで? 何か進展はあったか?」
その質問に顔を見合わせる二人。まず、リルが口を開く。
「……お父様。私は、ユウシア様が好きですわ。もちろん、男性として」
「……ほう? それで、ユウシア君は、こいつを貰ってくれるのか?」
ガイルに目を向けられたユウシアは、一瞬瞑目し、真剣な眼差しを返して答える。
「……正直、俺には、結婚がどうのとかは、まだよく分かりません。それに、俺がリルをどう思っているのか……自分の気持ちも、よく分かっていない。でも、陛下の仰った、学校には行ってみようと思います。そして、卒業までの間に、必ずどうするか決めます。それが、今の俺に出せる答えです」
ユウシアの言葉を聞き、目を見たガイルが、ふぅ、と一息吐く。
「……そうか。私としては、君には是非ともリルと結婚してもらいたい。リルは君が好きだと言うし、このままだとリルの相手は有力貴族から選ばれることになるだろう。当然、当人の意思が介在する余地なく、だ。だが、娘に望まぬ結婚はして欲しくないというのが、親心なのだ。もちろん……いや、こんなことをしておいて今更説得力はないかもしれんが、それも君達が決めることであって、親が余計なことをするものではないとは理解している。だが、だからこそ、一つだけ言わせてくれ」
そこで言葉を切ったガイルが、頭を下げる。
「……どうか娘を、リルを幸せにしてやって欲しい」
ユウシアは、一国の王が娘のために頭を下げたという事実に面食らいつつもどこか嬉しくなる。この王は最初から親バカっぽかったが、やはり娘を愛しているのだ、と。
そのことに軽く頬を緩ませながら答える。
「俺は予言者じゃない。占い師でもなければ、ましてや神なんかでもない。……だから、これから俺がどうなるか、俺とリルの関係がどうなるかなんて、これっぽっちも分かりません。でも、もし彼女と結婚することになったのなら――」
ユウシアは胸に手を当てて、自分の率直な気持ちを、決意を言葉にする。
「――俺の全てを懸けて彼女を幸せにすると、そう誓います」
「……ふっ、何とも重い愛情だ。親として、悪い気はしないがな」
「そうかもしれませんね。でもきっと、それが俺の“愛し方”なんです」
恋なんてしたことはないんですが、と笑うユウシア。
「そうだな、それもまた、一つの愛し方、か。……ではユウシア君、私はここで失礼する。この城の中は、自由に行動してもらって構わない。案内はリルがしてくれるだろう。ではな」
そう言い残して去っていくガイル。一瞬見えた、俯き気味の彼の口元は、嬉しそうに笑っていた気がした。
彼の姿が見えなくなるまで見送っていたユウシアが、長く息を吐き出し、部屋に戻ってベッドに仰向けに倒れ込む。
「ふーっ。いやー、さすがに緊張するなぁ。実質娘さんを下さいって言ってたようなものだし……リル?」
ベッドから少し離れた位置に立ったまま何も言わないリルを不思議そうに見上げるユウシア。
俯いていて垂れ下がった前髪で彼女の顔は見えなかったが、その空気がいつもと少し違うのはすぐに分かった。
リルがユウシアに一歩近づいて顔を上げる。
「――っ」
そうして見えた彼女の顔を見て、ユウシアは思わず息を呑む。
リルの頬は林檎のように真っ赤に染まり、目元は潤んでいた。泣いている、のではない。そう、それは言ってしまえば、女の顔――
「ユウシア様、あれは、あの言葉は卑怯ですわ……」
その言葉と同時に、リルがもう一歩近づいてくる。
「……えぇと、リル? 一体どうし――」
いつの間にか彼女は、大の字に寝転がるユウシアのすぐ側まで来ていた。
そのまま、ベッドの端にちょこん、と腰掛けるリル。視線はユウシアから外さない。
「申し訳ございません、ユウシア様」
体をひねり、ユウシアに覆いかぶさるようになるリル。肩をガッシリと掴まれ、ユウシアは身動きが取れない。
「はしたない、などと思わないで下さい。あんな、あんなことを言われてしまったら……私、我慢が出来ませんわ――んっ」
「んんっ!?」
いつかのような事故ではない。完全に意図的な、キス。
驚きに目を見開くユウシアをよそに、リルはその感触を楽しむように目を閉じている。
「……ん、ふっ」
「ぷあっ――んっ!」
息苦しくなったのか一度離れるリルだったが、再び、今度はもう少し激しくユウシアの唇を貪る。
段々と抵抗の気力を失っていくユウシア。
「ユウシア様、ユウシア様……!」
そんなことを繰り返すうち、完全に抵抗を止めたユウシアを見て何を思ったか、リルの舌がユウシアの唇を割り中へと――
「――それは、駄目だっ!」
叫びながらリルの肩を掴み、彼女の体を離すユウシア。
「それは、駄目だよ。……俺が我慢出来なくなる」
それは一体、どういう意味での発言だったのか。
それはともかくとして、ユウシアの叫びで正気を取り戻したらしいリルが、耳まで真っ赤にしながら後退る。
「も、申し訳ございません、私、なんてことを……!」
そのまま振り返り、部屋を出ようとするリルの腕を掴み、止めるユウシア。
「大丈夫だから。少し……いや、大分驚いたけど、別に嫌じゃなかったし……」
「ですが……」
「ですが、じゃない。気にしないでいいって言ってるんだから、気にしないの。誰だってああいうときはあるさ。……多分」
最後、少し自信なさげにそう付け加えたユウシアをリルは上目遣いで見上げ、胸の前で手を握り合わせながら口を開く。
「……あの、ユウシア様……」
「ん?」
「甘えてしまっても、よろしいのでしょうか……?」
「……俺なんかにでいいんだったら、いくらでも」
胸に飛び込んでくるリルを抱きとめ、頭を撫でてやるユウシア。
ガイルが感じた甘酸っぱい雰囲気はどこへやら。今この部屋は、完全に甘々な空間へと変貌していた。
この作品は、いつからラブコメになったんだ……? 軌道修正しなければ……。と、思っただけ(やるなんて一言も言ってない)。いやまぁ、甘い成分はあまり入れないつもりではあるんですが。この話以上に甘くなることは……ない、かなぁ……。うん、分からん!
……あ、学校? いやね、折角だからやってみたいな、と。学園ラブコメ(違う)。