逃げるに限る
「ロックべア……」
目の前の魔獣を見てフィルが呟いたその名に、シオンが反応する。
「知っているのですか?」
「は、はい。前に、興味本位でユウシアに聞いたことがあるんです。魔の森の魔獣で特に強かったのはどんな魔獣だ、と。その時に出た中の、ロックべアという魔獣と特徴が一致しているので、恐らく……」
「……ユウシアさんから見て強い魔獣ですか……」
「とにかく硬いそうなのですが……シオン先輩、斬る自信は」
フィルのその問いに、ロックべアを見て考えるシオン。少しして、結論が出たのか小さく首を傾げる。
「微妙ですね。やってやれないことはないと思うのですが……フィル様はどうでしょう」
「いかんせん、騎士剣というものは刀と比べると切れ味が悪くて……砕くにしても、少し難しいですね。それより先に剣が折れてしまいそうです」
「となると、逃げるという選択肢が出てきますが……無理そうですね」
シオンはロックべアの目を見て肩を落とす。その瞳は、今にも襲いかからんとばかりに爛々と輝いていた。
「……シオン先輩」
「分かっています」
フィルが名前を呼び、シオンが短く答えた、その直後。
「グォォァアアア!!」
ロックべアが、雄叫びと共に襲いかかってくる。
その真っ直ぐな突進を、フィルは右、シオンは左へと跳ぶことで回避。突進を避けられたロックべアは、一瞬迷い、軽装なシオンの方へと再び突進を仕掛ける。
「その様な真っ直ぐな攻撃、何度やっても当たりません、よっ!」
着地直後に再び跳び上がり、シオンはロックべアの二度目の突進を回避。すれ違いざまに刀で切りつけるが、
「硬い……試し程度で本気では無かったとはいえ、傷一つ付きませんか」
若干顔を顰めながらそう呟くシオン。刀を見ると、ほんの少しではあるが刃毀れしてしまっていた。
「では、次は私が!」
そんな彼女をチラリと見てそう叫んだフィルは、見失ってしまったシオンを探すようにキョロキョロと辺りを見回していたロックべアの懐に潜り込む。
「隙だらけだ!」
その言葉と同時に、フィルは大上段から剣を振り下ろす。全ての力を込めた、渾身の一撃だ。
しかし。
キィンッ!
「ぐ、うっ……!」
フィルの剣は、その岩のような――いや、下手をすればそれよりも硬い皮膚に弾かれてしまう。
渾身の一撃を弾かれたせいで痺れの残る腕を無視し、シオンのいる場所まで下がるフィル。苦々しげに口を開く。
「むぅ……やはりビクともしないか……」
「困りましたね……あの感じだと、私も刀の方が先にダメになってしまいそうです」
「となると、ここで打つべき手は」
「えぇ」
二人は目を合わせると頷いて――
「「――逃げるに限(る)(ります)!!」」
――踵を返し、一目散に逃げ出した。ロックべアがまだフィルの攻撃に反応して振り返るところだったのが、逃げることの出来た大きな要因だろう。
++++++++++
イチャイチャ、イチャイチャ。
イチャイチャ、イチャイチャ。
イチャイチャ、イチャイチャ。
「……ねぇ。これ、新しい罰ゲームか何か?」
ログハウス、リビングにて。
ソファに座っていたアヤは、唇を尖らせて、どこか疲れたように、正面のピンク色の空間に向かって声をかける。
「まさか。こっちは気にしないでいいよ」
そこから返ってくるのは、だらしない表情をしたユウシアの、どこか気の抜けた声。
「そうですわ。私達も気にしてはおりませんから……」
それに続くようにして、とても楽しそうな、嬉しそうな表情をしたリルの、「意識の五パーセントだけ使って答えました」みたいな心底どうでも良さそうな声も。
そんな二人に、アヤは首をブンブンと横に振りながら言葉を返す。
「違う、違うの。あたしはね? もっとこう、そう、気にして欲しいって言ってるの。嫌でも気になっちゃうから。目の前でそんなイチャつかれたら、気にせざるを得ないから。無理だよ気にしないとか。だってほら、さっきまであたしの隣にいたラウラさんだって、いたたまれない顔してどこか行っちゃったよ? そりゃそうだよね、自分が育てた子が女の子とイッチャイチャしてるところを見せられてたんだもん。いたたまれない気持ちにもなるよ」
「……本当だ、ラウラがいない」
「え、今まで気付いてなかったの!? どれだけ夢中なの!? 二人の空間恐ろしっ!」
「いけませんね、ユウシア様といるとつい周りが見えなくなってしまいます」
「もういいよ部屋でやってよなんならそのままよろしくヤッちゃってもいいからっ!」
「アヤ、女の子がそんなこと言うものじゃないぞ」
「そうですわ。それに、そういうことはちゃんと結婚してからでないと……」
「変なところで真面目になるのなんなのさ! もういいからとりあえず部屋に行ってお願いだからっ!」
「……それはちょっと、出来ない相談みたいだな」
「そんなに見せつけたいかこのバカップ……ん?」
ツッコミを入れようとしたアヤは、真剣な表情で玄関を見つめるユウシアに気付き首を傾げる。見れば、その隣にいるリルもユウシアの邪魔をしないようにとでも言うように黙り込んでいる。
「ユウ君、どうし――」
そして、アヤがユウシアに声をかけようとしたその瞬間。
「ユウシア、ヘルプ!」
息を切らせたフィルとシオンが、扉を開けて飛び込んできた。