親方、空から――
村を出て、四日が過ぎた。
ユウシアは現在、あの森から最も近い(といっても大分遠いが)大都市である、セリドの街へと向かっていた。徒歩でおよそ一週間の道のりだ。
「大体こっちの方……明日には着きそうかな?」
ユウシアは現在、地図を持っている訳ではない。しかし、目的地であるセリドへの大体の方角や距離が掴めていた。
「やっぱ、女神の力みたいなやつなのか? 一応、ラウラが中にいる訳だし」
ユウシアが首を傾げて考える。
実際、それは正解だ。女神であるラウラをその身に宿したユウシアは、本物の女神には及ばないもののそれに近い特殊能力を少し扱えるようになっていた。もっとも、ユウシアはそれを認識していないが。
「……それにしても、さすがに歩きっぱなしは疲れたよなぁ……」
ユウシアが走ったのは初日だけ。それ以降は、急いだところでどうせ野宿は免れないし、どこに村があるのかも知らなかったので、マイペースに歩いてきていたのだ。それも、一般人からすれば十分速いペースだったが。
途中何ヶ所か村などもあったのだが、どれも宿などない小さな村だったので、そこで夜を明かすことは諦めた。どこの村に、見ず知らずの旅人を無償で泊めるお人好しがいようか。
「おっ」
そんなことを考えていると、【五感強化】で強化された耳に、何やら水が流れるらしき音が。
「川でもあるのかな? 少し休憩にしようか」
音の発生源は、現在の進行方向から少し右にそれた場所。今度は視力を強化して見てみると、森らしき影がうっすらと見える。
「面倒だから魔獣がいないと嬉しいんだけど……行ってみないと始まらないか」
どの道、並大抵の魔獣ならユウシアの敵ではない。
そう考えそちらに向けて歩き出したユウシアの、強化されたままだった目が、何やらその森の上空から落下してくる物体を捉える。
「あれは……?」
目を凝らして見てみるも、さすがに距離が遠すぎるのか、よく見えない。
「【五感強化】……でも、まだ見えないな」
多少鮮明にはなったものの、まだ少し遠いようだ。
「んー……あ、そうだ。【集中強化】」
このスキルでも視力を強化出来ないものかと試してみるユウシア。
「お、見える見える。んーっと……」
上手くいったことに満足気な表情をしながら改めて目を凝らす。落下してくる物体が、先程よりも鮮明に見える。
「……え?」
自分が見た光景が信じられず、何かの見間違いかと目をこする。その後もう一度見てみるが、ユウシアの目に映る光景は変わらない。
「どうなってるんだ!? 【集中強化】ッ!!」
脚力を最大強化。人間とは思えない程のスピードで駆け出す。
「何で、何で女の子が空から降ってくるんだ!? おかしいでしょ、色々と!!」
とりあえず、親方を呼ぶべきらしい。
++++++++++
森の中。ユウシアは相変わらず全力で走っていた。
ユウシアの見間違いでさえなければ、あの落下物は少女である。その落下地点は、この森の中心部。
森を走り抜ける今も、上を見上げると木々の隙間から落ちる少女が見て取れる。その勢いは全く衰えない。
「間、に、あ、えぇええっ!」
ユウシアがそう叫んだ直後、唐突に視界が開ける。
目の前にあるのは小川。おそらく、ユウシアの耳がキャッチした水音はここのものだろう。
しかし、そんなことを考えている場合ではない。
少女は、今も落ち続けているのだ。落ちるのは、おそらく川のど真ん中。あの高さから水面に叩きつけられたら死ぬことも有り得るし、何より、この川は見たところ大分浅い。着水の衝撃でも運良く助かったとしても、その後地面に叩きつけられれば、間違いなく命はない。
しかも、少女が落ちるまであと僅かしかない。対してユウシアの位置は、間にあうかどうか怪しいところ。
だが、ユウシアは諦めない。諦められない。
「【集中強化】!!」
踏み込む右足に、全ての強化分を集め、一気に地面を蹴る。その衝撃で、地面がまるで戦車の砲撃でも受けたかのように深く抉れる。
同時に前に飛び出すユウシアの体もまた、弾丸の如き速度。
ユウシアが必死に前に向かって手を伸ばす。あともう少し――
「届いたっ!」
手が少女の体に触れた瞬間その体を引き寄せ、抱える。そのまま足を前に突き出して地面を滑り、勢いを殺して止まる。
「ふーっ……一生分急いだ気分だ……冷たっ!」
気が抜けてゴロンと寝転がるユウシア。少女はちゃんと降ろしてから。
しかし、少女が川に落ちてきていたので、ユウシアが止まった場所もまた川の中だった。寝転がったユウシアの全身が水に沈む。
「風邪ひく風邪ひく……へぷちっ!」
やけに可愛らしいくしゃみをしたユウシアは、少女は川に沈んではいないだろうかと横を見るが、ギリギリ川からは外れていたようで、無事である。それに、怪我もなさそうだ。
「よかった……」
安心したユウシアは、改めてその少女を見る。と、
「……え? 何、で……」
黒髪の、落ち着いた顔立ちの少女だ。歳はユウシアと同じくらいだろう。また、この世界では珍しく、東洋系……というより、日本人そのままの顔に見える。ちなみにユウシアは、前世の面影を残したまま、少し西洋風の顔になっている。毛や眼の色は似ても似つかないが。
しかし。しかし、だ。今のユウシアにとって、そんなことはどうでもよかった。何故なら、今ユウシアの目の前で無防備に眠るこの少女が、
「何で、何でこの世界に、何でいるんだよ……綾奈……」
丁度前世で、ユウシアが今の年齢だった頃。彼が心を病んでしまう原因となったあの事件で死んだはずの幼馴染に、瓜二つだったのだから。